番外編 【夕陽の差す街で】
私は忘れない。
あの日、あの時に、あなたに会えたから、今の幸せがある。
あなたにもらった幸せを、私はすこしくらいは返せたのだろうか。
########
5月。私こと、
『第一志望校:D判定』
なんで? 去年の冬に受けた時はA判定で余裕の合格圏内だと思っていたのに。
ネットを調べたらその原因は直ぐに分かった。
なんでも新進気鋭の若手作家がその高校に在籍していることがうわさで流れたらしく、去年から入学希望者が倍増したらしいのだ。
まあでも。正直なところ、それだけが問題ではないのは分かってる。
うちは一昨年から小さな喫茶店を営んでいる。
駅から少し離れていることもあり、それほど繁盛しているとは言い難い。
幸い近所の奥様方や学校帰りの学生がちらほら来ているのと、常連客になってくれてる人が居てくれるお陰でなんとかやっていけてるみたい。
でも余裕が無いのは明らかだったから、「塾に行かなくても勉強は出来るし、成績は落とさないから」って言って、両親の反対を押し切って塾を辞めることにした。
それなのに、この結果。どうしよう。
まぁ落ち込んでても成績は良くならないから、まずはお父さんの淹れてくれた珈琲を飲んで気分を変えよう。
そう思って店内を覗くと幸い(?)常連で顔馴染みのお客さんが3組居るだけだった。
私はお父さんにカフェオレを淹れてもらうとカウンターの奥の席に座った。
「はぁぁ」
思わずため息が漏れてしまった。
それが聞こえてしまったらしく、一番奥のテーブル席でいつもホットケーキセットを注文してくれるお兄さんが声を掛けてきてくれた。
「水菜緒ちゃんがため息をついてるなんて、めずらしいね。何か悩み事かな」
「いえいえ、そんな大した事じゃないんですよ」
慌てて否定したけど、これじゃあ逆に何かあったんだって言ってるようなもんだよね。
「大した事じゃないなら話しても問題ないよね。僕のほうも丁度ひと段落したところだから、こっちにおいでよ。話すだけでも楽になることってあるしさ」
お兄さんって、ちょっと強引なところもあるけど、困ってる人を見過ごせない人。
私もこれまでも何度か助けてもらったことがある。
……だめもとで、話してみようかな。
「なるほど。僕で良かったら、勉強見てあげようか?」
私の話を聞いて、そう提案してくれるお兄さん。
「や、でも、お兄さんも自分の勉強とかありますよね」
「あるけど、受験生って訳でもないしね。成績も中の上くらいはキープ出来てるから大丈夫だよ」
そういって明るく笑いかけてくれるお兄さん。あれ?
「そういえば、お兄さんって、どこの高校に行かれてるんでしたっけ」
「聖条高校の2年だよ」
「そこ、私の第一志望校です!」
確かに、平日の午後に来てくれるときに着てた制服は聖条高校のだよ。
何でいままで気付かなかったんだろう。
「そうなんだ、じゃあ僕の学力でも十分教えられそうだね」
「いやでも、やっぱり悪いですよ。私の為に時間を取ってもらうなんて」
そう断る私を見た後、カウンターの方に視線を向ける、お兄さん。
そこには丁度おかわりの珈琲を持ってきてたお父さんが居て。
「それなら、マスターの珈琲1杯で勉強を教えるっていうのはどうでしょう。そうすれば、僕は大好きなマスターの珈琲が飲めるし、水菜緒ちゃんは勉強が捗る。一石二鳥ですね」
お兄さんがそう言うと、お父さんも示し合わせたように話に入ってきた。
「ふむ。こちらとしても願ってもない提案ですね。
水菜緒、どうしても嫌という訳でなければお受けなさい。
それに彼、悠斗君がやるといったら引かない性質なのを忘れてはいないだろう。
そんな訳で、悠斗君。娘をよろしく頼むよ」
「ええ。頼まれました」
とんとん拍子に話が決まってしまった。
「ってお父さん。突然話に入ってきて、勝手に決めないでよ」
「おや、水菜緒は彼の事が嫌いだったかな」
「だ、だれもそんな事言ってないでしょ。話をすり替えないで!」
「まあまあ、水菜緒ちゃん。あんまり騒ぐと他のお客さんにご迷惑だから、落ち着こう」
むぅ。確かに声が大きくなっちゃったのは問題だったけど。
