第3話「北へ」

 さっきの、フォガートとかいうおっさんと冒険者ギルドから提供された仮の拠点、レジータ市内の宿屋の一室に来ている。

 使用人を泊めるための別室が付いた、貴族向けの豪勢な部屋だ。


 やたらふかふかした大きな椅子に座り、偉そうにだらけているのがアルト。尤もこいつはどこに居てもこんな調子だが。

 で、そのアルトの胡乱げな視線に晒されている女の子が、謎の魔物に襲われていたノエル・ウィンバート。


 冒険者ギルドを出た後、アルトは何やら町中の柱やら壁やらにぶつぶつと呪文を唱え、光り輝く魔法陣が浮かび上がったのを確認しては去る、ということを繰り返していた。

 そんな時、城塞都市の中で、これほど人間の気配があってなお強烈な魔力の放射が感じられたので、いざ駆けつけてみると……というわけだ。

 人間の生活の中にも魔力で動く仕組みはあると聞くが、あのデカい蝶にはそれらとは根本的に違う気配があった。具体的には―――。


「ノエル、とか言ったか」


 それまで黙りこくっていた……というか、宿屋に来て早々にへたり込んでいたアルトが急に口を開いたので、ノエルは驚いてぴくりと肩を跳ねさせた。

 顎の辺りで切り揃えられたすみれ色の髪が揺れる。―――アタシも他人のことを言えた義理ではないけれど、珍しい色だな。

 アンファール王国には色んな見た目の人間が居るが、さすがにあんな薄紫の髪と瞳の奴は知らない。染料の匂いはしないから、あれで地毛のはずだ。代わりに妙な魔力の流れが感じられるので、恐らく何らかの精霊の加護を受けているのだろう。


「お前は運が良い。魔鳥まちょうやドラゴンなら話は別だが、聖域カテドラルである城塞都市に普通の魔物は入り込めない。この意味がわかるな? もしかしたらお前は、何らかの手段で検閲を誤魔化して、町に魔物を運び込んだ密輸人として疑われてたってことだ」


「そ……それは……」


「しかし奇遇なことに、俺たちはちょうどあの虫野郎のような特殊な魔物を追っている。有象無象の雑魚とは桁違いの魔力を持っている癖に、実際に派手に能力ちからを使うまで誰も存在に気づかなかった。こんな芸当が出来るのは、人間社会への寄生が得意な悪魔デビルか……精霊の近縁種である妖精フェアリーだけだ」


 そう。だから、運が良かったのはアタシたちも、だ。

 いわゆる『精霊』は世界を形作る『四大元素』の源となっている存在で、星に満ちる外界魔力マナの塊だ。生き物と自然現象の中間みたいなもので、彼らが意識にあたるものを持っているかどうかはうんぬんかんぬん……。


 まぁアルトの受け売りはこの辺にしておこう。大事なのは、精霊ってもんがほとんど自然現象に近い存在だってことだ。

 彼らは空気や水と同じ、のもの。城塞都市は『聖域カテドラル』と呼ばれる霊的な安全地帯に作られていて、もし魔物が入り込んでも大きく力を削がれるようになっているが、精霊はそうではない。

 そして、妖精は精霊と性質が近い。普通の魔物より強気に動けるだろうし、結界とかで感知するのも難しいわけだ。

 あの蝶はより魔力の強い高位の妖精だった。アタシたちが奴の位置を特定できたのもかなりギリギリで、暴れていたのがもっと力は弱いが気配も弱い妖精だったら、ノエルの救出は間に合っていなかったかも知れない。


「……はい」


 ぽつりと答えて俯くノエル。

 小さな肩はまだわずかに震えていて、とりあえず命が助かった実感さえ薄いようだった。


「さっき、いくつか気になることを言っていたな。妖精の森と……『隠し村』だっけか?」


「そうだな。あんなことがあった後でしんどいかも知れねぇが、こっちも早くあいつらをどうにかしたいんだ。お前の他にも、攫われてそれっきりの奴が居んだよ」


「えっ……!?」


 ノエルはこれまでで一番大きな声を出した。たちまち顔が青ざめる。

 アルトの目配せを受け、アタシはとりあえず淹れてあった紅茶を飲むよう勧めた。もうとっくに冷めていたが、気分を落ち着ける役には立ったようで、ノエルはしばらくして平静を取り戻した。少なくとも、どうにか声を絞り出せる程度には。


