Vol.11 【教師】

私は市立中学で2年の担任をしている山戸です。

去年までは副担任だったのですが、今年度から担任を任せられる事になりました。

教師としてはある意味、出世のようなものだと思っていますので、決まった当初は浮かれていました。

ですが、いざ担任をしてみるとなかなか上手くは行かないことばかりです。

その事を先輩教師に相談したら、1件の喫茶店を紹介されました。


相談した翌日、仕事を早めに切り上げて早速その喫茶店へと向かいました。

紹介された喫茶店は、よく言えば落ち着いた雰囲気の、悪く言えばどこにでもある普通の喫茶店だった。

意を決して中に入ると、中には3組ほどお客が居るだけ。

それほど流行っている訳ではないんだな。

入口で店内を眺めていた私のところに30代のエプロン姿の男性が来た。

恐らくこの人がこの喫茶店のマスターなのだろう。


「いらっしゃいませ」

「あの、私は山戸と言います。市内の中学で教師をしているのですが、先輩から色々と相談に乗って貰えると、この喫茶店を紹介されて来ました。

それでですね……」


そう言い募ろうとした私をマスターは手で制して止めた。


「まあまあ。入口で立ち話よりも座った方が落ち着いて話せると思いますので、どうぞカウンターへお座りください」

「あっ、そうですね。失礼しました」


いけない。どうも思った以上に焦っていたようだ。

勧められたままにカウンターの席の1つに座り、メニューを開く。

って、たかっ!?コーヒー1杯に500円って、どこのホテルのラウンジだよ。

ぼったくりなのか?いや、こういった相談料込みで500円って事なのか。

まあ、今回はこちらから来たんだ。大人しく500円払おう。

注文を済ませると、程なくしてマスターがコーヒーを運んできた。

よし、じゃあ今度こそ相談を、と思ったけど「少し待っていただけますか」と言って他の客の対応に行ってしまった。

ちっ、まあいい。今の内にこのお高いコーヒーの味でも確認させてもらうか。

……ふむ、不味くは無いが、普通のコーヒーだな。

そう思っていた所で、ようやくマスターが戻ってきた。


「お待たせ致しました。

先ほど、どなたかの紹介でと仰っていましたが、どなたでしょうか」

「先輩教師の神田ですよ」

「神田様……あぁ。あの背が高くて体つきのしっかりした方ですね。なるほど、ありがとうございます」


マスターはすぐに先輩の事が思い当たったらしく、小さなメモを残していた。

どうやら先輩はこの店の常連らしい。


「それで、何か私に相談事がおありだそうですが」

「はい。私は先ほども言ったとおり中学教師をしているのですが、担当しているクラスの生徒達がなかなか心を開いてくれなくて困っているんですよ。

ちょうど思春期も重なって色々と難しい年頃なのは分かっているんです。

だからこそ、あの子達には本音で私にぶつかってきて欲しいと思うのですが、これがなかなか上手くいきません。

どちらかというと全体的に内向的というか、協調性が足りていないようにも感じますし」

「ふむ、失礼ですが、誰の事を仰っているのですか?」

「ですから、うちのクラスの生徒達がなかなか本音を言ってくれなくてですね。

何か困っていることは無いかと聞いても「別に」「特には」と言葉を濁すばかりで」

「はい。それで誰の事を仰っているのですか?」

「ですから、担当している生徒達ですよ……って、マスターは私の事を馬鹿にしているのですか?」

「いえ。そういうわけではありませんよ」


何なんだ、さっきからこのマスターは。

私がこうして相談に来ているというのにぞんざいに扱って、挙句にまともに話を聞きもしない。

私はイラっとしてコーヒーを呷った。

そんな私を見ても、マスターは表情1つ変えずに居る。


「少し質問させて頂きますが、他のクラスで上手く行っているところはありますか?」

「そうですね。C組はクラスに盛り上げ役の子がいるので、クラス全体に活気がありますね。

あとD組もかなり上手く行っているみたいですね。

ただそちらは、若い女性教師だから出来たことで、私には無理です」

「なるほど。では例えば、そのC組と担任を交代したら上手く行きそうですか?」

「その可能性は高いと思います。まぁ、どだい無理な話ですけどね」

「そうですか。

ところで、私には娘が居ましてね。

ありがたい事に、実に素直で優しい子に育ってくれているんです」


ん?なんだ?突然娘自慢をし出したぞ。


「お客様としてこられた近所の奥様から、うちの娘と交換してくれ、なんて冗談を言われますが笑ってお断りしています」

「はぁ」

