第7話「森の嵐、切り裂く剣閃」

 プルウィウスの掌に霜が降り、凝集し、無数の氷柱つららが形成される。杭のように尖った氷雪の弾丸が、骨肉を切り裂く豪風と共に解き放たれた。

 アルトは真鍮めいて輝く片刃の直剣を振り回し、青紫の雷光を迸らせて迎え撃つ。アルトの"魔剣"『災禍の杖レーヴァテイン』の鍔は独特の機構仕掛けとなっており、強烈な紫電を刃へと纏わせる能力があった。

 風刃を伴う氷杭の弾幕が、稲妻を宿す剣閃によって叩き落とされる。同様の攻防が幾度か繰り返す。


 鎌鼬と氷柱を退け、着実に距離を縮めてくるアルトに対して、プルウィウスは無造作に左腕を振るう。

 背中の竜巻から吐き出される暗雲が、その動作に合わせて蠢動し―――アルトが操る蒼い魔導の電撃とは異なる、黄金色の雷鳴が迸った。


「―――ッ!!」


 それは自然現象としての雷に比べれば小規模だったが、人間などは容易く焼き滅ぼして余りある破壊力を持つ。

 歴戦の宮廷魔術師は、天気使いの予備動作を見た時点で不穏な直感を得ていた。咄嗟に立ち止まって魔剣を構え直す。

 果たして、飛来する雷は魔剣へと命中し、同じ電撃を操る性質のために大きく減衰され、致命の大火力を軽度の衝撃ショックにまで抑え込んだ。


(相性勝ちか。だが、なるべく直撃は避けるべきだろうな)


 一方、プルウィウスの方も違和感を覚えていた。

 このように『悪天候ファール・ウェザー』の魔力を振るうのは数十年ぶりだ。往年の勘を取り戻すには手間が掛かる。

 しかし、そういった事情を差し引いても、先刻放った雷は明らかに納得できる威力ではなかった。


「……雲の広がりが遅い? 空を支配し切れていない……。貴様、何をやった」


「答える義務は無いな。ここしばらく探し物に必死だったようだが、留守番も置かずに家を空にするもんじゃねェぜ」


「おのれ……!! 返す返すも愚かな! 何たる卑劣さッ、罠に頼らねば戦えぬ臆病者め!」


「知るか、こちとら人間の身で妖精の王様相手なんだ。このくらいのハンデでも無きゃ不公平ってもんだろ」


 雷撃を避けて後退したところで、アルトの魔剣が姿を変えた。刀身が半ばから分割されて砲身を形成し、切先に銃口が出現する。

 引き金が弾かれ、再び青紫の光芒が迸った。それは閃く雷光でありながら揺らめく炎のようでもあり、うねる蛇の如く予測困難な軌道でプルウィウスへと喰らいつく。


「なめるなよ」


 宮廷魔術師の策によって全力を出し切れない妖精王だったが、それでも彼は若々しい外見に反して老獪だった。

 プルウィウスはすかさず黒雲から雷を召喚し、まさにアルトがそうしたように、同属性の魔力によって砲撃を打ち消して見せた。たとえ十全の威力が引き出せずとも、防壁として利用することは可能だ。


「チッ……!」


「ははははははっ、残念だったなぁ人間? 分際を知るがいい、家畜が主人に逆らえるものか!」


「ハ、言ってろクソッタレ! 温室育ちの王子様がよォ……!」


 霜と風の弾幕に、雷の防壁。中距離から遠距離はプルウィウスの領域だ。天気使いが今の状態を維持する限り、アルトに勝ちの目は無い。

 故に突っ込む。元より、アルト=ペイラーは王宮の筆頭魔術師ではあるが、遠くから火力魔法を撃ち合うような戦いを好む部類ではない。


「構成投影。魔力集束、量子変換―――疑似召喚デミ・サモン、『辺獄リンボ』」


 疑似召喚デミ・サモン。自身が所有している魔導具アーティファクトの構造情報を呼び出し、周囲の暗黒物質ダークマターを変換してその似姿を作り出す、アルト独自の魔術。

 複雑で精密な魔力制御を必要とする絶技だが、筆頭宮廷魔術師が誇る練度といくつかの秘密が、わずか3節の詠唱と魔法名の宣言だけでの発動を可能とする。

 アルトの背後にある暗がりから漆黒の武具が引き出された。無数の鋸歯が並ぶ分厚い刃を備えた、斧とも鉈ともつかぬ獰悪な一振り。


「武器を増やしたところで!」


 暴風による不可視の斬撃と、掠っただけでも体温を奪い動きを鈍らせる氷柱、そして敵の矢弾を打ち落とす雷の防壁。

 一見無敵の布陣だが、付け入る隙はある。範囲内のすべてを無差別に切り刻む風刃と、確かな実体を持つ氷杭は両立しない。氷杭の配置に沿ったわずかな空間にのみ、あの弾幕には穴がある。

