Vol.2.2 【恋人 女性編】
「どうしてあなたはそう、いつも勝手なのよ!」
「おまえこそ、一々うるさいんだよ!」
午後のひととき。
落ち着いた雰囲気の喫茶店には似つかわしくない、怒鳴り声が響き渡る。
見ればどちらも20代半ばくらいの男女だ。
「もういい、話にならん」
「ちょっと、待ちなさいよ」
そのまま店を飛び出していく男性。
女性の方も立ち上がりはしたものの、追いかける気力が湧かなかったのか、椅子に座りなおした。
コーヒーカップに手をつけて、既に空になっていることに気付きお代わりを頼む。
「どうぞ」
「ありがとう。
ずずっ……。
はぁぁ……」
一息ついた女性はカウンターに居るマスターに声を掛けた。
「ねえ、マスター。男っていうのはどうしてこう、自分勝手なのかしら」
「ふむ、自分勝手、ですか」
「そ。なんでもかんでも自分で決めて、私の言うことなんて全然聞いてくれないし。
自分が一番偉いとでも思っているのかしらね」
「ああ、それは私も昔、妻に何度も言われましたね」
「えぇ!?マスターもなんですか。全然そうは見えないですけど」
「それは今だから、ですよ。
分かりやすいところで言うと、もし彼が今の会社を止めて喫茶店を開きたいんだって言い出したらどうしますか?」
「それはもちろん反対するわ。
折角安定して給料をもらえる所に勤めているのに、それを捨てて上手く行くかも分からないものに手を出すなんて気が狂ったとしか思えないわ」
女性がそう断言すると、マスターは頭を掻きながら苦笑していた。
「はははっ。当時妻に同じことを言われましたよ」
「うわぁ、でも今マスターがこうして喫茶店をしてるってことは、奥さんの反対を押し切っちゃったってことですよね」
「いいえ。ちゃんと説得して、理解を得られてから始めましたよ」
「へぇ、いったい何て説得したんですか?」
「そうですね。
最初の頃は、いかに自分が喫茶店をしたいのかを語ってましたね。
勿論、それで彼女が首を縦に振るわけも無く。
続いて、喫茶店を開いて成功する根拠なども伝えました。
それでも失敗した時の不安を払拭することは出来ませんでした」
「まあそうでしょうね。私がそれを言われてもやっぱり反対すると思います」
「それで最後は……」
「??」
そこでちょっと言葉を切るマスター。
これは、思い出し笑い?
「最後は、口説き落としました」
「あら」
「私が彼女を愛していることを伝え、絶対に今よりも幸せにするから、その為に頑張らせて欲しいと夜通し語りました」
「い、意外とマスターも情熱的なんですね」
「ははは、お恥ずかしい。まあもっとも、大変だったのはそれからですけどね。
親戚中に頭を下げてお金を借り、店が軌道に乗るまではかなりひもじい思いをさせました。
そういう時って、どうしても心にゆとりを持てないんですよ。
相手の些細なことが気になって、口論になることも良くありました。
今にして思えば、怒るほどの事も無い、本当に些細な事なんですけどね」
「ゆとり、ですか」
コーヒーを手に考え込む女性。
外の通りには小さな子供達がはしゃぎながら通り過ぎていく。
「もしかしたら、私もゆとりがなくなっていたのかもしれません。
私は今年で28になるんです。
同級生はほとんど結婚しちゃって、私だけ取り残されて。
今の彼と上手く行かなかったら、もう結婚出来ないんじゃないかって。
だから理想の彼であって欲しいと思うんです。
でも、そうじゃないんですよね。
自分勝手だし、ずぼらだし、身だしなみもだらしないし、ご飯の食べ方も汚いし。
どうしたら、そんなマスターみたいにゆとりが持てるんですか?」
「そうですね。例えば、ですが、ゆずれないものの優先順位を付けてみる、というものもあります」
「ゆずれないもの……優先順位……」
「はい。お互いにこれだけは絶対守ろうねっていう決まり事を作るんです。
例えばそう、時間は絶対遅れない、という決まりを作ったとしましょう。朝は7時には起きて朝食を食べ始める、などのように。
ある日、彼は寝坊して6時59分に起きました。
彼は時計を見た瞬間跳ね起きて、すぐさまリビングへ。そしてジャスト7時に食卓に着くのです。
そして彼が言いました『やあおはよう。今日も君と一緒に朝食を摂れて幸せだ』ってね。
その時の彼は寝巻きのまま、顔も洗わず、髪も寝癖だらけです。
そんな彼を見てあなたはどう思うでしょうか」
「ぷっ。ふふっ。ちょっとリアルに想像出来てしまいました。
私それを見たら絶対に笑ってますね。で、『もう仕方ない人ね』って言うと思うわ。
…………彼、そこまで私のことを大事に思ってくれるかしら」
「それは私にも分かりません。
ですが、大事に思ってもらえるように努力することは出来ると思いますよ」
「そう、ですね。
相談に乗って頂いてありがとうございます。
私、がんばってみますね」
そう言って女性は晴れやかな顔で喫茶店を後にした。
次来る時は、あのふたりはきっと笑顔でいてくれるだろう。
そう信じて、マスターは空になったコーヒーカップを片付けた。
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