「この町の……人にも、被害が出てるんですか……?」


「開拓で外に出てた連中だがな。ま、この様子だとじきに町中でも襲われる奴が出てくるだろう」


「だっ、ダメです!! それは絶対にダメ!!」


「落ち着け。そう叫ぶなよ。だから俺たちが出張ってるっつったろォが」


「あ……あ、は、はい。ごめんなさい……」


 ―――ノエルの深呼吸が終わるまで、もう何分か待った。アタシもアルトも、こういう時にどんな顔をしてやるのが正しいのか、正直よくわからない。

 だが予想に反して、ノエルはアタシたちが促すよりも先に、少しずつ口を開き始めた。


「…………。……妖精の森の伝承は、ご存知なんですよね」


「あァ」


「レジータではもう、妖精の森の話を信じてる人は居ませんが。城塞都市から離れた土地にひっそりと暮らす人たちのこと……『隠し村』の噂は、どこの町にもあるものだと聞きました。たぶん、わたしたちの村こそ、そういう集落のひとつなんだと思います」


「だろォな。俺も似たような土地は見覚えがある」


「魔物に見つかって襲われない村だから隠し村……なんだよな? でも、そんな都合の良い土地なんてそうそうあるわけないし……」


 妖精の森と、隠し村。

 さすがのアタシでも、ここまで聞かされれば概ね予想はつくが、何にせよここからが話の核心だ。


「はい。ランベ村は、ここから何日か歩いた所の森……妖精たちが住む森の奥にあります。他の魔物は、妖精たちの力を恐れて近付きません」


 村の人間は、妖精の所有物だから―――。

 そう小さくこぼしたノエルの表情には、何とも言えない暗いものが宿っていた。


「事情はだいたい察したが、その妖精どもがどうしてレジータの町に? あァいや、お前がここに居るってことはつまり、村から逃げ出してきたんだよな。奴らはお前を追って来たのか? 妖精が自分の玩具おもちゃをみすみす取り逃すとも思えないが……」


「それは……。うぅん……ごめんなさい、わたしにも妖精の考えることはよくわからないので……」


「まぁ、そんなもんだよなぁ……。気紛れなようでこだわりが強くて、飽きっぽいようで義理堅くてさ。妖精の勘所なんざ、アタシらにだってわかんねぇよ」


「なるほど。リンゼにしちゃ鋭い指摘だ。これ以上は俺たちだけで話してても無駄か」


「あ? アタシにしちゃってどういう意味だコラ」


「やめろよ。体力馬鹿のお前と違って、人間様はそこまで頑丈に出来てないんだ。長旅と戦闘で疲れてんだ、今日のところはもう寝かせてくれ。そら行った行った」


「お前ッ! 何でそう他人ひとを煽るようなことばっか言うかなぁ!」


「わ、わ、えっと、あの……! 喧嘩は、喧嘩はやめてください……! わたしたちもちゃんと休みましょう、ねっ?」


 ……ノエルがそう言うので、今回は仕方なく引き下がってやることにした。

 明日は町を出て妖精の森、そして隠し村ランベに向かう。城塞都市から一歩外に出れば、そこは魔物が跋扈する弱肉強食の世界だ。


 幸い、今夜戦った蝶の妖精には楽に勝てたが、あれはノエルを囮にして後ろから刺したようなものだ。それも魔物の力が弱体化する城塞都市の中でのこと。奴らの領域である森では、きっとあんな程度では済まない。

 早めに休んで英気を養っておく、という方針は正しいだろう―――冷えた頭でそこまで考えて、アタシは思わず苦笑していた。


 そんなアタシを見て怪訝な顔をするノエル。

 あぁ、まったくだ。変な関係だよな。アタシだってそう思ってるよ。




――――――――――――――――――――――――――――――




 アンファリス大陸の北方は『禁足地』と呼ばれ、凶暴な魔物が跋扈するある種の異世界と化している。

 正確に言うと、魔物の勢力圏は、さらに北西の海とか海を越えた先のエメリチア大陸からずっと続いているらしい。

 が、昨日の今日まで東の谷から出たことも無かったアタシにはよくわからない話だ。


 まぁそれはともかく、マルシム領レジータはつまり、事実上のアンファール王国最北端の都市ということになる。

 ここより北で人間が住んでいるのは、禁足地の目と鼻の先に建てられた刑務所くらいだという。もちろん、妖精の森はその刑務所も超えてさらに北だ。


「どうすんだよ」


「あァ? お前、空飛べんじゃん。ノエルくらいの子供なら抱えて行けるんじゃないの?」


「えぇ……。アタシ一人ならともかく、ノエルを抱えてとなると厳しいぞ……あ、ノエルが重そうってわけじゃなくてな!? いやその、正直言うと空飛ぶのって割と体力使うから、自分だけで精一杯っていうか!」


