Vol.12 【弟子】
ある夏の終わりごろに、その方はいらっしゃいました。
「俺は将来喫茶店を開こうと考えています。
この地域ではこのお店が一番繁盛しているとお聞きしました。
お金は払いますので、経営のノウハウを教えてください」
お店に入ってくるなり、私に頼み込んできた20代後半に見える男性。
身だしなみはビシッとしたスーツ姿でできる営業マンという雰囲気です。
さて、どうしたものでしょうね。
そう考えるそぶりをした私を見て、なにか条件が足りなかったと思ったのでしょう。
「あ、金額を提示しないとだめですよね。
1回1時間1万円でいかがでしょうか」
「いえ、金額の話ではなくてですね」
「なら現在考えている将来設計プランでしょうか」
「そうでもなくてですね」
これは止めないとどんどん違った方向に向かいそうですね。
「わかりました。それではまずは何か月かアルバイトという形で働いてみますか?」
そういったら彼は虚を突かれたような顔をしてしまった。
おや、私はそれほど的外れな事を言ってしまったでしょうか。
「あの、すみません。私は経営のノウハウが知りたいのであって、接客の仕事がしたい訳ではありません」
「はい、ですが帳簿のつけ方を私から教わりたい訳ではありませんよね」
「そうですね。それは学校で学びましたから、ここでそれ以上に学ぶことはないでしょう」
「……ふむ。であれば、私から提案できるのはアルバイトのように働いてみませんか、ということくらいですね」
「はあ、そうですか。
ま、そうですよね。そうそう教えることなんて出来ませんよね」
「いえ、ですからそういうことではなくてですね」
「わかりました。今日はこれで帰ります。
ですが次は首を縦に振っていただける条件を提示できるように準備してきます」
バッと風を切るように帰っていきました。
「ふむ。結局話がかみ合いませんでしたね」
「まぁ良いんじゃないですか、マスター」
私の呟きに応えてくれたのはカウンターでコーヒーを飲みながら書類作業をしていた常連の横田様でした。
横田様は空になったカップをこちらに差し出して話をつづけました。
「あれでは彼は早晩成功しないでしょうな」
「そう、でしょうね。とても残念ですが」
「まったく、教えを乞うために来たならせめて下手に来るのが当たり前でしょうに。
学ぶことがないとか言った時点で、わたしならぶん殴ってますな。
それに何より来るにしても営業時間外に来いっていう話です」
横田様の言葉の通り、今は普通に営業時間内で、かつ店内にほかのお客様がいない訳でもなく横田様を含め3組のお客様がいらっしゃいます。
先ほどの話は、その応対を止めてまでするような話ではなかっただろうって事です。
それすらも理解せずに接客業を経営しようとしたら、相当従業員に恵まれなければすぐに経営破綻に陥るでしょう。
いや、そういう従業員が居たとしてもすぐに意見が衝突して離れてしまうかもしれませんね。
「横田様も似たようなご経験がおありですか?」
「ええ。今年入ってきた新人も一人『俺がやりたかった仕事はこれじゃあありません』とか言って辞めていったな。
俺はお前のために仕事を用意してやってる訳じゃないのにな」
「まったくですね」
「まっ、これ以上あれの事を言ってもコーヒーが不味くなるだけだな」
そういってお代わりしたコーヒーを片手に書類作業に戻っていきました。
##########
残暑が落ち着いて来たころ、先日とはまた違った男性がお店へとやってきました。
その男性は最初、普通に入店してカウンターの一番奥の席に座り、普通にコーヒーとパンケーキを注文すると、美味しそうに召し上がっていました。
そうして1時間ほどゆったりと堪能した後、他のお客様への対応がひと段落しているのを確認してから、私に声をかけてきました。
「マスター。今お忙しいでしょうか。少しだけお話をさせて頂いてもよろしいですか?」
「はい、何かございましたか」
「私はこれまで何店舗か喫茶店を回ってきたのですが、ここほど穏やかな気持ちにさせてくれる場所はありませんでした」
「ありがとうございます」
「将来私もここみたいな素敵な店舗を作りたいと思っているのですが、もしご迷惑でなければ数か月の間、働きながら店舗経営を学ばせて頂けないでしょうか。お願いします」
