第16話 ぷるんぷるんファイナルバトル

屋上には涼しい風が吹いて、さわやかな山の香りを運んでいた。季節はもう秋。

 夜空には雲ひとつなく、大きな真ん丸い月と空を埋め尽くすぐらいの星群が浮かんでいる。

「ほお……大変気持ちよいですね」

「さわやかー」

「それはいいけど。この装飾はいかがなものか」

 しかし。屋上に施された装飾は、そのさわやかさとあまりマッチしたものではない。ぼんやりと光を放つ悪魔召還にでも使うような妖しい燭台。落下防止の金網のようなものはないが、なぜか四隅には先の尖った過剰に装飾された柱が立っていた。

「確かにちょっと悪趣味ですね」

 足もとを見れば月灯りを反射して異様にギラギラと光る銀色の床。その上に中央をつっきるように真っ赤な絨毯がしかれ、その先に――

「マ王さん?」

 天音がなんか変な発音で呟いた。

「魔王ですね」

 絨毯の先にはまがまがしい形状の巨大な椅子が置かれ、そこには顔を含めた全身を血のように赤いおぞましい甲冑で包んだ男(?)が座っていた。

「よくぞここまで辿り着いた。セキマチジン、そしてサイオウジョアマネよ」

 彼はすさまじい重低音でそのように呟いた。

 仁はおでこに手をつき、大きなため息をつく。

「まったくよくやるよ。そんなボイスチェンジャーまで使って」

 仁はゆっくりと「魔王」に近づき――

「もうね。正体は割れてんるんですよ」とすごんだ。

「そ、そうだそうだー! もうバレてるぞー!」天音もなんとなくそれに便乗する。

 仁は背中のボックスに手をつっこむと、

「喰らえ!」

 中に入っていたブツを、魔王の顔面をガードするカブトに向かって思い切り振り下ろした。

「青年マルス像。デッサン練習にオススメです」

 マルス像が砕け散るとともに魔王のカブトにもビシビシとヒビが入り、

「ご尊顔」

 やがてバキっと音を立て、破片となって床に散らばった。

「やはり……」

「ええええええ!?」

 小林せりなが姿を現したときとは違い、仁と天音、両者の反応は全く異なるものだった。

「仁くんはわかってたの!?」

 仮面の下にあった顔は――

「わかってました」

 ツヤのある美しい金髪、褐色の肌、西洋の彫刻のような完璧な造形の輪郭や目鼻立ち、そして見たものを吸い込んでしまいそうな深い色の瞳。

「レイ……おまえは一体なにを考えているんだ」

 彼は不適な笑みを浮かべ、仁をじっと見つめている。

「わ、私はてっきり魔美先生かと……」

「確かに彼女も死ぬほど怪しい御仁ではありますけどね」

「なぜレイくんだとわかったんですか?」

 仁は天音の疑問にちょっとドヤっとした表情で答える。

「ひとつ決定的なのは。三階で出てきた鹿です」

「鹿?」

「ええ。あんな怪物みたいな鹿を手なづけられるのは、懐獣術しかありません」

 レイはまったく表情を変えない。

「それから。小林さんが出てきた時点で、自信が確信に変わりました」

「ええっ!? なんで!? 私はアレで魔美先生なのかなと……」

「あなたも見たでしょう? あの枕投げのときの小林さんがレイに向ける熱い視線」

「た、た、たしかに!」

 と言いつつ天音は「やべ! そんなこと全然気づかなかった!」と思った。

「そもそもコミュ障のレイが枕投げ大会に出ている時点でキナくさいですしね。まあそれに。父は彼がここの主任研究員だと言っていました。研究所をこんな風に好き勝手にできるのは考えてみればレイぐらいです。この全体的にゲームっぽい雰囲気もいかにもレイらしいしね」

