第9話 対策はどうする?
しばらくは通常業務、つまり研究を進めると同時に天文台での事務作業をこなしていると、天翔の憂鬱な気分は晴れていた。周囲があれこれ言っていようがやることをやるだけだ。そう思えば、朝の出来事にだけ悩まされることはない。恵介が裏で何を言っていようと、それが自分の今後の進路に関わるとは思えなかった。
しかし周囲はそうとは言っていられないようで、何だかそわそわした空気があった。研究室にいるメンバーがたまにちらっとこちらを見てくるのは、どう考えても気のせいではない。
「なあ、対策を講じなくていいのか?」
始業から二時間半。そろそろ昼飯をどうするかと考え始めた天翔に、そう耳打ちしてきたのは同僚の菊川将貴だ。同い年とあってよく研究以外の相談もしている相手であり、大学時代からの同期だ。人付き合いの苦手な天翔の唯一無二の友である。 これは駆とは違うところだ。しかし天文台にやって来た当初、困っている天翔を助けることはなく、そこは自分で乗り越えろとばかりに意地悪な笑みを浮かべていたものだ。
「対策って、あの話か」
こっちはそれに頭を悩ませたくないんだがと、天翔は肩を竦める。そればかりに囚われていては恵介の思う壺だと考えているし、何よりやるべきことは他に沢山ある。確固たる成果を出せば、誰であろうと文句は言えないはずだ。しかし将貴からするとそうは考えられない。
「他にないだろ。あのな、お前はあまり他人に興味がないからそう流せるんだ。が、現実はここにいる全員に関係のあることで、どうでもいいと流されては困る。みんなお前のことを気にしているんだぞ」
お前は少々浮世離れしているよなと将貴は呆れた。傍から見ているこちらがどれだけ気を揉んでいるか、それを全く考えていない。ここにいる全員がちらちらと視線を向けているのも、何か対策を講じなくていいのかと気にしているためだ。
「全員に、か。たしかに朝、わざわざ鳥居先生が来たのには驚いたよ」
問題が大きくなりつつあるというのは、朝早くに恭輔がやって来たことで理解している。しかし恵介が何をしようと自分の評価が変わるのか。そこが疑問だった。この小さな範囲での小競り合いが、今後の研究人生に関わってくるとは、やはりどうしても考えらえない。
「まあ、多くの人はお前の人柄というものをよく解っているからな。しかし今後何が起こるか、人の気持ちなんて簡単に変わってしまうことを考えたら、そうのんびりしてられないだろ」
ちょっと早いが飯に行こうと、このままでは話題が重くなりそうだったので将貴は立ち上がる。そうされると天翔も立ち上がるしかなかった。少しは考えているという態度を示しておくことにもあるからと、天翔は自分に言い聞かせる。
「そんなに問題なのかな。だってあの人の行動は前からだろ。それこそ俺がここに赴任する前からやっていることだろうし」
研究室を抜けて静かな廊下を歩きながら、天翔は今になって恵介の行動を警戒するのはどうなのかと将貴に訊く。一応はぼかして言うことはするものの、大きな問題とはまだ考えていなかった。
「前から太鼓持ちではあったよ。でもさ、それって前から誰もが不満に思っていたってことを証明しているわけだろ。そこに若宮の問題が発生した。今までの不満と合わさって何かあるなって、誰だって警戒するんだよ。お前を引き合いに出して不満をぶつける奴が出てくるかもしれないし、この件で不利なことになりたくないと、巻き込まれないようにしたいと考えている奴だっているだろうしな」
前からあったから今後も我慢できるとは限らない。将貴はそう溜め息を吐く。どこかで不満が爆発しないか。それが天翔をきっかけとしないか。天翔のことを心配するからこそ周囲はやきもきしてしまうのだ。
「難しいな。論文を書くより面倒な問題だ」
今までの不満か、それは考えていなかったと天翔は腕を組んで唸る。山の上にあるとはいえ閉鎖された空間ではない。しかし、人間関係は非常に濃密だ。というのも、この南館をメインに使うのは学生や事務員を含めてもたった二十一人。そんな中での人間関係なのだ。そこで上下関係や先生と学生との関係が営まれている。不満があってはやっていけない。
それに観測当番や一般客への観測会の説明当番があり、より円滑な人間関係が求められる。正直、恵介のようなやり方は賢いものではなかった。本来ならば他への配慮もあって然るべき。それなのに、雅之だけを気に掛けている。そして今は天翔の次のことへとあれこれ口出ししている。自分から火種を蒔いているようなものだ。
二人は一階に降りると、そのまま土産物店の横を通って外へと抜ける。そして少し山を下ったところにあるレストランへと向かった。
一般客がいない休業日でも、職員や研究のためにやって来ている人のためにレストランは営業しているのだ。そこで昼食を取るのが、ここで働く人にとっては定番となっている。もちろん弁当持参の人もいるのだが、未婚の二人は弁当を持って来るなんて習慣はなく、ここで毎日のように食べていた。
「二食ともここで食っていると金が掛かるよな」
そうボヤきながら智史は外に飾られているメニューを睨みつける。自炊できるスペースもあり、観測当番の時や財布が寂しい時はカップ麺やレトルトで済ませることもある。しかし、夏であろうと温かく出来たてのご飯が食べたくなるものなのだ。だから自然とここに足が向いてしまう。
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