第37話 双子の合流

 ようやく現れたヘリを、天翔は必死に目で追っていた。あそこに龍翔が乗っている。それを、恭輔以外の誰にもばれることなく迎え入れなければならない。そう考えると妙な緊張感があった。

 もちろん警察への対応も恭輔が行うことになっているので、心配するほどのことは起こらない。が、そこから犯人を追い詰めるまで誰とも出会わないようにというのは可能だろうか。

「そう緊張するな。ばれるぞ」

 ミーティングルームの窓に張り付く天翔に、恭輔はそっと耳打ちしてきた。たしかに、これでは何かあるとばれてしまう。

「俺にはまだ犯人の目星がついていません。それだけに」

 しかし緊張の理由ははっきりとしていた。トリックは解ったものの、未だ天翔は誰が自分のためなんて理由を使って殺人を正当化しているかを見抜けていない。それが、誰に対して警戒すればいいのかが解らずにそわそわした気持ちにさせる。

「それは俺も解らないな。喫煙者というのは解っているが、日頃から喫煙スペースに近づかないからな。何となく服に付いた臭いで吸っているのかなとは思っていても確証はないし」

 圭太にしても秀人にしても気づかなかったからなと、恭輔は自信がないと首を振る。駐車場の横という解放された空間にあるせいか、よほどのことがない限り臭いがしないのだ。

 二人はヘリが降りる予定の南館の駐車場へと向かって歩き始めた。ミーティングルームの中にいるメンバーもそうだったが、廊下や研究室にいるメンバーからは、ほっとした空気とそわそわと落ち着かない空気が漂っている。誰もがあの殺人事件はどう決着がつくのか。それに対して期待と不安を抱いているからだろう。

「そう言えば、坂井先生が喫煙していることを以前から知っていましたか。兄は二つ目の事件の話の段階ですぐに解ったって言ってたんです」

 黙々と歩くのも変で、天翔は北館の玄関を出たところで訊いていた。一瞬、秀人の死体へと目をやってしまったのは仕方がない。そこを避けて通ることは出来ないのだ。

「まあ、服からの臭いというのは坂井から感じていたことだからな。部屋でも吸っていたんだから、服に付きやすかったんだろう。それは、友部君が解った理由にはならないな」

 恭輔は知っていたと、しかしそれはこの事件の前からだと正直に言う。

「俺が喫煙者で知っているのは、一人です。でも、そいつは疑いたくない」

 実は、そいつの可能性が最も高いのではと天翔は思い始めていた。自分のためとの理由が成り立つし、それにどこか恵介を嫌っていた。しかし、薬物をくれていた相手を、たとえ天翔が同じように吸っている可能性があるとして殺すだろうか。まさか、今後はそれを恩に着せて天翔から貰うつもりか。どっちにしろ、その可能性は真っ先に否定してほしい。

 南館の裏にある、外からやって来た研究者用に作られた駐車場に、丁度よくヘリは止まろうとしていた。バラバラとプロペラから発せられる轟音で耳が痛い。

 月曜日が休館日だっただけでなく、外からの研究者がいなかったというのも犯人には好都合だったろうなと、一台も車が止まっていないそこを見て思う。本当に知り合いしかいない空間で起こった事件なのだと、今更ながら実感してしまった。

 おそらく雨で出られなくなったことだけでなく、この知らない人がいないということも、犯人に連続殺人という凶行を実行させた理由だろう。全員が知り合いで、そしてトラブルを抱えている。このことがどこかで理性が働かなくなってしまった。

 そんな鬱々とした思いに囚われている間に、ヘリはゆっくりと地面に着陸した。相変わらずプロペラの音が耳に痛いものの、ヘリのドアが開くと緊張感で気にならなくなる。

 まず降りてきたのは警察官だった。制服を着た一人とスーツを着た刑事と思われる人物だ。そのうちのスーツの方の男性がすぐに恭輔へと駆け寄ってくる。

「この度は災難でしたね」

 刑事は名を吉田憲之といった。年は五十代で人の好い顔をしている。心配そうな目元も、相手に安心感を与えるものだ。

「いえ、それより彼は」

 刑事よりも当てにしているとは言えないが、真相に気づいているのは龍翔だ。それは吉田も解っているようで、仕方ないといった風に後ろを振り向く。すると、慣れないヘリのせいで足取りの怪しい龍翔が、ふらふらとこちらに歩いていた。

