第15話 ぷるっと潜入! 大文字山研究所
大文字山は威力一二〇(一一〇)命中八十五の優秀な攻撃技……ではなく。京都の東山に位置する標高四六五.四メートルの山岳である。伝統行事の五山の送り火、いわゆる大文字焼きで有名だ。
「ゼェゼェ……」
またハイキングコースとしても人気があり、山頂到達に要する時間はおよそ九十分。
「大丈夫ですか天音さん。疲れましたか?」
「疲れてはいないんですけど、その、靴擦れが」
「ぷるぷるだから靴擦れはしないと思うんですけど……」
「ごめん。ウソつきました。疲れました。ちょう休みたいです」
「OK」
登山道に座り込み水分補給を行う。天音は頭からぶっかけるという豪快なやりかたでそれを行っていた。
「キモチよさそうですね」
「ええ。ふいー」
「最後まで父のせいで大変ご迷惑をおかけしてして申し訳ございません」
「いえいえ。でもなんでこんなところに作られたんですかね」
「山奥の秘密研究所とかゲロかっこいいから。とのことです」
「……なるほど。あっ。水筒の水なくなっちゃった」
天音は水筒の底をペチペチと叩いた。
「僕の分飲みますか?」
と仁が自分の水筒を手渡す。
「仁くんはすごいですね。息ひとつ乱してない。そんな重そうな荷物までしょってるのに」
と背中のアーティスティックサバイバルセットが入ったジェラルミンボックスを指さした。
「慣れてますから。小学生のときテロリストを追いかけてチョモランマの山頂まで登ったこともありますし」
「どんなテロリスト……あっそうだ!」
天音は両手をパチン、いや、ぷるんと合わせた。
「よく考えたら。もう人間モードでいる必要ないですよね!」
そう言うと彼女は体をトローンととろかせてぷるぷるモードに戻る。
残骸として、着ていた空色のポロシャツとショートパンツ、スニーカー、靴下が残った。
「これならたぶんラクチンです!」
そういって、体をキレイな球体にして地面をゴロゴロと素早く転がって見せる。
「この状態なら五十メートル四秒で走れますからね! 私!」
誇らしげな天音。しかし仁は疑問を呈する。
「うーむ。どうでしょうねえ。その状態で斜面を登るのは難しいのでは?」
「あっ……!」
天音は体中を真っ赤に染めた。
「しまっつ! 早く元に戻らないと!」
「もう後戻りはできないでしょうねえ。石膏型はもってきていないので」
「アーーーーーーッ!」
――というわけで。
「ゼェゼェ……! うおおおおおおおお! はあああああああああ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
仁は球体状になった天音をごろごろと押しながら斜面を登る。
口には出さないが、仁は「ふんころがしみてーだ」と思った。
「うーんこれはキツいですね……背負ってしまったほうが楽な気がします」
「あっ、わかりました! じゃあ背負いやすくなります!」
そういうと天音は触手を二本にょっきりとアーチ状に伸ばし、リュックサックみたいな形態に変化した。
「なるほど。それもいいのですが、すでに背中にはアーティスティックを背負ってますからね。いっそのこと僕の体に張り付いて頂いたほうがよいかもしれません」
「ああ。なるほどですね。えーと。どうすればいいでしょう?」
「おなかの辺りに巻き付くようにしてみてください」
「はい」
天音は透明な分厚い腹巻と化し、仁の胸から腰辺りまでを覆った。
「おお! いい感じです! これなら全然重く感じません!」
「それならよかったです」
「それどころかひんやりして気持ちいいですし、なんというか抱きしめられているような心地よさも感じます」
「なっ――! ちょっとそんな恥ずかしいこと!」
天音の体が赤く変色する。
「ちょちょちょ! 熱い! 熱い! 落ち着いてください!」
「ご、ごめんなさい」
天音はなんとか興奮を抑え、体の色を元に戻した。
「ま、とにかく。これでいきましょう。もうそんなに時間はかからないと思います」
「ええ。頑張ってください。楽してごめんね」
仁はゆっくりと歩きだす。
「この先けっこう揺れると思いますが、大丈夫そうですか?」
「ええ。全然大丈夫です。ぶっちゃけ私も仁くんの体温が心地よいですし、この体勢もハンモックにぶら下がってるみたいにすっごく気持ちいいです」
「そ、そうですか」
仁は思った。なんか僕たちは今とんでなくエロいことをしちゃあいねえかと。
「しかし。こうして『装着』してみて初めて気づいたんですが、やはりトコロソルジャーというのはすごいですね」
「どうして?」
「なんというか。今僕はすごい防御力に守られているという実感があります」
「あー! わかります! 私もそれはいつも感じています。今の私つええ! なにが起きても怖くないみたいな」
天音が興奮気味に体をぷるぷる波打たせる。
「こんな状態になってしまってもそれほど気は沈まないというか、意外と楽しくすごせちゃうのもその感覚のおかげかもしれません」
「なるほど。このムテキ感をいつも味わっていらっしゃると思うとちょっと羨ましいかもしれません」
「ははは。ムテキ感ですか。面白い表現ですね」
「ええ。今だったらたとえ熊に襲われてもラクショーって感じです」
「ははは。楽勝ですね熊ちゃんなんて」
――ガーハハハハハ!
――グオオオオオ!