何となく二人に乗せられた感じなのがちょっとね。
「それで、話は戻るけど、まずは週2日で良いかな。水菜緒ちゃん、部活とか習い事はしてる?」
「いえ、今は何も」
「そっか。じゃあ火曜日と木曜日の放課後の時間でいいかな」
「いい、ですけど。するのは確定なんですね」
「まぁやってみて、ダメだったら止めればいいだけだしね。
それで、もし今時間があるなら今日からやってみようか」
そんなこんなで、お兄さんに勉強を見てもらうことになった。
結論から言うと、お兄さんの教え方は凄く分かりやすかった。
今まで意味も分からず使っていた数式も身の回りのもので例を挙げてくれたり、社会などの暗記するだけと思っていたものも、その背景や出てくる人物の心情や立場などを交えながら、時に冗談交じりに教えてくれる。
まぁ学校で習った内容3、それ以外の雑学が7くらいの割合なので、テストの成績が良くなるかはまだ分からない。7月の期末試験までその辺りはお預けだ。
そうして6月も半ばになった頃。
お店には以前よりも大分お客さんが増えてきたので、忙しい時間帯だけ私もウェイトレスとして手伝うことになった。
来てくれるお客さんの仕事帰りの若手のサラリーマンと女性が増えたみたい。
ただそのせいで、放課後にお兄さんに勉強を見てもらう余裕が無くなってしまった。
残念だけど、仕方ないよね。
……お兄さんにそれを伝えたら「なら夜だね」って。
え、ちょっと待って。私の部屋散らかってるから。
ってお母さん「これで漸く片付けの習慣が身に付くわね」って、そう言う問題じゃあ。
あぁもう、分かりました。片付けます!!
そして7月。そう期末試験が明日からだ。だけど、
「お兄さん。試験勉強はしないんですか?」
そう、やってる内容は特に変わらず。
いやまあ、より難しい内容になっていたりはするんだけど、試験範囲とかは無視。
私としてはこの試験が、今までのお兄さんが教えてくれたことの評価に繋がるんだって思ってるから気が気じゃないんだけど。
「別にいらないと思うよ。明日の試験で暗記して行かないといけないのって、歴史だけなんでしょ。なら試験開始前にちょっと年表とかおさらいすれば、今の水菜緒ちゃんなら十分いい点取れるよ」
「お兄さんはそう言ってくれますけど、明日は苦手な数学と英語もありますし、少し不安です」
これで点数低くて、お兄さんとの時間が終わりになってしまったら、絶対に嫌です。
って、あれ?私が試験期間って事は、お兄さんも近い内に試験なんじゃないかな。
「あの、お兄さん。お兄さんの方の期末試験っていつからなんですか?」
「ん?あぁ。言ってなかったね。今日からだよ」
「え、えぇぇ。大丈夫なんですか!?」
「だから、大丈夫だって。僕はそこそこの点数が取れれば十分なんだから」
そう何でもないように言っちゃいますけど、私の所為で悪い点を取ったりしたら、なんてお詫びすればいいのか。
「あ、ひとつだけ心配事があったよ」
「やっぱり! じゃあ今日は早く帰って勉強してください」
「うん、もうそろそろ帰る時間だけど。僕の心配事はそうやって僕の事を心配して、水菜緒ちゃんが寝不足にならないかなって事だね」
「寝ます。お兄さんが帰ったらすぐにお風呂入って寝ちゃいます。なので、今日はもう帰ってくださいというか、お兄さんの試験が終わるまで出入り禁止です」
「はいはい」
もう、最後まで私の心配ばっかりなんだから。
あ、でも約束しちゃったから、この後試験勉強するつもりだったのに、早めに寝ないと怒られちゃう。
仕方ないから、早起きして勉強しよう。早く寝るとは言っても起きる時間は言ってないから大丈夫だよね。
そして無事に試験が終わって答案用紙が返ってきた。
……うそ。なにこれ。平均点が90点を超えてる。
一番低いので、地理の88点。苦手だったはずの英語に至っては96点だ。
前の試験と比べるとどれも20点くらい上がってる。
友達も私の点数を知ってびっくりしてたけど、何より自分で自分の点数に驚いていた。
でも、うん。
これって絶対お兄さんのお陰だよね。これ見たらお兄さん、絶対喜んでくれるよね!
