アーウェンスの廻廊
ごまぬん。
プロローグ
断章「ここではないどこか―――」
剣を握った青年が歩いている。
年齢は10代後半から20代前半といったところか。髪は黒く、背丈は、目を見張るほどではないにせよ多少高い。体格こそ人並みだが、武器を振るって戦う兵士として見れば、いささか頼りない。
黒を基調とした貴族風の洋装を身に纏い、その上に手足や急所を守るための鈍い白金色の軽鎧を装着している。だが、それらは今や無惨にも引き裂かれ、そこから覗く地肌には無数の生傷が刻まれている。
右手にぶら下げた長剣――平均的な直剣と比べれば重く大きい作りだが、大剣と呼ぶにはやや細身――を支えにして、ふらふらと歩む青年の周りに動くものは無かった。
つい先刻まで、ここではひとつの戦いがあった。
青年はそれを生き延びはしたが、その壮絶な表情は勝利者のものでは有り得なかった。
彼が歩む大地は血のように赤く、焦げたように黒い。随所に見える地割れの底には、泥とも流砂ともつかぬ
頭上の空には、赤い雷を伴う暗雲が立ち込めている。と同時に、稲妻が走る度に硬質な破砕音が鳴り響き、どんな理屈か
また、周囲のあちこちで重力が狂乱しており、岩盤が抉れて上空へと持ち上がったかと思えば、生じる赤雷と竜巻に砕かれていた。
そこには、誰にも止められぬ荒廃があった。時の果てに来たる滅び、終焉の景色だけが。
「―――ごめんね」
ふと、青年の前に立ち現れる影があった。鈴の鳴るような高い声。
それは膝下まで伸びる薄桃色の長髪を揺らし、寂しげな微笑を浮かべていた。男女の区別すら読み取れない超然とした美貌。星雲や銀河の高精細写真を思わせる、複雑で壮大な色彩が閉じ込められた瞳。
すらりとした肢体は黄金比めいて完璧な均整を保っており、その身には古代の神官を彷彿とさせる紋様入りの貫頭衣を纏っている。
「……。……なんで、お前が謝るんだ」
憔悴と疲労に掠れた声が漏れる。
■■は、彼がこのような声音で話したのを聞いたことがなかった。
「僕は、これが君の望みだと思ってた。実際、君はこうして成し遂げた。なのに君は……ちっとも嬉しそうじゃない」
「何だよそりゃ。これが喜んでないように見えるか? 俺はいま最高の気分だよ、ここずっとじゃ一番ってぐらいだ」
「……そう、かな」
「あぁ。いいだろ、もう。なぁ、それより次はどうする。俺はどうすればいい?」
ふらふらと彷徨わせていた剣を肩に担ぎ、青年は獰猛に笑った。
その目は既にどんな光も映していなかったが、決して盲目ではなかった。青年の視線は、確かに目の前のひとがたに焦点を合わせていた。
「次は何を斬ればいい。誰を殺せばいいんだ? 俺はお前の剣だ。お前の好きなように使えばいい。錆びて腐るなんて、二度と御免だ……。それだけは……俺は」
ただでさえ血色の悪かった顔面をさらに蒼白にし、青年は小刻みに震え始めた。
やがて膝が笑って崩れ落ち、もはやまっすぐ歩くことさえ難しそうな状態だったが―――しかし、剣を握る右手だけは、何かに取り憑かれているかのように固く閉ざされている。
「……、……うん。わかってる。大丈夫……大丈夫だから」
■■が一歩踏み出す。青年との距離が縮まっていく。
「約束だよ。僕たちは何も変わらない」
「あぁ。―――俺はお前の剣だ。これからもずっと、お前のためにこの腕を振るう」
「うん。―――僕は君の神様だ。その意志に応えよう、君は僕がきっと幸せにする」
終わっていく宇宙の中で、ふたりの間にあるものだけが永遠だった。
長い夜が来る。止まぬ悪夢が始まる。彼らにとって、これまでもずっとそうだったように。
だが願わくば、次の目覚めこそは―――――。
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