第12話 ぷるんぷるんin奈良
それからおよそ一ヶ月半が経過した。
夏休みも終わり、すでに二学期が開始されている。
本日は九月二十四日。月曜日。
『二番ホームより、新幹線のぞみ博多行きが発車致します』
仁たちを乗せた新幹線は朝八時ちょうどに東京駅を出発した。
窓際で旅のしおりをめくる仁の横では、レイがいつもの無表情で頬杖をついて座っていた。
「ねえ仁」
「なんだ?」
「今日はあの子の隣にいなくていいの?」
と小林せりなたちとトランプをしている天音を指さす。
「んー? なんか男子と女子で隣に座るのも違う空気じゃないか?」
新幹線内の席は自由だが、だいたい女子のブロックと男子のブロックにわかれている。
「別に付き合っているわけでもないし」
公然とつきあっているカップルの中には隣同士座っているものもあった。
「ふーーーーん。まあどうでもいいけど」
そういってレイはぷいっと顔をそらした。
「なんだ? 今日も機嫌悪いのか?」
「ちょういいよ」
全くの棒読みでそのように述べた。
「ふーん。まあいいや。レイはどこに行くのが楽しみ? 東大寺の大仏? 金閣寺?」
「僕は無神論者だから、神社仏閣なんて興味ないよ」
「じゃあどこ?」
「…………奈良公園。それ以外は興味ないよ」
「そっか! おまえは動物好きだもんな。そういうところは可愛げあるな」
仁はそういってレイの金色の髪の毛をなでる。レイは嫌そうにそれを振り払い、髪の毛を直した。
隣に座っていたメガネをかけた女子二人組はそれをみて小さな声でキャーキャー言っている。
そこへ――。
「おはょう……仁くんと、それからあなたは葉月レイくんだったかしらぁ……?」
やってきたのは神秘的な真っ黒な瞳と、ミサイルのような胸が特徴的な美女。保険医の黒川魔美だった。
「なんですか? その格好?」
魔美はまっ黄色なジャケットに黄色い帽子、それに丈の異常に短いスカート。これはいわゆるバスガイドさんスタイルである。
「あのねぇ……修学旅行といえばバスじゃなぃ? だからバスガイドのコスプレで来たんだけどね。うっかり新幹線だったの。だから場違いになっちゃったぁ……」
「そ、そういう問題ですかね」
突然赴任してきて数ヶ月。初めの内は少々不気味がられていたが、いまやその美貌(爆乳)とぶっ壊れたキャラクターにより「美人なのに気取らない面白い人」というポジションを獲得。すっかり人気者となっていた。最近では魔美ちゃんファンクラブなるものが組織されるほどである。
「先生それAVっぽさがハンパじゃないですよ」
レイの冷淡な(しかしもっともな)ツッコミを魔美は妖しい微笑みで受け流した。
「魔美ちゃん先生ー! ねーこっちで一緒にお菓子食べようよー!」
魔美ちゃんファンクラブの筆頭、小林せりなが彼女を手招きで呼び寄せた。
(そういえばあの二人仲良かったっけか)
「ええ。いいわよぉ……」
魔美は踵を返し仁たちの元から去っていった。
「魔美先生、すっかり学校に馴染んでるなあ」
「ねえ。あの人って『トコロドラッグ』の件になんか関係あるの?」
レイ頬杖をつきながら仁に問う。
「いや。ない……はず」
「じゃあさ。なんで保険医が修学旅行について来てるの」
「さあ……」
一行は十一時八分に奈良駅に到着。
まずは『奈良の大仏』として知られる廬舎那仏のある東大寺に向かった。
