Vol.3 【コーヒーの味】

「むぅ」

「ん?どうしたの、お父さん」


自宅の居間でコーヒーの飲み比べをしていた所に、娘の水菜緒(みなお)がやって来た。


「いやなに。コーヒーというのは奥が深いなと思ってね。

コーヒー専門店なら多くの豆を揃えて、焙煎具合も好みに合わせて変えていく、なんて事が出来るんだけど、喫茶店でそれは無理だからね。

それなら最高の一杯を、と思うんだけど、これがなかなか見つからなくてね。

なあ、水菜緒だったらどんなコーヒーがいいだろう」


水菜緒の髪を優しく撫でながら尋ねてみる。

と、流石に中学生に上がったばかりの娘にコーヒーの味を聞くのは無理があるだろうか。

水菜緒は「ん~」とよく妻が考え事をする時の仕草で首を傾げている。

うん、やっぱり、普段の姿っていうのは子供に伝わっているんだな。

そんな事を考えていると、ぱっと閃いた顔をしてこう言った。


「わたしはにがいの苦手だから、あんまり分かんないけど。

お父さんが焼いてくれたホットケーキといっしょに飲むコーヒーは好きだよ」

「そうか、ありがとう」


うちの喫茶店で出しているホットケーキセット。

元々は水菜緒がだいのホットケーキ好きだったのをきっかけに作ったメニューだ。

今では水菜緒のおやつの定番でもある。


「あ、でも。先週りさちゃんと駅前のお店で食べた時は、あんまり美味しくなかったよ」

「おや、何が違ったんだろう」

「うーん、甘いのとにがいのが喧嘩してる感じ?

お父さんのホットケーキを食べると甘くてふわっとなるの。

そこでコーヒーを飲むと、ゆっくり落ち着く感じになって。

そしたらまたホットケーキが食べたくなるの!」

「あらあら。それで今日もいっぱい食べてたのね」

「あ、お母さん」


振り返ると妻が笑顔で私達を見ていた。

あーこれはちょっとお怒りモードかな。


「ホットケーキが美味しいのは分かるけど、食べ過ぎるとその内、ホットケーキみたいにまんまるに太っちゃうわよ。

美味しいものは次回の楽しみに取っておくこと。

しっかり運動すること。

夕ご飯をしっかり食べること。

良いわね」

「はーい」


元気に返事をした娘に頷くと、今度はこっちの番だった。


「あなたも。

今日一日で何杯コーヒーを飲んでると思っているんですか。

お客様に喜んでもらいたいのはよく分かりますが、それであなたが身体を壊しては意味が無いんですからね」

「はい」


素直に頭を下げる私を見て、娘が笑いだす。

釣られて僕らも笑顔になる。


「うふふっ。お父さんもお母さんには形無しだね」

「まあね。お母さんと喧嘩して勝てる気がしないからね」

「『喧嘩で負けて、笑顔を勝ち取るんだ』だね。お父さんの口ぐせ」

「ああ。大切なことは見失わないようにしないとな。

っと。水菜緒。さっきの話の続きを聞かせてくれるかい?」

「うん。えっと、あ、そうそう。

駅前のお店の方はね。ホットケーキがとっても甘いの。飲み込んでも口の中に甘さがこびり付いちゃう感じ。

それで慌ててコーヒーを飲むと、今度は苦いのがこびり付いちゃうの。

だから甘いし苦いしで大忙しだったよ」

「そうか、大忙しだったか」


自分の娘ながら面白い表現をする。

そう思っていると妻がすっと隣の席に座って、残っているコーヒーを手にとって飲んでいた。


「ふぅ、そうね。

あなたの淹れてくれるコーヒーは飲んでいて落ち着く味よね。

はぁ、思い出すわぁ……。あなたが初めて私のために淹れてくれたコーヒー。

当時は全然お金とか無かったはずなのに、私がコーヒー好きだって聞いて頑張ってくれたのよね~」

「あちゃあ。またお母さんの思い出話が始まっちゃった。

コーヒー飲むたびにこれなんだもん。

お父さん、コーヒーに何か入れてるんじゃないの?」

「こらこら。お父さんは愛情しか入れてないぞ」

「もう。あなたってば」


もう何度目になるかも分からない、いつものやり取りをして、皆で笑いあう。

ほんと、この笑顔を守るためにもっと頑張らないとな。


「でもそうね。それがあなたの強みなのかもしれないわね」

「ん?どういうことだい?」

「だってほら。ただ美味しいコーヒーが飲みたいだけなら、それこそコーヒー専門店に行けば良いでしょう。

喫茶店だってこの地域だけでもいくつもあるし。

それでもなお、うちの喫茶店に来たいって思ってもらえる事が大事なんじゃないかしら」


あ、もちろんコーヒーが美味しいに越したことは無いのよ。

そう付け加えて言う妻の言葉に、確かにと思う。

コーヒー、軽食、店の雰囲気、接客する僕らの気持ち。

それら全てで来て下さった方に最大限のおもてなしをする。

そう考えると自ずとコーヒーの味も定まる気がしてきた。


「うん、ふたりともありがとう。

よぉし。今の気持ちをイメージして、うちに合った最高のコーヒーを作るぞ!」

「ふふっ、もう仕方ないわね。今日はあと一杯だけよ。

あと水菜緒は夕飯の準備手伝って」

「はい」「はーい♪」


賑やかで温かな空気が部屋を満たす。

この幸せを形にする為にも頑張らないとな。

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