 見事な推理。天音は自分の推理が外れていたことが悔しいのか、少しだけ仁に反駁を試みる。

「で、でも! 二階にいた柔道家さんは、ボスは女性だって言ってたじゃないですか!」

「ははは。それはこれを見ればわかるでしょう」

 そういって仁は、顔だけ出した甲冑姿の例を指差す。その姿はまるでファンタジー小説に出てくる気高く美しい女騎士がそのまま姿を現したようだった。

「初見で見たらどう考えても女性ですよこれは」

 レイは肩を落としながらフッと息を吐いた。

「ただ、ひとつわからないのは。俺たちが旅館を出る直前までこいつも旅館にいたはずなのになぜ先回りされてるのかということ……」

 するとレイが口を挟んでくる。

「麓から直通のロープウェイがあるんだよ。ワザと教えなかったけど」

 全く悪びれることなく言い放った。

 天音はそんなレイを睨み付けながら問い詰める。

「ど、どうしてレイくんはこんなことを……!」

 レイが天音を睨み返した。すると天音はすぐに目を逸らしてしまう。

「おまえたちが気に食わないからだよ……ところかまわずイチャイチャして、ボクに変なクスリまで作らせて」

 珍しく感情的な声でそう述べた。

「だから。中和剤なんて絶対渡してやらない」

「そ、そんな理由で!」

「まあまあ天音さん」

 興奮気味の天音を仁がぷにぷにと触って諌める。

「まあ兄弟ケンカみたいなものでね。たまにこういうことあるんです。ここはひとつ付き合ってあげたいと思います」

 仁は一歩前に踏み出し、構えをとる。

「ふふふ。ボクたちの兄弟ケンカの戦績っていくつだったっけ」

「……僕の〇勝二十敗。でも関係ないね。そんなことより!」

 レイをビシっと指さす。

「そんなコスプレショップで買ったようなヨロイで闘う気か?」

「はは。まさか。ちゃんととっておきを用意してあるよ」

 レイはヨロイを脱ぎ捨てると(なぜか下にピンク色のミニ丈チャイナ服を着ていたのが気になったがそこはスルーした)王座の下からパッケージになにも描かれていない大きなドラム缶のようなものを取り出す。

 レイはそいつのフタを開いた。中に入っていたのはやや白く濁った透明な液体。

「まさか……」

「ばっしゃーん」

 レイはドラム缶を軽々と持ち上がると中身を豪快にアタマから被った。

 ――すると。

「うおっ! まぶしっ!」「うおっ! まぶしっ!」

 レイの体――いや透明な液体が強烈な光を放ち二人の目をくらませた。

 ――やがて光が収まると。

「こ、これは――!?」

「か……かっこいい……!?」

 レイの全身は白く透き通ったぷるぷるの鎧につつまれていた。

 恐らく――いや間違いなく先程の液体が変化したものであろう。

 ぷるんぷるん天音ちゃんディフェンスと少し似ているが、それよりも遥かに派手で、細かい意匠が随所施された芸術的な鎧であった。

「セイントセイヤのシルバーセイントみたいでかっこいい!」

「下のチャイナがちょっと透けてるのもいいですね」

 二人は闘いのことは一旦おいて、そのデザインを称賛した。

「これは。トコロソルジャーに対抗して自ら開発した『ナタデココガーディアン』」

 若い方などでご存知でない方もいるかもしれないので一応解説すると。ナタデココとは一九九〇年代に日本で大ブームを巻き起こしたデザート食品のひとつで、ココナッツ汁を発酵させてゲル状にしたものだ。くずきりやところてんと同様に透明でツルツルしているが、かなり弾性が強くコリコリとした新食感が人気の秘密。とくにココナッツミルクなんかかけて食べると大変おいしい。