「あっ……」
「熊ちゃん氏ですね……」
「どうします?」
「逃げる!」
「ですよね!」
ちょっとしたトラブルがありつつも――
「ここで間違いないですね」
「こんな立派な建物だったとは」
二人は無事研究所にたどり着いた。
場所は登山ルートからは大きく外れた八号目あたりの地点。
木々や雑草が生い茂る中にその塔のような建物は立っていた。
「でか……四階建てぐらいありますかね」
「まるでバベルの塔です。場違いにもほどがある」
色はツルツルと光沢のある黒で、大きさの不ぞろいな曇りガラスがバラバラに配置されていた。周囲を囲む背の高い柵のデザインもまるでギーガーの絵画のように禍々しい。まさに百点満点の怪しい研究所の外観である。
二人はそれをおよそ十メートル離れた位置から、草陰に隠れて見上げていた。
――なぜそんなことをしているかというと。
「まあ父親のやることに今更どうこういうつもりはないのですが、問題は――」
「彼らをどうするか。ですよね」
入口の前に屈強な男が二人。木製の警棒を持って門番のごとく立っていたからだ。
まだこちらには気づいていない。
「父が雇っているのであれば問題はないのですが」
「もしかして例のテロリストが……」
「その可能性もありますね。やりづらいなァ。どっちかわからないというのは」
敵であるとわかっていれば奇襲をしかけてもよいのだが――。
数分ばかり考えこんだのち。
「まあいいや。こうなったら堂々と歩いて近づいてみましょう。父が雇っているのであれば優しく歓迎してくれるでしょうし」
「ええっ? でももし違った場合は?」
「その場合はですね……ごにょごにょ」
「わ、わかりました。責任重大ですが頑張ります……!」
「じゃあ天音さん。ここに隠れて――」
作戦会議は終了。仁はすいませーんなどと殊更に大きな声を上げながら塔に近づいていく。すると門番たちはにっこりと微笑み――。
「関町仁さまですねお待ちしておりました!」
と声をあげた。
「さあ。中にお入り下さい」
門のカギを開けながら仁を促す。
仁はお礼を言いながら門を通過し門番に背を向けた。――その瞬間。
「はああああああああ!」
門番の一人が頭上に警棒を構え、それを仁の頭に向けて思いきり振り下ろした。
「やっぱりですか」
だが。その一撃が仁の頭蓋骨をカチ割ることはなかった。
――ぷるん。
「ぐああっ!」
「ぷるんぷるんガードです」
アーティスティックサバイバルセットの『箱』から飛び出した天音がその攻撃をうけとめたからだ。弾性力で跳ね返った警棒はそのまま門番Aの額に強烈にブチ当たる。
「なっ――! 貴様!」
門番Bが警棒を構える。
「無駄ですよ。あなたくらいが僕を倒そうと思ったらせめて奇襲攻撃でないと」
「なんだとおおお! このクソガキがあああ!」
門番Bは右足で強く地面を蹴り突進する――が。
――フシュウウウウウ!
仁の口から赤く色のついた霧が噴射された。
「食用ペンキの毒霧です。非常食としてだけでなく、こういう風に戦闘にも使えるんですね」
顔面をかきむしる門番を足払いで転ばせると、もはやおなじみのくすぐり攻撃用の絵筆を背中の箱から取り出した。
「こちょこちょこちょーーーーー」
門番Bは実に幸せそうで性的な、いわゆるところのアヘ顔のまま意識を失った。
仁と天音はまずは大きく安堵のため息をつく。
「さて。どうしたものですかね」
仁は顎に手を当てつつ、頭にぺたーっと張り付いたぷるぷるに語りかける。
「この入口を通過したが最後、テロリストたちによる悪意の塊がボンボンに投げつけられてくるかなーって思っちゃうんですけど。天音さんはどうお考えになられますか」
「まったく同じこと考えてました。あんまり一緒にいるもんだからシンクロニシティが生まれちゃったのかな」
二人はもういちどいっしょに溜息をついた。
そして考え込む。
月明りのみが照らす森の中。ホーホー。という不気味なフクロウの声が響いた。
「――あの。提案なのですが。ここから先は私ひとりでいくというのはどうでしょう」
「ええっ!?」仁は飛び上がって驚きを表現した。
「だって。仁くんはあんな警棒とかもっとやばい刃物とかでやられたら死んじゃうでしょ。そんなのやだもん。私ならきっと大丈夫だよ。拳銃ぐらいまでならノーダメージでいる自信がある! ってゆうかそうじゃなかったらテロリストが必死になるわけないしね」
「それはそうかもしてませんが……」
仁が珍しく落ち着かない様子で髪をかきむしる。
「天音さんだけでは攻撃力がゼロではありませんか?」
「むぅ。それは確かに」
「それにあなたを一人で行かせてここで待っているなんてとても僕の心臓が持ちませんよ。たぶん九割方心不全で天に召されます。それだったら一緒に行って死んだほうが」
「だめ! 死んだらやだ! いいからここにいて!」
天音が珍しく強い口調で主張する。
「死にませんよ! いままでだっていくつも修羅場をくぐってきたんですから!」
「でも仁くんけっこうドジじゃん!」
「天音さんもかなりの天然じゃないですか!」
おまえのほうが天然、俺のほうがあったまいいという不毛な言い争いがしばらく続いた。様々なエピソードを検証した結果、両者天然であるという結論には落ち着いた。
「ねえ天音さん」
仁が芝生に寝っ転がりながら呟く。
「俺たちこの三か月ぐらい。ずっと二人三脚でやってきたじゃないですか。いまさら一人で走るなんてないですよ」
「でもお……」
天音もぺたーっと平べったくなって地面に伸びていた。
「デモとストもないですよ。僕たちはもはや一心同体みたいなもんなんですよ」
「なにそれセクハ――んんんん?」
平べったいぷるぷるは突然風船のように膨らみ、宙にぷかぷかと浮きあがった。
「そうだ! すごいこと思いついた! 一心同体になれば! 合体すればええんや! すぐにヤリましょう!」
「ええ!? 今ここでですか!?」
「そうですよ! えーっとまずはさっきみたいに……」
塔の一階は天井も床も壁も薄汚れた灰色のコンクリートに覆われた殺風景な空間であった。
広さはちょっとした体育館ぐらいあるだろうか。家具や装飾品などなにもないため、実際以上に無駄にだだっぴろく感じられる。
「ふああ……誰も来ないじゃねえか。もう帰っていいか?」
「まあまあ。成功報酬十万出すってんだから」
そこに金で雇われたヤクザまがいのチンピラ連中が十数人ばかりたむろしていた。
彼らの『雇い主』が言うには、彼らが対決しなくてはならない相手は高校生の男ガキと女ガキがひとりづつらしい。
「楽勝だよな」
「ああ。こんな人数いらないって」
男たちは薄暗い部屋で下品に笑い声を立てながらそんなことを口にしあっていた。
「つーか門番の二人で十分でしょ」
「俺たちいる意味なくね?」
絶対に殺してはならないと厳命を受けているため、彼らが持っている武器は釘バットや竹刀、鉄パイプ、スタンガンといったラインナップだった。
「まあ金がもらえりゃなんでもいいけどな」
――と。入口のドアが開いた。
どうやら噂の主がいらっしゃったらしい。
「こんにちは。ご機嫌はいかがでしょうか」
入口に立っていたのはどちらかというとひょろっとした普通の少年であった。
彼が今回のターゲットに違いない――のだが。
「ギャアアアアアアハハハハハ!!!」
「なんだその恰好! どうなってんだそれ!」
「だせえええええ!」
彼の姿を見た瞬間、男たちは下品極まりない笑い声をあげた。
「なにをいっているのだか。かっこいいでしょう。このアーマー」
理由としては。彼が全身を西洋の甲冑のようなもので覆っていたからだ。
「だってそれなんかぷるぷるして――ギャアアアハハハハ!」
「きめええええ!」
ただし。その甲冑はなんか変だった。形はぴっちりと角ばっているのだが、ぷるぷると柔らかそうに震え、しかもどうしちゃったのってくらいキレイな透明で、中のTシャツやジーンズが透けて見えてしまっていた。フルフェイスなのに前がちゃんと見えていて便利そうではある。
「ちょっと! 失礼じゃないんですか!? 女の子に向かってキモいなんて!」
「……ん? なんだこの声」
「どっか聞こえてきた?」
(――!)
