第38話 罠

「おっ、天翔。警察はどうだった?」

 ミーティングルームに戻るや否や、そう将貴が声を掛けてきたので龍翔はどきっとした。こうもあっさり勘違いされると逆に不安になる。それに一応はどういう人たちがいるか天翔から聞いているものの、実際に会ったことがない人物を一致させるのは難しかった。

「今、調べているところだよ」

 そう答えると、まあそうだよなと将貴は納得する。が、龍翔はまだこいつ誰だという状態だ。親しい関係から将貴だろうと思うものの、確証がない。それに気づいた恭輔がこそっと菊川将貴で合っていると教えてくれた。

「ん、どうした?」

 そのこそこそしたやり取りに将貴は何だよと、いつもの調子で龍翔を肘で突っつく。しかし龍翔には困惑の表情しかない。それに気づき、あれっという表情になった。そして目がじっと龍翔の頬っぺたに注がれる。そこにある黒子が二人を見分ける唯一のポイントなのだ。

「ひょっとして」

「協力してくれ」

 違いに気づかれたと解った龍翔は、すぐに将貴を味方に引き入れることにした。彼は問題ない。ずっと天翔と行動を伴にしていたし、そもそも彼は喫煙者ではない。秀人たちが煙草を吸っていたと知って驚いていたことからもそれは明白だ。

「ははん。なるほど。いいでしょう。天翔、あんまりうろうろせずにここにいろよ」

 すぐにどういうことか理解した将貴はしたり顔でそう言う。機転の利く友人で助かったと、龍翔は思わずほっとした。事前に彼にだけ双子であることを話していてくれた天翔にも感謝だ。

 ミーティングルームには運よくと言うべきか全員が顔を揃えていた。この状況下で恭輔の逮捕というのは、警察と本人には不都合であろうが龍翔としては願ってもない。おそらく犯人の動揺は予想以上のものになるはずだ。何せ、犯人はこの事件によって天翔の地位は安泰になったと勘違いしている。まあ、講師である恵介がいなくなったのだからとの安直な考えだが、恭輔との仲を考えれば筋は通っている。

 その恭輔はいつ吉田が来るのかと気が気ではない。そのそわそわした様子が周囲には疑いを持たせるものとなるだろう。彼が犯人で逮捕されることを恐れていたのだと思ってもらえる。もちろん、犯人は驚くばかりだろう。

 その他はどうかとミーティングルームにいる全員を見渡してみると、犯人以外も警察がどういう結論を出すのか不安なのだろう。それぞれに落ち着きがない。恭輔ほどではないがそわそわとしている。唯一、変化がなさそうなのは雅之だろうか。彼は犯人探しを天翔に許可した段階で何かを覚悟している。それは薬物に対しての責任だけでなく、そういう歪な環境を生んでしまったことへの責任だ。

 しばらくは沈黙の時間が続いた。吉田にはある程度の時間をおいて来るように伝えたが、そこはさすがというべきか。恵介の研究室を調べるようにも言っているので、そこに時間が掛かっているのかもしれない。が、この時間こそ必要なのだ。時が経てば経つほど全員が疑心暗鬼となっていく。それに将貴も心得たもので、龍翔に何かと説明を求めるようなことはない。

「よろしいですか」

 ようやく吉田がやって来た時には、ミーティングルームの中は沈み切った雰囲気と化していた。囁き声一つない。それに龍翔も思わず飲まれそうになったが、吉田の顔を見て気を引き締める。吉田の顔には龍翔と天翔が推理したとおりだったとの確信が浮かんでいたからだ。

「今、簡単な調査を行いました。そこで気になるものを見つけましてね」

 そう言って吉田が示したのは、恭輔が渡しておいた職員証だ。それに恭輔は黙って目を向ける。

「これが三番目に殺された坂井恵介さんのズボンのポケットに入っていました。最後に坂井さんに会われたのは、ひょっとしてあなたではないですか。あなたはこの職員証によると副所長であるそうですね。ということは、坂井さんの研究室のスペアキーを持ち出すのも苦労しなかったはずです」