「はあ。いいなァ。私お寺とか神社って大好きなんです」
天音は穏やかに目を細める。
「ほお。なにか理由があるんですか?」
「ウチの家って元祖欧米かぶれといいますか、なにをやるにも洋風、洋風で、逆に反発心でなんでも和風のものが好きになりましたね」
意外とパンクな理由だ。と仁は思った。
「なるほど。そういえばお好きなBL作品も歴史ものが多いですよね」
「しーーーっ! 外ではその話しちゃダメだって!」
「――あっ。ホラもうすぐ大仏ですよ」
大仏の前には魔美が小林せりなをはじめ、たくさんの生徒に囲まれて立っていた。
「あらぁ……大きいわぁ……私のダーリンもこれくらいのブツを持っていればよかったのに。仏だけに」
「ええ!? 魔美ちゃん先生カレシいるの!?」
「ふふふふふ。さあねぇ……」
「あっ! その感じ! ゼッタイいるでしょ! どんな人なの!?」
きゃいきゃいとコイバナではしゃぐ女子たち。
「あの人の彼氏ってどんな人だろう……」天音が疑問を呈する。
「まァ相当な変わり者でしょうねえ。それから凄まじいブラックホールみたいな包容力があるか」仁は結構失礼なことを言った。
昼ご飯は東大寺近くの小料理屋にて奈良名物の柿の葉寿司を食した。
天音は泣いていた。
「そう気を落さないで下さい天音さん。また次の機会がありますよ」
「でも。なかなか奈良なんか来ることないもん」
天音の目の前には柿の葉っぱに包まれた、可愛らしい小さなお寿司が並べられている。食いしん坊な彼女にとって、これを食べることができないという事実ほど悲しいことはなかった。
「治ったら僕が一緒に行きますから!」
「えっ!? 泊まりで!?」
「あっ……すいません。セクハラでしたかね……。でもしょっちゅう僕の部屋来たりしてるじゃないですか」
「それはそのこういう状態だからできることであってですね」
「そうか……」
「二人とも。周りに聞こえてそうだけど大丈夫なの? ボクはどーでもいけどね」
とまあここまでは良かったのだが。
――事件が起こったのは奈良公園。
「キイイイイイイイイヤアアアアアアアアアアアア!」
奈良公園には一二〇〇頭以上の野生の鹿が住んでおり、柵や檻などなく自由に人間と触れ合える状態になっている。そのため毎年一〇〇人程度はケガをする者がいるのだが――
「イヤアアアアアアアアア! 食べられる食べられる!」
「天音さん!」
まだ草食動物である鹿が人間を食べたという報告はされていない。
ちなみにところてんの主な原料はテングサという海藻。いってみれば草である。
「どおりゃあああああああ!」
仁は天音をペロペロと舐め倒す雄鹿をムリヤリ引きはがした。
「ケーーーーン!」
鹿は独特な咆哮を上げながら体勢を整えると、再び天音にアタマから跳びかかった。
「舐めるなァ!」
仁はその立派なツノを両手で掴んだ。そしてその体を押し返す。
「ぐぬうううう!?」
しかし。いくら仁が強靭な肉体を持っているとは言っても、凶暴な野生動物にはそうそう敵うものではない。徐々に押し返されてゆく。
(ぬうう! それならば! この突進力を逆に利用してやる!)
仁はツノを掴んだ両手にさらに力をこめると――
「うおおおおお!」
ツノを持ったまま、後ろに仰け反るようにして鹿をブン投げた!
