序「たそがれに燃ゆる」

 はじまりに うつろ あり


 うつろは うずまき なり


 まわる うずまき いつしか わかたれ

 うずまきより そらが うまれた


 そらから ひかりと やみと うみが うまれ

 そらと うみの あいだに だいちが うまれ

 だいちの うえに にんげんと どうぶつと くさきが うまれた


 あるとき やみが そらを おおった

 やみから あしきわざわいが うまれた

 あしきもの にんげんを おそい たべた

 どうぶつも くさきも あしきものが うばっていった


 にんげん ひかりと ともに たたかい

 やみを ころした でも ひかりも しんでしまった


 やみが きえても わざわいは ほろびず

 ひかりが きえても いのちは ほろびず


 わたしたち いまも だいちの うえに あり




 ―――――国生みの歌 年代・作者不明




――――――――――――――――――――――――――――――




 かつて、大いなる災いがあった。


 人類種が地上に発生して幾星霜、まさしく繁栄の絶頂期にあった頃。

 彼らは陸を拓き、海を超え、空を渡り、遠い星々の彼方にまで手を伸ばした。繰り返す競争と淘汰の中で、苦鳴を上げながら隣人を愛し、血を流しながら秩序を打ち立てた。

 多くの悲劇と矛盾を抱えつつ、世界は少しずつ前に進む。いつかは―――やがていつかはと、わずかな希望の灯火へと歩む、痛ましくも輝かしい栄光の歴史。


 その、最中。

 人類が有史以来初めて遭遇した『魔物モンスター』は、赤い鱗を持った1体のドラゴンだった。


 ―――――赤竜、あるいは赫龍、ゼドゲウス。

 剣にも似た鼻先の一本角。側頭部からたてがみか王冠めいて生え揃う無数の棘。剛健ながらもしなやかな四肢。驚異的な頑強さを有する鱗、甲殻、爪牙。鹿と鰐を融合させたような堂々たる体躯に、空を自在に飛翔する翼まで備える。

 最初の出現地に住まう少数民族の独自の伝承から名付けられたそれは、美しくも禍々しい異形の獣だった。

 神話からそのまま抜け出て来たかの如き風貌と、伝説に違わぬ邪悪な性質、圧倒的な暴威をもってして、赤竜ゼドゲウスは人類に襲いかかった。


 同時期、ゼドゲウスの台頭と呼応するようにして、世界各地で異常な動植物が出現し始める。

 既知の生態系を食い破り、惑星環境を激変させながら蔓延するそれらは―――果たして、邪な意図をもって露悪的に再演される、人類史の鏡写しの光景にも似ていた。

 世界は光と闇に引き裂かれ、地上全土を激烈な戦火が覆い尽くした。


 畏怖と戒めを込めて、後世、その戦いはあらゆる呼び名で称されることとなる。

 あるいは誰もが知る最も端的な表現として、大いなる災厄の時代。

 あるいは古の賢者たちが遺した正式名称として、アーカーシャ戦役。

 あるいは始まりの赤竜がもたらした暴虐の記憶として、赤竜戦線レッドライン


 幾千年もの長きに及ぶ夜と冬、死と灰の時代が訪れた。




――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――爆轟、狂乱。

 迸る閃光が一帯を照らし、暗い宵の夜空を真昼のように明るく見せている。

 その恐るべき光が人々の目に映し込むのは、ただひたすらに砕け、燃え朽ちていく文明の産物、叡智の結晶だ。

 灰色の建材と透明な硝子ガラスが吹き飛び、真っ赤になって四散する。その直下で逃げ惑う者たちの血肉と共に。


 ここに立っている男、目元に濃いくまを貼り付けた痩躯の科学者も例外ではなかった。

 風に翻る白衣は既に鮮血で染まっており、身体と衣服の区別もつかなくなるほどずたずたに切り裂かれている。仮にも五体満足のを保てているのが不思議なくらいだった。


「…………素晴らしい。素晴らしい……。何という、力」


 男は―――迫り来る暴虐の主を前に、しかし、確かに口角を釣り上げて見せた。

 彼の眼前には死がある。この世で最も凄まじく、おぞましい死の形。戦火の化身。

 即ち、赤き鱗持つ始まりの魔王、ゼドゲウスがそこに居た。


「ですが……。少々解せませんね、赤竜ゼドゲウスよ。このような辺鄙へんぴな場所に、あなたの求めるようなものがあるとは思えませんが」


 嘘はついていない。心当たりが全く無いわけではないが、この研究所が擁する資産のいずれも、赤竜を討つべく列強諸国が送り込んだ軍勢への対処より優先すべき代物とは思えない。

 ゼドゲウスは答えない。そもそも、人語を解しているかもわからない。己が鱗よりなお深く紅い眼光と共に、不機嫌な唸りを吐き出すばかり。その呼吸の度に大気が加熱するようだった。


「……。まぁ、なんだって構いません」


 赤竜が放つ無言の圧力を受け流し、男はおもむろに懐をまさぐった。明らかな致命傷を負いながら、死の気配など微塵も感じさせない様子で、白衣の内側に忍ばせていた拳銃を取り出す。

 装填された弾丸を確認し、安全装置を解除して、何ら迷うことなく自らのこめかみに銃口を当てる。

 刹那、初めてゼドゲウスの表情に動きがあった。赤き魔王が大気を飲み干し、その喉の奥から強烈な閃光と熱波が漏れる。


「師父よ、いずれまたお会いしましょう。我らが原罪―――否。大望が落果の地にて、必ずや」




 発火。




 静寂。




 無骨な金属の塊が男の脳髄を掻き回したのか、燃え盛る赤竜の吐息が男の存在を跡形もなく消し去ったのか、真相はもはや誰にもわからなくなった。

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