Vol.7 【少年】

6月の平日の穏やかな昼下がり。


「はぁ。だりー」


テーブルの1つから、気の抜けた声が聞こえてきます。

見れば近所の高校の制服を着た男の子がストローを銜えてだれております。

来店してから既に1時間。

とっくにコップの中身は氷も溶けきっています。


「お冷はいかがですか」

「おー、どもっす、マスター」


礼を言ってストローを差し替える少年。

その目が私をじっと眺めていた。


「……マスターは、なんにもいわないんっすか?」

「ん?何もと言われますと?」

「いやさ、学校さぼってんじゃねえとか、あるじゃん?

今って明らかに授業中の時間だし」

「なるほど。そうですね……君は今、高校生でしょうか」

「あたり。高校2年でーす」

「ふむ、なぜ授業をサボっているのかお聞きしてもよろしいですか?」

「いいっすよ」


私がそう聞くとあっけらかんとした感じで話始めた。


「まあ、大した理由があるわけじゃないんすけどね。

退屈なんすよ、授業が。

ねえ、マスター。授業で習ったことって大人になってから使うん?

例えばミドリムシの生態を知って、俺にどうしろって言うんですかね」

「ははぁ、確かに。少なくとも私の人生にミドリムシの生態は関係ないですね」

「でしょ。なら学校に行く意味ってあるのかなって思ってさ。

そう思ったら日がな一日、教室に篭って授業受けるのがあほらしくなったんすよ。

そこんところ、マスターはどう思います?」

「そうですね。こういうことを言ったら妻や親御さんには怒られるかもしれませんが」


そう一言おいてから先を続けます。


「意味を感じられないのであれば、辞めるのも良いのではないですか?」

「え、そんなこと言っちゃっていいの!?」

「小中であれば、義務教育ですから我慢して行くように言いますが、高校はそうではありませんから。

ご自身が行く気が無いのであれば、行かないと選択するのも君の人生ですよ」

「えぇ~」

「大切なのは君が将来どうなりたいのか、それ次第です。

例えば学者や研究者、医者、弁護士、はたまたサラリーマンになりたいというのであれば、高校を卒業して、相応の大学や専門学校に行くことをお勧めします。

たとえ今の授業に意味を感じられないとしても、です。

逆に高度な知識を必要としない仕事をして生きていくと決めたのであれば、高校を中退してもなんら問題はないでしょう」

「サラリーマンねぇ。うちの親もサラリーマンだけど、サラリーマンって楽しい?」

「楽しいかどうか、楽しめるかどうかは人それぞれですね」

「でも、マスターは楽しくなかったから、こうして喫茶店をやってんでしょ?」

「いいえ。サラリーマンも悪くないと思っていましたよ。

ただ、私は将来的に喫茶店をやると決めていて、実際にそう動いたというだけです。

サラリーマンも大変でしたが、その全てはこの喫茶店を営む為だと考えれば自然とやる気も出たものです」

「結局、将来どうなりたいかってことっすか」

「そうですね」


ズズズーっと水を飲み干す少年。


「はぁ。そんなこと言われてもすぐには出ねえっす」

「ゆっくり考えるのもよいでしょう。幸い今は授業料も生活費もご両親が出してくださるのでしょう。

高校に通う期間を、将来をしっかりと考えて決める時間に当てるのも良いかもしれませんね」

「なるほど」

「その為にはご両親に自分の行動を認めてもらう必要があるので、真面目に高校の授業を受ける必要がありますね」

「あらら、結局そこに戻るっすか」

「ですが、ただ惰性で授業を受けるのと、目的があって授業を受けるのでは意味合いは大きく異なりますよ」

「そんなもんすか」

「ええ、そんなもんです」


そこまで聞いた少年は「ん~~」と大きく伸びをして立ち上がった。


「よし、じゃあちょっくら授業を受けてくるっす。今から行けば6限に間に合うっしょ。

そんで、マスターが言ってくれた俺の将来ってのを考えてみるっすよ」

「ええ。では、その将来の目標が決まったら教えてください」

「わかったっす。スゲーの決めてくるから期待してるっすよ」

「はい、楽しみにしています」


そうして少年は、先ほどの気だるさを微塵も感じさせない朗らかさでお店を出て行きました。



その1ヵ月後。

その少年がご両親を伴って来店されました。


「こんにちは、マスター。今日は俺の親がマスターにお礼が言いたいって言い出したから連れて来ました」

「お礼、ですか」

「はい。うちの子はこれまで不登校だったり素行が悪かったりと困っていて、常々どうしたものかと頭を悩ませておりました。

ところがです。ここ最近、急に真面目になりました。

先日の期末テストでも今まででは考えられない程の好成績を取りまして、私どもも喜んでいいやら驚くやらで。

これは何かあったに違いないと思い、聞いてみたところ、こちらのマスターにお世話になったという事でしたので、こうしてお礼を伝えに来た次第です」

「そうでしたか。ですが、それらは全て彼の努力の結果ですよ。

どうやら、少しは決まってきた模様ですね」

「まだぼやっとですけどね。でも、何て言うのか、生きてる実感が持てた気がしますね」

「そうですか。それは良かったですね」

「はい!

っというか、おとんもおかんも、挨拶だけして『はいさよなら』じゃないよな」

「ん?というと……」

「ここは喫茶店っしょ。ならコーヒーの一杯も頂いていくのが礼儀ってもんじゃん。

そうですよね、マスター」


そう言って笑う少年。

それを見た少年のご両親も嬉しそうに笑っている。


「ははは、これは一本取られたな。

マスター。私達にコーヒーを淹れて頂けますか?」

「はい、喜んで」

「まさか息子から礼儀を説かれる日が来ようとは嬉しい限りです」

「ええ、ほんとうに。マスターさん、どうもありがとうございました」


そうして親子3人でテーブルを囲み、楽しそうにコーヒーで乾杯をしていました。

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