 アルト=ペイラーにとっては、それだけ読み取れれば充分だった。


「そう……らァッ!」


 赤黒い魔力の輝き――右腕の魔剣の蒼い雷鳴とは対照的な――を纏わせ、アルトは左腕の手斧を投げ放った。

 手斧『辺獄リンボ』は『レーヴァテイン』ほどの複雑な機構は備わっていないが、その材質は金剛鋼アダマンタイトに少量の聖銀ミスリルを加えた特殊合金であり、頑強さと魔力への親和性を併せ持つ。

 天気使いの意志に従い、危険に反応する雷の防壁は、明らかに強烈な破壊力を秘めた手斧の投擲に吸い寄せられた。


「ッ……野蛮な!」


「お前らにだけは言われたくねェ」


 ―――届いた。真鍮の黄銅の刃が鈍く煌めき、妖精王の首を刈り取るべく襲いかかる。

 プルウィウスもまた赤褐色の爪を獣の如く伸長させ、風の刃と共に切りつけた。妖精王の肉体が概念的に重く、堅く変化する。身体強化魔法『エンハンス』と同様の原理によって強化された妖精の肉体は、大鬼オーガのそれに匹敵する膂力と硬度を得る。

 金属を打ち合わせたような高音―――実際、強化されたプルウィウスの肉体は、並みの鋼鉄よりも遥かに頑強だ。そして、宮廷魔術師アルト=ペイラーが操る魔剣も。


「へェ、存外やるな。体術もイケるクチか」


「フッ……。生憎だが、そんなものを勉強した覚えはない。知っているぞ、武術とは弱者の工夫のことを言うのだろう? 森の王たる僕には無用のものだ」


「良い威勢だ、つくづく癇に障る……!!」


 目まぐるしい斬撃と魔術、無数の閃光の応酬。

 王と叛逆者の戦いは続く。己が刃と神秘を尽くして火花を散らす彼らの頭上で、星々が一層強く瞬いた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――――胸のざわめきがあった。


 アルトさんを見送ってから1日経つ。

 事の次第はもうお父様とお母様に話してあって、今はアルトさんの帰りか……いざという時の合図を待っている。

 リンゼさんは、夕飯を一緒に食べてしばらくすると、ひょひょいと跳ねてうちの家の屋根に登ってしまった。わざわざ翼を出さなくても――たぶんどこかのタイミングで、翼は隠しておくようアルトさんに言い含められたんだろうけど――これくらいの高さは何ともないらしい。屋根に登る前、一度『始まった』と呟いたきり、あの人懐っこい笑顔を消して村の北の方を睨んでいる。


 今のわたしたちに出来ることはもう無い。

 そして、これから何事もなく、わたしたちの出番が来ないまますべてが終わればいい。


 だが、準備を整えてリビングで待っていると、家のドアを叩く音があった。

 きっとトラブルの相談だろう。レジータの町とは違って灯りは少なく、娯楽があるわけでもないランベ村では、こんな時間まで人が出歩ていることはほとんど無い。


「村長っ!! あの、こんな夜遅くに申し訳ない、ですが!」


「どうしたグロール? 慌てるな、落ち着いて話せ。今夜はランベ村始まって以来の出来事が起こっている……問題の一つや二つは起こるだろうと覚悟はしていた。さぁ」


「は、はい。実は―――」


 グロールさん。お父様より少し年下の木こりで、わたしの親友、セテラのお父さんだ。力持ちだけど優しい男の人で、わたしも小さい頃からよくお世話になっている。

 ただ、この時のグロールさんはすごく慌てていて……どういうわけか、わたしは話を聞く前から、同じくらいに不安な予感がしていた。


「セテラが……セテラがまだ帰って来ておらんのです……! フラメル婆さんのために青月草せいげつそうを採りに行くってんで、ミェローが案内を買って出てくれたから安心だと。でも、夕方過ぎてもずっと家に戻らんでさぁ……!」


