第6話「対決、妖精王」

「というわけで、しばらくよろしくゥ」


 何が"というわけ"なのかさっぱりわからないが、アルトはそう言って旅行鞄の中に消えていった。

 ……アルトの関わる物事について疑問に思ったことは、数えればキリが無いけれど、それでもあのかばんはとびきりだ。


「リンゼさん……あの、アルトさんが使ってる客間から、妙な物音がするんですが……」


「そりゃあいつの鞄だな。あいつが入ってる間はいつもそうなんだ、夜更けになるとなんかガサゴソいうんだよ」


? 鞄の中にですか?」


「うん。まぁあんまり深く考えんな。悪いことは言わねぇからさ」


 ちょっと本格的に「大丈夫なの?」みたいな目で見られたが、アルト=ペイラーと関わりを持った以上は諦めてもらうしかない。

 世の中にはアタシたちの想像以上に不思議なことがいっぱいあって、いちいち気にしていては身が保たないのだから。




 ランベ村に来て3日目。

 作戦決行は3週間後、次の新月の夜だ。それまでにやれる準備をしておく。

 各自、旅行鞄に消える直前のアルトに手渡された『但し書き』に従って過ごす。


 ……アタシは"目立つな"と散々念を押されたくらいで、他は特に何の指示も無かったんだけどさ。

 昨日の昼間と同じだ。村の人たちに混じって畑仕事や狩りを手伝えばいいだろう。

 ちなみに編み物は無理だった。ノエルもエルミナさんも上手なもんだ。


 それでももし妖精に怪しまれたら、いっそ開き直ること。

 つっても馬鹿正直に正体をバラすなんてのは論外で、そういう時はアタシもまた妖精ですって言い張るのだ。

 妖精というのは自由気ままな生き物であり、中には色んな土地を旅して暮らしてる奴も居る。姿形だってバラバラだ。

 んで、アタシはただの人間よりも明らかに魔力が強い。アルトが置いてった『妖精の鱗粉』を被って気配を誤魔化せば、妖精どもと言えどアタシの正体を見破れなくなるって寸法さ。


 村の集まりにも顔を出した。各集落の纏め役みたいな人たちがみんなやってきて、村長であるクレフさんに色々相談したりする。

 一応、妖精どもの監視付きだが、今回は比較的人間に優しい連中の番らしい。ちょっとした酒盛りみたいなのに誘われると、みんなホイホイと出ていってしまった。

 よその妖精について詳しいわけではないが、そういうところは普通の妖精と同じみたいだな。扱いやすくて助かったぜ。


 ……話を聞く限り、ランベ村以外の集落の様子は、最初の夜にエルミナさんが教えてくれた通りの有様だ。

 確かに、妖精くらい強くて賢い魔物にとっちゃ、人間や他の魔物なんて羽虫も同然だ。当たり前みたいに見下してるし、実際そんな風に考えても仕方ないくらいの力の差がある。

 けど、だからって……。意味もなく甚振いたぶって、悲鳴を聞きながら殺すなんて。それも毎日のようにだ。ゴブリンだってそこまでやらない。

 ムカつくのを通り越して、何か不気味でさえあった。断じてビビってるわけじゃねぇが、かえって腹も立たないくらいだ。

 悪意に目覚めた邪妖精アン・シーリー=コートってのは、そんなにヤバいものなんだろうか……。


 ―――――何にせよ、太陽は毎日昇って沈むものだ。

 月は見上げる度に欠けていって、が近づいていることを知らせてくれる。


「さて……と」


「あっ、こいつ! ようやく帰って来やがった! もうすぐ新月だぞ、今まで何してたんだよ!?」


「うるっせ。脳みそまで爪と牙で出来てるお前と違って、俺はインテリジェンス冴え渡る頭脳派魔法使いなの。入念な準備こそが勝利の鍵なんだ。ほら」


 宮廷魔術師が懐から取り出したのは、麻の手巾を紐で縛った簡素なだ。

 だいたい手のひらサイズで、中身は伺えない。アタシは目も耳も鼻もそれなりに良いが、手巾に縫いつけられた糸が何かの模様を形作っていて、これがアタシの感覚を乱す術式になっているらしい。妖精に見破られないための対策だろう。