「性能はそのぷるんぷるん天音ちゃんディフェンスとやらの完全上位互換だよ」

 仁は少々むっとした顔。

「そうか。じゃあ試してみよう」

 そういうと、ややふいうち気味にレイの懐に飛び込んだ。

「――シッ!」

 ボディにジャブを叩き込む。一発……二発……三発……。さらに目にも留まらぬ速さで頭上にマルス青年像を振りかぶり、脳天に叩きつけた。――だが。

「……! 効いてない……!」

 レイはまったく涼しい顔でぺらぺらとおしゃべりを始めた。

「まず。衝撃は完全吸収。たいていの兵器ではなんのダメージも与えられないよ」

 仁はバックステップして距離をとろうとするが――

「あとは硬度を変えることもできる。通常の衝撃吸収モードとは別にウエポンモードもある」

 レイの右拳を覆っているナタデココがぶるぶると震えながら形状を変えた。

「カ、カイザーナックル……!?」

 レイがトゲトゲのついた拳で仁のみぞおちに一撃を見舞う。

「硬度はダイヤモンド並。どう? ノーダメージとはいかないんじゃない?」

「くっ――!」

 仁は後ろに吹き飛ばされながらも、背中のボックスからペインティングナイフを取り出し、手裏剣のように投げる。しかしレイはそれを硬質化した拳で簡単に弾き飛ばした。

「なっ――!」

「あんまり無計画にアーティスティックなんたら使うのやめたら? 中身なくなっちゃうよ」

「くそっ! これならどうだ!」

 仁は青年マルス像を振りかぶり投擲した。

「どれだけ青年マルス像好きなんだよ」

 レイは体を小さく回転させながら華麗なハイキックを放つ。

 青年マルス像は粉々に砕け散った。

「ウソでしょー……」

「それともうひとつ。ナタデココ特有の絶妙な弾性をうまく利用してやると、こんな動きも出来るよ」

 レイは『ナダデココガーディアン』の足の裏部分の弾性を利用し、助走もつけないその場飛びのジャンプで三メートルほども飛びあがった。

「――ぐおッ!」

 超高角度ドロップキックが炸裂。仁の体は地面と水平に吹っ飛んだ。

「クソッ!」

 仁が慌てて立ち上がったときには、すでにレイが眼前に迫っていた。

「舐めるなァ!」

 両者ゆずらぬパンチの打ち合いとなる。

 しかし。仁のパンチはレイに全くダメージを与えることができない。

 対してレイのパンチは確実にダメージを蓄積させていた。

「どう? やっぱりところてんなんかよりナタデココのほうがおいしくない? とくにココナッツミルクなんかかけると最高」

(――――!)

 このとき仁の脳内に電流が走った。

(見えたぞ! 逆転の――)

「なにぼうっとしてんの?」

 レイのカチ上げるようなアッパーカットにより、仁の体が一メートルほども浮き上がる。さらに。その体が落下し始めるよりも早く、レイの飛び膝蹴りが強烈にヒット。またもや水平に吹き飛んだ。

「うおおおぉぉぉ……!!!」

 あやうく屋上から落下するところ、なんとかフチに指をひっかけてことなきを得た。

「仁さん! 大丈夫ですか!?」鎧状態の天音が体を震わせながら心配の言葉をかける。

「ええ。ダメージはそれほどではありません」

 仁は指の力でなんとか屋上に這い戻った。

「それに。逆転の秘策もさきほど思いつきました」

「まじですか!?」

 仁と天音はヒソヒソと作戦会議を行う。

(でも。それをやるためのスキがありません)

(スキですか……私がなんとか頑張ってみましょうか?)

(それは助かります……! なにかアイディアが?)

(こういうのはどうでしょう? たぶん彼は……で来ると思うので……)

(それはいい考え……)

「なにくっちゃべってんの? そんな余裕あるの?」

 レイは再び人間離れしたスピードで仁に迫ると、タックルで床に倒しマウントポジションを取った。

「ちっ……!」

 そしてその体勢のままパンチを打ち込んでくる。仁は懸命にそれを捌こうとするが、パンチのタイミングや緩急のつけかたの巧みさに、ほとんど対応することができない。

「くっ……! そんな攻撃効かない効かない!」

「この程度の攻撃じゃあんまりダメージはないよね。でも」

 妖艶な笑みを見せるレイ。

「トコロソルジャーにはね。致命的な弱点があるよ」

 そういうとレイは拳部の武装のみを解除し、その褐色の両手を仁の首の辺りを守っているぷるぷるに突っ込んだ。

「フフフ。こうして手を突っ込んでしまえば――」

 そのまま仁の首、のど仏辺りを両手で掴む。

「ぐぅぅぅぅ……」

 一瞬にして意識が遠くなる。だが。仁は力を振り絞って叫んだ!

「今だ! 天音さん!」

「はい!」

「なに!?」

 天音は自分の体の一部分、レイが手をつっこんでいる部分のみに全神経を集中させた。

 そして。

「――――――――――――――――っっっ!!!」

 天音はこの三ヶ月間で何度も発生した、仁とのエッチなイベントのことを回想した。

 初対面でいきなり裸状態で倒れこんでこられたこと。

 ペチペチ遠慮なく触られたこと。

 ペンキで色を塗られたときのこと。

 プールのテストのためにぬるぬるのオヨゲールくんを塗られたこと。

 一緒に温泉に入ったこと。

 そして。ペロペロされたこと。

「――――――――――――――――んんんんんん!!!!」

 その結果。

 天音の体の一部分――レイが掴んでいる部分――が異常な熱を帯びた。

「あッツッツッツ!!!!」

 レイが思わず叫ぶ。

(――今だッッ!)

 仁は上にのしかかられた状態のまま両足をレイの腰にひっかけると、寝返りをうつようにして体を回転させ、マウントを取り返した。

「しまっ――」

 仁は間髪入れずに、背中のボックスにただひとつ残った道具を取り出す。

「喰らえ! アーティスティックサバイバルセット! 食用ペンキ・白(ミルク味)!」

 小さなバケツに入った白濁した液体をレイのナタデココアーマーの顔面辺りにぶっかけた。

 ――天音はそれを見て思った。

(エロい)

「くっ! なにをする気だァ! 仁!」

「食べる!」

 仁は野獣のような目でレイをにらむと大きく口を開け。

「いただきます!」

 さきほど白濁液を顔射した辺りにかぶりついた!