いわゆる人間風車。ダブルアームスープレックスである。
「ケエエエエエエエエエ……」
地面に背中から叩きつけられた鹿は切ない泣き声をあげた。
「よし。悪い子にはおしおきだ」
そういって仁はポケットに忍ばせておいたアーティスティックサバイバルセットのひとつを取り出した。
「ブラッシュト―チャー(筆でこちょこちょ)!」
「ケンンンンンン…………!」
鹿はなんともせつない泣き声を上げると、目を閉じてガクっと全身の力を抜いた。
「……ふう。危なかったですね。天音さん。今の内に早く行きましょう」
「え、ええ! ありがとうございます!」
天音の手を引いて足早に立ち去ろうとする。が。
「ケエエエエエン」
さっきの鹿がいつのまにか真後ろにいた。彼は仁の足に首をじゃれつかせてくる。
「仁くん懐かれちゃってますね。『懐獣術』っていうヤツですか?」
「こちょこちょで変なスイッチが入っちゃったのかも」
早足で彼を引き離す。しかし。ピッタリ後ろをついてくる。
「しょうがないなあ。ついてきてもいいけど、もう天音さんを食べちゃだめだぞ」
「ケン!」
そういうと鹿は仁の頬をペロっと舐めた。
「よしいい子だ。じゃあ鹿せんべいを奢ってやる。ツノタロー。ついてこい」
「あ、もう名前つけてる」
十七時半頃、一行は旅館に到着した。
荷物を置いたのち一階の食堂に集合。
「ツノタロー。食堂には入ってきちゃダメだぞ。ちゃんと廊下で待ってるように」
夕飯はこれまた奈良県名物の飛鳥鍋であった。
(美味しそうだ。天音さんは食べられなくてさぞガッカリしてるだろうなァ)
仁は少し離れたところにすわっている彼女をチラっと見た。すると――
「すいませーん! 今気分悪いんで部屋に持って帰って後で食べます!」
そういって浴衣のふところからタッパーを取り出し、鍋の中身を次々とつめ始めた。
「では!」
すごい勢いで立ち上がり仁の方を一瞥、親指を立てた。
「失礼します!」
しかるのち、風のように食堂を後にする。
「……そういえば。彼女、保冷材大量に買ってたなあ」
「あの子結構変わってるよね」
レイが天音に関する見解を述べる。
仁はおまえが言うなと言いたかったがブーメランになるのでやめておいた。
「とはいえ。保冷材だけじゃ不安だな。あとでアブソリュート・ゼロ・フリーズ(ブリザードフラワー用の液体窒素)でカチカチにしてあげよう」
「それなら腐らないとは思うけど。それで食べて美味しいの?」
――と次の瞬間。食堂からどよめきと歓声が上がる。
舞妓はんのコスプレをした魔美がふすまを上品に開いてはんなりと現れたからだ。
「京都は明日だけど……間違えちゃたのかな?」
「仁。そういう問題でもないよ」
彼女はどこで習ったのか、華麗な舞を踊り始めた。
「いいぞー! 魔美ちゃん!」
せりなの歓声が食堂に響くと、他の生徒たちもそれに続いた。
「まあ小林さんがああやってのっかってくれるからあの人も安心して弾けられるんだろうな」
「ホントにあの人は大丈夫なの? 怪しい人物じゃない?」
「わからんけど……多分そんなことない」
「あっそ」
夕飯の飛鳥鍋を完食し、温泉にも入った。
日程としてあとは部屋に帰って寝るだけ。
とはいえ。修学旅行の夜がそんなもので終るわけがない。
「枕投げ大会!」
仁のクラスメイトのお調子者、佐藤くんの音頭により大会の開始が宣言された。
場所は二年C組の男子部屋。
部屋の中央には浴衣の帯を何本も繋げて、なにやらドッジボールのコートのような、長方形を二つに分割したラインが引かれていた。
それを囲むようにして三十人以上もの生徒たちが集まっている。
男子生徒も女生徒の割合はちょうど半々くらい。
そこには仁と天音の姿もあった。
「ツノタロー大人しくみてるんだぞ。コートに入って来ちゃだめだ」
「では第一試合を開始致します!」
私立央成高校の修学旅行における枕投げとはただ枕を投げあって、きゃっきゃうふふするだけの遊びではない。れっきとした競技である。
ルールは以下の通り。
・試合は2対2のタッグマッチで行う。
・チームは男女ペアで組むこと。
・浴衣の帯を使って、長方形を二つ分割した形のコート(ドッジボールのコートをイメージされたし)を作り、分割された片一方をAコート、もう一方をBコートとする。
