第4話 呪われた青春

 夜、僕たちは公園に集まり、〝こと〟が起こるのを待ち構えていた。


「真埜くんも食べる?」


「ありがとう」


 来る途中、千尋さんがコンビニで買ったというお饅頭を頬張りながら、僕たちは、時が来るのを待つ。

 〝彼女〟の家の近く。──僕が到着するより前に、千尋さんはあらゆる準備を終わらせてしまっていた。


 千尋さん曰く、 〝誰が狙われて、どこにあらわれるのか分かっていれば対策は、いくらでもあるのよ〟──とのこと。

 彼女の家の周囲に〝はらいの陣〟を敷き、紅鴉がかかるのを待つという。


「かかれば呪いは削がれて、紅鴉は力を取り戻すために呪具に戻ろうとするわ。陣に仕込んだ私の〝糸〟がそれを追ってくれる」


「じゃあ、あとはここで待っていれば良いだけ、ってこと?」


「そうよ。鴉がかかるのを待ちましょう」


「僕も何か手伝いたかったな」


 ──千尋さんのために。


「ここまできたら、真埜くんに手伝ってもらうような事はないわ」


 そっか。僕はやっぱり、見てるだけらしい。


 お饅頭を食べ終え、新商品と書かれていたというクリームどら焼きを半分頬張った辺りで──千尋さんが持つどら焼きに、バリッ!と紫電が走った。


「えっ!?なにそのどら焼きすごい!?さすが新商品!」


「違うわよ!陣に呪いがかかった反応!」


 あ、そっか。光ったのはどら焼きじゃなくて手だったんだ。

 千尋さんは素早くどら焼きを口にくわえて両手を空けると、指を二度、三度と組み合わせて〝印〟を作る。


 バリィッ!


 再びの紫電が薄闇に閃くと──千尋さんの指先から一本の光が伸びているのが見えた。


「糸もしっかり絡んでる。追うわ!」


 ダッ、と駆け出す千尋さん。

 置きざりにされた、おやつの入ったコンビニ袋を手に持って、僕も追う。


 公園を出て、前を走る千尋さんを追って、横に並ぶ。空に向かって伸びている光──それを辿り、見上げる。


「いた!」


 紅色の鴉が飛んでいた。が、その羽ばたきは、見るからに頼りない。

 祓いの陣にふれて受けた、ダメージの影響だろう。

 ──紅鴉はゆらゆらとだが、まっすぐに、一定の方向を目指していた。


「このままいくと──土手沿いの川原に出るわね…!」


 千尋さんは息一つきらす事なく、走りながら状況を捉える。

 こちらはまっすぐ土手には行けない。

 道路を曲がり──

 細い露地を抜け──

 くねりながら土手へと向かう。

 鴉との距離は少し離れたが、きらめく糸は天に伸び、その位置ははっきりとしている。

 と──紅鴉は、ぎゅんっ、と急激にその身を地面に向かわせた。


「あそこね」


 鴉が降りたった場所。そこに、呪具と呪いの主がいる。

 千尋さんはさらに走る速度をあげた。


 土手を登る階段を登り、そこに広がる川原を見渡す。糸は、川を渡す国道の橋の下に向かって伸びていた。

 僕たちは、ゆっくりと歩を進める。

 と──


「くっ…あっ…」


 そこには、左腕を押さえて呻く人影があった。

 深緑色のブレザーの制服に身を包んだ、黒髪の女の子──佐藤さんだった。

 その傍らで、紅い鴉がじっと羽根を休めている。


「手荒い返し方になって悪いわね。でも、こういう形にしか出来ないのよ。ごめんなさい」


 きっ、とこちらを睨む佐藤さんの制服の袖から、しゅうしゅうと煙が湧き出ている。村枝の家に千尋さんが張った〝陣〟──それにより呪いが削がれた事で、主である佐藤さんに〝返った〟傷だろう。


「あなたは…」


「〝呪法士〟。知恵なき者が使えばこの世に綻びを生み出す〝呪い〟を、〝元の場所〟に返すのよ。──呪具を使ってこういう事をしたのだから、そういう人達がいても何もおかしくないでしょう?」