「――なっ!?」

 レイの顔を守るアーマーが仁の口と歯の形にこそげ落ちた。

「うめえ! コリコリしてうめえ!」

 ミルクの濃厚な味わいとコリコリとした独特の食感が仁の口の中に広がる。

「もうひとくち!」

「や、やめ!」

 食欲の魔人と化した仁によって、トコロアーマーがすさまじい勢いで侵食されてゆく。

 天音は思った。

(なんやこれぇ……ただの薄い本ちゃいますのん……?)

 そしてついにレイの頭部を覆っていたアーマーがすべて食い尽くされた!

「ハァハァ……とどめだ……!」

 仁は背中のボックスに手をかけ――

「くらえ! アーティスティックサババイバルセット、ファイナル奥義! アルティメットアタック!(箱で殴る!)」


 ――レイが気を失っていたのは、時間にしてほんの十分程度のことだった。

 しかし。彼はその間に長い夢を見ていた。

 仁との出会い。

 一緒に旅をした日々。

 日本に帰ってきて二人で受験勉強をしたこと。

「目が覚めたか? まったく世話が焼ける」

 目を覚ましたレイの目に飛び込んできたのは。セリフとは裏腹な仁の優しい笑顔だった。

「仁……負けたのか僕は」

 体に纏っていたナタデココアーマーは消えて、チャイナ服姿になっていた。

「ああ。これで一勝二十敗だな」

 明らかに誇るべきでない成績を口にしながらも仁はドヤ顔である。

「ボクが仁なんかに負けるなんて……」

 レイは両手の拳を強く握りしめた。

「なに言ってんだ。負けるに決まってるだろ」

「なんだと……?」

「だって最初っから勝つつもりなんかなかっただろ?」

 レイは大の字状態のまま無言。

「最後のあの首絞め。ありゃあなんだ。おまえのテクニックなら一瞬で絞め落とすことができたはずだ」

 レイはなにも応えない。

「それに。僕が最後にやった相手のアーマーを食っちまう戦術。おまえならとっくに思いついてたんじゃないのか?」

 レイは「フゥ……」という可愛らしい小さな吐息を漏らした。

「そもそもだ。おまえが本気で俺たちのジャマすることだけを考えたんだったら、中和剤を全部捨てちまえばいいだけだ」

 レイはチラっと最初に座っていた王座の下に視線をやった。どうやらあそこに隠してあるらしい。恐らく残りのトコロドラッグも一緒に置いてあるのだろう。

「結局。おまえは最初っから負けてたんだよ」

 仁がそういうとレイは乾いた笑い声を上げた。

「そう……だね。ボクは始めっから負けていた。オトコに産まれた時点で」

「……! そそそそそれってもしかして……!」

 天音は思った。

(この二人! マジよりのマジのBLなのお!?)

「キミと初めて出会ったとき。ボクはキミと一生一緒にいられるものだと思ったよ」

(マジじゃないか……よろしいですわぁ……コレぇ……)

「でも。小学生のとき一瞬だけ日本に帰ってきたことがあったよね」

(せりなちゃんに喋っていた話だ! それ自体は本当なんかい!)

「あのときキミが女の先生に初恋をしたときに。そうでないことがわかった」

(仁くんの初恋!)

「その後も。コンゴ民主共和国で出会ったアイーシャちゃん。ウクライナで会ったエカテリーナちゃん。それから中学三年生のときに出会ったアヤちゃん。君が恋をするたびにボクの心は壊れそうになったよ。キミは全然気づいてなかったみたいだけどね」

(気ぃ多いな! 意外と!)

「ボクは決めたんだ。次はもう許さない! 次はキミもその相手もぶっ殺してやるってね」

(えっ……それってつまり……)

「でも。ダメだった。そんなことしたってダメだって心のどこかでは分かっていた。だからこんな中途半端なことをしちゃったんだな。キミの言う通りだよ。ボクは産まれたときからこの天音さんに負けていたんだ」

 レイの目にキラリと涙が光った。

「レイ……」仁は彼の額にそっと手を乗せる。

「なんだよ!」レイは子供のような鳴き声で怒鳴った。

「その……。まずは謝りたい。すまなかった。僕はアニメに出てくる鈍感主人公をバカにすることはできないな」

 ――いやこの場合は正直しょうがないかもしれない。と天音は思った。

「でもな。それとは別に。やっぱりおまえは間違ってるよ」

「なにがだよ……」

「闘いのやり方がだよ。おまえは僕や天音さんと闘うんではなく。僕をオトしにかかるべきだった。色じかけをするなどして」

「ええッ!?」天音が思わず叫び声を上げた。

「そ、そんなことしたって。ボクは男だぞ」

 レイは驚いて上体を起こした。仁はレイの肩を抱きながら語りかけた。

「おまえは確かに男だ。しかし。その顔立ちはどうだ。まるで女の子みたいに可愛らしいじゃないか。ってゆうか女の子でもおまえくらいカワイイヤツはほぼいない。たまらん」

 天音はポカンと口をおっぴろげた。雲行きがとてつもなくおかしいことになっている。

「正直おまえが女の子っぽい服とか着てるとドキドキすることが多々ある」

(多々――!?)

