第8話 ぷるんぷるん帰宅

 選択授業のリアルバウト総合格闘技を終え、仁は保健室の天音を訪ねる。

「失礼します」

 ドアを開くと、横向きで入口の方を見ていた天音とバッチリ目が合った。

 仁は慌てて首をちょこっと曲げて目を逸らす。

 その様子を見て天音はクスっと笑った。

「西桜所さん。お加減は大丈夫そうですか?」

「ええ。まだちょっとだけボウっとしますけど」

 部屋には天音と仁の他には誰もいない。

「先生はどちらへ……?」

「まだあすとらるせかい?? というのから戻られていません……」

「では今の内に帰るのが無難ですかね」

 二人は荷物をまとめて部屋を後にした。


 校門をくぐって、一路くずきり荘を目指す。

 校門を出てまっすぐ三分も歩けば例の商店街に突き当たり、そこを抜ければすぐに目的地が左手に見えてくる。普段なら時間にして十分ほどの道程だ。

 ――しかし。

「ふう……ふう……」

 天音の足取りがだいぶんあやしい。かなり疲れが溜まっているようだ。

「やはりその状態を保つのはかなりきついですか?」

「うん……イメージとしてはずっと歯を食いしばってなきゃいけないって感じかなァ」

「そうなると……ずっとその状態はムリか……やはり家に帰ったら元のぷるぷる状態に戻ってリラックスした方がいいかもしれないですね」

「ですねー。そうしないと体がモタないよ……」

 フラフラと歩く天音を見かねた仁は――

「あの! 天音さん!」

 立ち止まってやや上ずった声で叫んだ。

「なに?」

「その……歩きづらそうなのでなんていうか――」

 後頭部をボリボリと掻く。

「僕のカバンとか、服の裾とか袖とか、ズボンのベルトとか……なんかに捕まって歩いて頂けるとよろしいかなーと思いまして」

 天音は一瞬驚いた顔、それから花が咲くように笑った。――そして。

「えいっ」

 仁の学ランの左腕、袖口についているボタンをきゅっと摘まむと、黙って歩き始めた。

「さっきより歩きやすいです♪」

「そ、それならよかったです」

 恋人同士が手をつないで歩くことより二ランクくらいスケールの小さいことをしながら商店街を歩く二人。それでも仁の胸は温かいもので満たされてゆく。――だが。

 ――ドン!

「いってーなコラ!」

 髪の毛を金に染めた学ラン姿の男が仁の肩にぶつかってきた。明らかにワザとであった。

「このクソリア充が! テメー女なんか連れてチャラチャラしやがって!」

 俗に「リア爆発しろ!」という言葉があり、インターネット上などでよく用いられる。しかしながら実際に町を歩いているカップルを爆破して回る人間は普通いない。そんなことをしても虚しいだけだからだ。