「あの方とそっくりですね。双子ですか」

「ええ、あっちが兄です」

 天翔は事件の説明の際に言わなかったのかと、気分の悪そうな龍翔を思わず睨んでしまう。これから行う推理に警察も協力してもらうのではないのか。肝心なところが抜けている気がする。

「こういう緊急事態でなければ許可できないことですが、事件の早期解決のために彼に協力してもらいます。ま、ここで解決しなくても容疑者は限られている。しかもここから逃げることは不可能だ。失敗しても何の問題もありませんしね」

 他の警官隊が到着するまでは大目に見る。それが吉田の立場であるらしい。将敏の依頼とあり、必死に妥協点を探したことだろう。ちょっと照れた顔をしている。

「それにしても、あの友部さんは本当に日本一の大学の先生ですか。経緯の説明や推理については、まあ、さすがと思わせるものがありましたけど」

 まだやって来ない龍翔に、吉田は寛大な精神を見せつつも心配だという様子だ。本来ならば民間人を乗せずに鑑識の一人でも乗せたかったのだろう。余計に不安になっているように思う。

「やあ、天翔。久しぶりだな」

 何とか吐くことは免れた龍翔は、凄く揺れるんだよと嘆いてみせる。その言葉通り、顔色は真っ青だった。

「お久しぶりです」

 そんな呑気さに、やっぱり無理かもと思わないでもない天翔だ。しかし、そんな気持ちとは裏腹にほっとしているのも事実だった。その複雑な心情は、まだ龍翔を兄として受け入れきれないでいることの証拠だった。

「まあ、この気持ち悪さのおかげで最も不安だった雰囲気も似たかな。俺ってどうにもぼんやりしているからね」

 そんな複雑な目で見られているとは知らずに、龍翔はさらにそんなことを言う。気持ち悪さで雰囲気が似るってどういうことだよと、天翔はむすっとなってしまった。

「お久しぶりです。今回はこんなことで手を煩わせてしまって」

 そんな二人に任せていては話が進まないと、恭輔が割って入った。握手を求め、こっちだと北館を指差す。

「いやいや。天翔に関わることで、しかも本人が出るとややこしくなる問題ですからね。それより、刑事さんと一緒に坂井先生の部屋を見せてもらっていいですか」

「それはもちろん」

 恭輔はしかし、このまま入ると天文台にいるメンバーと鉢合わせるのではと心配になる。

「ああ、そうか。あのトリックで合っているかさえ解れば、俺はいいんですけど」

「ならば大丈夫ですよ。兄さんの言ったような方法で殺されたのは間違いないです。包丁だったのは、あれに丁度良く収まったからでしょう。椅子の横にあれが落ちていました」

 あくまで他人行儀に話を進める天翔に、恭輔だけでなく吉田も不思議なものを見るように天翔を見てしまう。

「なるほど。助かったよ。そこら辺を、こっちの建物で聞かせてもらうか」

 しかし龍翔は気にすることなく話を進めていく。こっちは今、誰もいないようだしと龍翔は南館を見た。実際には職員が数名いるが、事件が起こった時には北館に来ることは不可能だったから問題ないだろう。

「それより誰が犯人か教えてください」

 トリックよりもこっちが肝心だと、自分に関わることだけに焦る天翔は龍翔を睨む。

「解っているよ。しかし、鳥居先生にはその名前を知る前にご協力頂きたいんです」

「えっ」

 いきなり指名された恭輔は何だと目を丸くする。話の流れからして、その協力はあまりいいものではなさそうだ。

「簡単です。刑事さんと一緒に一芝居打ってもらいたいんです。どうせこれを目撃する人数は少ないですからいいですよね」

 誤認逮捕ではなくすぐに真犯人を捕まえるわけですしと、やることがあっさりと解る一言を付け加える。それに恭輔は顔を引き攣らせた。

「本当に今回は特別だからな」

 推理小説のように毎回こんな風に警察が協力していると思うなよと、吉田は思わず釘を刺す。しかし推理小説なんて読まない龍翔はそうですかと気のない返事だ。この二人、どうも噛み合わない。

