第28話 天翔の秘密
「なあ、聞いてもいいか。その」
「移動しよう」
将貴がその影の理由を知りたい、そういうニュアンスで話し掛けると、天翔は場所を変えて話そうと歩き出した。駆が何かあったのかと心配そうにこちらを見ていることに気づいたからだ。先ほどのことを見ている駆も天翔のことが気になるのは解るが、まだ将貴以外に話す気にはなれなかった。
二階の廊下はいつも通りの明るさだというのに、ほぼ全員がミーティングルームにいるせいか暗く感じられた。雨は確かに小降りになっていて、あれほど気になっていた雨音もしない。それでも、この天文台の中に流れる空気は陰鬱なままだ。
「天翔」
「俺、小さい頃に、正確には赤ちゃんの頃に養子に出されたんだよ。事情があってそれを知ったのはつい最近なんだけど、でも、ずっと何かあるなとは思ってたよ。で」
よく言われていたのがあの言葉なのだ。よほど自分は可愛くない子どもだったのだろう。実際に今でもそうだが、自分の感情を表現するのは得意ではない。
だから、同じ言葉を浴びせられて、感情の制止が飛んでしまっていた。あの時は自覚がなかったが、今ならば恵介を殴っていたかもしれないと思うほど危うかった。それだけずっと気にして生きていた証拠である。
「それが育ててくれた叔父さんと叔母さんってわけか。でもさ、それってずっと懐いてくれないと思ってただけだろ。子供ってやっぱりそういうのに敏感だからな」
本気で言ってはいなかったのではと、将貴はそう思う。当然、それは天翔も気づいていることだ。
「大人になればそうだったって解るけど、でも、小さい頃に言われたことって結構根深く残るものなんだよ。結局、叔父さんとは喧嘩別れしたようなものだ。二度と父とは呼ばないし家には近づかない。そう宣言してしまった。それに叔父さんは医者として、自分の病院の跡取りが欲しかったらしい。それで自分の兄である俺の実父から次男であるという理由で養子としてもらい受けた。でも、俺はずっと医学に興味はなく、天文学をやりたいと思っていたんだ。決別したのも、大学進学を巡ってだしね。そこで自分が養子だったってことを知ることになったってわけ」
そういうわけで、あまり愛情がなかったのかもねと天翔はつい付け加えてしまう。叔父の意向に沿って理系には進んでいたものの、いつも何か納得できないままだった。ただ、今はその道を進んでいてよかったとは思う。好きだったことは天文学で、それには理系であることが重要だった。それに、理系に進んだのは叔父さんが決めた以上のものがあった故なのだと、今は知っている。
「それに」
叔父は言わなかった事実、自分が養子となった経緯に関わるもう一つのことを、天翔は覚悟して打ち明けた。今まで誰にも言っていない、こんなことがなければずっと黙っていただろうことだ。
「はあ、結構壮絶だな」
今でもそういうのってあるんだと、将貴は小説かドラマの話を聞いているようだと思ってしまう。跡継ぎだの養子だので立場が困る。それが現実のもととしては考え難いのだ。しかし、天翔はそれを小さい頃からずっと経験していたというのだ。しかもたんに養子に出されただけでなく、とんでもない秘密付きとは驚く以外のリアクションが取れない。人間、必要以上に驚くと普通の反応しか出ないものなのだ。
「あっ」
そんな打ち明け話を終えたところで、恭輔がゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。ひょっとして話が終わるのを待っていてくれたのだろうか。だとすると恥ずかしい。
「若宮。少しいいか」
「は、はい」
妙に緊張して答えてしまったが、恭輔はそれを不審に思った様子はない。むしろ触れないでおいてくれた。
「久保のことだ。菊川、お前も聞くか」
「いえ、俺は今、いっぱいいっぱいなんで」
天翔の告白だけで頭がパンク寸前だと、将貴はこの場で聞くのはいいと遠慮した。そして少しパソコンに向かいたいからと恭輔に許可を取って一人で研究室へと向かってしまう。
「何かあったのか?」
「少し身の上話を」
不可解な反応だと恭輔が問うので、天翔は仕方なくそう言った。恭輔には学生時代から今までの間に、総てを話してある。だからそれだけで納得してくれた。
「いい友人を見つけられたようで何よりだ。それよりも、あの事件のことだ。詳細を三人から聞けたから話そう」
夕食で落ち着いたところでもう一度聞いたんだと、恭輔は天翔を自分の研究室に誘う。恭輔の研究室は自分の研究室よりも片付いている印象を受けた。当然、事情を聴いていた三人はもういない。二人は適当な椅子を引き出すと向かい合って腰掛けた。
「詳細って、単に雨漏りの点検をしていたんじゃないんですか」
何かあったのかと、わざわざ研究室に入ってでの会話とあって天翔は身構える。ひょっとして何か重大な関係に気づいたのか。しかしそれほどのことではないと恭輔は窘めるように笑った。
「では」
「あのメンバー。和田君は違うんだが、坂井君も含めて喫煙者なんだよ。それで一階の雨漏り点検を買って出て、一階玄関のところでちょっと一服というのをやっていたらしい。館内は全面禁煙で、さらにこの雨で外の喫煙所に行けないとあっての行動のようだな。久保君は意外にもヘビースモーカーらしく、四人で一服した後にもう一本と出掛けて行ってしまったというのが真相らしい。そこを誰かに襲われた。どれだけ雨が降っていても館内で吸えばすぐにばれるから、あの時点では吸っていなかったのだろう。行く途中で襲われたんだろうな。それが島田君と中井君の証言だったよ」
煙草という共通点は盲点だったと、非喫煙者である恭輔は肩を竦める。それは天翔にしても雅之にしても同じだろう。将貴もそうだ。煙草を吸わないメンバーは、同じ研究室にいるメンバーの中で誰が喫煙者かは知っていても、他は知りようがない。
「ということは、小杉君もですか?」
「おそらく。煙草に関して昨日はどうしていたのかと聞いたら、小杉君が亡くなるまでは給湯室でこっそり吸っていたと言っていたからな。あそこ、ガスを使うから換気扇があるだろ。あれで誤魔化していたらしい」
喫煙というのはあまりいい習慣ではないなと、健康面以外でも考えさせられるものだと恭輔は嘆いた。吸いたいという衝動があるせいで、どうしてもルールを破ってしまうのだ。それが今回、殺人事件という形で発覚したのだから何とも皮肉なものである。
「煙草、か」
では、あの給湯室が濡れていたのも煙草に関係しているのであろうか。火を消す必要があるから水は用意していたことだろう。しかしそれでは事件に関係ないということになる。どうして死体を濡らしたのか。そこに意味はなかったのだろうか。
「明日には雨が上がるから、日の出とともに警察がヘリで来てくれることになった。そう気負って考える必要はない」
真剣に悩む天翔に、もうその必要はないと恭輔は肩を叩いた。そしてこう声を掛けたのだった。
「彼に連絡してみたらどうだ。少しは気が休まるだろう」
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