第4話「ノエル・ウィンバート」
鬱蒼とした深い森を掻き分けながら進む。
未知の樹海、それも妖精どもが支配する領域とはいえ、勝手知ったるノエルの先導があるので、覚悟していたほど苦しい道のりではない。
アルトはそこらへんの虫やら
まさか、森にジャバウォックを突撃させて、ワイバーンの
「そういや、何も考えずに隠し村に向かってるけどよー。まぁノエルの家族なら説得できるかも知んねぇが、妖精どもはどうやって誤魔化すんだ? つか、そもそもアタシらみたいな余所者が、フラっと入ってって大丈夫なのか?」
「潜入の用意ならある。昨日仕留めたあの蝶から分捕ってきた『妖精の鱗粉』がな。こいつを被って妖精のふりをしてればいい。ただ、量は無いから出来る限り温存しなきゃならない」
「1日2日で済む用事じゃねぇんだぞ。そんなんで足りるのかよ」
「開けた場所に出たら
「あっ、だったらわざわざ森の中でやる必要はありませんよ。わたしの家、客間があるのでそこを使ってください。両親にはわたしから話をつけておきます」
「客間ァ? 有難ェが、随分と景気が良いな。村っつっても、所詮は妖精どもが作った模造品だろ? まともな建物があるかどうかも怪しいと思ってたんだが」
「じゃあ、ランベ村が特殊なのかも知れません。……うちの村というより、村と森を管理してる妖精が、でしょうか」
不意にノエルが立ち止まった。
踏み込んだ足元からぱきりと音がする。乾いた枝ならもう何度となく踏みつけているのだが、なんとなく違和感を覚えてそちらを見やった。
半ば腐食しているが、明らかに自然に形成されたものではない、長方形の板が転がっている。
アルトにキラキラ光る妖精の鱗粉を振りかけられ、いざ立ち入った妖精の森の奥地―――隠し村・ランベは、果たして何の変哲もない
赤い屋根と鈍色の煙突が乗った、白い壁の家々が立ち並び、それらの間には石畳が敷き詰められ歩道を形作っている。
城塞都市とは違って街灯は建っておらず、畑も井戸も数えるほどしか見当たらないが、村の規模を考えればむしろ景観が整っている方だ。少なくとも、妖精が人間の営みを
「おいおい……。どォなってんだこの村は? 隠し村っつったら普通、もっと寂れてるもんだぞ」
「わたしが小さい頃は、今よりもずっと厳しい暮らしをしてたんです。それを、森への侵入者を気紛れで生け捕りにして、その人から外の世界の話を聞いたプルウィウスが―――」
「プルウィウス?」
「この一帯の森を支配してる、妖精たちのリーダーです。300年以上生きてる大妖精で……自分は今代の"
「
そんなこんなでやってきたノエルの自宅、ウィンバート家。
なるほど、言われてみれば確かに、他の家屋よりちょっと立派だ。
「あぁ、ノエル!! どこに行ってたんだ? 心配したんだぞぉ!」
「う……うん、ごめんなさい、お父様っ! ただいま、戻りました」
「おかえりなさい、ノエル! 怪我はない? 妖精たちに見つからなかった?」
「うん、お母様。大丈夫……本当に、大丈夫だから」
お互いの無事を確かめ、涙ながらに抱き合うノエルとその両親。
やっぱいいよな、こういうのってさ。……アタシは母上の顔も知らないけれど、うん。やっぱり、親子ってのはこうあるべきだ。
「実はちょっとだけ、大丈夫じゃなかったこともあったんだけど……この人たちが助けてくれたんだ」
「何……、あぁ! そうだったのですね。お二人が……。ありがとうございます、本当に……!」
「いえ、構いません。我々にとっても他人事ではありませんから」
アルトはいつも胸元に着けている金属の飾りを指し示す。翼を広げ、手に剣を吊り下げたドラゴンの紋章。
それを見たノエルの父さんは、アルトが口を開くよりも先に、少しばかり目を丸くしたようだった。
「アンファール王室特務査問会所属、宮廷魔術師のアルト・ディエゴ=ペイラーと申します。ワットスン伯爵領レジータ市からの要請を受けて、この森の調査に参りました」
「なんと!?」
宮廷魔術師、という単語を耳にした瞬間、ノエルの両親は目に見えてあたふたし始めた。
うーん、そうなんだよなぁ。アルトの自堕落で性悪な部分を知っているアタシには実感が沸かないが、レジータの町中での扱いを見ている限り、実はめちゃくちゃ偉い人間なんだよなこいつ。
