第6話 ぷるんぷるんスクール

――チュンチュン。時刻は朝の六時。

「あ……あ……」

 天音は疲労困憊でベッドに倒れ込んでいた。

「いやあ本当によくがんばってくださいました! これならまず大丈夫だと思います!」

 仁は笑顔で天音を讃えながらカーテンを開いた。

 爽やかな朝日がくずきり荘の一〇二号室に差し込む。

「関町さん。ありがとう。でも」

 天音が不満気な表情を作り仁を見る。

 その表情にはもうほとんど違和感はなかった。

「アナタってもっと優しい人だと思ってました」

「き、厳しかったですかね」

「超こわかったよ! なんでできないですか! とか。もう見捨てますよ! とか」

「すいません。元が体育会系というか武闘派なので」

 ハァ……と溜息をつく表情も実に自然だ。

「ってゆうか。よく考えたら、わざわざ徹夜なんかしなくても一日休んでゆっくり準備しても良かったですね」

「確かにそうでしたね。今日休みますか?」

「いえ。学校行ってみようと思います。せっかく地獄の特訓に耐えたわけですし」

 などと話していると。

 ――――グウウウウゥゥゥゥ。

 大きな腹の虫の音が天音から聞こえた。

「……お腹が空いちゃったみたいです。しかしこの音どこからでてるんだろう。私のカラダどうなってるの?」

「そういえば朝からなにも食べてないですもんね。僕もですが」

「どうすればいいのかな」

「父曰く、水分的なものを体に染み込ませればいいのだそうです」

「うーん。じゃあコンビニに買いに行こうか」

 二人は仲良くコンビニに出掛け、ウイダーインゼリーやサイダー、かき氷アイス、こんにゃくゼリー。野菜スティックなどを買って帰った。

 天音曰く、かき氷がシャリシャリして一番おいしい。かき氷器とか買っちゃおうかな。とのことであった。


「お待たせしました」

「おお。メイクをされて制服を着ていると、いよいよ見た目は完璧ですね」

 セーラー服と学ランに着替えた二人は、くずきり荘の入り口の前で落ち合った。

「関町さん。最後に一回だけ表情の確認をしてもいいですか?」

「ええ。それじゃあ。『喜』」

 にっこおおお。

「『怒』」

 むきいいいいい。

「『哀』」

 すうううぅぅぅぅん。

「『楽』」

 ぱああああぁぁぁぁ。

「ど、どうでしたか?」

「完璧です」仁はビシっと親指を立てた。

「やった! じゃあ行きましょう」

 二人はくずきり荘を後にした。


「どうですか? 歩き方とか違和感ないですか?」

「ええ。問題ないです。形は保っていられそうですか?」

「うん。もうこの形がある程度、クセになってるみたい。ちょっと疲れるけどね」

「そうですか。まあムリをなさらず保健室で休んだり――」

 などと話しながらを歩いていると。

「おはよー!」

 一人の女の子が天音の肩を叩きながら声をかけてきた。

 トレードマーク派手めの茶髪に染めたショートヘア―と、その髪の毛を留めるふわふわのタンポポがくっついたヘアピン。いかにも活発そうなルックスだ。

「あっおはよーせりなちゃん」

 彼女の名前は小林せりな。仁たちのクラスメイトである。

「あれー? 珍しいじゃん! 関町くんと一緒に学校来てる!」

 せりなはその特徴的なクリクリした親しみやすい瞳を仁に向けた。

「あんたら、お隣さんなのに一ミリも仲良くないイメージあるから」

 などとケラケラ笑った。

「い、一ミリも仲良くないということはないとは思いますが」

「そーかなぁ? ってアレぇ!?」

 せりなが天音の前に回り込み、顔をじっとのぞきこむ。

「ど、どうしたのせりなちゃん!」

「アンタ……その肌……! どういうことなの!?」

(げっ! さっそくバレた!?)