そう思って、放課後になったらすぐに帰ろうと思ったのに、担任に止められてしまった。
曰くこれだけ成績が上がったんだから、もっと上の学校も目指せるとかなんとか。
まったく、そんなの結構です。
私はお兄さんの通ってる高校に行くんだから。
そのせいで30分も出るのが遅くなっちゃった。
お兄さんはお店に来てるかな。
家の前まで来たとき、ちょうどお兄さんがお店に入っていく所だったので慌てて声を掛ける。
「おにい、さ……え?」
うそ……いまお兄さん、女の人と一緒だった。
それも親しげに笑いあってたような。
ううん、見間違えかもしれないし、急いで着替えてお店に行けば分かるよね。
私は部屋に入るなりすぐに、お店用の服に着替えてお店に入る。
お兄さんは……いた。
いつもの奥のテーブル席に。
ああ、やっぱりさっきの女の人も一緒だ。
こちらからだと後ろ姿だけど、それでも綺麗で格好良い大人の女性なんだろうなって分かる。
私じゃ、絶対に勝てないよね。
そうしてぼーっとしていたら、とんとんって肩を叩かれた。
振り返るとお母さんが立っていた。
「女は攻めるものよ」ってウィンクしながら、持っていたトレイを渡してくれた。
トレイには我が家自慢のオリジナルブレンドが3つ載っていた。
私は一つ頷いて、意を決してお兄さんのテーブルに向う。
「おまたせしました」
といつも以上に明るい声を出し、お兄さんの前に珈琲を置き、女の人の前に珈琲を置いた時、私とその人の視線がぶつかった。
やっぱり思った通り凄く綺麗な人だ。大人の魅力っていう意味では全然勝てる気がしない。
でも、負けたくない。
視線を離したら負けよね。そう思ってたら2、3分見つめ合ってたみたい。
見かねたお兄さんから声が掛かった。
「水菜緒ちゃんも良かったら座って」
そう言いながら自分の横の席をポンって叩いた。
そこで漸く緊張が切れたので、自分の分の珈琲を置きながらお兄さんの横に座った。
「ふふふっ。その娘がそうなの?」
「ええ。そうですよ」
何の話だろう。私の事を言ってるみたいだけど、ふたりの間では通じてるみたいで、ちょっとムッとしてしまった。それを見て更に可笑しそうにしてる女性。
「笑ってしまってごめんなさいね。あなたがイメージ通りの女の子だったからついね」
「はぁ」
やっぱり何のことか分からない。イメージ通り?
「自己紹介しますね。私は
「はぁ。出版社の方なんですか。それで、星渡先生っていうのは……あれ?」
千堂さんがお兄さんの事をみてニコニコというかニヤニヤしてて、お兄さんが居心地悪そうにしてるってことは。
「あーうん。星渡っていうのは僕のペンネームだよ」
「え、じゃあ。お兄さん、本書いてるんだ。やっぱりお兄さんって凄い!!」
まさかお兄さんがそこまで凄い人だったなんてびっくりだよ。
……あ、そうするともしかして。
「あの、今って、もしかしなくても、その、打ち合わせの真っ最中だったんですよね?邪魔しちゃってますよね」
そうだよ、どう考えても私の早とちりで、大切なお仕事の邪魔しちゃったよ。
どうしよう。
そう顔を青くしてたら、お兄さんが大したことじゃないから大丈夫だよっていつもの調子で笑ってくれた。
「打ち合わせって程じゃないんだ。今日は出来上がった原稿の感想を聞くついでに、千堂さんが一度このお店を見てみたいって言うから連れて来たんだ」
うちのお店?どういうこと??それと千堂さんがずっと私のことを見てるけど、いったい……。
そう思ってたら、千堂さん今度は少し興奮した感じでお兄さんに向き直った。
って、鼻息荒いですよ。キャラ変わってません?
