第29話 ついに繋がる

 夜遅く。自宅に帰った龍翔は鞄を肩に掛けたまますぐにテレビをつけていた。そして自分があまりに呑気だったと知ることになる。どうして定期入れを失くした時に、彼のことを思い出さなかったのか。いくら物理学者とはいえ、虫の知らせくらいは感じ取ってもいいのではと思ってしまう。

「これは酷いな。まさかこんなことになっていたなんて。凄い土砂崩れだ」

 昼間、僅かな止み間を利用して撮ったという空撮映像は、山が半分ほど消えたものだった。土砂崩れが周囲の森林を押し流し、さらに麓にあった町を飲み込んだという。行方不明者は多数に上っているものの、まだ雨が止まないということで救出作業はままならない。

 それは天文台のある隣の県での出来事だが、この崩壊した山は大きく、県境に近い天文台の近くの川を堰き止めてしまったという。それにより、天文台のある山の下でも洪水が起こり、大きな被害をもたらしていた。当然、天文台へと繋がる一本の道も押し流されてしまっている。

「あいつ、こんな時に連絡してこないとは」

 おそらく天文台に閉じ込められているであろう人物に対し、龍翔は思わずスマホを見つめて愚痴を零してしまった。こんな時こそ頼ってほしいというのに、やはり遠慮があるのだろうか。それともまだ信用されていないのか。

「ま、俺なんて当てにされてないだけか」

 体力も何もない物理学者に連絡したところで、何かが変わるわけではない。しかも自分は東日本にいて、向こうがいるのは西日本。距離もある。それに今までのことを考えての遠慮もあるだろう。下手に心配を掛けまいと思っているのかもしれない。

「いや、ただ存在を忘れられている可能性もあるな」

 忙しい時に自分を思い出すとは思えないと、龍翔は自分で言っておいてへこんでしまう。頼りないことは重々自覚しているものの、忘れられているだけだと思うと悲しいものだ。まあ、三十年近く知らなかった相手なのだ。いまさら気に掛けろというのが無理な相談なのかもしれない。家族だという意識は、龍翔は持っているものの相手は持っていないのだろう。

「雨はあと数時間で止む模様で、今後は天気が回復する見通しです」

 いつの間にか天気予報となっていたテレビは、そう伝えてくる。たしかに衛星画像を見るともう雨雲を予想するものはない。西日本の大雨が降っていた地帯も明日には曇りのち晴れとなっていた。

「大丈夫かな。道が押し流されているものの、山の上だから土砂崩れに巻き込まれたというわけではないだろうけどな」

 ニュースは引き続き被害の状況を伝え始めた。それによると、自衛隊の災害派遣が決定したという。明日からは本格的に捜索活動が始まるのだ。それと同時に災害対策の専門家の調査も始まるという。

「ううん」

 龍翔はスマホとテレビを交互に見ながら、連絡しようかどうしようかと悩む。自分は受け入れていると言いながらも、まだ周囲に知られないようにしたり、こうして連絡を躊躇っているのだ。向こうのハードルはもっと高いだろう。やはり総てが収まって落ち着いてからの方がいいのかもしれない。

「定期入れ、あれはやっぱり虫の知らせだよな。あいつから初めて貰ったものだ。それに」

 一緒に撮った写真と、ずっと大事に持っていた出生届のコピー。それをあれに仕舞ったのだ。これからはもう離れないぞという決意を込めて。彼は大事な自分の片割れなのだ。何かあったから、彼の身に大変なことが起こっているから自分のカバンからなくなっていたのではないか。そして向こうの現状に気づいた今日、知行が拾うという形で出てきた。

「ま、物理学者が運命論を信じるってのは奇妙だけど」

 物理学は数式で証明できてこその学問だ。でも、自分たちはそんなことに関係なく運命を信じたくなる関係なのだ。真剣に繋がりの強さを調べている研究者もいる。なぜなら、遺伝子は同じだからだ。これほど強い繋がりはない。

「うん」

 これは自分から電話しないと、龍翔がそう決意してスマホを握り締めた時、急にそれが震えた。当然、驚いて落としてしまう。

「ああっ、えっ」

 床に落ちたスマホが表示する名前に、龍翔はどきっとした。それは今まさに電話しようとしていた相手、若宮天翔だ。向こうから連絡をくれたのだ。

「も、もしもし」

 嬉しい反面、妙に緊張して喉が渇く。ああ、まだ慣れていないなと自分の状態に恥ずかしさがあった。

「あ、その兄さん。今、大丈夫かな?」

 それは向こうも同じようで、ちょっと掠れた声をしている。ということは、連絡するまでの葛藤も同じようにあっただろう。やっぱり双子の兄弟だと、なぜかそれで安心してしまった。

「無理に兄さんって呼ばなくていいって言っただろ。龍翔って呼び捨てにしてくれた方が、俺としても楽だしさ。それで、そっちは大丈夫なのか。西日本は大雨で大変みたいだが」

 避難所の様子がテレビで映し出されている。すでに二日、被災者たちに疲れが出ていることは、解説されなくても見て取れる。おそらく電話を掛けてきた天翔もだろう。

「天文台に閉じ込められているよ。道路が土砂で塞がってしまって山を下りられないんだ。それに、ちょっとトラブルがあって」

 天翔は言いながら深く息を吐き出していた。事件そのものは明日、警察がちゃんと調べてくれる。現代の科学捜査をもってすれば、すぐに手掛かりは見つかるだろう。犯人逮捕も、閉鎖された空間でのこととなればすぐのはずだ。