 龍翔が数分ででっち上げたストーリーを、吉田は顔色一つ変えずに述べていく。この誤った推理というのがポイントだ。犯人はそんなはずはないと強く思うはずだろう。そもそもズボンに職員証なんてなかったことも知っている。

「あの部屋は密室でも何でもなかったんですよね。あなたは坂井さんと何らかの理由で口論になり、思わず刺してしまった。予め一番目に殺された小杉圭太さんの包丁を持っていたことから計画的に殺したというところですか。どうです」

 詳しい人間関係を知らないからこの程度しか解りませんがと、吉田が溜め息を吐いて恭輔に近づく。恭輔は、最初から演技は無理だと決め込んでいて反応をしないように心掛けていた。

「言い訳もなしですか。まあいいでしょう。一度戻るヘリに同乗してもらいますよ。そのまま署に移動してもらいます。そこで詳しい話を聞きますので」

 吉田はそう言うと恭輔の腕を引っ張った。さすがに無罪の人間に手錠を掛けられないし、今の流れではどう頑張っても任意同行だ。

「所長。後を頼みます」

「――あ、ああ」

 雅之もある程度犯人にあたりを付けているだけに、どうして恭輔は何も言わないのかと不可解そうだ。しかし反論するだけの確証もないので頷くしかない。

 こうして一つのお芝居が終わった。それに対しての反応は想像通り、大騒ぎとなった。

「絶対におかしいでしょ。なに、あの刑事。鳥居先生が坂井を殺すわけないじゃない。先生はただ面倒だから反論しなかっただけよ」

 そう龍翔に食って掛かってきたのは葉月だ。怒り心頭でそれが龍翔であるとは気づいた様子はない。

「う、うん。そうだね」

「あんたの師匠でしょ。もっと怒りなさい。というか、犯人が解ってるんじゃないの。そいつの首根っこを捕まえて、さっさと鳥居先生を助けに行きなさいよ」

 葉月のあまりに雄々しい意見に、龍翔は千佳を思い出さずにはいられなかった。どうやら自分たち兄弟はこういう強い女性に弱いようだ。

「まあまあ。犯人じゃないならば、すぐに解放されるよ」

 今はそんな身近な女性について分析している場合ではないと、龍翔は周囲に目をやる。その目線の動きに、葉月は集中していないなとまた怒鳴ろうとした。

「ちょっと」

「はいはい。こいつだって色々と考えたいんだよ」

 将貴は仕方ないなと葉月を龍翔から引き剥がした。手助けできるのはこれくらいだと、龍翔の肩を叩いてその場から離れる。

 そんな将貴にサンキューと目で感謝し、龍翔はさらに周囲の反応へと注意を向ける。すると、青い顔をして黙り込んでいる彼が目に留まった。後は思い思い、言いたいことを近くにいる人と喋っているというのに明らかに違う反応だ。それは今、どうして警察があんなものを持っていて、しかも恭輔が黙って行ってしまったのかを必死に考えているせいだろう。

 龍翔はもう大丈夫だろうと、ゆっくりと彼に近づいた。それに気づき、彼は顔を上げる。

「若宮先生」

「ちょっといいかな」

 こちらも動転していて全く黒子の位置の違いに気づいていない。これで推理もしやすいというものだ。龍翔は外に出ようと彼――駆を連れ出した。行き先はもちろん、天翔の待ち構える天文台室だ。この天文台を訪れるのは初めてだが、大体の構造は頭に入っている。