「星渡先生。このお店に来て、彼女に会えて確信しました。
今度の作品も大ヒット間違いなしです。もう重版確実です!」
「あー、うん。だいぶ慣れて来たけど、千堂さんは興奮したらキャラ変わるんだから落ち着いて下さいね。
それと水菜緒ちゃんが置いてけぼりだから、もう少し説明してあげましょうよ」
「あ、それもそうね。えっと、水菜緒さん、で良いかしら。
あなたは星渡先生の作品は読んだことあるかしら」
そう言いながら千堂さんがカバンから3冊の本と一束の原稿用紙を取り出して見せてくれた。
その本を見た瞬間、あれ、どこかで見た気が……。
って、そうだ。去年の秋くらいからお店の入った所に飾ってある本じゃない。
そういえば、学校でも何度かみんなが噂になってたの、これだわ。確か、どれも喫茶店をモチーフにした内容で、読む人に希望と感動と安らぎを与えてくれるって評判になってた。
あれ、それで千堂さんがうちのお店を見てみたいって事は、
「この本のモデルになってるのが、うちのお店って事!?」
「うん、そういう事。あ、店名とかは出してないから。
ただ、僕の住んでる街とか、行きつけのお店がモチーフになってるっていうのは知られてるから。
この地域に住んでる人にはそれなりの割合で分かっちゃったみたい」
「お陰様で当店に来て下さるお客様が増えて、この店を畳まずに済んだんですから、私どもとしては感謝してもし足りないですよ」
そう言いながらホットケーキを人数分置いていくお父さん。
言われてみれば去年の冬くらいから段々お客さんの入りが良くなってた気がする。
そっか、お兄さんのお陰だったんだね。
「僕がしたのは広告だけで、実際に繁盛してるのは水菜緒ちゃんのお父さんの努力の結果だからね。
っと、話が逸れたけど、今日はその原稿用紙になってる4作目の話がメインなんだ」
そう言って原稿用紙を私に渡してくれるけど、
「読んで良いんですか?まだ発売されていないんですよね?」
「うん。むしろ今読んでみて感想を聞かせてほしい。水菜緒ちゃんの反応しだいでは、それは没にするからさ」
「没って、責任重大じゃないですか。えっと、じゃあ部屋で読んできますね」
「うん、僕はここで次の原稿を書きながら待ってるから、夕方くらいには一度感想を聞かせてね」
「私はそろそろ会社に戻るわ。今日はありがとうございました、先生」
そう言ってお店を出て行く千堂さんを横目に、私は部屋に戻った。
お兄さんの原稿。私に読んでほしいって事は多分、お話の中に私をモチーフにした女の子が出てくるってことだよね。
お兄さんから見た私って、どんな風に映ってるんだろう。
楽しみだけどちょっと怖いな。
そんな気持ちを抱きながら、お兄さんの原稿を読み始めた。
そして2時間。
この2時間は私の人生の中で一番集中した時間だったと思う。
私は読み終えた原稿を胸に抱き、お店に居るであろうお兄さんの元へ向かった。
お店に入って、お兄さんを見つけて駆け寄った所で、私は息をするのも忘れて立ち尽くした。
私に気が付いて、笑顔を向けたお兄さんは、夕焼けを受けて輝いて見えた。
「お帰り、水菜緒ちゃん。やっぱりこうして夕陽を受けた姿はまるで天使のようにかわいいね」
物語の女の子に送った言葉そのままに、お兄さんは私の手を取り、そっと抱きしめてくれた。
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