 仁の心臓が跳ね上がる。

「めっちゃキレイ! いつも以上に真っ白のツヤツヤ! 透明感のバケモノ!」

「そ、そう……?」

(セーフ……かな?)

「ねえ~どんなスキンケアしてんのよー」

「えっ特別なことはなにも……」

 天音はせりなから思い切り目を逸らした。

「ウソだー! さては洋物ね!? 海外のセレブご用達のヤツとか使ってるのね!?」

 などとほっぺたをぷにぷにつつく。

「あン……! ヤめてよぉ……」

「おっ。なんか今日はいつも以上に感度がいいねえ」

 せりなはイタズラっぽく笑うと天音の耳をペロっと舐めた。

(げげげげげっ……!)

「んんん――! んんんん――!」

「ははは。めっちゃ感じてる。ウケる。しかもなんか甘い味した。もう一回舐めていい?」

「ダメぇぇぇ!」

 天音の顔が真っ赤に変色する。

(まずい……)

「なにあんた今日エロくない? ってゆうか胸もいつもよりデカい気がする。 ぐへへ。触っちゃおうかな」

 せりなはいつものノリで天音の胸に手を伸ばした。

 ――だが。

(マズい! 止めないと!)

 今の状態でじっくりとその豊かな物体の感触を確かめられたらどうなる? 人間のそれではないことに気づかれてしまうのではないか。

 仁は二人の間に割って入った。――しかし。

「わっ――!!」

 あまりに慌てたものだから(?)。仁は前のめりにぶっ倒れてしまった。

「キャーーーーー!!」

 ――この後どうなったかはご想像の通りであろう。

 仁はタックルをするように天音を押し倒してしまった。

「も、申し訳――」

 慌てて立ち上がろうとする。

 人は普通、うつ伏せ状態から立ち上がるとき、地面或いは床に手をつくものだ。

 このときの仁もそのセオリーにのっとり、手をついて立ち上がろうとした。――だが。

「んんん……!? キャアアァァァァ!」

(うおおおお! 柔らけえええ! やっぱこの世のものじゃねえ!)

 仁の手は天音の双丘の上に置かれていた。

 これは偶然に発生した性的な現象。いわゆるラッキースケベである。

 しかし。本当に偶然だろうか。

 仁の心の奥底に「いいなぁ。うらやましい。俺もさわりたいなあ」という気持ちは全くなかっただろうか。あったからこそ、仁はちょうどいいタイミングで転び、ちょうど胸の辺りに手をついてしまったのではないだろうか。

 思うに「ラッキースケベ」というのは「スケベなことがあったらラッキーだなー」という気持ちが巻き起こす、偶然ではなく必然の事件なのではないだろうか。

 まあともかく。

「どいてえええええぇぇぇぇ!」

 天音の渾身の巴投げにより、仁の体は宙を舞ってコンクリの上に叩きつけられた。

「ひゃあああ! 朝からすごいAV見ちゃった」

 せりなはすごく楽しそう。

「おまえらなにやってんだ? 校門の前で」

 体育教師の尾崎一美先生は心底呆れ果てた声でそうつぶやいた。


 教室の自席に座った仁は同じ教室にいる天音に対してわざわざラインを送った。

『本当に申し訳御座いませんでした』

 天音は極めてたどたどしい手付きで返信を行う。

『私を守ろうとしてくれたんですよね? だから怒ってないですよ。でもこれからは気を付けてね#####』

 怒ってないといいつつも、文末には怒りを表す青筋マークが五つもついていた。

 仁は思わず苦笑い。

「おはよー。号令お願いします」

 ――そうこうしている内に現代文担当の鈴木先生が入ってきた。

 本日の時間割は――。

1 現代文

2 数学II

3 日本史

4 体育

5 選択

6 選択

「えー。であるからして。作者の三島由紀夫と『オーラの泉』など有名な美輪明宏は一説には恋愛関係であったとも言われ――」

(ふあ……眠い……)

 高校生の日常なんてけっこう受動的なものだ。一時間目から三時間目まではなんなくしのぐことができた。

 ――問題はこの後。

 三時間目終了後。仁は天音の元に駆け彼女に耳打ちした。

(体育はどうされますか? 見学します?)

