第4話 職場は天文台

「道も空いてましたよね。ちょっと下のキャンプ場はお盆休みも近いからか、ここ最近は客が多くて渋滞する時もありますよ」

 また立ち止まってしまった天翔に、煙草を吸い終えた駆は声を掛けた。煙草の臭いを払うように服をパタパタと叩きながら笑う。研究の関係で朝早くから来て夜遅くに帰る天翔は気づいていないが、夏休みとあって付近は一般客だらけの日が続いていたのだ。

「そうなのか。じゃあ今日は珍しく静かな日って感じか」

 ふうんと、人のいない土産物店以上には何とも思えない天翔だった。天文台の周辺が公園として整備され、より天文台を訪れやすいようになっているのは知っているが、普段は気に留めないのだ。公園が山の下の方にあり、普段から目にしないというのも理由になっているだろう。

「まあ、静かなのは助かりますね。やっぱり一般の人が下の階にいると、それなりに声が聞こえたりしますから。それに夜の一般観測会がないのは、当番が回ってくる身としては有り難いです」

 そんなこと言ってはダメなんですけどねと、駆は付け足して笑う。一般観測会は、夜の僅かな時間だが一般の人に望遠鏡で夜空を見てもらおうと、ほぼ毎日開催されているものだ。三十分程度のものだが大人気で、当番になった人はあれこれ知恵を絞ってやっている。これも休業日の月曜日にはない。

「そうか。俺は口下手だからな。一回やったら所長にお前はもういいって言われてしまったよ」

 ははっと笑うも何だか悲しい。昔からあまりお喋りな方ではなく、人前で話すのは苦手だった。もちろん研究者となって人前で話す機会は多くなったのだが、研究の発表と一般の人への説明は大きく違った。笑いを取ってみたり難しい用語を容易なものに置き換えたりと、日頃使わない気苦労がある。それがまるでダメなのだ。おかげでここに着任して早々に戦力外となってしまった。

「それはそれでラッキーですよ。まあ、先生は研究に専念していろってことですね」

 特任助教は任期付きだ。ここでは三年となっている。その短い間にある程度の成果を出さなければ、次に任期のない職に就くのが難しい。それを考えると、煩雑な業務をさせるより研究に励んでもらいたいとの思いがあるのではないか。ここの所長である片桐雅之はそういうところに理解のある人なのだ。

「そうだといいんだけどな。単なるお荷物と思われていないか。そう考えてしまうよ」

 一応そういう仕事もこなさないとと、真面目でちょっと後向きな性格の天翔は頭を掻いてしまう。好意と考えられれば楽なのだろうが、研究の世界はそんなに甘くない。それが足を引っ張ることはないか。それも考慮していなければならないのだ。

「先生は心配性過ぎますよ。藤枝先生くらいにタフにならないと」

「誰がタフだって?」

 噂をすれば影とはこのことだ。二人が後ろを振り返ると、腕を組んでこちらを睨む藤枝葉月の姿があった。葉月は天翔と同い年であるだけでなく同じく特任助教だ。着任は葉月の方が早く、ここではムードメーカーのような存在となっていた。

そんな二人は互いに切磋琢磨している仲と言えば聞こえがいいが、天翔が一方的に揶揄われているとも言えた。今も葉月はにやにやと、天翔がどういう反応をするのか窺っている。

「あれ、今日って確か観測当番じゃなかったか」

 しかし天翔もいつも揶揄われているわけではない。ともに研究しているこの一年半で学習している。睨んでくる葉月の言いたいこと、すなわち見た目のほっそりした具合や女性らしい部分を褒めろといったことは上手く回避し、話題を切り替えた。

「そうよ。さっきまでずっと空を見ていたわ。いくら自動でデータを取っているとはいっても、やっぱり自分の目で確かめたいからね。おかげで寝不足。家に帰るのは面倒だから仮眠室で休もうと思ってたの。そしたらあんたたちが人のことを話題にしているから」

 思わず立ち止まったでしょと葉月は笑ってくる。その笑顔が何だか怖いのは、たぶん気のせいではないだろう。

 ここでいう観測当番とは文字通り、天文台の観測状況を見張る当番のことだ。最近では自動で行えることも多いが、それでも人の力が必要なことがある。

 例えば、急に起こった天体現象に対応するためにデータ切り替えをするには、観測場所の変更をする必要がある。そんな時、コンピュータを操作して天体望遠鏡の向きを変える人が必要だ。だから月に数度、誰かが寝ずの番で天文観測をしているのだ。この仕事が最も天文学者らしいと思うもので充実感がある。

「藤枝の話題をしていたのはたまたまだよ。さっさと寝て来いよ。どうせすぐに起きて研究の続きをやるつもりなんだろ?」

 文句はそれくらいにしてと天翔が言うと、そうねと葉月はあっさり踵を返して行ってしまった。ポニーテールがゆらゆらと揺れているのを、二人でしばらくぼんやりと見送った。

「はあ。予想外でしたね」

「ああ。さっさと行こう」

 こういうのを気疲れというのだろうか。なぜか二人はどっと疲れを感じながら先へと進むことになった。廊下を進み階段で二階に上がる。そして左へと曲がった先にあるのが研究室の並ぶエリアだ。反対の右曲がるとミーティングルームや給湯室といったものがある。

「あ、おはようございます」

 天翔の研究室のドアを開けた駆が、急に改まった様子で挨拶をする。それに後から入った天翔はどうしたと部屋の中に目を向けた。すると、中には副所長の鳥居恭輔の姿があった。恭輔は細身で落ち着いた雰囲気のある人物だ。四十一歳とは思えない、威厳と物静かさを持っている。そんな恭輔は天翔の席に座って何やら雑誌を読んでいた。

「おはようございます。どうかされたんですか?」

 恭輔の姿を見た天翔は慌てて駆け寄ってしまう。何と言っても恭輔は大学の頃から世話になっている人だ。いわば師匠に当たる。さらにはここの特任助教にも推薦してくれた。天翔からすれば絶対に迷惑の掛けられない相手なのだ。

「そんなに慌てなくても大丈夫だ。この間の論文について話を聞こうと思っただけだよ。もちろん、いいものだったからだ。恒星の輪の構成について、いいモデルを見つけたようだな」

 そう言って笑うと、恭輔は持っていた雑誌を振る。それはこの間、天翔が書き上げた論文が載る日本天文学会が発行している欧文研究報告誌だった。

 つい最近まで、天翔はある恒星に出来た輪、つまり降着円盤について観測していた。それは二重になっていてしかも円盤が赤道面に対して平行なものと垂直なものがある奇妙なものだった。要するに、円盤が恒星にクロスする形で出来上がっていたのである。

 その出来た過程は、今までも多くの天文学者がモデルを提唱していたものの、上手く説明できずにいたものだ。それに、その観測していた星に対してだけだが説明することに成功したのだ。ちゃんと観測結果と照らし合わせ、見事に論文として完成したのである。

「恐縮です。しかしたまたま観測していた恒星にそのモデルが当て嵌まっただけということは否定できませんからね。もっと多くのサンプルを見つけたいところです」

 自分が作ったモデルはまだまだ一般的なものとはいえない。そう自覚する天翔はより気持ちを引き締めなければとの思いに駆られる。どうしてクロスする二重の輪が出来上がるのか。他にも別の過程を経て同じような輪が出来たものが見つかっているだけに、それを一般的にモデル化することが出来れば大きな発見となる。

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