第34話 真相は意外なところに

 電話を終えた天翔は、すぐに恭輔の元に向かっていた。もし犯人が煙草を吸っていることを勘違いしているとすれば、あまり長く一人でいるのは賢明ではないように思えるし、何より現場をもう一度見ておきたかった。

それにはともかく安全な第三者と行動するに限る。龍翔が恭輔に協力を頼むと言ったことと、非喫煙者であることを考えれば最も安全な人だ。容疑者から外して問題ない。

 天翔がミーティングルームに戻ってみると、夜明けまであとどれくらいかと時計を睨み付ける恭輔の顔に、今までに見たことがないほど疲れが色濃く刻まれているのを見つけた。ちょっと休んでもらいたいとの思いもあるが、他に頼れる人がいない。

「先生」

「ああ、ちょっと待て」

 天翔が席を外していた理由を知る恭輔は、その微妙な表情から何かあったなとすぐに察して、入り口で待つように言った。そして雅之に何か耳打ちすると、しばらく出ると電話の番を頼んだ。

「お兄さんとは連絡が取れたのか?」

「ええ。それで一つ頼み事があるんですけど」

 廊下を歩きながら手早く龍翔がこちらに向かっていることを告げた。ちゃんと警察にコネのある将敏の存在も話し、明日の朝のヘリで来られると伝える。

「なるほど。友部君は随分と行動的なんだな」

 双子とはいえ違うものだと恭輔は笑う。たしかに天翔がこんな場面で積極的に動くことはないだろう。しかしそれは育った環境が違うせいだ。そう思って不機嫌になる天翔に、恭輔はすまんと謝った。

「まあ、君がお兄さんを受け入れただけでもいい変化だよ。最初の頃、兄だと名乗り出た友部君のことを君は嫌っていたものな」

 当時の様子を横で見ていた恭輔は笑いを引っ込めない。日頃は難しい顔をしていることが多いというのに、こういう悪戯好きなところがあるのだ。

「嫌ったわけではないです。ただ、急に兄だと名乗り出られても、どうしていいか解らなくて」

 そう口では否定したものの、実際、天翔は直感的に龍翔のことを嫌いだと思った。素直で何も怖いものがなく、孤独とは無縁。それが龍翔から受けた印象だったせいだ。事実、実家で育った龍翔がそういった点で苦労をしたことはない。

 しかし、ずっと寂しかったとの告白には面食らうことになった。彼は彼なりに孤独と闘っていたのだ。そして、大事そうに出生届のコピーを持っていたことを知ると、さすがの天翔も嫌いの一辺倒ではいられなくなった。

「いい奴だからな、彼は。今もこんな大変なところに、すぐに駆け付けるほどだ。で、君はまだその謎が何か解らずに、もう一度現場を見てみようと思ったわけだ」

 恭輔はそう言うとすぐに足を給湯室に向ける。こういう世話好きな面をもっと普段から見せればいいのにと、天翔は自分の不器用さを棚に上げて思ってしまう。そうすれば、もっといいポジションで研究できることだろう。

「さっき確認したが、心臓に刺さっていたものを無理やり抜いたからだろうな。大変なことになっている」

 給湯室の手前まで来て歩を止めた恭輔は、覚悟した方がいいと忠告する。胸に刺さったままだった包丁を引き抜いているのだ。それが死んだ後だったとしてもどうなったかは、天翔には想像できる。

「解っています。せっかくの処置が無意味になってしまいました」

 死者への冒涜だと、天翔は素直にそう思う。一体犯人はなぜそこまでしなければならなかったのか。やはり水で濡らしたのは何かを消すためだったのか。

 その疑問は給湯室の中を見てより一層強い疑惑となった。わざと引き抜いたとしか思えない。それは単に引き抜いただけでなく、わざわざ部屋を汚したように映った。床一面に広がった血の海は死体から流れ出たことで黒く変色しており、より禍々しさを感じさせる。

 ここにしか刃物がなかったわけではないだろうに、わざわざ引き抜いたのは証拠を消すためだ。それは龍翔の指摘にもあった。しかし何を消したいのか。水が乾いた後に確認したが、何かが残っているようには思えなかった。

「煙草か。しかしどうして」

 煙草のトラブルというのがどうにも解らない。ここで吸っていていざこざになったとしても、殺すまでのトラブルに発展するだろうか。

「そもそもあの表情の理由は何だ。まさか」

 ある可能性がようやく天翔の頭に閃いた。たしかにそれが本当ならば犯罪行為だ。それはどんな言い訳があっても許されるものではない。

 恭輔の方を見ると、同じことを考えていたと頷く。つまりそういうことだ。ここで犯人を含めた被害者たちは煙草と称して何らからの違法薬物を使用していた。そしてそれは間違いなく、煙草のような外見をしている。