「地道に歩くしかない……ですね。大丈夫ですよ、わたし、森の歩き方ならわかりますっ。いざとなったら森に行きましょう! 妖精が居なくたって、森には食べ物も隠れる場所もありますから!」


「う~ん、気持ちは嬉しいが難しいよね。俺ってば生粋の都会っ子だからさァ、野宿とかあんまり慣れてないのよ」


「言うと思った。如何にもなよっとしてるもんなお前」


「は? キレそう、喧嘩売ってんのか」


「急にどうしたんだよ沸点低すぎだろ、お前そんなキャラだったか?」


「チッ……。クソ、こうなっちゃ仕方ないな。本当はあんまり使いたくねェんだが」


 そう言うと、アルトはトレードマークである黒のロングコートをさっさと脱いでしまった。

 濃灰と黒の上下姿になった魔法使いが、コートを風に晒すように手放し……。


「―――召喚サモン、『不思議の詩の異形ジャバウォック』」


 そして、アタシたちの視界を闇が覆った。

 アルトが使ったのは召喚術。特定の魔獣や人間を、空間を超えて手元に呼び寄せる。

 時間や空間にまつわる魔法というものは、本来とても難易度が高い。起句1節の詠唱だけで発動に成功する召喚術師など、王国中を探しても片手の指で足りるほどしか居ないだろう。

 アルトの場合は、本人曰く『一種のいかさまチートで真っ当な術じゃない』と謙遜――こいつにしては珍しく――しているが、それはそれで空恐ろしいと思う。


「わ……!?」


「っと、初めて見る顔だな……!」


 召喚に応じた魔獣の名は、『不思議の詩の異形ジャバウォック』。濡れたような黒紫の鱗を持つ飛竜ワイバーン

 ワイバーンとは、前足の代わりにでっかい翼のあるドラゴンの仲間だ。体つきは四つ足の真竜ドラゴンより小さいが、そのぶん身軽で空を飛ぶのが上手い。

 しかし、ジャバウォックはワイバーンにしては大柄……横幅に関しては少しばかり細身なくらいだが、頭から尾までが長く、何より翼が広くて大きい。黒い煙の如く風にはためく翼膜は、まさにアルト=ペイラーの代名詞である黒布の外套によく似ていた。

 爪は染みついた血を思わせる濃厚なワインレッド。角は鱗と同様に黒く、後ろへ向かって緩く曲がったものが2本と、えら周りには長細いとげが生え揃っている。

 最も特徴的なのは、頭だ。鼻先から目元まで、頭の上半分ほとんどを、何やら真っ赤な結晶体が覆っている。


「あれちゃんと前見えてんの?」


「耳と鼻が良いんだ。見えなくても困らない」


「そっか。じゃあ、あんまり使いたくないっていうのは?」


「うーん、と。まず第一に、この通り昼間だと目立つだろ。それから……」


 大人しく頭を垂れ、主人からの命令を待つジャバウォック。

 アルトは特に表情も無い自然体だが、両腕をいっぱいに使って彼(?)の下顎を撫でる様子は穏やかなものだ。

 見た目こそ恐ろしげなものの、あれで割と大人しい性格らしい。まぁ、あのアルトが用意する召喚獣が、主の言うことも聞けないじゃじゃ馬なわけもないか。


「コート、脱いだじゃん? 空飛ぶと風がヤバくてめちゃくちゃ寒い」


「自業自得じゃねーか」




――――――――――――――――――――――――――――――




 重力から解き放たれて、わたしは地面に別れを告げる。

 蒼穹に響くのは、漆黒の飛竜の咆哮。まるで金属かガラスの欠片を打ち鳴らしたような、おどろおどろしい外見に反して、涼やかで澄んだ高い音。

 どこまでも続く青い空には、びゅうびゅうと鋭い風が吹き渡っている。

 ―――森の中にはない、本物の自由があった。


 さて、わたしたちが感じている向かい風は、この飛行速度から何となく想像できるほど激しくはない。アルトさんが風除けの魔法を使っているためだ。

 とはいえ、多少……いや、それなりの揺れはどうしてもある。だから今は、ジャバウォックというらしいこのワイバーンさんの、首の付け根辺りに生えたふさふさの毛に捕まっている。


「ハハハハハ、これはいいな!! リンゼ、やっぱりお前を連れてきて正解だった!」


「良い大人が纏わりつくな気持ち悪ぃ!! アタシはお前の暖房器具じゃねぇ!!」


 ジャバウォックさんは、アルトさんが普段着ている外套コートを触媒にして召喚される。すると必然的に、ジャバウォックさんを召喚している間は外套を着られず、そしてシャツとズボンだけの恰好で空を飛ぶと大変寒いらしい。

