第2話 ところてんおいしい
少年と少女は「じゃあこれで……」とその場ですぐ別れて各々の家に帰った。
――なら良かったのだが。
悪いことに二人の少年と少女、関町仁と西桜所天音は同じアパートに一人暮らしをするお隣さん同士だった。ちなみに私立央成高校、二年A組のクラスメイトでもある。
二人はきまずい様子で一言の会話もなく歩いていた。
「あの――」
そんな沈黙を破ったのは芸術少年、関町仁のほうだった。
「本当にごめんなさい!」
西桜所天音に対して深々と頭を下げる。
「正式にモデルを依頼しようかなとも思ってもいたのですがどうしても勇気がなくて……」
「で、できれば勇気出して欲しかったかなー」
天音は先ほどからずっと顔を俯けて、顔を耳まで赤くしている。
「も、申し訳御座いません!」
「そういえば、授業中とかチラチラ私のほう見てるときがあったけどアレはやっぱり……」
「スケッチをさせて頂いておりました」
「もー! 恥ずかしいって!」
仁は何度も何度もアタマを下げる。
「怒ってますよね……なんだったらアレは破棄致しますので」
「ええっ!? まさか! そんな勿体ないことしなくていいよ! 怒ってなんかないし!」
天音は顔の前で両手をブンブンと振った。
「ただちょっと恥ずかしいなって思っただけ」
「そうですか……」
「何ヶ月もかけて作ってくれたんだよね。ありがと! あとで粘土かなにか入れて彫像になるんだよね? できたら私に一番に見せてね」
「は、ハイもちろんです!」
「うん。じゃあ。もう謝らなくていいよ。普通にお話しよ?」
仁は安堵の溜息をつくと共に、天音の爽やかで透明な笑顔に胸をときめかせた。
二人がワンルームアパートの『くずきり荘』に辿りつくと、ちょうど宅配業者のお兄さんが仁の部屋のインターホンを押しているところだった。
「一〇二号室の関町さんですか?」
「はいそうです。すいませんギリギリになっちゃって」
「大丈夫でーす。こちらサインお願いしゃーす」
仁がサインを書くと宅配業者は帰っていった。
「随分と大きいお荷物ですね」
そのダンボールは身長一六〇センチの天音のアゴくらいまでの高さがあった。
「あんまり通販で豪遊はしない方がいいですよ」
天音が冗談めかしてそのように述べた。しかしどうやら真相はそうではないらしい。
「これ。送り主、父親ですね」
「ああ。なるほど仕送りですか?」
「どうでしょう? クール便だから食べ物だとは思います。とにかく部屋に運ばないと――よっこら……」
しかしその荷物はあまりに重く、仁の力では持ち上がらない。
「よかったら手伝いましょうか?」
「いえ女性にこんな重いものを持って頂くわけには……」
「大丈夫ですよ! これでも結構力はあるほうなんです」
そういってちからこぶを作ってみせた。しかし、そのツルツルで真っ白な腕にそんなすごいパワーを秘めているされているとはとても思えない。やっぱり一人でなんとかしよう。などと考えている内に天音は仁と荷物を挟んで反対側でスタンバイを終えていた。
「じゃあ行きますよー。せーの!」
なるほど。たしかに思ったよりは力が強く荷物はなんとか持ち上がった。
「ここに降ろしましょうか」
「はい」
二人は仁の部屋のベッドの脇に段ボールをそっと降ろした。
「わざわざありがとうございます」
「いえいえ。それにしてもステキなお部屋ですね」
「いやー散らかっていてお恥ずかしいのですが」
部屋には仁が作成した立体作品や画材、キャンバス、デッサン練習用の胸像、お徳用パックに入った粘土などが散乱していた。ベッドの上と部屋の真ん中のローテーブルの周りだけは辛うじて整理されているが、他は足の踏み場もないという状態である。
「いかにも芸術家の部屋って感じでかっこいいですよ! わ! これかわいいー!」
天音がテレビの上に置かれていた狐の置物を撫でた。
「ははは。なんか恥ずかしいな……。あっそうだ――」
仁がポンと手を打った。
「よろしければこちらお裾わけしましょうか? 分けられるようなものであればですけど」
と、段ボールのガムテープを剥す。
「そんな。悪いですよ」
「まあまあ――ん? なんだこれ……?」
段ボールの中には、よくスーパーの豆腐なんかが入れられているような、白いプラスチック製の食品パックが敷き詰められていた。但し商品名のようなものはどこにも書かれていない。
「これは??」
パックの中に入っていたのは、ツルツルとして透明な『麺』のようなものだった。
「わっ! ところてんじゃないですか!」
天音が手のひらをパチンと合わせて目を輝かせる。
大人しい彼女には珍しいテンションの上がり方だ。
「西桜所さん、ところてんお好きなんですか?」
「ええ! それはもう! しかもコレ絶対高級品ですよ! ツヤが違いますもん」
普段殆どところてんを食べない仁には違いがさっぱり分からなかった。
「でしたら。是非食べていってください」
「いいんですか……? こんな素晴らしいものを食べさせて頂いて……」
「ええ。今日はご迷惑もおかけしましたし。――しかし。困りましたね」
ダンボールの中をごそごそと漁る。
「調味料のようなものが入っていないようです」
あまり食べないのでよくわからないが、これだけで食べても味はしない。酢醤油や黒蜜なんかをかけて食べる必要があるのではないか。
「大丈夫です!」天音が自分の胸をドンと叩いてみせた。「ウチに自家製の黒蜜がありますから! 取ってきます!」
彼女はいつものおっとりとした様子からは想像できないスピードで部屋を後にする。
(……やはり透明感のある女性は透明感のある食べ物が好きなのだろうか)