仁は自らの体を『甲冑』としてディフェンスしてくれている天音に対し「しゃべっちゃまずいです」と小声で伝えた。
天音は小さく「ごめんつい」と返した。
「ともかく。僕はあなたたちには用はありません。とりあえずは上の階に行って探し物をしたいと思うのですが、通していただけますでしょうか?」
「へへへ。まあてめえが俺たちがもらう予定のギャラの十倍を払うってんなら考えてやらなくもないぜ」
男の一人がそのように提案、残りの者も同意した。
「申し訳ございませんが、お土産に生八つ橋とようじやのあぶらとりがみ、奈良公園の鹿のうんこスイーツ、それから木刀とヌンチャク、挙句の果てに龍が玉もってる変なキーホルダーまで買ってしまったのでビタ一文持ってございません」
「そうか。じゃあダメだな」
「待って。よくみりゃあかわいい顔してるじゃない。ケツを貸してくれたら勘弁してやってもいいわよぉぉぉ」
この意見には残念ながら他の誰も同意しなかった。
「というわけで。ぶっ殺す!」
「死にませんよ」
チンピラたちが一斉に襲い掛かる。
――数十秒後。
「つ、つよよよよよよよ!」
天音が感嘆と畏怖が入り混じった声を上げる。
十数人からいたチンピラ共は全員床に倒れ伏した。
「いやあすごいのは僕じゃありませんよ」
「バカな……なぜ攻撃がなんにも効かねえ……化け物か……!?」
「ほら。彼もそういってます」
と唯一意識のあるチンピラを指さす。
「そ、その透明のキモイヤツは一体なんだ……」
「これは……えーっと……『ところ鎧くん』です」
「と、ところ!?」
「なるほど……なぜてめえみたいなただのガキを狙わされたのか……ようやくわかったぜ」
男は息も絶え絶えといった様子である。
仁は彼が気を失う前に、彼から情報収集をすることを試みた。
「ご就寝される前にひとつ質問をさせて頂いても宜しいですか?」
「……なんだ」
「あなたたちは僕たちのことをどこまで知ってますか?」
「なんにも知らねえ……今バカみたいにつええってことを……知っただけだ」
「あなたの雇い主はなにものですか?」
「それもしらねえ……前金でポンと十万円……よこしやがったから……従っただけ……」
「そうですか」
「拷問なんかしても……無駄だぞ……もう寝てもいいか」
最後にそう言い残して彼は床に突っ伏した。
「なにもわかりませんでしたね……とりあえず上を目指しましょうか」
「ええ。それはよいのですが」
「なんですか?」
「この状態のわたしのこと『ところ鎧くん』っていうのはちょっと……もうちょっとキャッチ―な名前がいいです」
「それは失礼しました。では天音さんが考えてください」
「えっ!? 私? じゃあええと。そうですねえ。なんかあるかなあ――」
不安定で幅の狭いらせん階段を上って二階に到着する。
「真っ暗だ」
仁は背中に背負ったアーティスティックサバイバルセットの箱から『ハンディーアールヌーボーランタン』を取り出した。
「わぁ。キレイですねえ。――ん? この床、畳ですか」
「そのようですね」
いぐさの香りただよう床をそろりそろりと摺り足で進む。十数歩ほど進んだところで。
「――むぅ!」
仁が呻き声とともに立ち止まった。
「どうされました?」
「人の気配がします」
「マジですか?」
「天音さん。これを高く掲げて下さい」
天音はトコロアーマー(仮称)の仁の頭部辺りをカバーしている部分から触手をニョキっと伸ばし、ランプを掴むと、それを三メートルほどの高さに掲げた。
――すると。
「ホホホ。なかなかよい勘をしておる」
ランプの淡い光が映し出したのは、ロマンスグレーの髪の毛をオールバックにした初老の男性だった。身に着けているのは真っ白な柔道着と黒い帯。その佇まい、するどい眼光、そして全身から発する強烈なオーラは「タダモノではない」と確信するに十分であった。
「よく気づきおったな。気配は完全に消しておるつもりだったが」
しわがれた声でそういうと、彼はわずかに頬に笑みを寄せ自らの名を名乗った。
「我が名は木村三四郎。実戦派古流武術「窮求究極」を修し、強さを極めんとする武人じゃ」
「えーっと……僕の名前は関町仁。ただの高校生です」
木村は「よい名じゃ」などと呟きながら立ち上がり――
「その奇妙な透明の鎧はなにかの? 『いんすたばえ』というものか?」
腰を落とし構えを取った。仁は一歩後ずさりながら木村に問う。
「木村さん。あなたは僕と闘うおつもりですか?」
木村はうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「なに。そんなに大袈裟なものではない。君を気絶させてあのお方に引き渡すというだけじゃ」
「……あなたは高名かつ高潔な武人とお見受けします。なぜそのようなことを」
「簡単なこと。わしはあのお方に敗れた。だから従う。それだけのこと」
「あのお方とは何者です」
「それは答えることができぬ」
そういって仁に一歩迫る。
「さあ。もうおしゃべりはよかろう。覚悟を決めんか」
あとずさる仁に木村はさらに詰め寄る。
「ちっ仕方がない――天音さん。ランプを床に」
天音がランプをそっと床に降ろし、触手をひっこめた。
「ほお……どうなっているのかよくわからんが最近のこんぴゅーたーはすごいのお」
仁がひとつ息をついたのち、両手で構えを取ると――その瞬間。
「どおおおおぉぉぉぉぉ!」
木村は老人の姿からは想像もできない凄まじいスピードで仁に迫った。
「――っつ!」
辛うじてサイドステップして突進を躱した。――だが。
「あっ――!」
避けるので精いっぱいで避けた先の足もとを気にしている余裕がない。仁は畳縁を踏んで足を大きく滑らせた。
「おや。ついてないヤツだの」
木村はそのスキを見逃さない。仁の腕をがっちりロックすると――
「どおおおおおおおお!」