・Aコート、Bコートのそれぞれに枕を5つづつ配置する。
・Aコートに配置されたチームはBコートに自陣の枕を投げ入れ、Bコートのチームはその逆を行う。全ての枕を相手チームのコートに投げ入れるか、試合時間終了時点で自陣にある枕が少ないチームの勝ちとする。
・よーするに自陣のまくらを相手コートに押し付け合うゲームである。
・試合時間は5分。
・制限時間終了後、両軍の枕の数が同数である場合は延長戦。それでも決着が着かない場合は男性メンバー同士の殴り合いにより勝敗を決定するものとする。
・教師の見回りが来た場合は速やかに電気を消して布団の中に隠れること。
「それでは第一試合の出場選手を紹介いたします」
佐藤のアナウンスが会場に響いた。
「Aコート男子! いっけんクールなナイスガイだが結構変なヤツ! 品行方正ながらもたまに見せる奇行がナイスなギャップ! いかにも秀才の顔立ちながら勉強は全くできないぞ! 『静かなる変人』! セキマチイイイイイイイイイジイイイイイイイン!」
拍手と歓声が巻き怒る。
仁は立ち上がり、入口から見て手前側の『Aコート』に立った。
「Aコート女子! 央成高校きっての美少女! 透明感バツグンのキレイさで男に女にも大人気! 最近ではセキマチの奇行へのツッコミが意外とキレがあって面白い、という変な方面のファンも獲得しているのがこの女! ミス透明感! さいおうじょおおおおおおおおお! AMANEEEEEE!」
浴衣姿の天音が立ち上がりコートに立つと、仁のときの三倍ほどの歓声が沸き上がる。
「続いてBコート男子! とにかくカワイイ! 可愛すぎる! その日本人ばなれした可憐なルックスと、本人無自覚な女装癖により学年の男子の八十五%を男色に目覚めさせたのがこの男! 日本の少子化をまずます推進させていくのか!? 『ミスター&ミセス男の娘』ハヅキイイイイイレエエエエエエエエイ!」
コートに立ったレイは仁を睨み付けた。
(まさかレイと闘うことになるとは……しかしペアは……?)
それにしてもピンク色のオフショルダーTシャツの下にしましまのタンクトップを着て、下はスパッツというスタイルはどうだろう。少々あざとすぎはしないだろうか。
「最後にBコート女子! そのちょうどいい可愛らしさと明るくノリのいいさっぱりした性格でモテまくり! しかしカレシは絶対作らない! 意外と謎の多い女! こばやしいいいいいいいせりなああああああ!」
仁と天音は驚きに目を見開く。
「これは意外だったな。レイと小林さんのペアとは」
「せりなちゃんと葉月くん、仲いいんだっけ?」
「そういえばクレー射撃の銃直したとかってのは聞いたけど」
「まあ『央成流枕投げ』ではこういうこともある」
レイが答えになってない答えを返す。
Bコートの二人はアイコンタクトを交すとすぐに臨戦態勢に入った。
(おっと……そんなことを詮索している場合ではない。試合に集中しないと)
「それでは試合スタート!」
佐藤の合図で試合が開始される。
この央成流枕投げ。一見大事なのは『枕を拾うすばしっこさ』や『枕を投げるスピード』に思われるが実はそうではない。
(重要なのは『枕ボレー』!)
この競技、相手から投げ入れられる枕を黙って見ていては決して勝利することはできない。
大事なのは飛んでくる枕を――
「そりゃあ!」
今、仁がせりなの投げた枕を足で弾き返したように、自軍に投げ入れられた枕を空中でサッカーのボレーシュートのごとく弾き返し、本来こちらの陣地に入るハズだった弾を相手陣地に入れ、『マイナス1』を『プラス1』にする二点プレイ。これこそが『枕ボレー』だ。
もちろん攻める側も黙ってそれをさせるわけはない。
「うおおおおおおおおおおおお!」
今仁がやっているように思い切り枕を振りかぶって高速で枕を投げつけるのが『枕ボレー』を防ぐもっともオーソドックスな方法だ。このスピードにおいて仁を上回るものは恐らくいないであろう。せりなが必死に弾き返そうとするがそのスピードを捉えることはできない。
これに対してレイは。
(葉月くん……うまい! くっそー! 打ち返せない!)