そうしていれば、あれよあれよという間にリビングへと通され、お茶とお菓子を出され、みんなで仲良くテーブルについている。
「いやはや、慌ただしくて申し訳ありません。まさかあのペイラー導師がお出でになるとは……」
「いえ、お気遣いなく。それに、導師というのは俺のことではなく、先代の宮廷魔術師の呼び名ですね。本当の出身がどうであれ、王宮の筆頭魔術師となった人間は皆、『ペイラー』の姓を襲名するんですよ」
「ははぁ、なるほど。えぇと……では、アルト=ペイラー様」
「先代ぃ? おい何だそりゃ、初耳だぞ」
「言ってなかったからな。とりあえず
例によって不機嫌なんだか眠そうなんだかわからない紅の瞳で、魔剣使いがノエルの父さんを見やる。
如何にも人の好さそうなそのおじさんは、恐縮しながらもきっぱりとした態度で話し出した。
「あぁ、はい。私はクレフ・ウィンバートと申します。こちらは妻のエルミナ、それとご存知の通り、娘のノエルです。一応、ここの村長を務めさせていただいております」
「村長?」
「えぇ。私も妻も、出身はレジータ外縁部の農村でして。15年ほど前までは本当に、小作人の纏め役のような立場だったのですが……ちょうどノエルが生まれてしばらくした頃に、この森へと連れて来られたのです。それからは妖精たちのリーダー、プルウィウスに命じられて、集落の人間の代表役をやっています」
うげ……妖精どもの巣にいきなり連れてこられて、他の人間の世話まで押し付けられて15年か。
ちょっとアタシには想像がつかない苦労だな。あの穏やかな村の風景は多分、妖精の力に守られてるからってだけじゃなくて、この人が真面目に努力した結果でもあるんだろうな。
「事情は理解しました。ご苦労のほどお察しします」
出されたお茶(らしき謎の飲み物)をほんの少しだけ啜ったアルトは、目を瞑ってしばらく押し黙っていた。
あれは、現在進行形で解決策を見つけようとしている……ように思わせる演技だ。アルトがあの顔をする時、大抵は既に次の台詞を用意し終わっている。
「―――最初にはっきりさせておきましょう。俺の目的は、これ以上の妖精による拉致被害を抑止することです。クレフさん、あなたの話を聞いて確信しましたが、妖精たちの人攫いは最近になって始まったことではない。そうですね?」
「その通りです。プルウィウスは、恐ろしく賢くて執念深い妖精でして……。私は、この森から逃げ出そうとして成功した者を――今回のノエルを除けば――誰一人知りません。逆に彼ならば、森を見つけようとする人間を煙に巻く術も心得ていたでしょう。そもそも、人攫いが自分たちの仕業だとわからないように偽装するくらいはやってのけるかと……」
「では、私とこちらのリンゼが、妖精を駆逐して人間の集落を解放します」
クレフさんは雷に打たれたかのように頭を上げた。その顔には、驚愕と期待と不安が入り混じった、奇妙な表情が浮かんでいる。
「そのようなことが可能で―――いえ、いいえ、宮廷魔術師様のお力を疑うわけではないのです。しかし、一口に妖精たちを倒すとおっしゃいましても、その……」
「えぇ。差し当たって取り決めておくべきことも、いくつかあるとは思いますが」
そこまで言うと、アルトは視線をノエルの方へ移した。
急に目を向けられたノエルがびくりとする。もちろんノエルには何の落ち度もないのだが、あいつは目つきが悪い。特にまだ慣れてない人間にとっては。
「……今日のところは、ひとまずこれまで。我々にも準備がありますし、お嬢さんにも休息が必要です」
ということで、ランベ村に来て最初の一日が終わった。
――――――――――――――――――――――――――――――
太陽は沈み、夜も更けて村中が静まり返る頃、アルト=ペイラーは自身に宛がわれた客間での作業を終えた。
妖精は珍しい生き物だが、出現例や目撃情報が絶無というわけでもない。彼らは魔法的な知覚能力に優れており、故に生半可な隠蔽では見破られてしまう。宮廷魔術師アルトの実力と資産が無ければ、相応の大がかりな儀式が必要になるところだった。
とはいえ、リンゼがアルトと部屋を別々にしたがった点については、リンゼにとっては当然の感覚ではあったが、アルトにとっては無駄な面倒が増えたことも事実だった。