そのままブン投げた。いわゆる一本背負い。しかしただの一本背負いではない。脳天から垂直に叩き落とす、まさに実戦派の一撃であった。
「――おっと。もしかして殺してしまったかな?」
木村は腰に両手を当てて高笑い――だが。
「いやあ危なかった」
仁は首をくいっと起き上がらせると、何事もなかったかのように立ち上がった。
「な、な、な」
「もし「コレ」がなかったら、確実に失神、悪ければ死んでいるところでした」
そういって自分の頭をカバーする透明な鎧をぷるぷるとつついた。
「な、なんなのじゃ。その変な透明のキモいヤツは!」
「キモいヤツではありません! これは――!」
どやっと胸を反らしながら先ほど天音が考えた名前を宣言する。
「ぷるんぷるん天音ちゃんディフェンスです!」
天音の全身を恥ずかしさが満たし、カラダがほんのりピンクに染まった。
「ネーミングってむずかしいですよね……」
と小さな声が仁の耳にだけ聞こえた。
「おのれ――貴様――」
木村は顔をうつむけ、両手の拳を握りしめて怒りを露わにした後、
「ずるいぞっっっっっっ!」
目を(><)こんな感じにして両手両足をバタつかせた。
「ボクは柔道着なのに自分だけそんないいものを着て!」
仁はポカンと口を開く。
「そ、それはごもっともですが……なんで急にそんな子供みたいに?」
「うるさーい! おまえなんかこうしてやる!」
木村はレスリングや総合格闘技のような低空タックルで仁をムリヤリ押し倒し、マウントポジションを取った。
「しまっ――!」
「くらえーーー!」
そして彼の繰り出した攻撃は――
「ちっ外した!」
「うわっ! ずるっ!」
ふところから取り出したドスで仁を突く。というものだった。
「ずるくないもん!」
「あなた武人でしょう! プライドはないんですか!」
「だってそっちが先にずるかったんだもん!」
「子供か!」
追い込まれると子供みたいな本性を露わにしてしまうのは彼の癖である。
「うるちゃい! 悪口言ってるとママに言いつけるぞ!」
ちなみに彼は赤ちゃんプレイが好きであり、そういったお店にもたびたび馳せ参じている。
「今度はどうだ!」
彼はふところからもう一本同じものを取り出して、ドス二刀流にて仁の両目をぶっさした。
「やった! やったよママン!」
「――いえ。やってないです」
仁は両足を跳ね上げるようにして木村を吹き飛ばし、立ち上がった。
「のおおおおお! どうなってるんだよ! ドスでさしてもノーダメージって! ママァ!」
「いえ自分でもこのぷるんぷるん天音ちゃんディフェンスの性能には驚いてはいるのですが……。それよりもあなたのその感じに驚いています」
「うえええええん! ママァ! もうこうするしかないよお!」
木村はみたびふところに手を突っ込むと、
「げっ……」
小型の機関銃、いわゆるサブマシンガンを取り出した。
「ちょっ! もう武道でもなんでも――」
銃口からパラララララララという快音と共に火が噴き出した。部屋全体を包む硝煙の臭い。乳白色の煙が仁の姿を覆い隠した。
「とどめじゃあ!」
さらに。ふところから今度は手榴弾を取り出し、栓を歯でかっこよく抜く。
「喰らえ!」
すさまじい爆発音。
衝撃波は爆弾を投げた側の木村をも真後ろにふっとばした。
「やった! やったよママン! よーし! 今夜は祇園の『マザーファッカーのバブみ』で一発一九八〇〇円のリアル授乳コースキメよーっと!」
床に寝っ転がってばぶばぶと手をバタつかせる。実にいい笑顔である。
――しかし。やがて煙が晴れて。
「やれやれこれは本当にマズいヤツですね。この性能は凄まじい。凄まじすぎる。こんなものが悪人の手に渡ったら大変なことになる」
「な……な……な……」
「それにしても。あなたの柔道着は四次元ポケットですか?」
仁はゆっくりと木村に歩み寄る。
「もう二度と自分を武人だなんて言わないで下さいよ」
木村は恐怖のあまり放尿したい要求にとらわれたが、今日はたまたまオムツをしていないことを思い出しガマンした。
「ねえ……パパンは僕のこと殺すの?」
「誰がパパンですか。殺したりしませんよ。こんなカワイイベイビーちゃんを。――但し」
仁は寝転がる木村を睨み付けた。
「知っていることを洗いざらいしゃべって頂ければですけどね」
「わかった! 話す! 話すでちゅ!」
「では聞きます。あなたたちの目的はなんですか」
「し、知らないでちゅよ! 僕は雇われただけバブ!」
それにしてもヒドイ口調である。
「本当ですか?」
「本当でちゅ! 見てバブよこの澄み切った瞳を!」
木村はそういって仁の目を甘えるようにして見つめる。
「濁りきっているような気もしますが……。まあいいや。質問を変えます。あなた方の黒幕、ボスはどなたですか?」
「ち、ちらない」
「それはウソですね。あなたは『ボスに負けたから従っている』とおっしゃいました」
「う……で、でも本当に知らないんでちゅ! どこの誰なんだろうあの人……」
「では風体だけでも教えて下さい」
「そんなこと教えたらなにをされるか……」
「ふむ、隠し事はよくないですね」
仁は背中に背負った箱から絵筆のようなものを取り出した。
「なんでちゅかそれは!」
「こちょこちょこちょこちょ」
木村の人生に天国と地獄が同時に訪れた。
「キャハハハハ! わかった! 言う! 言うでバブオギャア!」
「お願い致します」
「ボスは女! 女でちゅ! それもとびっきりの美女!」
「なんですって?」
「ヤツはニット帽とマスクで顔を隠してまちたが、あの吸い込まれるような瞳、それに全身から発しているオーラと色気! 間違いなく超絶美人でちゅ!」
仁は両手を組んで首を傾げた。
「身長は小さいバブけどね。それがまたイイ感じで」
「なるほど。ありがとうございました」
そういって木村の頭を撫でてやった。