「……ンだよ? その包みがどうしたってんだ」


「第2の保険ってとこかな。村長に届けてくれ、各集落に配る肥料に混ぜて隠しておくよう頼む」


「はぁ、そりゃいいけど……うわっ触り心地キモッ! なに入ってんだよコレ!?」


「それは企業秘密。うっかり開けたりすんなよな、見ても気分の良いもんじゃないぞ」


「チッ、言われなくたって見ねぇっての。お前は今からどうすんだ?」


「明日は待ちに待った新月の夜だろ。俺はこのまま森の奥へ直行だ」


 アルトは当たり前のように言い放って、外套の前を閉め直した。それから続けて、煤けたような濃灰の革手袋を身に着ける。

 思わず大声を出しかけたが、この馬鹿がいざ"やる"と決めたら何かと性急なのはいつものことだ。わざわざ引き止める理由も……あ、いや、そうだ。


「敵の居所には見当がついてるが、不都合があったら戻ってくるかも知れない。他に質問は?」


「ひとつある。ノエルたちには、顔見せないでいいのか」


「んん。……さっきまではそのつもりだったんだが」


 黒布の外套が翻る。一本の小杖タクトが袖から飛び出した。

 わずかな魔力の励起があり、アルトが手首の動きで杖を振り上げると、客間の扉が開いて、


「えっ? あ、ひゃあ……!」


「ノエル?」


「あ……! あ、えっと、その、あの、……ははは……」


 今日も夕食を共にした後、別々の部屋に戻ったノエルが、姿勢を崩して転がり出てきた。

 ここまでの話はバッチリ聞かれていたらしい。正直全然気づかなかった。


「ごめんなさい! 盗み聞きなんて、するつもりじゃなかったんですっ。ただ、ちょっと胸騒ぎがしたというか、変な予感があったというか」


「そりゃ凄い、良い勘だ。森に入って云々ってのも、夢遊病の類じゃなくて天性の才能かも知れねェ」


 魔術師は杖をしまい、部屋の窓の方に向き直った。


「と、まァ……聞いてた通りだ。黙って出発しようとしたのは謝るが、あんまり時間が無いんでな。お父さんたちにもよろしく」


「はい、わかってます。お気をつけて」


「聞き分けが良くて助かる。素直な子供は好きだぞ」


 ケッ、また歯の浮くような台詞吐きやがって。こちとらお前の性根はよくわかってんだよ。似合わねぇ~。

 ノエルもさっそく顔が真っ赤だが、騙されちゃいけないぞ。


「ふぇ……ひゃ、ひゃい……」


「あんまり真に受けるなよー。そいつは『言うだけ番長』なんだ。隙あらば誰にだって良い顔すんだから」


「失敬な。人の長所に気づけると言ってくれ、誰だって褒められて悪い気はしないだろ」


「あーもう、うるせぇなぁ! 行くならさっさと行けよッ」


 これから決戦だってのに、どうにもしまらない奴だ。

 ―――あるいは、そんなアルトの緊張感の無さは、アタシたちを安心させるための演技かも知れないのだけれど。


「ハ。一丁前に心配そうな面してんじゃねェよ、阿呆リンゼ」


「心配なんてしてねぇよ、馬鹿アルト。さっさと勝って帰って来い」


 そう告げると、アルトは無言で頷いた。

 男は窓を開けて木枠に足をかける。一陣の夜風が部屋に吹き込み、黒布が揺らめいたかと思えば、その姿は闇へと溶け去っていた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 あぁ、おもしろい、おもしろい。


 にんげん、にんげん、ふしぎないきもの。


 さるよりよわくて、いぬよりおそくて、くまよりちいさくて、いのししよりもろい。


 なのに、はびこる。もりにも、へいやにも、あついとちにも、さむいとちにも、かわいたとちにも、しめったとちにも!