「女連れて歩いているヤツだけは許さねえ!」

 この男はそれを実践してしまう「リア爆」過激派らしい。

「ひっ! に、逃げましょう!」

 身長一八〇センチを優に超えてかなりガタイもよいその男と、中背やせ型の仁を見比べて天音はそのように促した。――しかし。

「大丈夫です天音さん。後ろに下がっていてください」

「ええ!? そんな! ケガでもしたら!」

「安心してください。全くケガなんか『さぜすに』退治してみせます」

「――ほお! 大した余裕じゃねえか!」

 男は指をポキポキと鳴らした。

「それ意外と大きな音出すの難しいですよね。あなた器用です」

 仁は男と同じように指を鳴らそうとするが、聞こえるか聞こえないかぐらいの音しか発っせられなかった。

「なんだコラ! ナメるんじゃねえ!」

 男が仁に迫る。だが。

「フッ……!」

 仁はそれを簡単にかわし――

「ギャッ!」

 男の右足をちょんとひっかけた。

 彼の体は地面を離れ一回転、仰向けで地面に叩きつけられた。

「ダウン攻撃をさせて頂きます」

 そういって仁は鞄に手をつっこみ――

「アーティスティックサバイバルセット! ファイティングブラシ!」

「出た! 関町くんのあーてぃすなんとか!」

 仁は両手に絵筆を持ち、ムダにかっこよくクロスさせて構えた。

「くらえ! ブラッシュ・トーチャー!」

 そして技名をさけびながら攻撃をしかける。ちなみにブラッシュ・トーチャーとは『筆でくすぐる』という意味である。

「んんんんんんんんーーーー!? ギャハハハハハハハ!」

 仁が男の腋の下をこちょこちょすると、男は顔中の穴という穴からあらゆる体液を垂れ流し悶絶した。

「参りましたか?」

「まいったああああ! 俺はまいったああああああ!」

 男のギブアップ宣言に仁はにっこりと微笑んだ。

「では天音さん。参りましょう」

「は、はい!」

 天音は再び仁の袖をつかみ歩き出す。

「あのー仁くん」

「なんですか?」

「本当に武闘派だったんですね……」

「昔ですよ。昔」

 金髪男は仰向けのまま二人の背中を見つめ、荒れた呼吸で呟いた。

「仁くんってゆうのか……すごいテクニック……スキ……」


 トラブルがありつつも、二人は無事くずきり荘に辿りついた。

「ふううう。やっと着いたぁ……」

 天音は肩を落としながら大きく息をつく。

「本当にお疲れ様です。元の姿に戻ってよーくリラックスしてください」

「うん。ありがと。ねえ。元に戻って服だけ脱いだら関町くんの部屋に行ってもいいかな? いろいろ相談したいことがあるので」

「え、ええ。もちろんかまいませんよ」

「ありがとうございます。それじゃあまた後で」

 仁は思った。――セリフだけ聞くとめちゃくちゃエロい。と。

 とはいえ、もちろん彼女があのような状態では変な気なども起こしようがないが。

(いや待てよ。あのぷるんぷるん股間をつっこんだらとんでもない――)

 あまりのゲスな思考を恥じ、頭をふりながら仁は部屋に戻った。


 ――ピンポーン!

 今度は鍵穴からではなく、チャイムを押して入ってきた。

「こんばんはー」

 キモチ機嫌の良さそうな声である。

(人間の姿でいることから解放されたとはいえすごい適応力だ。天音さんって意外と大物?)

 仁が冷蔵庫から取り出したスプライトをグラスに注いであげると、天音はそれを体にちょろちょろとかけておいしそうに飲む。

「あー落ち着くなー」

 そして体を平べったくしてペタ―と床に広がった。

(なんか……すごいかわいいな……僕はなにか変なものに目覚めてないだろうか……?)

「と、ところで。相談ってなんですか?」

「あっそのまえに。今日はホントにありがとうね。なんども守ってくれたでしょう?」

 天音は透明な体をぷるぷると上下にゆすった。本人的にはお辞儀をしているつもりらしい。

「当たり前ですよ。僕のせいなんですから」

「まあぶっちゃけ九割くらいよくばって食べまくった私が悪いですけど……でもそうじゃなくてね。気持ちが嬉しかったの」

「はあ」

「いつもクールな関町くんがテンパってるのがかわいかった」

「そうですか……? かわいいなんて初めていわれました。可愛さでいえば天音さんのほうがはるかに上だと思いますが」

「な、なに言ってるの!? 私と関町くんを比べるイミがわかんないし、今私こんなかっこうだし」

 天音は照れくさそうにピョンピョンと飛び跳ねた。

「いえ。その感じちょっと可愛いです」

「カワイイわけないでしょ! もういいよ! とにかく! ありがと!」

「どうしたしまして。でもお礼には及びません。なぜなら。なんというか……いやこういうことは言うべきじゃないな」

「気になるー。思ったこと言ってくださいよ!」

「正直……けっこう楽しかったです」

 天音はぶはっ! と笑いを噴き出した。

「アハハハ! あのね。正直私も楽しかった!」

 二人は顔を見合わせてひとしきり笑った。片方は顔ないが。


 ――で。

 彼女の相談とはシャワーを浴びて問題ないか。ということだった。

「大分汚れちゃってるでしょう? ちょっと気持ち悪くて」

「ふうむ……ちょっと聞いてみますね。今たぶん寝てる時間だから――」

 仁は父にトコロソルジャーの入浴に関する質問メールを送信した。

 すると数秒後、仁の携帯が震動する。

「――あれ。早いな。もう返信きましたよ」

「お父様はなんと?」

「シャワーぐらいなら問題ない。もともと生物兵器やし。と書いてあります。あまり熱いお湯を浴びたり、湯船に入るのはやめておいたほうがよいとのことです」

「わかりましたー! じゃあ浴びてきます!」

 天音はピョンピョンと跳ねて部屋から出ていった。

 ――しばらくして、隣の部屋からものすごい卑猥な声が聞こえてくる。

 数分後。また玄関のチャイムが鳴った。

「ダメでした」

「ダメでしたとは……」

「シャワーはその……刺激が強すぎるんです」

 仁にとってもさきほどの声は大分刺激が強かった。

「桶に水をすくってチョロチョロ流したりできませんか?」

「そんな器用なことは……。それによく考えたら自分でカラダ拭くこともできないし。それで……ね」

 目があるわけではないのだが、彼女が自分をじっと見つめていることが仁にはよくわかった。


「で、では始めます!」

 彼の部屋の風呂場にゲル状とはいえ女性が入って来るのはこれが初めてであった。

 心臓がドクンドクンと波打つ。

「お、お願いします!」

 緊張しているのは天音も同じらしく、さきほどから風船のようにふくらんだりしぼんだりを繰り返している

「では一発目! いきます!」

 桶にすくった水をちょろちょろと垂らす

「んひゃあああああああ!!!」

「大丈夫ですか!? 痛かったですか!」

「い、い、痛くはないよ! 続けて下さい!」

「ではもう少し声を抑えて頂けると……近所の耳も気になりますし、なんか変な気分になるというか」

「すいません!」

 もういちどちょろちょろ。

「――んんんんんんんん!」

 今度はかみ殺すような声を発した。

(あかん。これはこれでいかん気持ちになる)

「――んんんん……! アッッ……」

(無だ! こころと下半身を無にするんだ!)