レイは見事な技巧を凝らして天音を翻弄していた。
バスケットの選手のテクニカルなパスのように背中に手を回して投げる。
相手の股を抜くようにバウンドさせる。
手で投げると見せかけて足で反対方向に蹴り飛ばす。
さらには壁に当ててバウンドさせる。
あげくの果てに変な回転をかけた変化球まで披露していた。
(レイのヤツ! これだからアタマいいヤツのまくら投げは――!)
『両者一進一退のまま! 残り5秒です!』
陣地にある枕の数は四対六で仁たちがリード。
しかし。今まさにレイが枕を構え投げつけようとしていた。
「止める! うおおおおおおおおお!」
仁がライン際のレイに猛然と迫る!
プレッシャーをかけ強引にシュートコースを塞ぐ作戦だ!
「単純バカ。これで終わりだよ」
レイはゆっくりとすくい上げるようにして右手を動かすと枕をふわっと空中に浮かせた。
これぞレイの切り札『ループシュート』。
同名のサッカーの技とほぼ同じ技術だ。
枕が仁の頭上を通過する。
客席(?)からは溜息。だが。
「くっ! あきらめるかあああ!」
仁は体を反転させレイに背を向けると。
――飛んだ!
体をバク宙させて枕を空中で捉える!
『こ、これは、オーバーヘッドキック!? ぶは!』
吹き飛んだ枕は実況席(?)の佐藤に向かってまっすぐに飛んでいった。
(勝った!)
畳の上に仰向けに倒れながら勝利を確信する仁。だが。
「ふーん、ムダに頑張っちゃったね。でもこれでおわりだよ。ステルスシュート」
そうつぶやきながら、レイの背後からまくらを無造作に放り投げたのはせりな。
「――しまった!」
仁は倒れたまま。全く反応できない。
だが。
「させないいいいいいいいいい!」
天音が動いた! せりなが投擲した枕の落下点に向かってヘッドスライディング!
懸命に手を伸ばす!
「――遅い!」
「――足りない!」
天音のピンと伸ばした指の先は枕にわずかに触れたのみ。相手陣地に枕を返すまでには至らない――かに見えたが。
ぷるんっ!
天音の中指の先っちょはアンビリーバブルな弾性力を持って枕を大きく弾き飛ばした!
客席からはうおおおおおおおお! という怒号のような歓声!
と同時に試合終了を告げるアラームが鳴り響いた。
オーバーヘッドキックのダメージから回復した佐藤がマイクを握る。
『なんと西桜所選手起死回生のボレー成功! 五対四で仁・天音組の勝利! これはまさに枕投げの歴史に残る名勝負だああああああああああああ!』
客席からは歓声。そして大アマネコール。
仁と天音は固い握手を交わし勝利の喜びを噛み締めた。
――だが。
「こおおおおおらああああ! なにを騒いでるんだキサマら!」
体育教師の尾崎先生が怒鳴りこんできた。
まァアレだけ騒いだなら、そうならない方がおかしい。むしろ遅すぎるってなものだ。
「マズイぞ! みんな隠れろー!」
電気を消して部屋の隅っこに寄せられた布団を慌てて敷き、掛布団に身を隠す。
やべえやべえといいながらみんな実に楽しそう。みんなむしろこれがやりたくて枕投げをやっているくらいの勢いである。
央成高校出身の尾崎先生も、ぶっちゃけ空気を読んでわざとちんたら部屋に入ってきてくれている。
(楽しいー!)
仁もノリノリで布団の中に隠れた。
すると。
(この柔らかい感触は……)
寝そべった仁のカラダの下に誰かがいる。
信じられないくらいに柔らかい感触。
さらさらと頬を撫でる髪の毛。
鼻腔を刺激する甘い香り。
耳を直接当たる甘い吐息はハァハァ……と荒いビートを奏でている。
さらにはドクンドクンという心臓の音まで聞こえてきた。
(これは……ヤバイ……!)