「じゃあ……今も……?」

「ああ。チャイナ服。最高に似合っている」

 そういって仁はレイの髪をそっと撫でた。

 天音の体温がグングン上昇していく。

(いい……BLとしてすごくいい……。でも。これって私にとってマズいんじゃないの!?)

「そう……か」

 レイは涙を拭きながら爽やかな笑顔で、

「僕は自分の可能性を自分で見限ってしまっていたんだな……」

 などと呟いた。

 ――これはまずい!

 天音は全力のぷるんぷるんボディアッタクでレイを突き飛ばし、仁から引きはがした。

「いって! なにをするんだ!」

「いい!? はっきり言っておくけど! 仁くんはアナタには――」

 と天音が啖呵を切ろうとした瞬間。

「んんん………………? 二人とも! 静かにしてください!」

 仁が唇に人さし指を押し当てた。

「な、なによォ!」

「なにか足音が聞こえませんか? 屋上に登ってくる」

 果たして。それは正しかった。

 仁がそう呟いたほんの十数秒後には――。

「ウソ……」

「なんですかこれ……」

 黒ずくめの格好で銃器を構えた集団に屋上は占拠されていた。

「誰……?」

「ハアーーーハッハッハッハアア! いやあ。なかなか面白い見世物をだったよキミたち」

 その集団で一番チビっこい、赤い髪の毛の女が天に向かって銃弾をぶっぱなしながら叫んだ。

「んんんん? あの子は!?」

「天音さん! 知ってるんですか!?」

「いや知ってるってわけではないんですが。見たことがある気がするんです」

 天音がうーんうーんと触手を組みながら唸る。

 すると。赤い髪の女はガハハハと高笑いをしてみせた。

「いやー私ぐらいの美女になると視線の端に入ったくらいで印象に残っちゃうかー」

(確かにカワイイ。それに。言われてみると見たことがある気がする)

 など仁が考えていると。

「じゃあ坊や。オレには見覚えがあるかい?」

 女の背後に立っていた大男がガラガラの声でそう言った。

「あっ! おまえは! カキ氷フェスのときの!」

「オレぁギルバード・ブライズってんだ。それでそちらにいらっしゃる赤い髪のお方がアン・ジャーキー。オレたちのボスさ」

 アンはどやっと腰に手を当てた。

「それにしてもよ。カキ氷なんてそんなにうまいもんじゃなかったなあ。ありゃあ女子供が食うもんだ。おまえもそう思っただろう?」

 ギルが咥えタバコで銃を構えながらそのようにホザいた。

「ナニモノだおまえらは!」

 仁の質問にアンが答える。

「わからねえかなあ。私たちはテロ組織『プリンスエドワード』。ニホンではあんまり知られてないかもしれねえが、トコロドラッグを作ったやつらといえばわかるだろう?」

 仁、天音、レイが同時に驚きの声を上げた。

「あのカキ氷フェス以来、ずっと付け回させてもらっていた。てっきり仲間だと思っていた連中のコロシアイが始まったときにはびっくりしたよ。でもすげー面白かった。盗撮してあるからYoutubeにアップしてもいいか?」

 あまりの混乱に、再生数伸びたらお金いっぱいものらえるのかななどという考えが天音の脳内を巡った。

「まあとにかく。全面降伏してここにあるもんをおとなしく寄越すか、いますぐ全員ハチの巣になるか選びな。十秒だけ待ってやる」

 そう言うとアンは不揃いな大きさの銃口が五つも六つもついた、何故ここまでド派手にする必要があるのかという銃を両手に構えた。

「カウントを始めるぜ。ワン……。ツー……。テン……!」

 アンが引き金を引こうとした瞬間。

 ―――バラララララララララララ!