 仁はこれまで味わったことのないムズムズ感により、この日一睡も眠ることができなかったという。


 行水を終えた彼女は愉快そうにピョンピョンはねながら居間に戻っていった。

 そして喉が渇いたのであろうか、体の一部を器用に触手のように伸ばしてグラスに残っていたスプライトを飲み(浴び)干した。

「あの。部屋着びちゃびちゃになってしまったので僕もお風呂に入ろうかと思うのですが」

「はーい。じゃあテレビ見て待っててもいいですか?」

 この子けっこう天然か? 仁は思い切り自分を棚に上げてそのように思った。


 風呂から上がった後。

 仁はインスタントラーメン、天音はウイダーインゼリーの夕飯を済ませ――

「ブッ! ハハハハハ!」仁が飲んでいたウーロン茶を弱冠噴き出す。

「やばい私これスキ! キャハハハハハ!」天音はぷるんぷるんと跳ねる。

 たまたまやっていたお笑い番組が案外面白く、気づいたら夢中になっていた。

 天音がふと時計を見ると、

「あっもうこんな時間!」

 時計の短針は十の文字を指していた。

「わたしそろそろ帰りますね」

「わかりました。なにか困ったことがありましたらいつでも来てください」

「ありがと――あっそうだ。最後にひとつだけ相談させてください」

「なんですか?」

「これからどうすればいいかなって」

「これから――ですか?」

「ええ。これからも石膏型で形整えて学校に行くということになると思うんですけど」

 彼女は体を細長くしてネジのようにらせん状にくるまった。これは本人的には腕を組んで思案しているつもりなのであろう。

「そうですね。やはりシリコン型の中に入って寝るのがてっとり早いかと思います」

「ですよねー」

 天音は今度は体をひらべったくした。

「ベッドで寝たいとは思いますが、早起きしてシリコン型に入るよりはそのほうがラクかと」

「うーん。でもまあいいか。翌日休みのときはベッドで寝ればいいんだもんね」

「ええ。それではシリコン型は天音さんの部屋に運びましょうか」

 そういって仁は例の兵器っぽい物体を持ち上げる。

「わー! だめー!」

 なぜか天音が宙を飛んで突進してくる。

「わ、わ、わ、わ、私が自分で運びますから!」

「む、ムチャでしょう! どうやって!?」

「できますって! ぐむむむむ!」

 天音は石膏型をなんとか持ち上げようと体をくっつけるが、無論持ちあがらない。

「どうしてそこまで?」

「お、乙女の部屋にはヒミツがあるんです!」

 赤くなって飛び跳ねる。大変可愛らしい。

「どうしたものか……。あっそうです。僕が目隠しをして運ぶというのはいかかがでしょう?」

「なるほど……まあそれなら」


「オーライオーライ」

 仁は目隠しをした状態で天音の指示に従ってシリコン型を運ぶ。まるでスイカ割りだ。

 なにやらほのかによい香りがして少々胸が高鳴る。

「あっ。そのまままっすぐお願いします」

「りょうか――あっ!」

 案の定というかなんというか、仁はなにかつるっとしたものをふんづけてすっころんだ。

 そしてその拍子に目隠しが取れてしまう。

 するとそこには――なにやら耽美な空間が広がっていた。

 カベには美しい顔面をした男性のイラストが描かれたポスター。机の上には刀を構えた和服姿のイケメンのフィギュア。そして机にはなにやら描きかけのマンガのようなものもあった。不思議なものでマンガの中の男性二人は男同士で口づけをしていた。

「イヤアアアアアアアアアアアアア! 見ないでええええええ!」

「お、おちついて下さい! 強姦と思われます!」

 彼女はえぐえぐえーんえんと涙声を発した。

 悲しいかな涙そのものを分泌する機能はないらしい。

「今まで隠していてごめんなさい。私ってこういう人間なのです。ヒキましたよね。死んだほうがいいと思いますよね」

「ま、まさか!」

 と部屋を見まわす。

「けっこう普通のことなのでしょう? 女性の99.9999999%は美顔の男性同士のセクシャル的なサムシングがスキだと聞いたことがあります」

「99.999999は言い過ぎだと思いますけどね……」

「まあとにかく。こんなことで嫌いになったりしませんから」

「よ、よかったー」

 天音は全身を平べったくしたのち、巻物のように丸まってみせた。

「あのね。私が色が白いのってね。お肌のケア頑張ってるからとかじゃなくて、子供のころから家でばっかり遊んでたからなの。だから。色白のことはあんまり言わないでね」

 などと照れくさそうに呟く。仁の頬が自然と緩んだ。

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