 ……のだが、今回に限っては赤竜ゼドゲウスの娘であり、炎の魔力を持つリンゼさんが隣に居るので、かなり快適に過ごせている。もちろん、わたしもリンゼさんの体温の恩恵に与っている感じだ。


「あの、そういえば、少しお伺いしたいんですけど」


「ん?」


「何だ?」


「そもそも、お二人はどういう関係なんですか? リンゼさんが言う、赤竜ゼドゲウスの娘……っていうのも。ゼドゲウスって、もう何百年も前の、大いなる災厄の時代の伝説に出てくるドラゴンですよね?」


 わたしの質問に、アルトさんとリンゼさんはしばらく顔を見合わせると、


「そうだな。リンゼの角を見られてる以上は話しとくべきか。ジャバウォック、少し速度を落としてくれ」


 視界を流れていく雲の動きが少し遅くなり、向かい風が緩む。

 リンゼさんの角というと……昨日見たあれのことだろう。どういう理屈か今は普通の人間と変わらない姿になっているけれど、なるほど、赤竜の娘を自称するだけはあった。あの角と爪、翼と尾―――。


「かつて魔物が地上に溢れていた時代、大いなる災いは赤竜ゼドゲウスの討伐によって終息したが―――実は奴は、死ぬ寸前にを遺してたんだよ。と言っても、それが判明したのはかなり後になってからのことでな。大陸の東に『竜の谷』っつードラゴンの群生地があるんだが、そこを調べてた時にポロっと出てきたのが、だいたい300年前だ」


 な、何だかすごいスケールのお話になってきた。

 300年前……えぇと、大いなる災厄の時代が400年くらい前なわけだから、それよりしばらく後の出来事……?


「ゼドゲウスの討伐からおよそ100年後の発見だったが、そこはあの赤竜の後継者だ。ドラゴンや一眼大鬼サイクロプスは恐ろしく強いが、そういう特別な魔物ほど生まれるのに時間が掛かるもんだからな。卵はギリギリかえる一歩手前で回収されて、そこへ当時の王様やら騎士団やらが封印を施した」


「封印……」


「で、その卵は人間の手で管理されることになったわけだが、まァ誰だってそんなヤバい爆弾をずっと抱え込んでいたくはねェってもんだ。方々をたらい回しにされた挙句、ついに封印し切れなくなったのが俺の代だったって話」


 魔法というとキラキラしたイメージが先行しがちだけれど、魔法使いの仕事も華やかな活躍ばかりではなさそうだ。

 一方、昔を懐かしんで目を細めるアルトさんとは対照的に、リンゼさんはいささか不機嫌そうな様子でこう続ける。


「……って、こいつは言うんだけどな。アタシは今でも半分くらい嘘だと思ってるぜ。何たって、こいつがアタシの卵に変身魔法シェイプシフトの術式を刻んだから、アタシはこんな姿で生まれてきたんだ」


「ハッ、半端だから何だってんだよ。王国の歴史が始まって以来の厄ネタ、それも伝説の赤竜の娘だぞ。こっちはアンファール王家の『聖剣』で叩っ切ることだって出来たんだ、むしろ300年も放っとかれた上に、ちゃんと生まれてこれたなら上等だろ」


「そ……そりゃあ、そうかも知れねぇけどよ……」


「あ、ちなみにこれ国家機密だから。俺と王様と一部の関係者にしか知らされてない超重要機密。他言したら消されるぞ。つーかその場で俺が殺すわ。なんで、諦めて墓場まで持っていってくれよな」


「ひゃい!?」


 サラッととんでもない秘密を知ってしまった!? あわ、わわわわわわ……!!


 ―――なんて、納得と同時の突然の宣告に頭を真っ白にしていると、再び鳴き声があった。金属のようなガラスのような、鐘の音にも聞こえる不思議な声。


「あン? もうバゼドーを過ぎたのか。北の森ってこんなに広かったかァ?」


 ばさり、ばさり。

 ジャバウォックさんが翼を翻す度に高度が下がる。見慣れた暗い緑の針葉樹が近づいてくる。大自然の只中、生命に満ち溢れた世界への入り口であるはずのそれらには、しかしどこか立ち入る者わたしたちを拒むような寒々しさがある。

 北方禁足地。人の手が及ばない、魔物たちの勢力圏。

 そして、妖精によって隠された神秘の森。

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