 鼓膜がやぶれそうな爆音、そして突風が屋上に吹きすさんむ。

 テロリストの何人かは風圧で屋上から落っこちた。

「なんだあ!?」

「ヘリ……!?」

 空を見上げると、銀色ボディのヘリコプターが浮かんでいた。

 そいつは少しづつ降下してくる。

「おまえらなにを考えてるんだ!? この上さらに援軍なんていらないだろ!」

 仁の疑問にアンとギルバードも首を傾げる。

「ギル。あんなの呼んだ?」

「いや。知らねっす」

 ヘリはもう上空五メートルぐらいのところまで迫っていた。

「ヘリで屋上に降りてくるなんてアトベ様みたいですね! なるほどサンデーじゃねえのってカンジです!」

 天音が意味不明なことをホザく中、ヘリコプターのハッチが開いた。

「――なんだあこりゃあ!」

 アンが叫ぶ。

 開いたハッチから、大量の意味不明の物体が投げ落とされたからだ。

 仁はそいつを躱しながら、その物体がなんであるかを冷静に見極めた。

「こ、これは……! 藁人形!?」

 何十もの茶色いガサガサな質感の人形が屋上の床に散らばった。

「ワ、ワラニンギョウ? なんだそれは!?」

「ボス! それより!」

 一通り藁人形の投下が終わったのち、なにものかがハッチから飛び降りてきた。

 パラシュートでもしているのかそいつはゆっくりと降下してくる。

 その影が月と重なって。そんな場合ではないのだが仁はそれを美しいと感じた。

 そしてその影はただ降りてきたわけではなかった。

「またなんか振ってくるぞ!」

 影は両手をクロスさせると、なにか小さく細長いモノをこれまた大量にほおり投げてくる。

「避けろーーーーー!」

 仁たち三人を含め全員が、雨のように降り注ぐそれに対して床を転がって回避行動を取った。

 だが。モノは一つたりとも屋上にいる人間に当たることはなかった。

 ――にもかかわらず。

「うげえぇぇ……!」

「なっ……!? 心臓が痛てええぇぇ……!」

 テロリストたちが急に苦しみの声を上げ始める。

「どうなってるんだ!?」

 うつぶせの仁の目の前に藁人形が転がっていた。仁はそれを見て驚きの声を上げる。

「――これは!」

「ど、どうしましたか?」

 となりで転がっていた天音が仁に尋ねる。

「藁人形に釘が刺さってます。あっちもこっちも全部だ」

 二人が目を見合わせていると。

「おねがぁい。受け止めてぇ」

 上空からやけに色気のある声が聞こえた。

 仁はその声に反応し、声の主を殆ど反射的に受け止めた。

「はぁい。仁くん」

「――――!? あなたは!?」

 その人物は。身長は低いながらも豊満なボディ、人間離れして美しいが、どこか狂気をはらんだ瞳、そしてサラサラの黒髪。

「魔美先生でぇす。仁くん……いつみてもかわいいわぁ……」

 そういって仁の頬に唇を寄せた。

「ああああーーーー!」

 天音が全身をぷるぷるさせる。

「なにやってるんですか! ってゆうか! やっぱり先生もテロリストの仲間だったんですね!」

「あらぁ。かわいいスライムちゃん。なにを言っているのかしらぁ。わたしたちはあなたたちを助けに来たのよぉ……後ろを見てごらんなさぁい」

「えっ?」

 仁たちは魔美が指さすほうに視線を移した。

 ――すると。

「ぐうぅぅぅぅぅぅ!」

「アタマいてえぇぇええ!」

「心臓が――」

「ギル! なんとかしろ!」

「ちくしょう! どうなってやがる!」

 テロリストたちは全員、屋上の床を這いつくばっていた。

「もしかして……これのおかげですか?」

 と藁人形を指さす。

「そ」

「魔美先生。あなたはナニモノなのですか」

『それは私から説明しよう!』

 上空から――正確にはヘリから。拡声器を使っていると思われるバリバリに割れた音が聞こえる。

「――その声は!」「まさか!?」

 仁とレイが声を揃えた。

「「親父ィィィッッ!?」」

「仁くんのお父さん!?」

「セキマチユウジロウだとおおおおお!?」

 テロリストたちも驚きの声を上げる。

 裕次郎はガハハハと豪快に笑った。

『久しぶりだな我が息子たちよ。天音ちゃんは初めましてかな? いつも長男が世話になっておる』

 ヘリは高度を徐々に落とし着陸。ハッチから裕次郎が姿を現す。

「なんでここにいるんだよ!」

 仁が彼らしからぬ感情的な声色で叫ぶ。

「はは。たまたま急遽日本でやらなければならない仕事ができたからな。ついでに来たんだ」

「もっと早く助けに来いやああああ!」

「親に助けられてばかりでは成長がないだろう。今回はギリギリまで粘ってみた」

 仁は「ぶっ殺す!」と屋上の床を踏みつけた。

「それは分かったけど。この変態爆乳先生は一体ナニモノなんだよ」

 レイが落ち着いた様子で尋ねる。

「うむ。まあなんだかんだ仁たちのことが心配だったのでな。学校に潜入して見守ってもらっていた」

 仁と天音は同時に「ええええええーーーっ!」という声を上げた。