 涙ながらに訴えるグロールさんに、屋根から飛び降りたリンゼさんが尋ねる。


「おい、ミェローっつうのはあの青い服の上悪戯精ハイ・ピクシーだよな? 信用できる妖精なのか。この森じゃ、力のある妖精はみんなプルウィウスの手下なんだろ」


「むぅ……いや、リンゼさん、恐らくだがミェローは無実です。彼は私たちがこの村に来た頃からの知り合いで、赤服のゴリグーリと同じくらい我々に心を開いてくれている子です。プルウィウスや他の妖精から村人を庇ってくれたことさえある」


「だいいち、人間を勝手に連れ出して死なせたりしたら、間違いなくプルウィウスの怒りを買うわ。森の人間はみんな彼の持ち物だもの。プルウィウスがミェローを罰していたら……もしくは、プルウィウスにすら制止する暇がなくって、セテラが殺されてしまっていたら……他の妖精たちの噂になっているはずよ」


「そいつは―――変だな」


 リンゼさんの目がグロールさんに向き、続けて暗い夜の森を見渡す。

 わたしにもこの3週間で、リンゼさんの人となりが少しくらいわかったと思う。ここで次に言い出しそうなことは、


「仕方ねぇ、アタシが探しに行ってくる。そのセテラとかいう奴の持ち物を貸してくれ。アタシの鼻なら匂いを辿れる」


「り、リンゼさん……! しかし危険ではっ」


 ……やっぱり、グロールさんは優しいな。自分だってセテラが居なくなって大変だろうに、リンゼさんの心配をしてあげるなんて。

 だったら、そう。この中で、リンゼさんとアルトさんの実力を知っているのはわたしだけで―――それに、わたしにだって、わたしにしか出来ないことがある。


「わたしも行きます。セテラは友達なんです、放ってはおけません」


「ノエル?」


「大丈夫、お父様。リンゼさんはアルトさんのお弟子さんなんだよ? こう見えてとっても強いんだ。わたし、レジータの町ですっごく助けられたんだから」


 ただでさえ森の地形は複雑で、夜は明かりなんて全く無いし、危険な動植物や魔物もたくさん居る。

 けれど、わたしにはわかるんだ。この妖精の森の中で、自分の進むべき道が。


「お願いします、リンゼさん。森の道はわたしが見つけます。わたしと、セテラを……助けてください」


 わたしも。

 わたしも、誰かを助けたい。

 アルトさんとリンゼさん。ふたりのように、強くなりたい。


「―――よっしゃ!!」


 リンゼさんが右手で拳を作り、左の掌に打ちつけると、黄昏の橙に輝く魔力が噴き上がった。

 レジータの時とは異なり姿形に大きな変化は無かったが、その身に纏うオーラは妖精に勝るとも劣らない。リンゼさんもまた、宮廷魔術師の弟子――正しくは違うみたいだけど――であるということがわかる。


「お前と村の人らを守るのがアタシの仕事だ。そのセテラっつー友達を助けるのも当然だし、そんで……森の案内は、ノエルの役目だもんな。せっかくアルトが妖精どもの親玉をブッ飛ばしたって、その間に誰かが怪我してましたじゃ話にならねぇ」


 夕焼け色の長髪が翻って言う。


「村長、ノエルのお守りは任してください。必ずみんなで帰ってきますッ」


 対して、お父様は。

 しばらく顎に手を当てて考え込み、お母様とグロールさんにそれぞれ目配せして……。


「わかった。ただしノエル、危なくなったらすぐに戻ってきなさい。セテラだけでなくお前まで居なくなってしまったら、父さんたちだけでなくグロールまで責任を感じてしまう。……リンゼさん、娘を、よろしくお願いします」


「……! はいっ!」


「っす! 絶対守り抜きます!」


 そうと決まれば、やることは早い。

 外出用の上着を羽織る。ちょっとした道具や傷薬の入ったポーチを肩から掛ける。

 最後に、お父様が急いで倉庫から取ってきた、女性冒険者向けの短剣を受け取る。わたしには少し大きいが、両手で持てば十分振ることができる重さだ。


「じゃあ、……行ってきます」


「行ってらっしゃい。気を付けて」


「おっす! 村長たちも、もしもの時は気を付けて!」


 黒々とした闇ばかりが広がる、魔の森へと足を進める。10年以上見てきた光景のはずなのに、そこに一体どんな世界が広がっているのかを、わたしはほとんど知らない。

 けれど―――きっと大丈夫。リンゼさんも、お父様も、お母様も、グロールさんも応援してくれている。アルトさんだって今、別の所で戦っている。みんながわたしに勇気をくれる。

 必ず見つけるから待ってて、セテラ―――!!