 毅然とした態度で、千尋さんは運命を告げる。


「まぁ、後で記憶は消させてもらうから、覚えておかなくて良いわ」


「…どうして、返すの…私に。どうして、私が返されなきゃいけないの!」


 叫ぶ佐藤さんの目は、怨嗟に満ち、真っ赤に充血していた。


「私をこんな目に合わせたのは、あいつらなのよ!だから、酷い目に合うべきなのはあいつらじゃない!」


「あいつらっていうのは──村枝のグループと…」


 …千尋さんには、上への報告の義務がある。だから、〝誰が〟、〝何をした〟のか──答え合わせをする必要がある。

 千尋さんが言いよどみ、詰まらせた言葉を、僕が続ける。


「それと、板垣さんも──なんだよね?」


 佐藤さんの瞳の中にたたえられた呪詛が、さらに燃え上がった。


「私が、庇ってあげたのに…あの子は一緒に立ち向かおうとしなかった…それどころか、村枝にそそのかされて…一緒になって私に酷いことをしたのよ…!」


「タバコの火を、押し当てられたのも、それ?」


「──!」


 どうしてそれを?という表情だった。

 見たのは偶然だ。

 あの、駐車場で二人が取っ組みあっている時。スカートが乱れて、内腿が見えた。

 そこはひどくただれていて──だから、とても、ときめくとか、そういう感覚になれなかったんだ。


 別れ際に放たれた、〝やってやる〟という言葉で、火傷の原因は村枝のいじめである事を知る。

 板垣さんの加担については、状況からの推察だったが、当たっていたらしい。

 人にバレないように、服で隠れる内腿にいじめの痕を付けるような奴なら、そのぐらい悪辣な事に頭が回るんじゃないか、と思っただけだ。


「あの日も…ここで、やられたのよ。ここは、あいつらの溜まり場…動けなくなっている私の目の前に、男が現れて、道具と使い方を教えてくれた。この場所が、私に強い’'気持ち〟をくれる」


 呪具を与えた男──やはり件の〝誑誘者きょうゆうしゃ〟が絡んでいたらしい。

 千尋さんは、忌々しげな表情を見せた。


「…そういう〝気持ち〟に入り込むのが、あの男の手口なのよ」


 そういう〝気持ち〟──


「正義感を、悪によって──助けようと思ったものにさえ、踏みにじられた」


 その、憎しみ──


「だから、君は、〝呪った〟んだね」


「〝呪い〟じゃないわ!〝報い〟よ!」


 叫びとともに、鴉が再び羽を広げる。呪具──おそらくバッグの中にあるのだろう──の近くに戻った事もあり、力を回復させたみたいだ。


「邪魔をするなら!あんた達も呪ってやる!」


 瞬間──佐藤さんの腕から赤い光が蔦のように伸び、紅鴉にまとわりついた。


「キェェェェェ!!!!」


 甲高い鳴き声をあげて、紅鴉の全身が灼熱の炎に包まれる。

 膨れ上がった呪い──紅鴉は、羽根を弾かせて、僕らに向かって一直線に突進してくる。

 真っ赤に燃えた怨みは、触れるものを全て焼き尽くすような苛烈さを持って襲いかかってくる

 千尋さんは──


「ごめんね。」


 小さく、そう呟いたのが聞こえた。


 彼女は、すっ、と一歩前へ出た。

 両の手には、月明かりでも眩しく煌めく、磨き抜かれた〝白銀の針〟。

 摘み、つがえて、半身に構え──


「やぁぁぁぁぁっ!!!」


 弓なりにそらして、勢いをつけた身体を弾かせ、両手の針を紅鴉に向かって投げつけた。

 放たれた二本の針が、紅鴉に突き刺さった瞬間──


「〝纏流マツリ〟!」


 その言霊に従って──白銀の針は、しなやかに舞う。

 踊るように刺し──貫き──

 光の糸の軌跡を宙空に描きながら──

 幾重にも宙を駆け、紅鴉の身体をあらゆる方向から、幾度も縫い止めた。


「ギャァァァァァァァ!!」


 鴉の悲鳴とともに、佐藤さんの腕から煙が吹き上がる。


 千尋さんの目の前で、光の糸によって縫い付けられた紅鴉は、焔を失ってばたばたともがいている。


「あなたの呪いは、もう、終わりよ。私が、あといくつかの手順をこなせば、あなたの元へと返る。あらわれる程に力を持ってしまった呪いは、あなたの身を焦がすでしょう。でも、それしか私にはできないの。どんな事情があっても、他人を殺してしまう凶器となった想いを放置するわけに──ゆるすわけにはいかないのよ」