「まあそんなことだろうと思ったよ。それで? この人は新しい秘書さんかなにか?」

「ああ彼女は実は……」

 そう言って魔美を自分のところに手招く。

「彼女は俺の再婚相手なんだ」

 魔美の肩を抱きながらそのようにホザいた。

 仁、レイ、天音の三人は石像のように固まってしまった。

 硬直すること、一分……二分……。

 ――その間に密かに動いている者があった。

「くくく……なるほどな。結婚おめでとう」

 青髪の男、ギルバードがアンを脇に抱えて立ちあがる。

「むっ……! おまえは……!」

「あれぇ? 復活したのォ?」

「藁人形か。呪いとかオバケとかは信じない主義だったんだがな。これからは信じるしかないようだなぁ」

 足元には釘が引っこ抜かれたでっかい藁人形と、同じく釘が刺さっていないやたらと小さな藁人形が転がっていた。

「あらあら。よく藁人形の呪いの解き方がわかったわねぇ」

「なんとなくな。それからこいつの場所もおまえらの挙動でなんとなくわかった」

 手持っていたのは――

「そ、それは! 残りのトコロドラッグと中和剤……!」

「なに!?」

 仁の背中から大量の汗が噴き出した。

「どうだー! ギルはぱっと見脳筋に見えるけど優秀なんだぞー!」

 アンがワキに抱えられながら嬉しそうに叫んだ。

「今回はこいつを持ってトンズラさせてもらうぜ」

 ギルバードは背中に抱えた巨大なカバンから折り畳み式のカイトのようなものを取り出した。

「ふふふ。ギルバードくんだったかな。逃げられると思うかい?」

 裕次郎がギルバードを不敵な笑みで見つめる。

「くくく。勘違いするなよ。逃げるか逃げられないかで脅えるのはてめえらのほうなんだよ」

 ギルバードはポケットからなにかのリモコンのようなものを取り出し、ボタンを押した。

「あと三十秒で。この研究所は爆発する!」

 仁たちだけでなくテロリストたちからも悲鳴が上がる。

「ハッタリじゃないのぉ?」

「ハニー。どうやら違うようだ。このカチカチという音」

「よかったなあ。ヘリがあって。ギリギリ間に合うんじゃないか? もっともヘリじゃあこのカイトを捕まえるは無理だろうなあ。小回りが利かないし、森の中に降下されちゃあどうにもなるまい」

 ギルバードはカイトの準備を始める。

「くっ……!? 仕方がない! みんなヘリに乗り込みたまえ! テロリスト諸君キミたちも特別に乗せてやる! ただし武器は捨てろよ!」

 裕次郎の号令により、一同は阿鼻叫喚の様子でヘリに乗り込んでゆく。

 ――だが。

「冗談じゃないよ! 私の中和剤!」天音が叫んだ。

「僕も納得いきません!」仁も拳を握りしめる。

「私たちの苦労はなんやったんや!」

 天音と仁は屋上に立ち尽くす。

『天音ちゃん! 仁! 中和剤はまた作ればいい! 早く来い!』

 すでに操縦席に座った裕次郎が拡声器で語り掛ける。

「でも! 研究所ごと吹き飛ばされたら! また何か月もかかるでしょう!? 私は早く普通の女の子に戻って――」

 ヘリコプターの中のレイを指し叫んだ。

「レイくんと闘わなきゃいけないの!」

「アマネ……」レイは口の中で小さく呟く。

「それに! ここでヤツらを取り逃がしたら、今度はなにをするかわかりません!」

 仁もアンたちを睨み付けながら叫んだ。

「よくわかんないけど。悔しかったらおっかけてくればー!?」

 アンがギルバード抱えられながらあかんべえをして見せた。

「じゃあな。おまえと一度タイマン勝負がしてみたかったが無理なようだ」

 ギルバードがカイトの離陸準備を整え、屋上の淵に足をかけた。

「ちなみに。爆発まであと五秒」

『――! 仁! 天音ちゃん! 早く!』

「天音さん」

 仁がぽつりと漏らす。

「なんですか?」

「命をかけていただけるなら。ひとつ作戦があります」

「かけるよ。仁くんが考えた作戦ならね」

 爆発まで3……2……1……。

「あばよ!」

『くっそ! 離陸ぅ!』

 ギルバードの乗ったカイトは爆発の一秒前に屋上を離れた。

 ヘリコプターも爆風に煽られながらもなんとか離陸に成功したようだ。

 仁と天音の二人は……。


 テロリスト二人組は星空の中を優雅に飛行していた。

「おー。燃えとる燃えとる」

 ギルバードに抱えられたアンが、後ろを振り返りながら双眼鏡を覗いている。

「予定とはちょっと違ったが大勝利だったなあ。トコロドラッグも取り返したし、中和剤もゲットできた。さらに奴らの研究所もぶっこわしてやった」

「ですね。でもあそこまで行ったならできれば関町裕次郎を始末したかったです」

「まあまあ。それはまたの楽しみってことでいいじゃない。ギル。今回は本当によくやってくれたな」

「め、珍しいことをおっしゃいますね」

「その……口には出さねどいつも感謝はしてる。たまには言ってやらないとと思って。ありがとなギル」

「姉御……実は俺も姉御にずっと言えなかったことが……」

(チャンスはここしかない!)