――――――――――――――――――――――――――――――




「はっ……はっ……はっ……!」


 やばい、やばい、やばい。


 何がやばいって、それは何もかもだ。

 今夜、森の奥で行われるらしい戦いについては聞いている。例の宮廷魔術師? さんが失敗しちゃった時のことも。

 するとフラメルお婆ちゃんが『持病の発作が心配だ』なんて言い出すもんだから、日が沈む前に薬草を採りに行ってあげることにした。

 青服の妖精のミェローが付いてきてくれることにもなった。まぁ彼の案内があるなら間違いはないだろうと思って、お父さんとお母さんも送り出してくれたのだ。


 それが一体、どういうことだろうか。

 ミェローが『獣の気配が近いから気を付けて』と言った直後のことだった。

 遠目に狼の耳のようなものが見えた、気がする。だから、場所を移そうと思ったんだ。

 そことは違う薬草の在り処をミェローに聞こうとして、振り返り―――彼の脇腹に、矢が突き刺さるのを見た。


 異常な事態だとすぐに悟った。

 ほとんどの妖精は金属を苦手とするが、それを武器にしたからと言って必ずしも彼らに通用するわけではない。強大な魔力で肉体を強化すれば、妖精の皮膚はどんなに鋭い剣でも傷つけられなくなる。

 ましてやミェローはプルウィウスの側近でもある上級妖精で、そこらの魔物どころか、並みの妖精では相手にならないくらい強い。

 そんな彼を射貫いたのが、普通の弓矢であるはずがない。


「グウウゥゥゥ……」


「グ、グ、グ、ヴウッ」


「駄目だ……、く……うっ! セテラ、逃げて……!」


 私たちを襲った狼には、頭が2つあった。

 いや、頭が2つと言ってしまうと語弊があるかも知れない。つまり、その狼の口からは、別の生き物の顔が生えていた。

 暗緑色の肌、濁った黄色い目、尖った鼻、裂けた口元から覗く牙。足は4本あり、後足で……違う。

 そいつらは2で立っていて、腕にはそれぞれの武器を持っていた。


「ガギャアァァッ!!」


 小鬼ゴブリン。それも、獣の皮を被り、気配を偽装した異常な群れ。

 個体ごとの力は上級妖精であるミェローに及ばないようだったが、鉄の武器と巧みな連携を駆使して立ち回るそれらは、明らかに彼を圧倒していた。

 獣の皮を使った身隠しのせいで、他の妖精が騒ぎに気づかなかったため、こちらからは増援が望めなかったということもある。


「はっ……はぁ、はぁ……はぁ……!」


 そして、ミェローが倒されたのを皮切りに、ゴブリンたちは森のあちこちで戦いを始めた。

 主には妖精を狙っているようだが、いざ出くわしたなら他の魔物も巻き込んでお構いなしだ。

 森の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎで、獣も魔物も妖精もみんなが混乱していた。


「はぁ……む、村……は、はぁっ……。どっち……だっけ。これ……」


 あー、もう。……駄目だ。

 人や動物が通りやすい場所ならきっと道になってると思って、茂みとかの無い平たい場所だけ目指してたのがよくなかったかな。でも、実際のところ森の歩き方なんて知らないし。