 あぁすごい、あぁおもしろい! にんげん、にんげん、かしこくてべんりな、たのしいやつら!


 だからあそぼう。もっとながく、きっとずっと、あそぼう、あそぼう。


 なにをたべる? どれだけ、いじめてもだいじょうぶ? なにをしたら、どんなかおをして、どんなふうにないてくれる?


 さからってくるなまいきなやつは、まぁ、てきとうにだまらせよう。


 こわれてしまってもへいきだね。むしみたいにたくさんいるから、とりかえるのはこまらない。


 あそぼう、あそぼう。ぼくたちのもりで。たのしいおにわで。ようせいとにんげん、たましいのともだち。えいえんのともだち!


 ずっと、ずっと、ともだちさ。ぼくたちのもりで、たのしいおにわで―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ある夜、暗く広大で深い森の、さらに深い深い場所。

 枝葉が複雑に絡み合い、まるで壁のように四方を囲むそこは、まさしくこの妖精の森の最奥部。世界の血管レイラインが収束する大地の結節点、膨大なマナに満ち溢れた神秘の領域だ。

 絶え間なく瞬き浮遊する燐光は、鬼火ウィスプと呼ばれる精霊あるいは妖精の幼体だ。それは色づき花開く前の蕾にも喩えられる、ごく純粋なマナの結晶でもある。

 生まれたばかりで意識も曖昧なまま、無垢なる情動しか持たないウィスプたちが―――しかし、明確に認知しているらしきものが、ただひとつある。


「―――――どこだ」


 それはヒトの雄によく似ていた。若く、目鼻立ちは整っており、およそ麗しいと言ってもよいだろう。耳は大陸北西に住まうという森精人エルフ族のように細長く尖っているが、それすらも彼の幻想的な美貌の演出に一役買っている。

 青年の髪はくすんだ銀色――いっそ灰色とするのが適当か――であり、それはどこか厳しい冬の寒々しさを連想させた。そして髪とは対照的に、その双眸は満月の如き黄金の光を湛えている。

 灰髪金瞳の彼は、生い茂る植物のような暗緑色と、致死の猛毒のような紫苑と、新鮮な血液のような紅蓮の衣装を身に纏っていた。貴族然とした典雅な、あるいは道化師めいた華やかな礼服。

 怜悧な容貌、豪奢な服装とは裏腹に、足には素朴な木靴を履いていたが、しかしそれらの間には不思議と調和があった。原始の森林が植物、獣、虫、土と腐臭、あらゆる生と死、多くの矛盾する美を内包しているように。


「どこだ。どこに居る。僕の最高傑作、僕だけの鳩、妖精王オーヴェロンたる僕の王冠」


 森の木々は妖精たちの忠実な下僕であり、故にその空間は彼のための私室と化していた。

 幹と幹の間に、奇妙な物体が挟み込まれて、もしくは詰め込まれている。複数が存在するそれらには、腕があり、足があり、顔面はいずれも苦悶の表情を浮かべていた。ここまで見て取れば誰もが気づくだろう、それが歪に人間の死体であることに。

 尤も、亡骸の全体が残っている者は幸運な部類だ。一帯には、ずたずたに傷つけられているか、何らかの目的のために加工された人体のパーツが散らばっており、まるで巨大な獣の顎が集落を食い千切ったかのような惨状を呈していた。


「もうすぐ、もうすぐだ。ファントマ……あぁ、我が朋友よ! 僕は決して、君の死を無駄になどしない! 待っていてくれ、もうすぐだ、君の声を確かに聴いたんだ! 僕は……」