 ギルの心臓がバクバクと脈を打つ。

 ――だが。

「ん……?? ああああああ!?」

「ど、どうしました姉御!」

「ヤツら追いかけてきちょる!」

「ヤツらって!?」

「セキマチの息子とぷるぷる女だよ!」

「ど、どうやって!?」

「体ペラペラにして! 一反木綿みてーに飛んでやがる!」

 天音はその自慢のぷるぷるボディを平べったく延ばして空を滑空していた。

 その上には仁が仁王立ちで立っている。

「なんじゃそりゃあ!」

「速ええええ! 追いつかれるぞ! わきゃあああああああああ!」

 アンが体をバタつかせる。

「落ち着いてください姉御! えーっと! 俺の胸ポケットに手えとどきますか!?」

「あ、ああ届くけど……」

「中にマグナムが入ってます!」

「マジか!」

 アンがちょこちょことギルのポケットをまさぐる。

「よっしゃあ! 私の腕を見せたらあ!」

 後ろを振り返りながらアンは狙いを定めた。

「ここだ――!」

 銃弾はド派手な音を立てて、仁の心臓に向かってまっすぐに飛んだ。

 ――しかし。

「はああああっ!?」

 仁はその銃弾を右手の人差し指と親指でつまみ、ぽいっとほおり捨てた。


「じ、仁くん! 大丈夫なの!?」

「ええ。自分でも驚いています。これは恐らくアレですね」

「アレ?」

「ほら。小林さんと闘う前に天音さんのことペロペロさせて頂いたじゃないですか。アレが今になって効いてきた。もしかするとトコロソルジャーってのは変身する本人だけじゃなく、『舐めさせる』ことで周りの仲間をも強化するところにその真価があるもかもしれませんね」

「なるほど……飛影の邪王炎殺黒龍波と同じですね……」

 天音の言っていることはよくわからなかったが、仁は自分の体内の血が考えられないほどのスピードで体を循環しているのを感じていた。

「よし。もう追いつくな。それじゃあ行ってきます」

 そういうと仁は一反木綿……じゃなかった、天音の背中の上で助走をつけると、

「どりゃああああ!」

 走り幅跳びの要領でジャンプ! ギルバードが操るカイトに飛びついた。

「ぎやあああああああ! 化け物だこいつ!」

 真っ黒なカイトと三人の男女は暗闇の空を切り裂くように垂直に落下、大文字山の森に消えていった。

「ひいいいい!  ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! あんたみたいのにケンカ売ったわたしが間違ってました! 殺さないでーーーー!」

「お、俺は殺されてもいい! お嬢だけは!」

「しーっ! あんまり騒がないで! このあたりクマが出ますから!」


 ――アンの『殺さないで』という願いは叶えられ、ギルバードと共にパトカーに乗せられることとなった。

「なあお巡りちゃん」

「なんだおまえ。日本語うまいな」

「マンガで読んだんだけどさ。日本の刑務所のめしっておいしいって本当か?」

「なんだそれ。なんのマンガ読んだんだよ」

「土山しげる先生の『極道めし』ですか?」

「おお。ぷるぷるの姉ちゃん、よく知ってるな。あんなおっさん向けのマンガ」

「ああゆうシブいマンガ大好きです」

「僕も天音さんに借りて読みましたよ。でも刑務所のごはんがおいしいという話ではなかったような」

「しかし。せめえなあパトカー」

「ギル! おまえがでかいからだよ! もっとつめろ!」

 ちなみに。仁と天音も怪しすぎるっつって一緒にしょっぴかれた。

「おまえら……ノンキだな……こんな賑やかなパトカーなんてねえぞ」

 警察官が呟く。それに対して仁は――

「そう言われましても。今日一日でいろんなことがありすぎて、いまさらタイホされたくらいじゃなにも感じなくて」

 これには一同笑うしかなかった。

「おまえらはどうせすぐ釈放されるからいいだろ! 私らはしばらく喰らいこむんだぞ!」

「そうですね。はしゃいじゃってごめんなさい。差し入れとかしに行きますね」

「あっ私お菓子つくりますー」

「ホント!? クッキー食べたいなー」

「おまえら大物だな。こんな目に合わせられた相手に対して。……負けたよ。完敗だ」


 ――こうして仁と天音の長い夜は終わった。

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