 しかし、雅之のことがどうしても引っ掛かる。最初に見せた、普段とは違う焦った様子。あれが責任者だからとはどうしても思えない。そして、あの圭太の死体をじっと見ていた様子。さらに自分には捜査することを許可した。ひょっとして雅之は天翔に関わることで事件が起こっていると考えているのではないか。

「トラブル。何があった?」

 龍翔は大丈夫かと心配になる。トラブルと言ったまま黙ってしまった天翔に、とんでもないことかと龍翔の不安を煽る。これまで連絡してこなかったのもそのせいか。

「――それが」

 色々と悩むことがあるものの、明日になれば解ることだ。天翔は電話したからには言おうと口を開きかけたが

「うわああっ」

 またしても響いた悲鳴に、話が止まってしまう。

「天翔」

「すみません。詳しくはメールします」

 慌ただしく電話は切れ、龍翔は呆然としてしまう。一体どうしたというのか。ただ閉じ込められているだけではないことは、今の慌ただしい様子から解った。

「それに」

 微かだが聞き取れた悲鳴。これは非常に拙い状況なのではないか。龍翔は自分の額から冷や汗が流れ落ちるのを感じた。

 そんなことをつらつらと考えているとまたスマホが震えた。心配し過ぎだったかと表示を見ると、電話は天翔からではなく悠大だった。この緊急時に何だとイライラしたが、相手は何も知らないことを思い出し電話に出る。天翔のことを知るのはまだ知行だけだった。

「どうした?」

「あ、友部。明日のことだけどさ」

 明日のことってなんだと思ったが、すぐに智史のための飲み会のことかと気づく。思えばこっちが悩んでいたことは友人の初恋だ。何とも平和な悩みだったと舌打ちしたくなる。

「何だ、今それどころじゃ」

「行くの、無理になったんだよ。ほら、今、西日本で凄い大雨になっているだろ。あれの救援に俺たちが開発しているロボットが使われることになってな。がれき撤去や取り残された人の捜索に役立てるんだよ。で、緊急で災害現場に向かうことになった」

 西日本の災害現場に行く。その悠大の言葉が龍翔にはとてつもないチャンスに思えた。ここまで呑気だった自分だが、助けに行くことが出来るかもしれない。

「だから飲み会は無理だって岩本教授に」

「それしかない」

 龍翔は知行の名前が出たところで勝手に電話を切っていた。助けに行くには悠大に許可をもらっても仕方がない。彼が所属する研究室のトップに掛け合わなくては。それには知行に協力を求めるのが手っ取り早い。

「先生」

 すぐに電話を掛けた龍翔は、出た知行に用件を早口で伝えた。相手が今、どういう状況か考える余裕すらなかった。だから丁度いいと言われて何のことだとなる。が、それを問い質す時間も惜しい。

「助けたいのはこの写真の彼かい?」

 知行は定期入れの中に入っていた一枚の写真を見ながら言う。それはつい一年前、偶然が重なって再会した時に二人で並んで撮った写真である。さすがは双子と思わせる、そっくりな二人がそこには写っていた。

「そうです。そいつです。初めて弟に何かしてやれるんです。お願いします」

 龍翔がそう必死に訴えると、急によく言ったと知行以外の声が電話からした。

「えっ」

「俺だ俺。保田だ」

 電話を代わったのはなんと、許可を取らなければならない悠大のところの教授、保田将敏だ。知行と仲がいいことは知っていたが、まさか一緒にいるとは思っていなかった。

「若い研究者の恋を手伝うのも大事だが、兄弟愛を救うのもまた大事。俺に任せろ。超特急で行ける手段を用意してやる」

 そう言って笑う将敏に、どうしてそうなるんだと思ったが、はたと気づいた。この教授二人は今、自分たちの写真をネタに話し合っていたのだ。

「よろしくお願いします」

 しかしそれについて文句は言えない。おかげでスムーズに事が運んだのだ。だから素直に感謝する。

「任せろ。友部は今から出発の準備をしろ。一時間後に大学で合流するぞ」

「えっ」

 あまりにとんとん拍子に話が進むだけでなく、一時間後に合流と言われて驚く。まさか将敏自らが動くというのか。すると他に誰がいるんだと呆れられた。

「定期を持ってるってことは、お前も運転免許を持ってないんだろ。まったく最近の若い奴は。現地調査に早めに入ることにするとして、天文台までの足を見つけねえと」

 つまり今から車で西日本へと向かうと言っているのだ。もし悠大が免許を持っていれば彼に頼めたが、あいにく龍翔と同じく持っていないということらしい。

「すみません」

「いいってことよ」

 なぜか江戸っ子調子になって言う将敏にもう一度礼を言い、龍翔は電話を切るとすぐに用意を始めた。

「そうだ」

 行くにはいいが、どういう緊急事態なのか解っていない。それを知らずに乗り込んでも迷惑になるだけだ。詳細を送ってくれと、龍翔は天翔にメールをしておいた。しかし一時間後という制約があるため、返信を待たずに慌ただしく家を飛び出していた。

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