「その、みんなの前で犯人として捕まれ、そういうことかな」

 しかし吉田が承認したとしてもそれが可能なのかと、恭輔はまだ顔を引き攣らせたままだ。そもそも演技なんて出来ない。

「大丈夫ですよ。刑事さんが頭ごなしに逮捕してくれればいいんです。それで天翔のためだと思い込んでいる犯人はショックを受けるでしょう。こちらの問いにも簡単に答えてくれるはずです」

 目の前で恭輔がいなくなる。これこそ必要なのだと龍翔は笑う。それで天翔はやっぱり彼がと呟かずにはいられない。

「他の可能性はまずないだろうね。天翔がいつも一人でいる時間を持っていることを、犯人は知っていなければならない。それは同じ研究室でなければ知りようのないことだ。そしてこの推理のポイントは、誰も何の目的で一人になっているかを知らないからこその勘違いということだ。他の喫煙者に訊いても、一緒に吸ったとの情報は得られなかった。というか、吸っているはずないと否定されたはずだ。だからこそ、拙いものだという勘違いをより強くすることとなった。まあ、自分を基準に考え過ぎなんだけどね。で、そんなヤバいものを持っている天翔が現在、同じく薬仲間の坂井先生のせいでピンチとなった。これは恩義を売っておくべきと考えて当然だろうね。別に坂井先生がいなくなっても別のいい薬が手に入るようだし、何より天翔の方が印象が良かったんだろう。慕っている気持ちに偽りはないはずだ。とまあ、様々な感情の上で今回のことが起こったはずだよ。最初はたまたまだったとしてもね」

「えっ」

 はっきりしない言葉の羅列な上にさらに謎の言い回しが出てきて天翔は訊き返してしまう。

「おや、気づいていないのかい。この事件は何も計画されて実行されたものではないんだよ。おそらく犯人は坂井先生と手を切りたいと思いつつもいい案が浮かばなかったはずだ。天翔が薬をやっているかもと思っていても、その現場は押さえられない。もし鎌を掛けて違った場合、自分が薬に手を染めていることがばれる。まさに八方塞がりだったんだよ。そこに追い打ちをかけるように天翔の任期の問題が持ち上がった。このままでは坂井先生は残るものの天翔はここを去ってしまう。そういう心理状態だった。そこに、あの大雨と最初の事件という偶然が重なったんだ」

 すらすらと言葉を紡ぐ龍翔に、天翔だけでなく恭輔も吉田も引き込まれていた。そして任せていれば必ず事件は解決するのだとの確信を強くする。

「さっさとやりましょう。この先生を逮捕すればいいんですね」

 あれだけ渋っていた吉田が率先してそう訊く。その顔には先ほどまでの不信感は一切ない。これに恭輔はまだ嫌そうだったが覚悟を決めるより他なかった。

「そうですね。あっ、天翔。もうここから入れ替わろう。その方が手間が省けるからな。犯人が鳥居先生が連行されるのを見てどういう反応を示すかも知りたいし。天翔は天文台室に先に行っていてくれ」

 龍翔はにっこりと笑って天翔を見る。それに対して、ああ、やっぱり入れ替わるのかと、天翔は不機嫌になる。本当に入れ替わらなければ犯人が解らないのだろうかと謎だ。龍翔の性格からして楽しんでいるだけという可能性もある。

「あとはちょっとした仕込みが必要だな。ただ芝居をしてくださいというのも無責任ですし。それに妙な矛盾があってはそれを誰かに指摘されて終わりです。あと、ここにいるメンバーについて簡単に教えてくれ」

 着々と準備を進める龍翔は、吉田と恭輔にこれからの段取りを伝える。天翔はなぜかここに来て蚊帳の外だった。そこに不安や不満があるもどうしようもない。こうしてついに犯人を追い詰める段取りが整うのだった。

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