 千尋さんの伝える通告は、はたして、佐藤さんに聞こえているのだろうか。


「…どう…して…どうして…私だけが、こんな目に…」


 静かになった土手に、佐藤さんのすすり泣く声だけが、聞こえる。


「…どうして…私…間違った事…していないのに…」


「それは…」


「千尋さん──」


 答えあぐねて、言葉に詰まる千尋さんを、僕は制した。

 真面目な千尋さんは──こういう問いが、とても苦手だ。うまく処理しきれないのに、受け止めてしまって。言葉をうまく選べずに、自分自身も傷つけてしまう。

 佐藤さんは、〝正しく〝、他者を怨んでいる。

 だとしても、それについて、千尋さんが必要以上に苦しむ事はない。


「…ごめんね」


 一言、それだけをとなえて──

 彼女は印を組み、呪いを返した。


 そして──また僕は癖で、見なくても良いものを覗き込んでしまった。


 〝自身で編んだ呪いを返され、受け止めさせられた者〟の、痛みと悲しみの形相──

 〝凶悪な呪いによって家族を奪われ、数多の呪いを必ず滅すると誓った〟、千尋さんの苦悩の表情──


 二つの苦しみを、目を逸らす事なく、見つめてしまっていた。




 ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 後日。

 僕たちはまた、図書室の新刊データ整理をしている。

 例の紅鴉の事件があって──その後しばらく、千尋さんは事後処理に追われて進められなかった。

 今日、ようやく続きに入る事ができたわけだけど、予定より大きく遅れている。どうにも終わりは見えそうにもない。


 手早くやっていかないと、次の本が来てしまう。今日は、気合いを入れてやろうと準備をしていると──


「一応、報告しておくね」


 作業を始める前に──千尋さんが口を開いた。


「呪いにあてられた二人は──一旦は病院で治療を受けたけど、それとは別に〝治癒のおまじない〟をして、だいぶ身体は回復したわ」


「そっか、良かった」


「また、現代医療では説明できない、奇跡の回復!とか言って、ニュースにとりあげられたりするかもね」


 たまにテレビ番組でやるああいったものは、千尋さんが扱うような特殊な能力が絡んでいる事が多々あるらしい。


「あと──村枝については、上の方から手を回してもらって、警察の方から障害事件として暴いていってもらう事になったわ。他にも色々やってそうだから、そんなに時間はかからないだろう、って」


「さすが、千尋さん」


「報いは──呪いじゃなくて、人間社会の然るべきものの手による刑罰で、ね」


 それも、良かった。

 素直な気持ちだった。


「これでひと段落。でも、肝心な〝誑誘者きょうゆうしゃ〟の手がかりはまた掴めなかったから、そこは残念だわ」


「そこは、一歩ずつやっていけばいいんじゃない?」


「真埜くんに言われなくても、そのつもりよ。──それじゃあ、本の整理を始めましょう。潜入しているだけの身だけれど、やらなきゃいけないことは、ちゃんとやらないとね。」


 相変わらず真面目な千尋さんの言葉に頷き、僕は作業の準備を始めた。と──


「あとね──真埜くん」


「何?千尋さん」


「…色々、助けてくれて、ありがとう」


「いやいや。どういたしまして」


「でも、次は関わっちゃダメだからね」


 そう、優しくたしなめられて──僕たちは今日の作業を開始する。


 二人で黙々と作業をしながら、僕は思う。

 以前、鷹御先生に聞いたことがある。

 さっき千尋さんが教えてくれたような、事件後のアフターケアは、呪法師によってまったく異なる──と。


 他人事として一切関知しないものもいれば──彼女のように、折り合いきらない感情のままでも、己の正義に沿って可能な限り、良き方向へといざなおうとする人もいる。


 呪いに纏わる全ての感情に向き合おうとする真面目な千尋さんが、僕はとても、素敵だと思う。

 目移りする癖のある僕が、ずっと見つめてしまう程に、素敵だと。


 そして僕は、〝想うんだ〟──


 そんな彼女の目的である、〝自分の家族を奪った呪い〟──

 それに僕が、〝間接的にではあるけれど、関与している〟という事を知った時──

 彼女はどんな表情をするんだろうか。


 怒るのかな?

 悲しむのかな?

 僕を呪ってくれるのかな?

 それとも、ゆるしてくれるのかな?


 その瞬間を──

 その時の自分の感情を──

 千尋さんの心を埋める〝想い〟と、〝呪い〟を──


 覗き込みたいと想うから──

 今日も僕は千尋さんと、終わりの見えない、図書室の本の整理をしている。




── 終 ──  

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真埜くんと千尋さんの呪われた青春 直井啓訓 @k-kun

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