アルトが使用した魔導具を片付けようとベッドに並べ始めた時、客間の扉を叩く音があった。
辺りに散らばる道具のうち、床に転がしていた分を取り急ぎ机に纏める。
然る後、いそいそと戸を開けたアルトの前に立っていたのは、ノエルの父である村長クレフだ。
「こんな夜分に申し訳ない。お話ししておきたいことが……。実は、昼間の時は
是非もなく、2階からリビングに降りてみると、既にノエルの母エルミナが待っていた。
率直に、クレフに比べると若いな、とアルトは思う。夫との会話を見ている限り、歳の差はそれほど無いように感じられるのに。
(美人は得だ。親父さんの方も、羨ましいな)
観察を続ける。やや暗い銀髪に、色素の薄い瞳―――
一方、夫のクレフは目こそ薄灰だが髪が茶色い。
「お話ししたいことというのは、ノエルについてなのですが」
そして、二人の娘であるノエルには、どちらの特徴も受け継がれていない。
この世には時折、精霊の祝福を受けて生まれてくる人間が居る。彼らは世界を構成する四大元素の魔力をその身に宿しており、それによって髪や瞳が一見奇抜な色合いに染まっていることがある。
薄紫色の髪と目。ノエル・ウィンバートがただの『加護持ち』であるならばまだいい。だが―――。
「これは……その、私たち夫婦にとっても、あまり快い話題ではなく……。ですが……」
「あなた」
「……わかっている。エルミナ。心配は要らない……。アルト様のお役に立つかも知れないし、それに、いずれははっきりさせておくべきことだ」
宮廷魔術師アルト=ペイラーが主な拠点とする大陸中部とは異なり、北方の夜は
この日のウィンバート家でも、暖炉には薪がくべられていた。その火とクレフが持ってきたカンテラだけが、寒村の闇夜に頼りない明かりを灯している。
「私は、このような特殊な事情の集落ではありますが、村長として最大限の努力をしてきたつもりです。妖精たちの趣味嗜好を探って、それとなく譲歩を引き出したりもした」
「……宮廷魔術師様ともなれば、妖精たちの気紛れと恐ろしさについては、きっとご存知ですよね。夫が村長になる以前は、人間たちは眠ることも許されずに働かされたり、かと思えば、何日もベッドに入って動かないように命じられたり……。逆らった者は容赦なく殺されて……逃げ出そうとしても……。ひどい時には、何もしていないのに森に放り出されて、獣に食べられてしまった者さえ居ます」
「……想像以上に苛烈ですね。妖精の仕業にしても、度を越しているように思えます」
「全くです。この村については、人間の都合に理解のある妖精たちと、良い付き合いを続けられていますが……これもいつまで保つものか。それに恐らく、隣の森やまたその隣の森の人々は、今でも手酷い扱いを受けているでしょう」
クレフとエルミナが一通り話し終えて、少しばかり間が開く。
昼間は晴れていたはずだったが、どうやら夕方の内に雲が出ていたらしい。月の光は灰色の暗幕に隠されている。
「しかし逆に言えば、この村だけはそれなりに安全だと考えてもいるのです」
壮年の村長は机の上で両手を握る。しわがれ節くれだった指は、未だ60は越さないだろう年齢に見合わない、過大な労苦の証に違いない。
「元より、知識の無い人間が未開の森を歩くのは危険です。妖精が支配しているような場所なら
「―――ノエルだけは違う、と」
心優しい夫婦は頷きもせず、肯定の声もまたなかった。
最初に語った言葉の通り、それを認めてしまうことを心の底から恐れているようだった。
「……あの子が4歳になる頃でした。ある日突然プルウィウスがやってきて、私たちにノエルを差し出すよう命じたのです。どうにか見逃してもらおうと手を尽くしたのですが、
「離れていた期間は長かったですけれど、プルウィウスのお付きの妖精が一月経つごとに様子を伝えに来てくれたんです。彼がわざわざ遣いを寄越すなんて初めてでしたし、妖精たちとの付き合いも今ほど親密ではなかったので、あれはきっと正真正銘の誠意だったんだと思います」
「そして三、四月ほど経って、またプルウィウスが現れました。彼に連れられて帰ってきたノエルは……、髪と、瞳が……あの色に」
湿地に咲く小さな花のような、あの淡い紫。
