第39話 直接対決

「それは表情さ。刺されても笑顔というのはどう考えても無理だからね。小杉君に自殺願望があったというならば別かもしれないが、こんな大雨の日、それも全員が揃っている状況下で殺してくれと願うことはないだろう。というわけで、笑顔の説明は他にないと思うね。それに他の二人も共通して同じ顔をしていた。相当な幻覚作用があるみたいだね」

 これ以上に強力な証拠はないよと龍翔は顔を見なかったのかと不審に思う。しかし駆は今知ったとばかりに驚いていた。それだけ意識は煙草として吸っていた薬に向けられていたということか。それとも、殺人という異常事態に判断能力が鈍っていたのか。

 いや、自分も吸っていたはずだから、笑顔というのが当たり前になってしまったのかもしれない。もしくは駆自身も表情の見分けがつかないほどに酔っていたか。しかし、幻覚作用の強さは自覚していたようだ。それ以上の反論はない。

「あの殺人が必死だったと解る理由はもう一つ。死体の顔周辺が濡れていたという事実だ。ともかく煙草の火を消さなければと焦る君は、鍋で汲んだ水を小杉君にかけた。そして無事に火が消えた煙草状の薬を君は回収する。日頃から喫煙習慣があるのならば携帯灰皿は持っているはずだからね。そこに隠しておけばいい。というわけで、最初の殺人は単なる事故のようなものだった。そう犯人は思っていることだろう。そしてそれが使えるかもしれないとも考えた。つまり強い幻覚作用が出ることを知り、これを使えば目の上のたん瘤である坂井先生を消すことが出来るかもしれない。そんな恐ろしい考えが浮かんでしまった。しかし単に小杉君に作用しやすいだけかもしれない。ああいうものに限らず、薬というのは個人差があるものだ。そこで、恐ろしいことだが君は薬仲間である久保君で試してみることにした。新薬と聞けば飛びつくだろうとの思いもあり、実験そのものは穏やかに進んだはずだ。しかし思いのほかすぐには効果が表れなかったんじゃないかい。そこで君はもう一本吸ってきてはどうかと勧めた。単に一本分では無理で、二本以上吸えば効果が出ると解れば計画を止める必要はないと考えた」

 それがミスだったのだ。二本目、こっそりと外で吸うはずが秀人は待ちきれずに、よりによって薬のやり取りに使っている惑星ボールの売っている土産物店の前で吸っていた。それだけでも駆は大いに慌てただろう。しかも、あろうことかそのタイミングで幻覚作用が出てしまった。

「一件目の小杉君の時とは異なり、いつ一緒に煙草を吸っていた坂井先生が来るか解らない状況だ。君は一刻も早く久保君の息の根を止める必要に迫られた。しかし給湯室とは異なり近くに凶器となるものはない。そこで目に留まったのが天体望遠鏡だった」

 そこで駆の肩が初めてびくりと震える。これこそ見抜かれるはずがないと思っていたことなのだろう。天文学者が間違っても天体望遠鏡を使って人を殺すはずがない。そういう前提があるはずだと、自らそれで殺した駆でさえ思っているのだ。

「その時に使われた天体望遠鏡は坂井先生の部屋で見つかっているよ。机の中に隠していたという杜撰さから、前の二件の殺人は坂井先生に押し付けるつもりだったってところかな。包丁が一件目に用いられたものだったことからも、事件をどうにか坂井先生一人に結び付けたかった」

 それはおそらく、駆の中では確実に成立するはずのことだった。たった一人でいた部屋で恵介は命を落とすのだ。何事もなければ自殺に偽装することは可能だった。事実、恵介が悲鳴を上げたのは刺されたからではない。

「薬は幻覚作用だけでなく痛覚も鈍らせるということは、最初の殺人ではっきりしていることだ。君は刺されても笑顔が当たり前との図式を持ってしまったのも無理はないかもね。それはともかく、坂井先生をある仕掛けで殺したところで、何の物音もなく、何なら自分で胸に刺さった刃物を引き抜いて絶命してくれるはずだった。しかしトリックが悪かったね」

 龍翔はそう言うと意地悪に笑みを浮かべた。実は何の物音もなくというのは嘘だ。その物音こそヒントだった。しかし本来ならば気づかれなかったというのは正しい。いくら部屋の中では大きな音として捉えられるそれも、廊下の一番端の部屋から全員のいるミーティングルームには、降りしきる雨の音もあって届かない。

「トリックって。そんな推理小説じゃあるまいし」

 しかし駆はそれで白状する気はないようだ。トリックというならばどういうものか説明してみろと龍翔を睨んでくる。その顔は初めて敵意に満ちたものだった。同じ穴の狢であったはずなのに、天翔が断罪する側に回っているのが許せないのだ。

「まあ、トリックという言い方が悪いかもね。あまりに単純な仕掛けだ」

「単純」

 駆はぴくっと片方の眉を吊り上げた。それは心外だとの意思表示なのか、すぐに見抜けたと馬鹿にされたと感じたためなのか。ただ、燃えるような目で龍翔を見ていることは確かだった。

「仕掛けに使ったのは、ここならば簡単に手に入るものだ。まずはペットボトル。これは下にある自販機コーナーで簡単に手に入れることが出来る。それともう一つはドライアイスだ。これは死体を保存するためにここに集められている。おかげで入手に苦労はしない。あの包丁を取りに行った時に、小杉君のところから奪えばよかったからね」