なんとかカラダを動かしてこの状態を脱したいが、それはそれでまずいところが擦れてしまいシャレにならないような気がする。
(早く出ていってくれ先生!)
こころなしか下から伝わってくる吐息や心臓の音もドンドン荒くなってゆく。
(もしかして彼女も……)
そんな風に考えると余計に心臓が高鳴る。
もう限界だ! というところで。
「おまえら。枕投げしてもいいけど。もうっちょっとだけ声抑えろよな」
尾崎先生が優しい声でそういいながら入口のドアを閉めた。
――静寂に包まれた部屋に再び喧噪が戻る。
(どうしよう……謝ったほうがいいよな……こんな押し倒すみたいになっちゃって)
「あのごめんなさい僕……」
佐藤のおゥい! 誰か電気つけろ! という声の一瞬のち、部屋の灯が灯った。
仁の下で真っ赤な顔をしていたのは。
「――――――――――――おまえかい!!」
仁は思わず叫んだ。
彼の下にいたのがピンク色のTシャツを着た、さらさらの金髪とツヤツヤの褐色肌が美しい少年だったからだ。
「なんだよ。なんか文句あるの?」
「いや文句ってゆうかさあ……なんでおまえそんなに柔らかいの?」
「知らないよ」
「やたらいい匂いするし」
「そんなこと言われても」
「それに吐息がエロい」
「はあ?」
すぐとなりにいた天音はその会話を聞いて、ぷくーっと頬を膨らませた。
普通の人間ではありえない見事な膨らみっぷりであった。
今回も数々の名勝負を残して第一五一回央成まくら投げ大会は終了した。
各々自分たちの部屋に戻る。
「いやー疲れたなー!」
「じゃあ今日はもう寝るか?」
「冗談。夜はこれからっしょ!」
「ああ。布団潜って好きな娘言い合ったりしないと修学旅行の存在意義がないべ」
「だな! じゃあとりあえず布団だけ敷いて――」
五分後。
「くかあああああああああああああああああああああ」
「すぴいいいいいいいいいいいいいいい」
「むにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
「ゼットゼットゼットゼットゼットゼットゼットゼット」
「クゥクゥクゥクゥ」
仁と同室の少年たちは『爆睡』という現象の見事なサンプルを見せてくれた。
「鹿ってこんな風に丸まって寝るんだな。まったく可愛い奴だおまえは」
ツノタローも当たりまえのように部屋のド真ん中で我が物顔で寝息を立てている。
(さて。僕はもう一仕事しないとな)
そういって仁はブルーシートに包んだ石膏型を抱え、天音との待ち合わせ場所に急いだ。
二人の作戦はこうだ。
みんなが寝静まったあと、カップルや家族が一緒にはいるための個室の風呂である「家族風呂」にてシリコン型の中に天音を入れる。
天音の入ったシリコン型を自分の部屋に運び寝る。
みんなが起きる前に再びシリコン型を持って家族風呂へ。そこで天音に服やらなんやらを着せて、なに食わぬ顔でお互いの部屋に戻る。
(完璧な計画だ。しかし)
仁は軽く溜息をついた。
(天音さんと一緒に温泉。しかも家族風呂。夢のようなシチュエーションではあるが、一緒に入ることはできないんだよな。……いやそんな自分の妄想はいいとして。ここまできて温泉に入れないなんて可哀想だな。食事もできなかったし)
などと先程受付でもらった家族風呂のカギをチャリチャリ鳴らしながら、ロビーで天音を待っていると。
「おーーーーい!」
ほどなくして天音が現れた。
改めて浴衣姿が大変よろしい。薄紅色の浴衣に赤の羽織。決して派手なものではないが、そこはかとなく色気がある。
彼女はなぜか顔に満面の笑顔を浮かべていた。
「こんばんはです」
「こんばんは! じゃあ早く行こうよ!」
そういって仁の背中をぐいぐいと押してくる。
「な、なんかエラくご機嫌じゃありません?」
「ふふふ。これなーんだ」
「あっそれは!」
天音が手に持っていたのはレイに作ってもらった「オヨゲールくん」のボトルだった。