 天音はうーんと首を捻ったのち。

(今日スポーツテストですよね……。見学すると面倒なことになりそうなので出ようかと)

 と耳を打ち返した。

 なんだっけそれ? という人に一応説明すると。スポーツテストとは、五十メートル走、ハンドボール投げ、二十メートルシャトルラン、イキリオタク御用達の握力測定など、体力測定を行うカリキュラムである。央成高校ではもし欠席した場合には、後日放課後に測定を行うことになっている。

(わかりました……それならその……)

 仁はモゴモゴと口ごもりながら要件を伝えた。

(着替えのとき気を付けて下さいね。その……ブラ的なものとかパンツ的なものの下は塗っておりませんので……)

(う、うん……)

 天音はまたもや顔を真っ赤に変色させた。


「じゃあ始めるぞー!」

 体育の尾崎先生が颯爽としたジャージ姿で笛を吹く。

 スポーツテストのときの体育教師というのは常にイキイキとしているものである。

 体育の授業の中でも教師の負担が一番大きい部類であり、やりがいがあるのだろうか?

「まずは百メートル走! 五人づつ走ってもらうからなー。出席番号一番から五番までの女子は準備しろー」

 他のメス共は知ったこっちゃない。重要なのは出席番号十五の天音の走りだ。

「次~。十一番から十五番まで~」

(天音さん……『走る』練習はしていないが、なんとかバレない程度に……)

「位置について! よーーーーい! スタート!」

(――――――!? なんだあの走りは!?)

 天音の走りは一言で言って、エロ遅かった。

 普通、人が「走る」という行動を取るとベクトルは前に行くものだが、天音のランニングのベクトルはひたすら「上」。一歩を踏み出すごとにぷるんぷるんと上下にはねていた。

(あっちゃー……)

 そのぷるぷる跳ねる胸やふともも。天音のつらそうな喘ぎ顔。股間がイライラする男子が多数発生した。

「じゅ、十九秒九九……」

 尾崎先生が狼狽しながらストップウォッチを止めた。

「お、おまえこんなに遅かったっけ?」

「その……スランプみたいです」

「そうか……なら仕方がないか」

「OH MY GOD……!」

 仁は英語でアタマを抱えた。帰国子女だからたまに英語になるのだ。


「次~走り幅跳びー」

 天音は体育座りでセブンイレブンの五穀米おにぎりのように小さく丸まっていた。

(どうします……? やはり後日にしますか?)

 仁がそんな天音に耳打ちして尋ねる。

(いえ。走り幅跳びはいけると思います。むしろ普通より)

 と、自分のぷるぷるの腕を叩いて見せる。

(そうか! そうですね。頑張って下さい)

「次―西桜所―」

 クラスメイトがざわつく中、天音が先ほどと同じエロ遅い走りで助走をつけ――。

「はいっ!」

 その跳躍はなんか凄かった。ふわあ……というまるでスーパーマリオのような、いや、それ以上に浮遊感のあるぷるぷるのジャンプであった。天音は十秒も空中を浮遊したのち、日本記録とほぼ同じ六メートル八十五センチの地点に着地しようとした。――が。

「――キャアアアアアアァァァァ!」

 ふいに正面から向かい風の形で吹いたそよ風により、天音の体は大きく吹き飛び、仰向けに砂場に落下してしまった。

「ゼ、ゼロメートル八十九センチ」

 計測用の砂場にはアメリカのギャグアニメのごとく人間の形に穴が空いた。

「西桜所……おまえのその……そういう感じは……その……なんだ?」

「えーっと……すいません。マグレとスランプが同時に来ちゃったみたいで」

「HOLLY SHIT……!」

 ホーリーシットとは日本語で聖なるおしっこという意味である。

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