「とりあえず。上に向かうしかないか」
「あっ……行くの?」
「ええ」
「ボクを許ちてくれるの?」
「そう言ったでしょう」
「ありがとう。優しい」
「どういたしまして」
「優しいから好き。ねえ僕のパパンになってよ。具体的には。オムツ代えて欲ちい」
仁は思った。――きっつ。なんだこいつ。
あまり後味がよくない闘いを制して、三階へと続くらせん階段をのぼる。
「またどなたかボスのような御仁がいらっしゃるんですかね?」
「なんだかゲームみたいでちょっとわくわくするね」
「でもあまり個性のお強いかたはもうごめんこうむりたいです」
三階にたどり着いた。今度の部屋も先程と同様に真っ暗であった。
「んーこの床。これは芝生が植えてあるんですかね」
仁が床をランプで照らすと、足元には長さのそろった緑色の草がぴっちりと生い茂っていた。
「さっきは床が畳で柔道家さんがいたからー今回は芝生と関係のある人がいるんじゃないですか?」と天音は考察した。
「柔道家なんですかね彼は……。まあともかく。慎重に進みましょう」
仁は再びランプを片手に歩き始める。
「あれ? ちょっと待ってください。これって――」
天音が触手で指差す壁には、明らかに電気のスイッチであると思われる、四角いアレが
取り付けられていた。
「ははは。本当ですね。もしかしたら二階にもあったのかな」
「かもねー」
仁はガハハハと笑いながら軽い気持ちでスイッチを入れた。
広々とした空間に明かりが灯る。
その中央に立っていたのは。
「……あ」
仁は現実を受け入れることができす、電気のスイッチの状態を元に戻し、なにも見なかったことにした。
――しかしダメだった。
「グオオオオオオオ!」
咆哮と共にドドドドドドド! という足音が仁たちに迫る。
「ぬおわああああ!」
仁はスイッチを入れなおしつつ、ゴロンと床を転がって、なんとか突進を交わした。
「グオオオオ!」
――改めてやっこさんの姿を確認する。
複雑に枝分かれした巨大な角、黒光りした筋肉質なボデー、しなやかでたくましい四本の脚。
「でか……」
「鹿……」
大きさは高さで三メートル、頭から尻までの長さは五メートルを超えているだろうか。
「ど、動物好きの仁くん……? これはなんていう鹿さんでしょうか……」
「エゾシカ……かな? 大きさが規格外すぎますけ――ひえっ!」
再び重戦車のごとく突進。これも辛うじてかわす。
「モンハンなら鹿は楽勝なんですけどねぇ」
「ケルビーくんはこんなでかくな――ぐおっ!」
突進をかわしたはいいが、返す刀の後ろ足キックを腹部にもろに受けてしまう。
仁の体は空中高く浮き上がった。
「うおおおお!?」
壁に衝突し激しくバウンド。そのまま床に叩きつけられた。
「仁さん! 大丈夫ですか!?」
「おかげさまでダメージはありません。しかしどうしたものか。鹿だけに」
仁は背中のボックスに手を突っ込み、ブキを取り出した。
「アーティスティックサバイバルセット・フライングインフェルノ! (ペインティングナイフ投げ)」
「おお! かっこいいですねそれ!」
両手の指の叉に一本づつ、合計八本のペインティングナイフが両手に握られる。
「シャア!」
そいつは目にも留まらぬ腕の振りと共に、巨大鹿に向かって飛翔する。
――が。
「あらー……」
若いピチピチボディがシャワーの水を弾くがごとく、巨大鹿の皮膚はナイフの散弾を簡単に弾き飛ばした。
「キャオオオオオン!」
さきほどよりもトーンの高い咆哮が響く。
「あらま。怒らせだけでしたね。鹿だけにシカられちゃったって感じです」
「仁くん! どうしてそんなにノンキなんですか!」
天音はダジャレについてはシカだけにシカとしつつ、苦言を呈した。
「慌てたってシカたありませんよ! それにむこうの攻撃も効かないんだからゆっくり考えれば問題ないです」
「なに言ってるんですか! 忘れたの!?」
巨大鹿が四メートルほどジャンプして仁たちに飛び掛る。
「鹿はところてんを食べる!」
彼は仁にのしかかると――
「キャアアアアアアアア!」
ぷるんぷるん天音ちゃんディフンスをペロペロしようと、長い舌をベロンと出した。
「天音さん! ちくしょおおおおお!」
必死の仁はなんとその舌に噛み付いた。
「ギャオオオオオオン!」
さすがの巨大鹿もこれにはひるみ、体をのけぞらせる。
「天音さん! 大丈夫ですか!?」
「ええなんとか」
「まさか鹿とディープキスをするはめになるとは思いませんでした。初めてだったのに」
「えっ。初めてなんですか?」
「は、はい。ダメですかね……」
「いえ。好きです。童貞受けは至高です」
――のんきなことを言っている間に再び巨大な角が近づいてくる。
「ぬぐお!」
仁は角の先端をつかみくいとめる。
「仁くん――! すごい力!」
巨大鹿はよほどペロペロをしたいらしく、舌をベロンベロン垂らしながら仁を押し返す。
「ちくしょう! 僕だってあのぷるぷるをペロペロしたいんだ! おまえだけにいい思いをさせてたまるか!」
「ええええええ!?」
巨大鹿と互角の押し合いを演じる仁。しかし。
カカン! カカン! カカン!
なにものかが階段を登ってくる音が聞こえる。
「まずい! 援軍か!?」
かなりのスピードだ。もうすぐここに来る!
ほどなく。そいつは姿を現した。
「おまえは――」
愛らしい茶色い毛並み。
つぶらな瞳。
力強いふともも。
そして複雑に枝分かれした立派なツノ。
「――ツノタロウ! 生きとったんかいワレ!」
彼は独特の「ケーーーン!」という泣き声を発すると、巨大鹿のしっぽにかみついた。
「グオオオオオ!」
「ケーーーン!」
ツノタロウはそのまま体をコマのように回転させる。
すると巨大鹿の体が遠心力で浮き上がった。
「ウソ……」
そしてジャイアントスイングの要領で壁に叩きつける!