「そして俺も、それをしていると疑われた」

「なるほど。よく一人になる若宮にもその疑いを持てるのではないか。そう犯人は考えていると。だから友部君が代わると言っているわけだな」

 何とも単純な思考だなと、恭輔は不快そうだ。そう言えば、ここが全館禁煙になる時に率先して行ったのは恭輔だった。雅之はどちらかといえば寛大な態度でいいと、一部に喫煙スペースを設けようと言っていたはずだ。

「だから片桐先生なのか」

 雅之が寛大だったのは、自らが吸うからではなく自分より上の世代との付き合いが多いためだ。まだまだ上の世代では喫煙が当たり前との風潮がある。雅之が吸わなくても周囲には吸えるよう配慮する。そういう考えがまだある。そこを突き、恵介は何度か雅之に、喫煙をしていたことを許してもらっていたのではないか。

「繋がるな」

 最初、雅之が動揺を見せたのも煙草の事実を知っていたからだ。そして、それが違法薬物の可能性にも気づいていた。だから慌てふためいた。ここに警察が来てそれがばれれば、自分にも責任の目が向くのは必定だ。単に殺人事件が起こっただけでもややこしいというのに、それが薬物を巡るトラブルだとすると面倒だと考えていた。

「しかしどうして」

 俺が関わっていないと解ったら動揺しなかったのか。まさか恵介に総ての責任を擦り付けるつもりだったとか。

「おそらく、片桐先生の中の推理では、トラブルを起こすのはお前だと考えていたんだろうな。任期付きの助教という不安定な立場にある。そこで薬物に手を染めた末に犯罪を起こした。しかし、実際に狼狽えたのは坂井の方だけだった。それにより、犯人の絞り込みが出来たんだ。だから、冷静になったというところだろう」

 やはり一貫して薬物がらみの事件だったというわけだ。事件の性質は雅之が考えていたものと異なるだろうが、結局は違法行為を見逃したということになる。恭輔は呆れ返ってしまった。

「じゃあ、ここにそれが解るものがあったんですね」

 すでに血のせいで何が何だか判別できない床に目を向け、天翔は唇を噛む。それがあれば犯人を問い詰めることは容易だったかもしれないのに。おそらく、犯人にとって決定的な証拠、薬物片か何かが落ちていたのだ。

「まあ、それだけで犯人の告白を引き出すのは難しいのではないか。犯人はお前のためだと思い込んでいるんだろ?」

「あっ」

 それを忘れていた。つまり、ここでの証拠を消したのも天翔に疑いの目が向かないようにと考えてのことだった可能性がある。あれが落ちていれば、誰でもすぐに同じ可能性に気づくことになるのだ。

「ややこしいですね。犯人の動機が二つあるために考え難くなっているってことですか。一つは違法薬物に関してのトラブル。もう一つは俺」

 しかしそれがどうして恵介を殺すことへと繋がるのか。恵介が消えたからといって天翔に何かメリットがあるだろうか。

「お前のことを同じように薬物をしているって思っているんだろ。もし坂井が犯人に薬物を流していたのだとすれば、坂井も犯人もお前がどうやって薬物を入手しているのか。それが気になっていたはずだ。そこで何らかのトラブルがあったとしてもおかしくはない。つまり薬を巡って何かがあったんだ。そこにお前の次の職の話も出ていたのかもしれない。つまりお前を引き込むか否か。そういう揉め事があったのだろう」

 お前は肝心なところが抜けているぞと恭輔は溜め息を吐く。こういうのは当事者となると見えなくなるものだ。やはり解決には龍翔の手助けがいることだろう。

「そうですか。次は一階の廊下でしたね」

 自分にはとんでもない疑惑が掛かっているのだったと、天翔はこそこそとした行動を取ったことを反省するしかない。そしてその疑いを晴らすには、やはり龍翔が必要だった。

それにしても圭太も薬物をしていたのかと、すでに毛布が掛けられて顔が見えない圭太へと視線を向けて複雑な気持ちになる。

「毛布は先生が」

「いや。犯人が掛け直していったんだよ。この血の海に、さすがに踏み込む勇気はない。それに足跡は一つしか残っていないだろ。その引きずったようなやつだけだ」

 恭輔が指差して指摘する通り、部屋の中にある足跡は、おそらく自分のものと解らないようにするために血を擦り付けたものだけだった。

「解らないな」

 毛布を戻さなくてもここで行われたことはばれる。それなのにどうしてちゃんとしたのか。この行為を死者への冒涜と感じた天翔には、不可解なことだった。ひょっとして犯人は包丁こそ必要だったものの、圭太には悪感情を抱いていなかったのかもしれない。


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