第5話「宮廷魔術師の仕事」

「まずは、噂のプルウィウス君とやらを仕留める計画を練らないとだ」


 村の通りを歩きながら、アルトはおもむろにそう言った。

 隠し村ランベに来て2日目、今日は集落の中の物陰とか逃げ道とかを探してぶらぶらしている。いざ戦いになった時のための下見だそうだ。


「妖精どもの総戦力は不明、おまけにここは敵地のど真ん中。人質も居ることだし、派手に暴れ回るのは上手くない……ったく。こういう戦いは得意じゃねェんだけどな」


「アタシだって得意じゃねぇよ。やっぱり、レジータの町の奴らを連れてきた方がよかったんじゃねぇか? アタシやお前なら妖精の1匹や2匹どうとでもなるけど、他人を守りながらじゃ手が足りないだろ」


「あのな、さっきも言ったがここは妖精どもの巣なんだぞ。増援なんて呼んだって無駄だ。レジータ側がデカい動きをしたら確実に察知される」


「そうかぁ? アタシたちが真っ昼間に飛竜ワイバーンで飛んできたのにも気づかない連中だぞ。どうにでもなりそうだけど」


「だから怪異スナークだ、『不思議の詩の異形ジャバウォック』は。あいつは特例中の特例。みたいなもんで―――」


「すてるす?」


「……とにかく、下手に戦力を掻き集めてぶつけでもしたら、その時は……人間と妖精の全面戦争だ」


 アルトの深紅の目が遠方を見やる。

 働く大人、話し合う女、遊ぶ子供。表面上は穏やかな、ごく普通の農村の風景。


「頭数が同じなら、人間の兵隊が妖精どもに勝てる道理は無い。村の住民も助からないだろォな、妖精は受けた傷の恨みを忘れねェ」


 ……そりゃあ。

 そりゃあ、ちょっと、


「有象無象の生き死になんざ気にするでもねェが、俺ァこれでも国民の血税でメシ食ってる身分だ。仕事である以上はベストを尽くすさ。それに」


「…………たとえ赤の他人だろうと、目の前で死なれちゃ気分が悪い」


 魔剣使いはこちらを視線だけで振り向き、ごく浅い溜息だけで返事をした。

 台詞を先取りされたことに抗議するような無表情の中で、切れ長の目元だけは―――。


「驚いた。意外と乗り気なんだな。俺から連れ出しておいて何だが、お前は人間と妖精の小競り合いになんて興味ないと思ってた」


「ざけんじゃねぇよ。あんなハナシ聞いといて、何とも思わない方がどうかしてる」


 ―――人間。

 母上を殺し、アタシを封印し続けてきた連中。

 たぶん、本来魔物であるはずのアタシにとっては、憎むべき敵。


「確かにアタシは赤竜の娘だ。最強の魔物の一人娘だ。だから、お前はアタシを試してるつもりかも知んねぇけどな、そういうんじゃねーんだよ」


 母上のことは好きだ。親を愛さない子なんて居ない。

 あるいはもっと純粋に、伝説に名高い万魔の王に対する尊敬がある。ただ、強者への憧れがある。彼女の娘として生まれついた自負がある。

 けれど……いいや、だからこそ。


。母上は母上で、アタシはアタシだ。魔物とか人間とか、そういう区別はしたくないって気持ちがあって……この心は、きっと間違ってない」


 種族も立場も違ったって、明日に迷う誰かがそこに居るのなら。

 アタシは、それを助けるために力を振るいたいと思う。万魔の王の血を受け継ぐこの身体が、指の一本でも動く限り。


「誰よりも自由に、力強く、誇り高く―――母上の名に恥じない自分テメェであり続けること、この世の誰にもこれが赤竜の娘アタシだって言い張れること! それがアタシの夢、アタシの目指すアタシだッ」


 ……そんなアタシの言葉を聞いて、宮廷魔術師アルト・ディエゴ=ペイラーは。


「…………あー……。そう、か。……そっか……」


 所在なさげな様子で頭を掻くアルトの目線は、相変わらずこちらと重ならない。

 だが、それは普段のさかしらぶった態度の結果ではなく、正真正銘の困惑であるようにその時は見えた。


「……余計な気を遣わせちまったか。謝って欲しくないだろうから謝らないけど……」


「? なんだよ、この流れでお前が謝ることなんてあるか?」


「あぁ。そうだな。―――頑張ろうぜ、一緒に」


 今度こそ振り向いてアタシと目を合わせたアルトは、何故だかどこか悲しそうな、けれどいつになく爽やかで落ち着いた微笑みを浮かべていた。

 ……ふん、つくづく勿体ない奴だ。いつもそういう顔をしていればいいのに!