 青年は手近な木のうろから生白い球体を取り出した。人間の目玉だ。ある種の虫の蜜に漬け込んである。

 鋭利で、毒々しい赤褐色の爪を備える青年の指が、眼球を注意深く撫で回す。明るい青の瞳と目が合った。

 青い目の人間はやや珍しい。少なくとも彼の記憶では、半年に1度出会えれば運の良い方だった。


「……、……何だ?」


 瞳をより深く覗き込もうとして、緑衣の僭主は踏み止まった。

 いくつかの理由で、彼が持つ生来の才能は多少衰えていたが、それでも彼は依然として類稀な強者だった。

 だから気づくことが出来た―――もはや嗅ぎ慣れたヒトの匂いと、朧気で異質な感覚。五感を超越した部分が訴える奇妙さに。


 作業を中断し、青年は歩き出した。

 彼の知識と自信と経験から言って、それはまったく不可解なことだったが、違和感は木々の壁の間から放射されているようだった。

 幹へ、幹と半ば融合したヒトの屍へ、そっと手を伸ばし、


 凄まじい魔力の炸裂が彼を襲った。


 屋根も扉も無かったものの、確かに青年の居室であった空間は、瞬時にして崩壊した。

 生木というものは水分を多く含み、植物とはいえそう簡単には燃えないはずだが、そんな常識は関係がなかった。圧倒的なまでの火と光の奔流が、妖精の森の一角を完璧に吹き飛ばしていた。


 突発的に降って湧いた天災に、しかし、今代の妖精の王は屈していない。

 受けたのは、ほんの少しの擦過傷と衣服の焦げのみだ。それも大した問題ではない。

 呼吸と共に、空間に満ちる豊富なマナが彼を癒した。ここは彼の領土であり、彼はこの中ではすべてを支配していた。森が育んだ生命力さえも。


「君は―――」


 抉られた土、砕けた木々の粉塵と灰、猛烈な水蒸気の混じった煙が渦巻いていた。

 その向こう側に影がある。煙幕越しでも否応なしに感じられる――先刻の現象を引き起こせたのも納得できる――強大な魔力。


「無礼だな。そして優雅じゃない。この僕が一体何者か、理解していての狼藉かな」


「いいや、知らなかった。だが当たりを引いたらしい。一応確認だが、影武者とかじゃあないんだよな? 妖精王オーヴェロン様よォ」


「愚か者め、無礼の上に無知蒙昧とは! 嘆かわしい……何と救い難い」


 濛々もうもうと立ち込めていた白煙が切り払われる。そこには、未来的な意匠の長剣を携えた、銀髪紅眼の魔法使いが佇んでいた。

 対峙する灰髪金瞳の妖精は、服の汚れを払いながら姿勢を正す。最も精霊に近い魔物が、その身に秘められた絶大な魔力を解き放ち、己が力の象徴たる翅を広げた―――ただし、それは悪戯精ピクシーなど主要ポピュラーな妖精種によく見られる、昆虫のものに近い形状ではない。

 彼の背から伸びているのは、だ。都合2対の計4本、すべてを切り裂く獰猛な鎌鼬かまいたちを従えた大気の渦。


「"悪天候ファール・ウェザー"の暗示……! 『天気使い』か!」


「如何にも、我こそは最も新しき妖精王オーヴェロン!! 金の目の戦士にして偉大なる天気使い、プルウィウス・アルクスである!!」


 視線が交錯する。殺意が吹き荒れる。魔法使いの剣が煌めき、妖精王の翅から黒雲が吐き出された。

 磨き抜かれた刃をもって挑むは、アンファール王国宮廷魔術師筆頭、アルト・ディエゴ=ペイラー。

 下賤なる逆賊を迎え撃つは、妖精の森の支配者にして豪風の天気使い、プルウィウス・アルクス。


「ハ―――、アルト・ディエゴ=ペイラー。ご覧の通り魔法使いだ。冥土の土産に覚えておけ」


「フン、知らんな。どのみちすぐに消える名だ……!!」


 月光が射さぬ夜、神秘の森の奥深くで始まった戦いを、星々だけが見守っている。

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