第3話 人が顕すもの
僕達が電車に乗って向かった先は、隣町の大きな病院だった。
昨日、救急車が入っていった病院──
「うちの〝上〟に問い合わせて、色々と調べてもらったわ」
バッグから取り出したタブレットの画面を確認しながら、情報を教えてくれる。
「まず──救急搬送されたのは、
「僕と同学年か」
「搬送の理由は、〝放課後、学校で急に倒れた〟そうよ。周りにいた生徒が先生に連絡した、って事だけど」
「その、周りにいた人達もびっくりしただろうね。まさか、呪いが原因だなんて思いも付かないだろうから」
「それはそう──なんだけど…ちょっと慎重に生徒達に聞き取りをしよう、って事になってるみたいなのよね」
「どういう事?」
「救急の記録を見ると──身体に〝急に倒れた〟だけでは説明の付かない傷が色々あったみたい」
「え?どんな?目元に十字傷とか?」
「…どんなスジモノの人なのよ…──痣とか、擦り傷とかだって」
「ああ、それぐらいのものか」
「それぐらい、ってね、真埜くん。分かる?それが、呪いの原因かもしれないのよ」
「…っていうと──もしかして、いじめとか、そういうやつって事?」
「…推測でしかないけどね。聞き取りの理由は、その子達の言っている〝急に倒れた〟が、本当かどうか、疑念の余地がある、って事なんじゃないかしら」
「放課後、学校で発生した〝呪い〟だもんね──確かに、いやーな事を考えついちゃうよね。いじめとか、ゆすりとか、たかりとか」
「とか、って言うほど変わりはないわ。どれもこれも悪意だもの。ぶつけようが受けようが──呪いを具現化させるには十分よ」
他にも何人か、関係しそうな人々の名前を見せてくれて──そうこう話している内に、僕たちは病院の門前に到着した。
「…さて、どうしようか?」
「一つずつ調べていくことにする。まずは、その板垣さんね。彼女にかけられた呪いの痕跡から、後を辿っていくわ」
「そっか、分かったよ。──僕はどうしてたら良いかな」
何か、千尋さんの役に立つことができたら良いなぁ…なんて思ってたけれど。
「じっとしてて」
僕のうきうきとした想いに、思い切り水をかけられてしまった。
「やっぱりそうなっちゃうの?…僕、なんだかんだで結構役に立つと思うんだけど」
「だから、よ。真埜くんは、なんだかんだで変な呪いを見つけちゃうんだもの」
「見つける、っていうか…僕の向いた方向に、たまたまある事が多い、っていう感じなんだけど」
「それでいて、別に対抗力があるわけでもないから、私が護らなきゃいけないじゃない」
──びしっと指を突きつけられる。
「だから、大人しくしてて。」
「…分かった。大人しくしてるよ」
「うん。…あんまり信じてないけど。お願いね」
──そう言って、千尋さんは病院の入り口の方に向かった。
僕は、一人門の前に取り残される。ここからしばらく、〝大人しく〟していなければならない。
それにしても──今の千尋さんの言いぐさはちょっと傷つく。
僕は、千尋さんと真剣に約束した事は、絶対に破らない。
実際、ふとした拍子に知ってしまった〝千尋さんが呪法師である事〟や、〝千尋さんの実際の年齢〟だって、僕は誰にも話していない。
童顔で、小柄で、高校一年生にしては幼い女の子──という印象のある千尋さんだけど、実際は僕よりもずっと大人の、20代中盤のお姉さんなのだ。
なのに──本人曰く、もう何度も仕事の際に、〝外見から、学校潜入が最適正〟と言われて、学生をやらされているらしい。
「ま、まさか…ばれるなんて…──ついに…やっと…」
僕に看破された時の千尋さんの、驚愕と嬉しさがいり混じる奇妙な反応を覚えている。
そんな素敵な思い出も、全て、僕の中だけにとどめているのだ。千尋さんとの約束だから。
「今度改めて、僕という人間がどれだけ、千尋さんに対して誠実であるかを、二時間以上は語る必要があるな…」
もはや講義だ。
ところで──大人しくするのは良いとしても、その間、どう過ごそうかと考える。
ちょっと病院の周りを散歩でもしてみようか。
ただ、周囲をふらっと歩きまわるだけだから、十分、〝大人しい行動〝だよね。
おかしいな。僕は、大人しく、病院の周りを散歩しているだけだったはずだ。
ちょっとだけ喉が渇いたから、自動販売機でお茶を買って、飲みながら──病院を囲うフェンスにそって、裏口側にぐるりと歩いた。
裏の方は林になっていた。フェンスの向こう側は、うっそうとした茂みだったが、一カ所だけなんとなく、〝歩けそうだなぁ〝と思える場所があった。
人が分け入って出来たようなものではなく、植物達が互いのパーソナルスペースを尊重しあった結果生まれているような、枝葉が重なり合っていない空間。