「――」

 その指摘に駆は悔しそうに舌打ちする。どういうトリックか完璧に解っていると気付いたのだ。

「さらにポイントとなるのがあの乱雑な本棚だ。一か所が乱れたところで誰も気にしない。むしろ初めからそうだったと勘違いしてくれるはずだった。そうだよね」

 龍翔はミーティングルームに行く前に見た恵介の研究室の本棚を見ていたので肩を竦めてしまう。というのも、乱雑さは悠大の机の上と同じくらいのものだったからだ。適当に物が積まれ、どこに何があるのか解らない。あれではトリックで乱れたかどうか、見分けることはまず無理だ。悠大の机と恵介の本棚は、一度散らかると元に戻ることが出来ないかのようである。それは物理学者からすればエントロピーの増大のように見えて、なかなか感慨深い。

「その二つ、本棚を含めて三つですか。それでどうしたって言うんです?」

 しかし簡単にやったことを認めてなるものかと、龍翔に続きを述べろと要求する。一つでも穴があればこちらのものだと、そう考えているのだ。

「ああ、そうだね。でもこの三つだけでは駄目だ。少量の水。これがこの仕掛けの最大のポイントだ」

 龍翔はそこで一度、天体望遠鏡へと目をやっていた。別に意味はない。ただ、そうすることで気持ちが落ち着くような気がした。

「ドライアイスに水を加えると昇華するのは、誰もが知るところだ。あの白い煙だよ。まず、ペットボトルに砕いておいたドライアイスと水を入れる。そして蓋をするわけだが、ここで包丁を栓替わりにするのが大切だ。というのも、ペットボトル内の気圧が上がることで包丁が勝手に飛び出すことこそ、このトリックの要だからね。なぜ犯人がわざわざ包丁の再利用をしたかといえば、他の丁度いい刃物がなかったからというもの理由なんだ。ここにあった包丁は珍しく円形をした柄を用いたものだった。それが丁度よくペットボトルに差し込める大きさだったんだよ。さすがにそれだけでは不安だから、ガムか何かで周囲を埋める。これでオッケーだよ」

 これで認めるかと、龍翔は天体望遠鏡から駆へと目を転じた。しかし駆は挑むような目を向けたままだ。いや、その鋭さは先ほどよりも増している。

「なぜそんなもので包丁を飛ばすことが可能なのか。これはドライアイスが液体にならずにすぐに気体になる。つまり昇華することに関係している。ドライアイスの昇華温度はマイナス七八.五度。しかも昇華することで体積は七五〇倍となる。もちろん、単に密閉したペットボトルの中で昇華したというのでは、そう簡単に飛び出す現象は起こらない。きっかけが必要だ。そのきっかけを得るためにも、仕掛ける場所は本棚である必要があった」

 それこそが乱雑さと関係してくるのだ。エントロピーではないが、戻ることは不可能。つまり本が崩れればいい。

「予めバランスを崩した形で本を並べ、ブックエンドの代わりにここでもドライアイスを挟んでおく。こちらはペットボトルより先に溶けては困るから水を使っていないだろう。そしてその先にペットボトルを仕掛けておいた。煙が出ることになるが、坂井先生が研究室で煙草を吸っていることを知っている君からすれば、これは問題のないことだった。坂井先生に新しいのをどうぞと、薬を勧めておけば確実に部屋の中は白くなる。ちょっとの煙が下の方に溜まっていたからといって気にならないことだろう。そう、証拠を一切残さず、たった一人でいる瞬間に命を奪うことが可能なんだ。時間が来てドライアイスが完全に溶けると、辛うじて止まっていた本が一気に雪崩れる。それが膨張してパンパンになっているペットボトルを押した。それによりペットボトルの中の空気圧のバランスが崩れ、蓋を押し飛ばす。ここでは包丁だな。あれがセラミックで出来ているために軽く、飛ばすのに問題はない。勢いよく飛んだ包丁は、酩酊状態で座っている坂井先生の胸を貫く。坂井先生がどういう向きを取るかは、日頃から灰皿が置いてある方向で解るしね」

 そこで龍翔は一度言葉を切った。駆はもう反論するつもりもないようで、じっと龍翔を見つめたままだ。その視線に正体がばれたかと不安になるが、ここまで話してしまった後だったらばれても問題はない。

「さて、ここまで完璧に考え抜かれたトリックだったが一つ盲点があった。それは音だ。そうだよね」

 わざと龍翔は同意を求める。それに、駆は無意識に唇を噛んだ。そう、あのトリックは大きな破裂音がするのだ。本が崩れる音は、恵介のあの本棚であれば日常的に起こっていたはずなので驚かなかったが、ペットボトルのキャップが飛ぶ瞬間の音は別だ。バンッと驚くほど大きな音が部屋に響き渡ったことだろう。いくら薬でしたたかに酔っていたとしても、これには本能的に驚くことになる。

「――どれも、俺がやったとの証拠にはならない」

 総てが明らかにされたところで、駆はそう呟いた。たしかに今までのところ誰がやっても成り立つことしかない。それに気づいた駆は笑った。そう、ここでにやりと笑ったのだ。それは断罪されないとの確信が含まれている。

「はあ。解っていないね。君、俺のことを勘違いしているんだろ。違うかい」

 しかしそれは通用しないと龍翔は溜め息を吐いた。なぜならばここまでの犯罪は総て誰でも可能だが、ある勘違いがなければここまでのことになっていない。それは天翔にも指摘したことだ。

「勘違い。何ですか。俺はあなたのことを勘違いしたことなんてありませんよ」

 しかし絶対的な自信を得た駆はふんぞり返って訊く。もちろん、その勘違いもより強く出られる理由だ。結局は同じ穴の狢ではないか。ここまで見抜かれたのならば立場の弱さを突いて脅すだけだ。そう開き直っている。もう、天翔のためだったとの言い訳は忘れているのだ。

「いいや。大きな勘違いをしているよ。俺が薬をやっている。そういう勘違い」

「――」

 勘違いわけあるかと、駆は龍翔を睨み付ける。それは推理を披露していた時よりもきつい眼差しだ。

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