第12話 暗雲到来
「これはヤバそうですね」
そう言って研究室に駆け込んできた奴がいたので、天翔は何事だと顔を上げた。パソコンに集中していて時間を忘れていたので、すでに時刻が三時を回っていたことにも驚いてしまう。
駆け込んできたのは、天翔の元で研究している博士課程の中井主馬だ。眼鏡が特徴の真面目な学生で、彼がヤバいと表現するのは珍しかった。
「どうした。何かあったか?」
「かなり曇ってきたんですよ。これは一雨来ますよ。あまり激しくならなければいいんですが」
ほらっと窓の外を指差すので、天翔はそちらに目をやった。すると確かに窓の外は重く暗い雲に覆われている。今にも雷が鳴りそうな雰囲気だ。
「確かに拙いな。望遠鏡を仕舞って対策を立てた方がいい」
これはのんびりと自分の論文に取り組んでいる場合ではないと、天翔は慌てて立ち上がった。それに倣って他の人たちも立ち上がる。望遠鏡を守るのは最優先事項だ。万が一、望遠鏡に雷が落ちるようなことがあれば一大事となる。被害額がいくらになるか解ったものではない。さらに重要なのはお金には換算することが出来ない貴重なデータがあることだ。何としても天体望遠鏡と周辺機器は守らなければならない。
「島田は他の研究室に連絡を入れてくれ。中井は所長に連絡を。もう気づいている可能性はあるが、南館の望遠鏡についても対策を取ってもらわないとな。阿部と平沢はついて来てくれ」
点でバラバラに動いては意味がないと、研究室の主である天翔はてきぱきと指示を出した。そのおかげで一時はそわそわした空気となった研究室の中が落ち着きを取り戻す。そしてそれぞれが指示されたとおりに動き始めた。
「まだ時間はある。それにこのまま過ぎる可能性もあるからな。ただ、出来るだけの対策を取るだけだ」
落ち着いたのを確認し、天翔は名前を呼んだ二人の学生、修士課程の安倍伸二と学部四年の平沢佐助を連れて研究室の外に出た。すると、仮眠から起きていた葉月が学生とともに隣の研究室から出てきたところだった。
「気象庁に問い合わせたら、発達した雨雲が近づいているって。それもかなり大きなものらしいよ」
すでに気象状況を調べた葉月が深刻な顔で告げる。どうやらやって来ている雨雲はゲリラ豪雨をもたらすような急速に発達したものではなく、日本海側から帯状になってやって来ているそうだ。このままやって来ると大雨になる可能性があった。
「それは拙いな。所長には」
「伝えたわ。一先ず望遠鏡の天井を閉めるのと、コンピュータ関係の対策ね。雨漏りをしているところがないかチェック。それと、高台だから大丈夫だと思うけど浸水対策もした方がいいって」
すでに所長である雅之の耳に入り、対策に対しての指示があったという。これは心強かった。天翔はほっと息を吐くと、焦る気持ちを整える。
「解った。俺たちは天文台の天井を閉めに行くから、コンピュータは頼む」
手分けした方が早いと、二人は頷き合った。これは本格的なものとなる。今夜は帰れないなと、天翔は窓から見える急速に暗くなっていく空に舌打ちした。
「よお。俺も行く」
三人が早足で駆けていると後ろから将貴が追い付いてきた。他のところは人員が足りているから追い払われたと将貴は笑った。
「どうやら俺たちが一番遅く動いているのか」
「いや、ほぼ同時だぜ。こんなに暗くなったのはついさっきだ」
階段を駆け上がると重々しいドアが目の前に現れる。天文台に繋がるドアだ。それを持っていた鍵で開け、四人は中へと流れ込んだ。
天文観測の準備のために開けられている天井から見える空は、今にも降り出しそうに重々しくなっている。これは急がなければならない。
この天文台にある天体望遠鏡は大型反射式望遠鏡と呼ばれるもので、望遠鏡の口径が二〇〇センチもあり、日本最大級の大きさを誇っている。望遠鏡はコンピュータによる完全自動制御が可能となっており、そのために自家発電が備えられていた。
「ここのコンピュータの自家発電が動くか調べる」
将貴は落雷で電気が止まってもデータが飛ばないようにと、天文台室の横にある自家発電機の置かれた部屋へと駆けて行った。その間に天翔たちは天井を閉じるボタンを押す。そして万が一雨漏りしても大丈夫なように周辺機器にカバーを掛けて行った。
「うわっ」
急に空が明るくなったと思ったら、どんっと大きな音が鳴った。雷が近づいてきたのだ。それもかなり早い。
「あと少し」
開いていた部分が小さかったとはいえ、重い天井が閉まるのには時間が掛かる。あと少しだけ雨が降らないでくれれば、そう祈りながら急いで不要な機械類の電源を落とした。被害を少しでも少なくするためだ。
「こっちは大丈夫だ」
自家発電のチェックを終えた将貴が、天井の閉まる様子を見つめる天翔の横に駆け寄ってくる。そこに新たな閃光が走った。続いて大きな音が鳴る。そして激しい雨音が鳴り響いた。天井を叩くその音はどんどん大きくなっていく。
「これはきついな」
「ああ」
思わず耳を塞いで顔を伏せていた二人が、もう一度天井を見ると無事に閉まった後だった。何とか雨が降る前に天井を閉じることは出来たが、この先が不安になる。他の二人も激しく打ち付ける雨音につられて天井を見上げていた。
「ともかく気象情報に注意しないとな。どこかに一回集まるべきだろう。所長に指示を仰ぐか」
天翔はここはもう大丈夫だろうと、学生二人を促して天文台室から出た。最後に将貴が対策の終わっていない箇所がないか見回って出る。これから全員で泊まるとなるか、一部は帰ることが可能なのか。しかしそんな考えも、この激しい雨音に消えそうになる。このままでは本当に雨のせいで帰ることが不可能になりそうだった。
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