「ですが、時々、わがままになったり、困らせてくれてもいいのにと思う時もあります。

今のままだと私たちが娘に教えられることが見つからない程です」

「それは、良かったですね」

「ええ、本当に。そして子供を育てるという点では、親と教師は似ているのかもしれませんね」


責任感はまるで違うと思いますがね。そう思ったけど、口には出さないで置いた。

確かに子供に教える、という意味では似ているのは確かだからだ。

だけど、マスターの考えは違った。


「親も教師も、子供から多くの事を学ばせて貰えるのですから」

「はっ?学ばせてもらう?こちらが教える立場のはずですが」

「ええ。知識も経験も私たちの方が豊富でしょう。

ですが親として子供とどう向き合えば良いのかは、子供の生きてきた期間と同じです。

むしろ、今の年齢の子供と付き合う経験などなかったものですから、全てが手探りです。

そういう意味では私と娘は対等の立場なのかもしれませんね」

「子供達と対等の立場、ですか」


たしかに、そう考えると私は教師になって3年。

大学までは好成績で卒業出来たとは言っても、実際に教師になってからは分からない事だらけだ。

うん、先輩も子供達が成長する分、俺達も成長しないとなってよく言ってたっけ。


「なるほど。少し分かった気がします。

あの、それで最初のあれはなんだったのですか?」

「はい。ではもう一度お聞きしますね。

先生は今日、誰のことを話しに来られたのですか?」

「それは、もちろん担当している生徒の……あれ、違うのか?

ずっと生徒をどうにかすればって思っていたのですが、違ったのでしょうか」


私がそう聞くと、マスターは笑顔で頷いてくれた。


「自分以外に問題の原因や解決の糸口を求めると、ご自身の成長が止まってしまいます。

今のやり方で上手くいかないのであれば、それは別の方法を試してみないかという合図なのかもしれません。

多くの人が、その合図に気付かずに居てしまうものです」

「合図、ですか。しかし、何をどう変えれば良いのでしょう」

「そうですね。例えばですが、ご自身の行動を相手目線で見てみるのも良いでしょう。

と、コーヒーのお代わりは必要ですか?」

「あ、はい。お願いします」


マスターがお代わりを用意している間に、まずは今日一日を振り返ってみる。

相手目線ということは、その相手は私をどう見てどう感じていたのかっていうことだ。

中学生の自分が今の自分を見て……困っていることがあったら言ってみろと言われて、素直に言えただろうか。

そもそも私が中学生の時、恩師の先生以外とは距離を置いていた気がする。

じゃあ、恩師の先生にはなぜ心を開いていたんだろうか。そのあたりにヒントがあるかもしれない。

後は、この喫茶店に来てから。

私がマスターだとしたら、私みたいな客が来たらどう思うだろうか。

それを考えようとした所で、マスターが戻ってきた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


カップを受け取って、淹れたてのコーヒーを口に含む。

ふぅ……。

不思議です。

さっきと同じコーヒーのはずなのに、落ち着く香りといい、凄く美味しく感じます。


「あの、マスター。淹れるコーヒーを変えたんですか?」

「いいえ。先ほどと同じですよ」

「でも、さっきと全然違うのですが」

「それは、先生自身が変わったのではありませんか?」

「私が、変わった?」

「はい。最初お顔を拝見した時は、切羽詰っていたようでしたから。

それが今は少しは落ち着いて、コーヒーを味わえるようになったのではないですか」

「……言われてみれば」


確かに折角客として来たのに後回しにしてとか、たかがコーヒーに高い値段付けやがってとか、兎に角むかむかしていた気がします。

今考えれば、めちゃめちゃ嫌な客ですね。

最初私を後回しにしたのだって、こうしてゆっくりと私の話を聞くための配慮だったのでしょう。


「あの。今日は色々と失礼しました。

お陰様で、どうすればいいかが少し見えてきた気がします」

「それは良かった」

「また今度、行き詰った時に相談に乗って頂いても宜しいでしょうか」

「はい。またいつでもお越しください」


そうして私はマスターに礼を言ってお店を出ました。

店を出て振り返ると、そこには落ち着いた趣のある暖かい雰囲気の喫茶店がありました。

……そうか。自分が変われば、ここまで感じるものがかわるのですね。

私は深々と頭を下げてから家路に就きました。

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