「先生。あの」

「うん。あれはどういうことだろうね」

 龍翔は先を歩きながらそう問い掛ける。それに対し、駆はちょっと顔を引き攣らせた。

「どういうって」

「あそこが密室だったのは間違いないよ。もし鳥居先生があの刑事の言うとおりにスペアキーを用いていたというのならば、たまたま持っていたということにしてドアを壊す前に出せばいいからね。四人がかりで引っ張らないと開かないドアだし、それにむやみに壊す必要はないと考えるはずだ。その場にいた全員が、あの時にはドアは閉まっていたと証言してくれる。それに職員証を奪われたままにするというのも不注意過ぎるからね。それに最初の事件を鳥居先生が行いのは実質不可能だ。ずっと大雨の対策でミーティングルームにいたことは、誰もが知っていることだからね」

 だからどういうことだろうと、龍翔はそこで駆の方を見た。その目は様々な動揺で揺れている。一番の動揺は天翔に気づかれたかもしれないことだろう。今も龍翔の視線からすぐに顔を背けた。それを確認した龍翔はまた歩を進める。もうすぐ天文台室に繋がる階段だ。

「というわけで、これは最初の事件から検証しないことには間違った結論を導くというわけだ。最初の被害者は小杉圭太君。彼はここの研究員で普段は鳥居先生のところで研究をしている。そして君と仲がいい。ここが一つのポイントだろう。今、俺を巡って様々な推測がされている。当然、君も気を揉んでいた。だから仲のいい小杉君から鳥居先生は俺をどう処遇しようと考えているか、あそこで煙草を吸うついでに聞き出そうとした。違うかな」

 駆はそう問われ、大きく目を見開いた。今の問いかけはどう考えても、駆が犯人だと言っているも同然だった。

「どう考えても最初の小杉君の事件は計画性のあるものではない。もっと言えば、二つ目の久保君の事件もそうだ。いや、久保君の件は一つ目の小杉君の事件が起こらなければなかったことだった。しかし突発的であったことは否定できない。あの惑星ボールは単なるミスリードかと思ったけど違った。そういうことだよね」

 龍翔はそう言いながら天文台室に繋がる階段を上がり始めた。駆は僅かに立ち止まったものの、どういう推理をしたのかが気になるのだろう。結局は黙って従う。

「あれは薬のやり取りで使われていたものだったんだ。それも新しいものをね。つまりあれが現場に落ちていたのは連続性を示すものではなく、共通点を示すものだった。まあ、普通は土産物として売られているものだから気に留めないと判断して現場に残していたのだろう。で、問題はこれが新薬であるって方だね。だからこそ諍いが起こってしまった。君は新薬をダシに小杉君から話を聞きだそうとしたんじゃないのかい。しかし彼は吸うのを優先させろと訴えた。まあ、自分も吸うつもりだからと、君は軽く許可したんだろう。しかしそれが間違いだった。効果が出過ぎたという言い方が正しいのか解らないが、小杉君は酩酊状態に陥ってしまった。しかもそう簡単に抜けそうにないものだった。焦った君はどうにかしなければと思ったことだろう。下手に坂井先生に弱みを握られて俺に迷惑が掛かるような事態も避けたかった。坂井先生もあの給湯室でよく吸っていたんだろ。夕食を作っている時に現れたのは、吸うタイミングを見計らっていたためだ。あの状況で研究室に戻ることは出来なかったからね。だから、すぐにばれるのではと焦りはより強かったはずだ。しかし、ばれずに酩酊状態の小杉君を隠すのは不可能だった。外に出られないし、交代で起きていることになっているからね。いないとばれてしまう。そう、殺してしまう以外はね」

 龍翔はそう言うと天文台室のドアを開けた。ここは研究者として絶対に守るべき場所だ。そこでの話し合いが持つ意味は、普通の部屋でするよりは重い。それを考えてここを選択したのだ。

 中はしんと静まり返り、物音ひとつしない。天翔は上手く隠れているようだ。龍翔は大きな天体望遠鏡を見上げると、ほうっと息を吐き出していた。日頃は実験器具とは無縁のせいか、こういうものを見た時の反応は一般人と変わらない。

「先生。どうして小杉が酩酊状態だと」

 黙り込んだ龍翔に、駆は焦れたようにそう訊ねた。まだ何一つ証明されたわけではないと、説明の続きを促す。

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