凄まじい衝撃が部屋全体を揺らした。
「ツノタロー……おまえ……」
「ケーーーーン!」
ツノタローは仁の目をまっすぐに見つめると、なにかをうったえるように咆哮した。
「――よしわかった! 天音さん! ここは彼に任せて先を急ぎましょう!」
そういってツノタローの頭を愛おしそうに撫でた。
「彼もそうしろと言っています」
「鹿ちゃんの言葉がわかるんですか? ドリトル先生なの?」
「なんとなくです! でもきっと合ってます!」
「わかりました! 私も実家のワンちゃんの言葉ならわかるし!」
仁は四階へとつづく階段に向かって駆けた。
「グオオオ……」
その間に巨大鹿がゆっくりと立ち上がる。
「ケーーーーーン!」
ツノタローは彼をにらみつけながら力強く吠えた。
(さあこい。どっちがホンモノの鹿でどっちが馬の腐ったようなヤツか。試してやる)
仁にはツノタローがそう言っているように聞こえた。
「――それにしても」
四階に向かう階段の途中。仁に着られた天音が疑問を口にする。
「ツノタローちゃんってなんであんなに強いんでしょうか」
「……言われてみれば」
今も階下で激しい闘いを繰り広げている声が聞こえる。どちらかといえば優勢のようだ。
「あ、待てよ。ひとつだけ考えられることがあります」
「それは?」
「ペロペロです」
「ペ、ペロペロ!?」
「ほら。彼はトコロソルジャーであるところの天音さんをペロペロお舐めになったでしょう? けっこう長いこと」
「……そういえば」
「それがもしかしてなんらかの作用をしているのかも」
「…………………………」
しばらくの沈黙ののち。天音が仁に立ち止まるように促す。
「ど、どうかしましたか?」
「ねえ! 私をペロペロしたいの!?」
「へっ!?」
「ペロペロしたいから! そうやって私をペロペロしたら強くなる説を吹聴してるの!?」
仁は思わずWhat!? と英語を発した。
「ち、違いますよ! もちろん確証はないですが、それぐらいしか可能性がないからそういっただけで!」
「本当に~~~~?」
「ベスト・オブ・スーパーマジです!」
自分の胸をパッション屋良のようにドンと叩いた。
「わ、わかったよ。それじゃあ。ペロペロはよ……」
天音はもごもごと述べた。
「えっ?」
「だから! 早く私のカラダをペロペロしなさいって言ってるの!」
仁は再び英語でWhat! と叫んだ。
「言っておくけど! ペロペロされたいわけでも、あなたの要求を叶えてあげたいってわけでもないんだからねっっっ! あなたが強くなってくれないと、私が元に戻ることできる可能性が減るから言ってるだけなんだから!」
「本当にいいんですか……?」
「早く!」
「じゃあちょっと一回体から離れてもらていいですか?」
天音はぷるんぷるん天音ちゃんディフェンス状態から通常のぷるぷる状態に戻った。
「ではいきます。なるべく痛くないように――」
「そういうのいいから! 無言でやってや!」
仁は小さくうなずくと、階段にひざまずいた。
そして一段上に座って(?)いる天音の体に口を近づける。
「――っっっ!」
仁は歯をたてないようにゆっくりと口をつけ、それからそっと舌を這わせた。
天音は声を出すまいと全身に力を入れる。
だがあふれ出す感情を抑えることはできなかった。
「んんんんんンン……! ああああぁぁぁんん……! ううううぅぅぅぅ……!」
体がどんどん熱と赤みを帯びてゆく。
「痛くないですか?」
仁の問いにぷるぷると体を横に震わせた。
「仁くん……! 仁くん……! ねえどう……? どんな感じがする……?」
「すごく気持ちいいです。柔らかくて舌に吸い付く感じ。それに。すごく暖かい」
「……味は?」
「ほんのりと甘いです。ハチミツみたいに」
「そう……。んんッ……」
「天音さんはどんな感じがしますか?」
「そんなこと……言えるわけないやろ……!」
行為を終え、五分ほど休憩したのち、再びぷるんぷるん天音ちゃんディフェンス状態に戻り階段を登り始める。
「そ、それでどうですか仁さん? 強くなりましたか?」
「うーんよくわかりません」
「えーーーー!? それじゃ困るんですけど!」
「じょじょに効いてくるのかも」
「本当ですかー?? 言っておきますけど、もしも強くならなかったブッ殺しますからね!」
「天音さん、最近ちょっと口悪いですねえ」
などと話しているうちにらせん階段の終わりが見えてきた。
「次は四階か……いよいよラスト……ですかね」
「おそらくですが」
今までと違いすでに灯りが灯っている。床もただのコンクリート。大きな家具類や装飾品のようなものは置かれていない。その閑散とした部屋の中央には――
「またキャラが濃ゆそうな方ですね」
彼は真っ黒なライダースーツに全身を包み、顔には銀行強盗或いはザ・デストロイヤーのようなマスク、そして脇にはショットガンと思われる銃身の長い銃を抱えていた。怪しい格好のわりには(?)身長は低め、体も華奢である。
「銀行強盗スタイルですか」
そんな格好で座布団に座りお茶を飲んでいる姿はなかなかシュールであった。傍らには急須、それから電気ポットもコードに繋がれていた。
「いやあでも巨大鹿さんよりもだいぶんマシじゃない? ラスボスにしてはふつーですよ。ネタギレ?」
天音がそういうと、強盗はフフフとくぐもった笑いを発しながら立ち上がった。
「それじゃあ。驚かせてあげようか?」
(ん……女性の声……?)