 時間帯が時間帯なので晩御飯も食べ損ねていて、どうにも頭が回らない。ついでにそろそろ足にも力が入らなくなってきた。


「……、……。嫌だな」


 この妖精の森では、人間に居場所はあっても、自由は無い。

 人間は妖精を含むあらゆる魔物より遥かに弱くて、どころかそこらの獣にだって普通にやったら勝てないし、死ぬ時と場所と経緯を選べる身分では有り得ない。

 散々話に聞かされたに、いざ直面してみて―――やっぱり、想像以上に怖くて、辛くて寂しくて嫌だった。


「死にたくないや。くそ」


 最後に思うこと。たくさんある。

 痛くて怖い記憶も山ほどあるが、楽しかった思い出だって数えきれないくらいある。私は絶対に幸せ者だった。


「…………ノエル」


「―――――、―――! ……!」


「ごめんね、ノエル。また一人にさせちゃうかな」


「……、―――!」


「でも、ノエルなら大丈夫だよ。リンゼさんだって居るしさ。優しいから、友達なんてすぐ……」


「―――ラ、セテラっ!!」


「あぁ……うわ、マジ? 死に際の幻って本当に見るんだ。それは知らな、かっ……た……」


「幻じゃないよぅ……! 縁起でもないこと言わないで!」


「あばばばばばばばばずずずず随分アグレッシブなまぼろあばば」


 なんか肩をガックガク揺さぶられて目が覚めた。

 まず視界に飛び込んで来たのは、特徴的な菫色の髪。それから花びらとお日様の匂い。

 瞼をこすりながら顔を上げる。ぱっちりとした目を真っ赤に腫らして、私の親友、ノエル・ウィンバートがそこにいた。


「ほえ? あ、あれぇ!? ノエル!?」


「よかった、生きてた……!」


 がばりと胸に飛び込んで来るノエル。おぉう相変わらず軽い。


「間に合ったな。何よりだ」


「リンゼさん」


 んでこっちの子が、最近謎のイケメンと共に村に現れたリンゼさん。鮮烈なオレンジのストレートロングが眩しい勝ち気系女子だ。

 あ、そういや謎のイケメンこと宮廷魔術師? のアルトさんの弟子だったね。蛙の子は蛙ならぬ、鷹の弟子は鷹と言ったところか。頼りになるー!


「寝覚めで悪ぃが、想像以上にまずい状況っぽいからな。この騒ぎ……何か知ってるか?」


「わ、私も何が何だか……。……あぁでも、原因らしい連中なら見ました。狼の皮を被ったゴブリンが、ミェロー……を……」


 見知った顔に助けられて、心に少し余裕が戻った瞬間だった。

 いつも陽気で心優しい青服の妖精ミェローが、必死の形相で『逃げろ』と叫んでいたこと。そんな彼の脇腹を、鋭利な鉄の矢が貫いていたこと。

 血が飛び散って、ゴブリンたちが寄ってたかって、ミェローを、頭に棍棒の一撃、手足を切り裂かれ、


「う……!? ぐぶ、ぉえっ!」


「せっ……セテラ!? どうしたの、やっぱりどこか怪我して……!」


 夕飯をお腹に入れてこなかったことを、不幸中の幸いだと思った。

 さっき目にしたあれが、さっきまで私のすぐそばに迫っていたものの重さが、ようやく現実の感覚として追いついてきた。


「……そうか。ミェローは……良い奴だったらしいし、な。そうもなる」


「えぅ……」


「セテラっ」


「……ぅ、く、う」


 そうだ。

 何も、何も終わっていない。私は助かってなんかいない。ノエルも、リンゼさんも、ひょっとしたら村のみんなも。


「ごめんノエル、怪我は……。怪我は、本当に大したことないの。ちょっとクラっと来ただけ……」


「本当に……大丈夫? セテラ……」


「うん。それよりリンゼさん、騒ぎの原因は?」


「あぁ、『狼の皮を被ったゴブリン』だろ。そいつなら心当たりがあるぜ。ゴブリンの特異個体ユニークで『赤斑アカブチ』っつー奴がいて、そいつの群れは狩った獣の皮を被って魔法の触媒に使うんだ。本来は魔法の名前だけど、赤斑の作ったそういう群れは『獣皮猟兵ウールヴヘジン』って呼ばれてる」


「ウールヴヘジン……」


 ノエルが噛み締めるように呟き、それを聞いたリンゼさんはより一層眉をひそめた。


「細かいことはわかんねぇが……今日こうしてウールヴヘジンが来たってことは、アタシたちの作戦と無関係じゃねぇと思う。プルウィウスっつーのは確か、300年生きてる大妖精なんだよな? 普段なら無理でも、アルトがそいつと戦ってる間なら、妖精の森を襲って乗っ取れると踏んだんだろうよ」


「そんな。じゃあ」


「ノエル、勘違いすんじゃねぇ。アタシたちは、アルトはな、最初からプルウィウスをブン殴って妖精どもを黙らせようって話をしてたんだ。お前たち人間を救うためにだ。予定とはかなり違うが……ウールヴヘジンも、徒党を組んだ妖精と同じくらいやべぇ。さっさと村に帰って、みんなで森から逃げんぞ」