「あの子は……あの子は、私たちの
「クレフさん、落ち着いてください。娘さんが起きてしまいます。……けれど?」
「あ……あぁ、失礼、取り乱しました。そう……それからのことです」
エルミナに促されて、クレフは机上のコップの水を飲み干した。
数度の深呼吸の後、意を決して再び話し始める。
「その日から、あの子は……。時々、ふらっと森へ向かうようになったのです。ノエルには農民としての暮らし方しか教えていない……そもそも私たちだって、本格的な森の歩き方なんて知りません。なのにあの子は、野の獣も恐ろしい魔物も、何より妖精が居る森に入って、当たり前のような顔をして帰ってくる……」
「プルウィウスに何かされたことは、間違いないと思うんです。でも私たちには、いいえ、ノエル自身にすら、どんなことをされたのかわかっていない……。あの子、出発した瞬間のことは覚えていなくて、いつも気が付いたら森の中に居るそうなんです……。でも、一番気味が悪いのは、ただ後ろに向かって歩けば村に帰ってこられること。覚えていないはずの帰り道を、自分の足は知っている……頭が変になりそうだ、って」
……アルトは一つ、考えつくべきだったやり方に思い至った。いくつかの理由で今さら試す気にはならなかったが。
いわゆる『加護持ち』の人間が持つ目や髪の色は、あくまで特殊な魔力の流れが見せる虚像でしかない。彼らの体毛あるいは眼球は、魔力の源泉である肉体から切り離された場合、たちまちその色を失う―――。
「あ……アルト様、ノエル……ノエルは、やはり何か……」
「今はまだ、はっきりとしたことは言えません。俺も
紅眼の魔法使いは、クレフとエルミナにそれぞれ視線を投げる。
アルトの目には、この夫婦が想像しているような、魔法的な特別な作用があるわけではない。しかし、夜の猫のように裂けた細い瞳孔の威力は、二人の憔悴を本能的な畏怖で上書きするのに十分だった。
「仮説はいくらでも思いつきます、特に魔術の世界では。もう少し可能性を絞り込みたいですね。同じ時期に何か、変わったことはありませんでしたか?」
夫婦はお互いの顔を見つめ、しばらく小声で話し合った。
この村では――尤も、たとえ王都の生活水準であっても、時計という道具は貴重品なのだが――、現在の正確な時刻を知る術は無い。暖炉とカンテラの中に積もる灰の量だけが、過ぎた時間の程を教えてくれる。
―――ややあって、怪訝な表情を浮かべたクレフが口を開いた。
「そういえば、ダニエル……外の世界では旅の芸人をやっていたという者が連れてこられました。彼は時折プルウィウスに呼び出されて、人間の暮らしや文化について質問をされたと言っていました」
「あぁ、それが。ノエルからも同じ話を聞きました、何でもそのおかげで生活が楽になったとか」
「プルウィウスが城塞都市の中での暮らしについて興味を持ったんでしょうね。彼は建物を作る力も持っていて、彼によって建てられた家や井戸がいくつかあります。尤も、見た目だけで中身が伴っていなかったので、実際に使うには手直しが必要でしたが……」
「でも考えてみれば、ハリボテだって作れるだけ凄いわよねぇ。木や土を操る力のある妖精はたくさんいるけれど、人の手が入ったものを再現できるのはプルウィウスだけだもの。まぁ、さすがの彼でも、人間ほど器用にはなれないってことかしら」
「なるほど」
アルトは胸の前で組んでいた腕を少しだけ崩し、二の腕を人差し指で小突き始めた。あくまで静かに、されど
昼間の場合とは違い、彼が本当に考え事をしている時はこの癖が出る。
「……私見ですが、ノエルさんのような特別な事情については、とにかく慎重になるべきです。調べがついた暁には、本人への伝え方も考えなければなりません。集落の解放と違って結論を急ぐ必要は無いかと思います」
「アルト様……」
「今夜はもう遅い。きっとノエルさんも疲れているでしょうから、お二人が付いていてあげてください。良い夢を」
乾いた空気と黒雲の切れ間から、青白い月が顔を出す。
光の帯がただ一瞬のみウィンバート家の窓に滑り込むと、それは再び曇天の向こうへと帰って行った。
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