「あ! なるほどそれがあれば温泉入れますね!」
「そういうこと! この前みたいに塗り過ぎないようにしないとだけどね!」
仁は家族風呂の入り口の外で天音の着替えを待っていた。
彼女いわく最近は入浴着なるものがあって男女でフランクに混浴することができる。とのことだが。
(どんな服なんだろう……あんまりエロいと、ある意味で困るんだが)
しばらくして。
「あのー着替え終わったんだけど……」
天音から小さな声で呼び出しがあった。
仁はそーっと扉を開く。
「おお!」
「ほらーやっぱりジロジロ見ると思ったー」
脱衣場に立つ彼女の入浴着は、ヒザ丈のワンピースタイプの形状をしていた。色は地味なベージュ色。隠すべきところは確実に隠れてはいるし、体のラインが極端に浮き出ているようなこともない。それでも思春期の男子にとっては「密室で二人きり」「この下にはなにも来ていない」「オヨゲールくんでぬるぬるしている」「恥ずかしがって首まで真っ赤」などの要素も加味して大変刺激の強いものであった。
「もう! どんだけ見るのよ! 私先入ってるから、キミも入浴着に着替えてから来てね!」
「えっ! 僕もそんなカワイイヤツ着なきゃなんですか!?」
「そんなわけないでしょ! キミのはコレ!」
天音は男性用の入浴着を強めに押し付けると、脱衣場を出て湯船のほうに向かう。
男性用の入浴着はなんだか原始人チックなワンショルダータイプのものだった。
「失礼しまーす……おお……露天風呂か……」
着替えを終えて脱衣場を出るとそこには小さな日本庭園が広がっていた。
ひのきの板で仕切られたこじんまりとした空間。
地面には真っ白い小石が敷き詰められて、小さな松の木が植えられている。
ししおどしが奏でるカポーンという音。ぼんやりとした灯篭の灯が優しくと暗闇を照らす様子も大変趣があって快い。
「ははは。仁さん。入浴着が結構似合いますね」
そしてもちろん真ん中には大きな浴槽が置かれている。まんまるい形の木製のお風呂だ。
「早く入りましょうよ。本当にいいお湯ですよ」
天音は湯船につかったままこちらを振り返るとにっこりと微笑んだ。
「では失礼します」
仁は少しだけ距離を開けて天音の隣に座った。
「ふうううぅぅ…………お湯もいいですし、ロケーションも素晴らしいですねえ」
空を見上げれば満天の星。
「ホントにそう……」
天音はうっとりした声を発した。
「どんな感覚なんですか? その状態でお風呂に入るって」
「んーそうですねえ。あんまり水に浸かっているっていう感覚はないんですけど、あったかさは伝わりますよ。これはこれですごくきもちいいです」
「それならよかったです」
仁は多幸感に大きな溜息をついた。
「ふふふ。いい溜め息ですね」
「ご、ごめんなさいおっさん臭かったでしょう」
「ちょっとだけねー。……ねえ。提案があるのですが」
「なんですか?」
「あのね私もですね。仁くんみたいに全力で力を抜きたくてですね」
「?? ええ」
「そのためには例のスライムチックな状態にならなくてはいけないんですけど……なってもよい?」
両手の人さし指をつんつんと合わせながらそのように述べた。
「もちろんです。いいに決まってるじゃないですか」
「ホント?」
「むしろなんでダメだと思ったんですか」
「いやあんなぶるぶると一緒にお風呂とか入りたくないかなと思って」
「いまさらですよ! 散々その状態で一緒に遊んだじゃないですか」
「そういえばそうですね」
そういうと天音は体をトロかせるようにしてぷるぷる状態に戻った。
「ふいぃぃぃー! 極楽極楽……」
おっさん臭い息を吐く天音。仁は優しく微笑んだ。
「でもそうかー。私がこの状態でいる夜も今日で最後なのかー」
「そうですね。……改めて本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ! そんな! こちらこそ長い間こんなキモいのに付き合わせてしまって……」