 チラッと私の方を向いた後、リンゼさんは膝を折ってノエルと視線を合わせた。

 その表情は、この3週間で一度も見たことがないほど鋭く暗い。


「いいか、わかりやすいよう一言でまとめる。。アタシたちが生き残るのが、まず一番の目標だ」


 すぐ近くで破裂音がして、一瞬だが小さな火柱のような光が見えた。

 こうしている今も森は鳴動し続けている。ゴブリンたちは狂喜の喚声を隠さなくなってきていて、あちこちから動物――と、妖精も――の悲鳴と絶叫が聞こえる。

 事態は予想を大きく離れ、とんでもない方向に流れ始めていた。




――――――――――――――――――――――――――――――



 息つく暇もない、とはこのことだ。

 セテラが生きていたのを確認して、一通り安心したのも束の間。わたしの経験上でも、過去に森での火事はあったけれど、この火の回り方は尋常ではない。

 あまりの様子にわたしとセテラが狼狽えていると、ふとリンゼさんが動いた。立ち上がって周囲を見渡し、夜の森の闇を……いや、既に所々で上がっている火の手のために、森は普段なら有り得ないほどの明るさに照らされつつある。


「…………、アルト?」


 ―――そうリンゼさんが呟いた瞬間、一際強烈な閃光がわたしたちの視界を奪い去った。

 すぐ近くで森の樹木が吹き飛び、轟音と火花と共にが転がり落ちる。

 砕けて薙ぎ倒された茂みから、ふらふらと起き上がって来たのは、


「ッ……痛ってェ、やってくれたなクソ……!」


「あ、アルトさん!?」


「ん―――あァ? お前……ノエル……つーか、お前ら! 揃いも揃って何やってんだ!? どォしてこんなトコに居るッ」


「どうしたもこうしたもねぇよ!! アルト、予定変更だ! 赤斑の野郎とウールヴヘジンが来てる……! 奴ら、お前とプルウィウスが戦ってる隙に、この森を乗っ取るつもりなんだ!」


「はァ!? ンだよそりゃあ……あァ畜生ォ、妖精除けの結界じゃゴブリンは守備範囲外だからな、道理で!」


「結界ぃ? そんなもん仕込んでやがったのか。例の鞄に引き籠ってただけじゃなかったんだな」


「当ったりェだろバカ、まァその努力もいま全部パーになったんだけどよ。つくづく最悪な出張だ」


 そして―――――。


「今宵は……騒がしいな。王たる僕の膝元で、有象無象がよく吠える」


 背筋が、冷える。身体が硬直する。

 森の暗がりの向こうから、柔らかな声が聞こえてくる。春風のように涼やかで、剣のように硬く鋭い、まさしく理想の美男子といった青年の声。

 だがその声と共に、他の妖精とすら比較にならない絶大な魔力が、そこから放たれる重圧が、わたしたちの足をその場に縫いつけて離さない。


「だが」


 森の妖精王オーヴェロン、プルウィウス・アルクス。

 空を支配する『悪天候ファール・ウェザー』の権能を持った最強の大妖精が、嵐の翼を従えて降り立つ。


「―――だが、だが、だが!! クフフ……フフ、フハハハハハハハハハッ!!」


 無邪気にして苛烈な森の独裁者は、しかし眼前の敵にも、自分の領地の危機にも目を向けていなかった。

 めまいが、する。何かとても大切な前提が、がらがらと音を立てて足元から崩れていくような感覚がある。


「だが、僕は幸運だ!! ついに見つけたぞッ、僕の王冠! 我が最高傑作よ!」


 大妖精プルウィウスが、わたしを見ている。


「おいアルトっ、立てるか!? ボサっとしてんじゃねぇ!」


「ハ、誰に物言ってやがる。この通り絶好調だっつーの」


 紅蓮の炎を纏う竜人と、黄金の剣を持つ魔法使いが並び立った。

 彼らが見据える敵、古き大妖精は不敵に笑う。その魔力は今も刻一刻と増大し続けていて、空を覆う黒雲は分厚く、吹き荒れる風は強く、降りしきる雨粒は重く、鳴り響く稲妻は大きくなる。

 森の行く末を決める真の血戦が、幕を開けようとしていた。

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