などとくだらないことを考えながら、仁は彼女が戻ってくるのを待った。
「うーん! 美味しい!」
天音は黒蜜をたっぷりとかけたところてんを、箸を器用に操って素晴らしい勢いで吸い込んでいく。
「思った通り最高級品ですね!」
天音はほっぺたに手を当てて目を細める。いつもの爽やかで透明な微笑みとは異なる、子供のような笑顔だ。
仁はなんだか胸の辺りが温かくなるのを感じていた。
「ふう……美味しかった……まんぞくまんぞく」
と言いつつ天音は少々寂しそうな顔。明らかにまだ食べたそうにしている。
「もうひとついかがですか?」
そういってダンボールからもう一つところてんを取り出して手渡すと、天音は「いいのですか?」とものすごくすまなそうな顔。しかし一口食べるや否やすぐまた笑顔になった。
「はあ……やっぱり美味しい」
そして食べ終わるとまた寂しそうな顔。またもう一個を勧めるとすまなそうな顔、からの一口食べて笑顔……。
表情がコロコロ変わるのがあんまり楽しいので、仁は天音に十三個ものところてんを餌付けしてしまった。
「ほ、ほんとーにごめんなさい! ちょうしに乗り過ぎました!」
天音はテーブルに散乱する大量の食品パックのスキマを縫うようにして、額をテーブルにつけた。
「いえいえまったく問題ないですよ。西桜所さんが幸せそうに食べるところを見てたら僕も幸せな気持ちになりましたから」
仁がそう言うと天音は照れくさそうにそっぽを向いた。
「そ、そうですか……。それなら良かった。のかな? ――それにしても」
机に散らばったパックを片付けながら呟く。
「関町さんのお父さん。いいお父さんですね。こんなに素晴らしい仕送りを」
「うーむ。どうなんでしょうねえ」
仁は腕を組んで考え込む。
「あの人ちょっと抜けたところがあって、ちょいちょい自分の研究所に送るものを間違って僕のところに送ったりするんですよね。今回もそれのような……」
「け、研究所ですか? お父さんなんの仕事をされてるんです?」
「FBI専属科学捜査官」
「ええっ!?」
天音は目を見開いた。
「それはそういったご職業で?」
「世界を飛び廻ってテロリストを取り締まる仕事です。特に科学兵器を開発して悪用しようとするテロリストを取り締まるのが専門ですね」
「へええええ……」
「自分でもいろんな研究をしているみたいです。京都に研究所を持っているとか」
「ではお父様は京都に住んでらっしゃるのですか?」
「まあ一応自宅は京都にあるのかな? でもほとんど日本にはいませんね。僕も中学二年生までは一緒に世界を廻っていましたよ。中学三年生で帰ってきたものだから受験勉強は苦労しました」
「かっこいい! そういうの憧れます! ……あっでも」
天音は上目使いで仁の顔を覗き込んだ。
「それだったら、このところてん食べちゃまずかったんじゃ……」
「いいんですよ! だって盆も正月も一回も帰ってこないんですもん。たまには父親らしいことをしてもらわないと」
そう言ってイタズラっぽく笑うと、ダンボールからもう一つところてんを取り出す。
すると天音は手で口を抑えて笑った。
「ど、どうしました?」
「いや。関町さんにも意外な一面があるんだなーと思って」
「はあ……」
「関町さんっていつもクールで感情を露わにしないイメージなので――」
本人としてはそういうつもりはないのだが、まァ良く言われることではある。
「今日はいろいろ感情を出しているところが見られて新鮮でした」
「そうですか。でも今日の天音さんの感じも新鮮でしたよ」
「――! ね、ねえ! 学校では言わないでよ! 私がところてんを十三個も食べたなんて」
「もちろん守秘義務は守ります」
仁と天音は顔を見合わせて笑った。
二人は一年生のときから隣同士に住んでおりクラスも一緒だが、二人ともどちらかといえば大人しいタイプであることもあり、それほど普段から親しく話しているわけではなかった。
――でも。
(今日をきっかけに。もっと仲良くなれるかもしれない)
そんな仁の予感は当たり、二人はこの後多くの時間を共に過ごすことになる。
但し、予想だにしなかった意外極まりない形で――。
――三十分ほど談笑したのち。
「あっ。すいません。結構長居しちゃった。そろそろ帰りますね」
天音はそういって品のある仕草で立ち上がった。
「あっそれでしたら」
仁はところてんが入っているダンボールを指さした。
「これ。よろしければ持って帰ってください」
天音は喜びと申し訳なさが同居したなんとも絶妙な表情を現した。
「う……それはいくらなんでも申し訳なくて……」
「でも僕が食べるよりも天音さんが食べたほうが発生する幸せの総量が圧倒的に多くて、ところてん本人も喜ぶと思いますが」
「本当にいいんですか……?」
天音は神をあがめるがごとく両手を組んで仁の瞳を見つめる。
仁は苦笑しながら首肯した。
「ありがとうございます……!」
「では一緒に運びましょうか」
するとなぜか天音は目ん玉をひんむいて――
「ダメーーーー! それはダメです!」
「えっ? でもそうしないと運べな――」
「ダメなんですよォ! 乙女の部屋にはヒミツがあるんです!」
「でも。じゃあどうやって――」
「私一人でも持てます! ちょっと減ったから楽勝ですよ! んんんんんんんん!」
天音は本当に巨大なダンボールを一人で持ち上げてしまった。
「それでは! んんんんんん!」
フラフラとした足取りで仁の部屋を後にした。
(……ううむ。ちょっとデリカシーなかったかな? せっかく好感度上がったと思ったのに)
仁は軽くアタマを抱えた。
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