第26話 第二の殺人

 そう呟いたのが彰真だ。それはそうだろう。いないのは秀人。ということは、恵介の視線の先にある毛布を掛けられたものの正体が秀人ということになる。

「嘘だろ」

 ふらふらと近づこうとする彰真を、恭輔が着ていたTシャツの襟首を掴んで止める。このままでは現場を荒らしかねない。

「どうして。問題を起こしたからですか。それくらいしか思いつかないでしょ」

 自分と同じ研究室のメンバーが殺されたのにと、彰真は止めた恭輔に掴みかかる。それを見て、やはり彰真もギリギリの状態で頑張っていたのだとその場にいた誰もが不安になる。

「大丈夫だ」

 横で唇を噛んで不安に耐える将貴に、天翔はそう声を掛けた。今、取り乱していないのは自分だけというのは皮肉だか、誰かが冷静でいないと場が乱れる。それに、この事件は突発的な印象を受けた。それは先ほども考えていた通り、容疑者が絞り込まれるということにある。つまり一階にいたメンバー、恵介に駆、そして主馬に実結だ。

「お前がやったのか?」

 しかし、その冷静さを別の解釈をする奴がいた。先ほどまで茫然自失だった恵介だ。犯人を見つけたと、その顔には鬼気迫るものがあった。

「お、おい」

 恭輔は今度は恵介を止めることになる。天翔に掴みかかろうとしたので、その間に割って入ったのだ。

「だって、こいつさっきからおかしいでしょ。この状況で何とも思わないなんて、犯人以外に考えられない。それにどうして大丈夫なんて言えるんだ。それこそ犯人にしか解らないことだろ。単に大丈夫なんて口に出来るとすれば、それは血も涙もないかだ」

 恭輔が間に入ったことで、より恵介の感情が乱れてしまったらしい。この際だとばかりに悪口が漏れる。それは恵介もまた必死に感情を押し殺していたのだと示すものだ。

 そして、そんな天翔も冷静ではいられないくらいに感情が乱れていた。身近にいた人が立て続けに死んで、誰が冷静にいられるか。本当は悔しいから真相を知りたいのだ。任期付きであっても、このメンバーの一人だと認めてもらいたい。今まで抑え込んでいた感情が爆発しそうになる。どうして、幼い頃から感じていた疎外感をここでも味合わなければならないのか。そんな思いが勝手に渦巻いていく。

「血も涙もありませんよ。それだけです」

 しかしそれを認めることは出来ないと腹に力を入れて天翔はそう言い放った。だが、それは売り言葉に買い言葉と取れる発言だ。

「おいおい」

「二人とも止めなさい」

 あまりに冷たく喧嘩腰の一言に、恵介を雅之が、天翔を将貴が羽交い絞めにして引き剥がすことになる。このままでは殴り合いの喧嘩に発展しかねない。一先ず一定の距離を取らせることが必要だ。

「失礼します」

 さすがに日頃太鼓持ちをやっているだけに、雅之が介入してきたことは恵介をすぐに冷静にさせた。しかしこの場には留まっていられないと、顔を真っ赤にして足早に二階へと去って行ってしまう。それを止めるものは、誰もいなかった。しばらく時間が必要なのだ。こういう時にはそっとしておくに限る。

「お前も意外と喧嘩っ早いな」

 抑え込むことになった将貴は、天翔がもう怒っていないと解るとほっと溜め息を吐く。

「別に喧嘩しようと思ったわけじゃ」

 天翔はそんなつもりで言ったのではないと、思わず口を尖らせる。自分の感情のコントロールに失敗するような振る舞いをするなんて、人生で初めてのことだ。後先考えない言葉が出てきたことに自分でも驚いてしまう。

「そういう子供っぽいところがあるとはねえ」

 将貴はこれは面白いと笑ってから掴んでいた腕を解放した。真面目で冷静なことだけが取り柄かと思えば、心の中ではそれを必死に保っていただけだと知ってしまった。そんな子供っぽさに、将貴は今まで以上に天翔と仲良くなれそうな気がした。大学時代から仲良くしていたが、今まではどこか距離を感じていたのだ。

「いちいち煩いな。お二人とも、すみませんでした」

 天翔は自分のやったことが恥ずかしくなり、さっさと将貴を無視して雅之と恭輔に謝っていた。今は自分のことで手を煩わせている場合ではない。

「いや、構わんよ。あれは坂井君が悪い」

 雅之は気にするなと頷いた。それは恵介を特別視していないことの表れでもある。周囲が恵介の行動を不快と感じる理由に、この雅之の取り合わなさがあるのは明確だった。一体どうしてそんな無駄な努力をしているんだ。周囲はそういうネガティブな目で見てしまっている。

「それで、久保君ですが」

 こうやって横で騒ぎが起こっている間も微動だにせず横たわるもの。ミーティングルームから持ってきたらしい毛布を掛けられていることが、より死を強く意識させる。ただ、そこにいるのは秀人だと解っているのに、心は平静を装うためかそう感じずにいる。

「俺たちが駆け付けた時には、もう」

 そう小さく呟くのは主馬だ。修士課程の秀人は後輩であり、日頃は冗談を言い合う仲だ。それだけにやるせなさが積もっている。どうして一緒にいなかったのか。そんな自責の念もあるのだろう。顔が真っ青になっていた。

「ちょっと目を離した隙だったと思います。土産物店の近くもついでに確認しておこうって、久保が自主的に向かったんです。で、急に警報器が鳴って」

 こちらも青い顔をした駆が天翔に震える唇で説明する。研究員とあってこの中では責任ある立場だ。ちゃんと伝えなければと思っているようだが、気が焦っているせいで、どうしてそうなったのかという詳しい部分が抜けている。

「解った、落ち着け。その」

 学生や研究員たちも一度この場から離した方がいいのでは。そう天翔は恭輔を見る。すると意図を汲んだ恭輔が早速動き出した。

「君たちから少し話を聞きたい。俺の研究室に来てくれ」

 下手に他の学生のいるミーティングルームに戻すとより混乱が大きくなる。それに落ち着きを取り戻せば事件当時の詳しいことが解るだろう。そう判断した恭輔は三人を自分の研究室へと連れて行った。この場は雅之に一任するので問題ない。それに、雅之が天翔に捜査を許可していることは、長年一緒にやっていれば言われなくても解ることだ。この場に自分が居ては、かえって邪魔になる。

「鳥居ももう少し自分の感情を表現すればいいんだがな」

 そんな恭輔に、君とよく似ているよと雅之は小さく笑った。たしかに日頃自分の感情を表に出しているところを知らないが、似ていると思ったことはないなと天翔は首を傾げる。しかし将貴はその指摘が合っていると思うのか苦笑いを浮かべていた。

「それはさておき、状況は小杉君の時と似たようなものだ。急に襲われたのだろう。しかしどういうわけか、彼は恍惚とした表情を浮かべている。が、違いもある」

 覚悟しろよと、雅之は二人の顔を一度確認する。その様子に天翔も将貴も気を引き締めた。そうだ、自分たちは今から人の死を直視するのだ。それも他人によって唐突に命を奪われた状態を。それが普通とは違うのは、当たり前のことである。

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