「キモイなんてとんでもない。とても可愛かったですよ」
「はあ!?」
「いえなんか感情表現が豊かでカワイイなあと」
「そんなわけないじゃん! なに言ってるのもぅ!」
そういってカラダの一部を触手のように伸ばし、ぽかぽかと肩にパンチを喰らわせてくる。
仁は思った。ホラ。今まさにかわいい。
「まあちょっと惜しい気もしますけど。ずっとこのままってわけにもいかないですからね」
「うん」
仁は明日のことに思いを巡らせる。
「大丈夫だとは思いますけど、明日は一応気をつけましょうね」
腕を組んで少し険い表情。
「あまり不安にさせるのもどうかと思うのですが、一応情報共有しておくと。やはり父がいっていた通り、トコロドラッグを作ったというテロリストには気をつけたほうがいいかもしれませんね」
天音も腕(触手)を組みうーむとつぶやく。
「以前僕をつけているヤツがいたけどなんとかまいたって話をしたじゃないですか」
「ええ」
「今思えばその男……例のカキ氷フェスでぶつかってきた男と同一人物だったような気がするんです」
「なんと……」
「まあ随分前のことですし杞憂かもしれませんが」
「うーん私もそれとは別で、気になってることがあって」
天音が湯船にまんまるの状態でぷかぷか浮かびながらつぶやく。
「あの保険の先生の魔美さんのことなんですけど」
「あーーーー……」
「彼女が赴任してきたのって例のところてんが届いてすぐだったじゃないですか。あまりにタイミングが不自然といいますか」
「確かに……」
「それにこの旅行についてきているのも異常な感じがします」
「保険医は普通はついてこないかあ。普段からの奇行を見ているとそんなに不自然でもないというカンジもしますけどね。逆説的ですが」
「まーでもなー。あの勘がよくて人を見る目のあるせりなちゃんがすっごい懐いてるからなー。悪い人ではないのかなーという感じもしてきますけど」
二人して腕(触手)を組んで考え込んでしまう。
数分後。沈黙を破ったのは天音だった。
「でも大丈夫ですよ!」
触手で仁の肩をポンポンと叩いた。
「だっていまの私ってさ。テロリストが切り札にする最強の生物兵器なんでしょう? 実際、今の私ならなにされても死にそうにないなーっていう実感があるんです」
仁は「ハハハ」と声に出して笑った。
「前から思っていたんですけど。天音さんって本当に強い人ですよね」
「強い?」
「ええ。だって普通は何ヶ月もところてんみたいになって過ごせ、なんて言われたらとても天音さんみたい明るくはいられない気がします」
「あーーーー……言われてみればそうかも……昔っから細かいこと気にしないというかのんびり屋なんですよね」
ちょっと照れ臭そうに体をぷるぷる震わせた。
「でも。このぷるんぷるん生活。結構楽しかったんですもん。毎日が刺激的で」
「そう――ですか」
「仁くんあのね。私トコロソルジャーになっちゃったこと全然後悔してないよ。仁くんはずっとそのこと気にしてくれてるみたいだけど」
「天音さん……」
仁は天音のツルツルの体をまっすぐに見つめた。
「それに。こうなっちゃったおかげで仁くとも仲良くなれたしね」
「……確かに。ちょっと前だったらこんなところで二人きりなんて考えられませんね」
「いやそれ以前に、普通の女の子のカラダだったら男の人と密室で二人キリなんてムリだよ」
二人はそりゃあそうだと笑いあった。
「でもそうか……」仁が少し憂いを含む声で呟く。「天音さんが元に戻っちゃったら。もう一緒に部屋でゲームしたりテレビみたりすることはできないんですね」
仁がそういうと天音はなぜか全身をハリネズミみたいに尖らせた。
「――いてっ! ど、どうされたんですか!?」
「ふん。よわき。ヘタレやん。ばーか」
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