彼……いや彼女は自ら自分の覆面のアゴあたりを乱暴にひっつかんだ。
「えっ!? 脱ぐの!? いきなり!?」
「覆面レスラーとしての誇りはないんですか!」
彼女はフハハハ! と笑いながら覆面を一気に脱ぎ捨て、後ろにほおりなげた。
「――――――――!? どっひゃあああああああああああ!」
仁は伝説のリアクション芸人アンビバレンツ村瀬もかくやというスーパーリアクションで、後ろにふっとんで尻餅をついた。
「はは。いいリアクションだね。ダチョウみたい」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ」
仁がこれほどまでに驚いたのは彼女が怪物のように恐ろしい顔をしていたからではなく、
「あなたは――」
知っている顔だったからだ。
「小林さん!?」
「せりなちゃん!?」
彼女は覆面のせいでボサボサに乱れた前髪をさっとかき上げると、優しく微笑んだ。
「まさかせりなちゃんが黒幕だったなんて……」
「い、いつからテロリストをやってらっしゃるのですか?」
せりなはキョトンとした顔。
「テロリスト? 黒幕? なにを言ってるの?」
頭の横で人差し指をくるくる回転させた。
「私はただ。あの人が望んだとおりに、あの人に尽くすだけ」
「……あの人」
天音の頭の中に一人の女性の像が浮かんだ。
「関町くんに天音。あんたたちのこともけっこう好きだからちょっとフクザツだけどね」
「私のこと。知ってるんだね……」
「うん。トコロドラッグにトコロソルジャーでしょ? すごいよね。ちょっと信じらんないってかんじ」
「でも、その恐ろしさはご存知ない?」
仁が口を挟む。
「ショットガンなんかではこいつを貫くことはできませんよ」
せりなはふふふと可愛らしい笑い声を上げた。
「あなたこそ二つほどご存知ない? ひとつはこの銃のこと、それから、トコロソルジャーの弱点のこと」
その言葉を聞き、仁の全身に強烈な悪寒が走る。
「まずひとつめ。これはね。ショットガンなんて物騒なものじゃなくてね。実は水鉄砲なの。ホラ、ここら辺が水入れるタンクになってるってわけ。最近のおもちゃってすごいよねー。デザインが超かっこいい」
「……まずい! 天音さん! 逃げましょう!」
「ええっ!?」
「そしてトコロアーミーの弱点は。水分。特に温度が高いもの。つまり『熱湯』。成分が溶けちゃうんだって。ここまで言えばわかるよね?」
仁はせりなに背を向け駆け出す。
「階段上ってくる音が聞こえてきた時点でタンクに熱湯入れたんだけどさあ。キミたちがモタモタしてたからびみょーに冷めてるかも」
だがもう遅かった。
せりなは銃の先端を回転させながらトリガーを引く。
太い熱湯の光線が仁と天音を襲った。
(よけらんねえ!)
ぷるんぷるん天音ちゃんディフェンスは熱湯の洗礼を浴びてしまった。
「あ……あ……あ……あ……あ……」
「天音さんッッッ!」
天音の体はその性質を「ぷるぷる」から「どろどろ」に変質せしめられた。
仁に抱きつくようにへばりついていた体はゆっくりと下に垂れ下がってゆき、やがて仁の足元にべったりと広がった。
「天音さん……死……死……死……死……死……?」
「安心して。あとで冷やせば元に戻るよ。あの人が言ってた。保証はしないそうだけど」
仁はほんのわずか胸をなでおろした。
「でも。これでもうあなたたちが目的を達成することは叶わない」
そういって再び銃を構える。
「今度は今のを顔面に直接食らわせてあげるね」
仁はじりりと後ずさった。
「避けようとしてもムダだよ。私がクレー射撃部のエースだって知ってるよね」
「ま、待ってください!」
仁は弱々しく両手を前に出す。
「なに? 命乞いでもするの? 大丈夫。ギリ死にはしないから」
仁の脳みそがフル回転し、ひとつの結論を導き出した。
「あなたの仲間にしてほしいんです!」
せりなは一瞬驚いた顔をしたのち、クスっと笑った。
「ほーう。そりゃまたなんで?」
「それは……あなたのことが好きだからです!」
せりなは身をのけぞらせてガーハハハハハ! と豪快に笑った。
「信じてくださいませんか……?」
「ハハハ! いや信じないってわけじゃないけどさ! ちなみにいつから~?」
「小学一年生。七歳のときからです」
せりなは目を真ん丸くして仁を見た。
「はいいいいいいい? 私たち始めて出会ったのって高校一年生のときだよねえ」
「……やはり覚えてらっしゃらないのですね」仁は小さく溜息をついた。
「うん。ごめん。まったく」
「僕が中学まで海外で暮らしていたというのはご存じですか?」
「知ってるよ。自己紹介で言ってたし」
「十五年弱の海外生活のうち、たった三ヶ月だけ。僕は日本で生活していた時期がありました。そのとき。僕はあなたに出会ったのです」
仁は目を閉じて天井を仰ぎながら自分の過去について語り始めた。
――日本に帰ってきたとき。父は言いました。
「ほらここがおまえの産まれた国だよ」
しかし僕には日本が祖国だなんてまったく思えませんでした。
知らない言葉、見慣れない変な文字、やたらと蒸し暑い気候。
僕は学校生活に馴染むことができず、クラスの男の子たちと衝突ばかりしていました。
――あれは確か転校してまだ一週間ぐらいの放課後。
「こいつニホンゴしゃべれないんだって!」
「ガイジンだからなー」
「いやにほんじんのくせにしゃべれないらしいぜ!」
「バカじゃん!」
彼らがなにを言っているのかよくは分らないのですが、悪意だけは十分に伝わってきました。
黙ってやられている僕ではないです。
僕はイジメっこのリーダー格と思われるヤツをぶん殴りました。
「あっ! ジャイオンがやられた!」
「なにするんだ!」
僕は両足をつかんで転がされ、めちゃくちゃに踏み潰されました。今思えばとんでもない子たちです。おそらくロクな大人になっていないでしょうね。
僕は死の恐怖を感じました。
――そのとき。
「なにやってるのーーーー!?」
「そのとき僕を助けてくれたのが。あなただったんです」
仁はせりなを見つめた。
彼女は怪訝な表情でアゴに手を当てている。
仁はかまわずに続きを語り始めた。
あなたは僕を保健室に連れていってくれました。
偶然かわからないですが、今と一緒で保険委員でいらっしゃったんですね。
「もーばかじゃないのー。あんなにんずうとケンカして!」
僕はあなたなにを言ってるか正確には理解してはいませんでした。しかし。あなたの言葉になにか温かみのようなものを感じていました。
「まあでもね。ほめたいってゆうのもあるの。わたしもあいつらきらいだもーん。いつもみんなでひとりをいじめてさ」
ぷんぷんとほおをふくらませるあなたを僕はとても可愛らしいと思いました。