――――――――――――――――――――――――――――――




 時刻は2日目の夜まで進む。

 土地の下見を行う傍ら、アルトたちは村の農作業を手伝う運びとなった。

 もっぱら提案者のリンゼばかりが積極的に参加していたが、しばしばアルトが魔法で助け舟を出すこともあり、日が暮れる頃には2人ともすっかりランベ村の空気に馴染んでいた。

 村の子供たちの遊びにも付き合い、すべての作業を終えてウィンバート家に戻れば、既に夕食の用意がされていた。

 小ぶりなパンと数枚の葉野菜、ブロックから薄く切り出された干し肉――普段なら1枚だが、客が来ているので2枚――を5人で分け合う。それから、ランベ村の人たちが『茶』と言い張る野草の煮汁も。

 その食卓はごく質素だったが、宮廷魔術師たるアルト=ペイラーでさえも不満を口に出すことはしなかった。


 それからは、相談と歓談の時間だ。

 アルトは昼間の散策で得た所感を、クレフの持つ知見と突き合わせて作戦を練る。

 一方のリンゼとノエルは、レジータ市で起きた事件の顛末と、自分たちの出会いをエルミナに語る―――リンゼが『赤竜の娘』であることは伏せて。


「……ここまで繁殖が進んだ妖精のコロニーは、俺もそうそう見たことがありません。人間の兵隊を増援に呼んでも、個々の能力差で劣っていては勝てる道理も無い。遠方から砲撃するという手もありますが、この豊かな森をいたずらに傷つけるのは本意ではないですし、何より囚われている人たちを巻き込むので論外でしょう」


「では、どうなさるおつもりで?」


「暗殺。妖精の長、プルウィウスの居所を特定し、ピンポイントで直接叩く」


 アルトが持ってきた大判の羊皮紙に描き出された、ランベ村とその周辺の簡易的な地図。

 クレフは、宮廷魔術師の発想と、それが実現可能だという自負に感心する一方で、しかし避けては通れない懸念を口にした。


「あぁ、えぇと……おっしゃることはわかりますが……、村長として一言だけ。その、プルウィウスを討てば、すべて事が丸く収まるものでしょうか? 主が死んで、規律を失った妖精たちが、我々に報復を行ったりはしませんか……?」


 紅眼の魔法使いは、一瞬だけ視線を上げてクレフの目を覗き込んだ。


「それについてはご心配なく。手は考えてあります」


 特徴的な外套の懐から、一冊の本が取り出された。黒ずんだ継ぎ接ぎの革で装丁がされた、大きな手帳のようにも、小ぶりな辞典のようにも見える本。

 開かれたいずれのページにも、細かい文字列や図形がびっしりと記されている。クレフはそれが、いわゆる魔導書グリモワールだと気づくのにしばらくかかった。

 このアンファール王国において、書籍はそれなりの高級品だ。ましてや本物の魔導書など、クレフのような平凡な農夫にとっては、一生に一度拝めるか否かという稀少なものである。


「妖精は気紛れで奔放ですが、だからこそ自分より強い者には逆らえない」


 魔導書のとある項目を指し示して、アルトはページを捲る手を止めた。

 真円を基調とした複雑な紋様と、流麗な王国公用語アンファール語の文字。

 紋様の方―――魔法陣はさておき、クレフは経験上、ある程度ならこの文字が読める。そこに書かれていた内容は、


「プルウィウスを倒した暁には、妖精王オーヴェロンの名前と首級をもって、人々の解放と今後の不干渉を約束させましょう。犯罪の刑罰や紛争の賠償にも使われる『誓約ギアス』の魔法があります。術者だけでなく被術者、つまり妖精たち自身の魔力を利用するので、誓いを違えれば火傷をするのは彼らの方になる」


「な……なるほど。そんな魔法が……」


「尤も。これはすべてが首尾よく進行して、プルウィウスの暗殺が成功した場合の話です」


 そう言うとアルトは再び魔導書を手繰り、後ろの方にあった白紙のページを開いた。

 ページの端に人差し指を置き、すぅと空中へ滑らせる。果たしてそのページは根元から切り離され、一枚の紙片となって机の上に広がった。

 魔法使いはどこからか羽根ペンを取り出すと、そのまま当然のように浮遊させ、先程と同様に指で宙をなぞる。その動きと共に、文字こそお世辞にも美しくはなかったが、ペンが自動的に文章を綴り始める。


「俺の使い魔でレジータ市に連絡を届けます。森の手前に救助隊を置くよう要請しておくので、俺がプルウィウスの暗殺に失敗したら、可能な限り集落の人たちを集めて南へ逃げてください。―――リンゼ、ノエル、少しいいか」