そう言って頭を下げる男性。
服装は清潔感のある極々普通のファッションでした。
話を聞いていても人の良さが表れているので、誰でも安心して話ができると思います。
「なるほど。お話は分かりました。ですが申し訳ないですが、当店は新たに人を雇えるほどの経済力はありません」
「もちろん。教えていただいているのは私の方なのですから、給料などは求めません。
ただもし宜しければ、この美味しいコーヒーを1杯飲ませては頂けないでしょうか」
「ふむ……分かりました。いつから動けますか?」
「ご迷惑でなければ今からでも大丈夫です」
「そうですか。ですが流石に今すぐ動いて頂くのも難しいでしょう。
ですので、今日はこちらの席で見学ということで如何でしょう」
「分かりました。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる男性に頷き、私は接客に戻りました。
そして夜。
結局、閉店時間まで居た彼に改めて話を聞くことにしました。
「さて、1日ご覧になられて如何でしたか?」
「はい。改めてここで修行を積ませて頂きたいと思いました」
「ほお。理由をお聞きしても?」
「はい、今日一日を通じて、なぜこのお店がこのようになっているのか全く訳が分かりませんでした。
来店されるお客様は必ずしも幸福度100%とは言いがたい方もいらっしゃいました。
しかし、出て行く時には笑顔ないしはすっきりした顔で出て行くのです。
一体どの様な魔法を使ったらそうなるのか、皆目見当が付きません。
そしてその、恐らく数字や理論では表せない部分こそ、私が学ばなければならない部分だと感じたのです」
「なるほど。であれば、ほとんど言葉にして説明することも難しいでしょう。
それでも良ければ、明日の朝6時にまたいらして下さい」
「っはい!!
今日はありがとうございました。
あ、一応こちら、私の連絡先になります。何かあればご連絡ください。
それでは、また明日からよろしくお願いいたします」
そう言ってその男性、古川さんは帰っていきました。
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あの日、喫茶『陽だまり』と出会ってから5年が経った。
今日は私の第1号店となるダイニングレストランのオープンの日だ。
店の名前は喫茶『陽だまり』から暖簾分けさせて頂いて、ダイニング『陽だまり』だ。
この5年、言葉では表せない程たくさんの出来事があった。
何度も挫折しそうになり、その度にあの喫茶店で学び、決めた未来への誓いを思い出し立ち上がってきた。
もちろん、私1人の力ではなく、多くの方に支えられて今日がある。
その証拠に今日の日を大勢の方々が祝いに来てくださっている。
「古川さん、オープンおめでとう」
そう言って来賓の方を代表して花束を渡してくれたのは、私の師匠、喫茶『陽だまり』の店長だった。
「先生!ありがとう、ございまず」
「おいおい、先生はよしてくれ。それに君は相変わらず涙もろいな」
そう言って笑う先生に釣られて、私を含め全員で笑い合った。
私は改めて自分の服装を見下ろした。
そこには喫茶『陽だまり』に初めて従業員として行った日に頂いたエプロンが掛けられている。
『おはようございます』
『ああ、おはよう。よく来てくれたね。
では荷物を置いたらこれを着て開店準備を手伝って欲しい』
『これはエプロン……って私の名前が刺繍してある!?』
『今日から共に働く君への私からのささやかなプレゼントだ。
私達は君を家族として歓迎するよ』
あの時もまさか昨日突然来ただけの私に、それも翌日本当に来る保障もないというのに、仕事で疲れた体をおしてエプロンを用意してくださり、なおかつ家族とまで言ってくれたことに思わず涙を流してしまった。
あの思いやりこそが、喫茶『陽だまり』の暖かさの源なのだと確信した。
「先生。私は先生の教えを胸に、このお店に来て下さった方々を家族のように迎え入れ、幸せにすることを誓います」
「ええ、期待していますよ」
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