「こんどやるときはねえ! わたしもいっしょにたたかってあげる!」
そういってあなたはニカっと歯を見せて笑いました。その無邪気な笑顔は今もまったく変わっていません。
「ああそっか。にほんごわからないんだっけ? えーっとわたしシュッシュッシュきみと。オッケー?」
ボクシングの真似をしながらそんな風におっしゃる、あなたの気持ちは僕に十分に伝わっていました。
――そしてその約束は思ったよりもずっと早く果たされることになりました。
「へへへー! トドメさしにきたぜー」
例のイジめっこたちが保健室まで追撃に来たからです。
「あんたたちー! いいかげんにしなさいよー!」
「なんだあ? おんながでしゃばりやがってー!」
「あんまりでしゃばってると、えーっと、りんかんっていうヤツをやるぞ!」
その瞬間。
「いてえええええええ!」
あなたのパンチがいじめっこの一人を吹き飛ばしました。
「ほら! なにやってるのあなたもたたかうのよ!」
僕はベッドから飛び起きました。
――そして。
「はあはあ……! やったー!」
僕たちは切り傷だらけになりながらもイジメっこたちを倒しました。
――せりなはなおも怪訝な表情で仁の話を聞いていた。
――その後。
僕たちはこってりと先生に怒られました。
家に帰ったらどうせまた今度は親に怒られる。
そんな風に考えて僕たちは学校近くの河川敷を二人で散歩しました。
夕陽が川に反射して大変美しかったのを覚えています。
「いやーすっとしたね!」
あなたはそんな風に明るくいいましたが、顔にばんそうこうを三枚も四枚も張っているあなたを見て、僕はたまらない罪悪感を覚えました。
なにかお詫びがしたいと思った僕は、名札を留めていた安全ピンをはずし、それにタンポポの花をいくつか刺しました。そしてかろうじて知っていた日本語で――
「ありがとう」
そういってあなたの短い髪にその髪かざりをつけてあげました。
「――そのときのあなたの照れくさそうにはにかんだ笑顔は未だに忘れられません。そして」
せりなのアタマを指さす。
「もちろん同じものではないでしょうが、いまでもタンポポの髪飾りをしてくれている。初めて見たときは感動しました」
――せりなは仁から少しだけ目をそらしつつアタマをガリガリと掻いた。
「ごめん……すっげー長い話をしてくれたところ悪いんだけど……ぜんぜん覚えてないんだ……おっかしいなー」
「……そうですか。まあ十年も前の話ですからね」
「そ、そんなに悲しそうな顔しないでよ」
さらに強くアタマを掻く。
「でもさ。うれしかったよ」
眉を八の字にした切なそうな笑顔を浮かべた。
「私にも思ってくれる人はいたんだなァ」
「……あなたがおっしゃる『あの人』はそうではないのですか?」
「うん。私になんて興味ないんだァ。まあしかたない理由があるんだけどね」
「あなたのことが好きな男子はたくさんいますよ。B組の棚橋くんとかC組の岡田くんとかD組の内藤くんとか」
「みんな私をちょうどいい相手だと思ってるだけなんだよ」
せりなの口からため息。
「私のこと本当に想ってくれてるのは。たぶんあなただけ。でもね」
せりなは銃口を仁に向けた。
「私。やっぱりあの人を裏切れない」
「そう……ですか……」
「それにね! 私あなたのことちょっと嫌いなんだ! あなたはなにも悪くないけど、ちょっと諸事情により」
そういってせりなは苦しげな笑顔を浮かべた。そんなせりなに対して仁は。
「あっそうですか、それならそれで仕方ないですね。よしそれじゃあ始めましょう」
そういってせりなにダッシュで迫った。
「えっっっ!? なによそれェ! クソっ!」
せりなはお湯鉄砲を発射。光線は正確に仁の顔面を捉えた。
――だが。
「洗顔!」
「なにィ!?」
仁はまったく意に介さない。背中のボックスに手をつっこみつつ、さらに距離を詰めた。
「くらえ! アブソリュート・ゼロ・フリーズ!」
仁はスプレーのようなものをせりなの銃の銃口につっこみスイッチをプッシュ、気体を噴射した。
「つ、冷たっ!」
せりなの水鉄砲はカチカチに凍りつき、中の水分の膨張によりタンク部分が『パン!』と音を立てて破裂した。
「そんな……」
真後ろに倒れしりもちをつく。
「これはブリザードフラワー用の液体窒素です」
「くッッッ!」せりなはくやしさに両足で床をふみつけた。
「なんで!? 私のビームは確かにアンタに当たった!」
仁は顔についたお湯をぬぐいながらせりなに答える。
「どうやら。僕のバカ長い話の間に冷えてしまったようですね。ちょうどよい湯加減でした」
「……ワザと?」
「ええ。そのように仕向けました」
「じゃあさっきの話は……」
「申し訳ございません。すべてウソです。ってゆうか今考えました」
「そんな……」
せりなはじわりと涙を浮かべながら床に大の字に倒れた。
「おっと……そうだ天音さんを復活させなければ」
仁は床に広がるどろどろ状態の天音に対して液体窒素を噴射。
すると数十秒後、天音は元のぷるぷるしたボディを取り戻す。
「天音さん! 大丈夫ですか!?」
彼女は復活するや否や――
「サイテーーーーーーーー!」
ぷるんぷるんの触手で仁の頬を張った。
「ええっ!?」
驚きの声を上げる仁。せりなもポカンと口を開けた。
「なに考えてるんですか! せりなちゃんの気持ちをモテ遊んで! よくあんな長いホラ話が思いつきますね! このホラ吹き! ホラ吹き男爵の夕暮れ! ちょっといい話だったから私もじゃっかん泣きかけてたんやぞバカー!」
そういって十数本もの触手をめちゃくちゃに動かして仁をぼこぼこにする。
「やめてください! イタ気持ちよくてなんか変な感じです!」
――その様子を見たせりなは、
「天音。もういいよ」
上体だけを起き上がらせてつぶやいた。
「せりなちゃん……」
「ありがとうこんな私のために怒ってくれて。ごめんね」
二人は数秒の間無言で見つめあった。
「もう邪魔はしない。がんばってね。二人とも」
せりなは立ち上がり二人に背を向ける。
「ねえせりなちゃん」
天音がせりなの背中に問うた。
「なに?」
「せりなちゃんが言う「あの人」って誰?」
せりなはピタっと立ち止まった。
「それは『屋上』に行って確かめてみてよ」
そういって彼女が壁に前蹴りを食らわせると――
「わっ!」
壁の一部のみがグラっと前に倒れ、その向こうに隠し階段が現れた。
「じゃあね」
せりなはコツコツと音を立てて階段を降りてゆく。
「……ねえ仁くん」
「なんですか?」
「『あの人』って誰かわかりますか?」
「ええ。半ば確信しています」
「私も」
天音はある女性のことを頭に浮かべながら、仁の体に再び張り付いた。
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