 名前を呼ばれた2人が振り返り、また彼女たちと話していたエルミナも。場の全員の注目がアルトに集まった。


「ノエル。お前の力を活かす時だ」


「わたしの?」


「あぁ。俺はプルウィウスを倒しに行くつもりだが、万が一にも失敗しちまったら、ボスを傷つけられた妖精どもはカンカンだ」


「プルウィウスを……。はい、それはわかります」


 紅眼銀髪の青年は立ち上がり、菫色の少女の前で跪いて視線を合わせた。

 ノエルの心拍数が上がる。少しの恥じらいと不安。


「そうなった時は、お前が村の人たちを連れて逃げろ。お父さんたちから聞いた、この妖精の森の歩き方を知ってるんだろ?」


「あ……え? う、っ……それは、そうです、けど」


 それを告げられた瞬間、ノエルの胸の内を占める不安の割合が一挙に増加した。

 彼女は年頃の割にはいくらか聡明であり、両親がアルトに己の秘密を話しただろう点については、必要なことだったのだろうと飲み込むことが出来た。

 理屈を飲み込めただけだ。自分の中では、何一つ解決してはいない。


「でも……でもわたし、自分から森に入ったことなんてありません。他の人の道案内なんて、考えたこともないし……」


「大丈夫、お前なら出来る。それに、何かあってもリンゼが一緒だ」


「ん。おぉ……あー、そういうことか! じゃあ、ノエルたちのお守りがアタシの仕事だな?」


「そいつもあるが、いざって時の保険もな。もしノエルの力が機能しなくても、お前は目も耳も鼻も良い。代わりは務まるだろ」


「ハッ! 信用されたもんだ。いいぜ、乗ってやる。ノエルも安心しろよな、アタシが付いてってやるんだからさ。な!」


「……! は、はいっ」


 ノエルの返事までを聞き終えて、アルトは姿勢を戻してクレフの方に向き直った。

 隠し村ランベ、そして妖精の森の解放に向け、話すべきことはすべて――アルトとウィンバートの夫婦が意図的に触れなかった2点を除いて――話した。


「委細、承知いたしました。村の者にも避難経路を確認させておきましょう」


「旅支度も必要ね。こんな日が来るなんて、正直思ってもみなかったから……妖精たちの目も誤魔化さなきゃだし、かなりの手間が掛かっちゃうだろうけど、どうにかなりますかしら?」


「でしたら、俺にもプルウィウスの拠点を調べる時間が必要です。使い魔を飛ばして救助隊を呼ぶタイミングを調節しましょう。作戦決行は…………3週間後の夜で」


 丸テーブルの中心で忙しなく動いていた羽根ペンが止まった。即席の手紙が完成したらしい。

 紙片はまたも自動的に丸められていき、アルトがぱちんと指を鳴らすと、微かな白煙を上げて一回り小さくなった。クレフたちには与り知らぬことだったが、それは伝書鳩用の特殊な小型便箋であった。


「―――さて、最後にもうひとつだけ」


 宮廷魔術師が切り出す。

 ここまであえて口にしてこなかった事項の内の1点。


「森からの脱出は、最悪の場合の想定です。作戦の前提には含まれていません。このあと3週間の努力次第ではありますが、それでも、プルウィウスの領土すべての人々を救えるわけではない」


 その宣告に、クレフとエルミナは狼狽しなかった。いささか以上に悲しげな表情を浮かべていても。

 ノエルはしばし愕然としたが、両親の様子を見て何もかも察したようだった。今はただわずかに肩を震わせている。

 リンゼはすぐさま剣呑な目つきになったものの、何か声を挙げるより先に、アルトの次の言葉で遮られた。


「もし俺が負けて、妖精たちが襲いかかってきた時は―――その時は、決して迷わないように。隣の森が焼け落ちようと、友人が魔物に食い殺されようと、南で待っている救助隊の下へ辿り着くまでは、決して足を止めないようにしてください。何を失っても、最後の一人になっても……あるいは、一人でも多く生き残る。そういう覚悟をしておいてください」


 そう締め括るが早いか、魔法使いの手元が閃いた。


「ですが、まァ」


 振り下ろされたアルトの右手には、いつの間にか一振りの短剣が握られている。

 銀の刃に深紅の持ち手、黄金の腹と鍔と柄頭を備え、随所に宝石が散りばめられた、絢爛極まりない片刃のナイフ。


「勝ちますよ。そのために俺はここに来た」


 目も眩むような魅惑の輝きを放つその宝剣は、しかし確かな鋭さ殺意をもって、机に広げられた地図の中心へと突き立っていた。

 妖精の森の最奥部―――妖精王オーヴェロンを僭称する彼らの長、すべての元凶が待つはずの場所へ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る