僕は昔から、こういう謎の道を見つけるのが得意だった。子供の頃はこの才能を生かして近所の藪や中に秘密基地を作りまくっては、 大人に叱られていた。
その度に、〝なんでこんな所を入ろうと思ったの!〟と言われ続けていたけれど──僕は、基本的に、衝動には素直に従う事を信条にしている。
一瞬、千尋さんに言われた「大人しくしててね」という言葉が脳内でリフレインしたが、ちょっと柵を越えて茂みを歩くだけだ。問題ないだろう。
そもそも、大人しくしていない状態とは何だろう。考えてみる。
うん。そりゃあ、全裸でザリガニ釣りとかし始めたら、「大人しくしてなさいって言ったのに!どうして全裸でザリガニ釣り始めちゃうの!」と、千尋さんにどやされても仕方ないかな。
でも、柵をちょっと乗り越えて茂みを散歩するなど、まったく問題ない。十分大人しい。
ただそれだけだったのになぁ…
「てめぇ!黙ってんじゃねぇぞコラぁ!」
茂みを抜けると、病院の裏の駐車場に出た。夕方だが、まだ勤務時間であり、職員が業務に従事している間は、出入りの少なくなる場所。
そんなひそやかな場所で──深緑色のブレザーの制服に身を包んだ女子高生が二人、取っ組みあっていた。
取っ組みあっている、と言うのは語弊があるかもしれない。
片方が、もう片方の上に馬乗りになっている。いわゆるマウントポジションという奴だ。
僕が来る前から、激しい掴み合いがあったのだろう。スカートが歪み、普通、隠れていないといけない部分が見えそうになっていた。
しかし、その事に男子的なトキメキを感じられるほどの甘やかな雰囲気などはなく──
そもそも、襟首を掴んでコンクリートの地面にゴンゴン押し当てているというシチュエーションは、そういう気持ちを毛ほども残さず吹き飛ばしてくれる。
「テメェだろ、佐藤?…板垣が倒れた時、アタシのことチクったのは」
怒りを露わにして凄む。受けた少女──佐藤さんは、押さえ込まれながらも、相手をキッと睨みつけた。
「そうよ。言ったわ。板垣さんは村枝さんのグループにひどいイジメを受けています。あの日もそれがエスカレートして、倒れちゃったんじゃないか、ってね」
「めんどくせぇ事してくれんじゃねぇよ!」
発しながら、襟首をぐらぐらと揺する。激昂の様子から、おそらくこの少女が村枝さんなのだろう。
「前々からてめぇは、やめろだのなんだのうだうだ行ってきやがって、アタシが板垣とどんな風に遊んでても関係ねぇだろうがよ」
「私は、間違ってない。間違ってるのはあなた達よ」
「知らねぇよ、そんな事はよ!」
揺すっている方、揺すられている方、どちらの名前も聴き覚えがあった。
それは、千尋さんが見せてくれたタブレットに関係者として書かれていた名前。
〝
「てめぇのせいで今日は一日中説教くらってたんだよ」
「それで、板垣さんの様子を見に来た私を捜して、ここまで来たの?本当、暇人ね、あなた」
──パァンッ!
「ひぇっ」
思い切り頬を張る音が高く響き──僕は思わず、驚きの声をあげてしまった。
「あん…?」
と──怪訝な表情を浮かべて、村枝さんがぐるりとこちらを振り向く。目があった。
半眼で、睨み付けられる。素直に、〝とても怖いなこの人〟と思った。
「何だてめえ、何見てんだ!どっかいけ──!?」
こちらに向けて威圧してきた彼女だが、その身体がぐらりと傾き、たたらを踏む。
僕の方に意識が向いたのを機として、佐藤さんが身体を捻って、組み敷かれた体勢を解いて、立ち上がっていた。
それを忌々しげに睨みつけ──たと思ったら、その視線は再び、僕の方に向かった。
「…ちっ!てめぇが邪魔したせいだぞこのタコ!」
えっ?いや、百バーセント僕は何もしていないと思う。
「いや、僕は何もしていないよ。むしろ何かしていたのは君のほうでしょ」
「気が散ったんだよ!てめぇのせいで!」
どうも認識にすれ違いが発生していると思った。誤解は解いておこう。
「それってお互いさまなんじゃない?気を散らすような声じゃなかったでしょ。ひぇっ、て。しかも暴力的な行為を目の前で見ちゃって、ひぇっ、て、すごくナチュラルな反応だよね。もし僕が〝見た瞬間に、狂ったようにサンバを踊り出した〟──とかだったら気が散るのもやむなしって感じするけどさ。些細な声を一声あげただけなんだから、君がそれを気にしないで、あのままの体勢を続ける事も出来たわけだ」
僕は、丁寧に、論理的に状況を説明しきった。つまり──
「今、彼女が立ち上がっちゃったのは、君自身のせいでもあるって事。分かるかな?」
「…キモッ…」
うん。怒りでいっぱいだったはずの村枝さんの視線は、すっかりその勢いを消していた。
ちゃんと分かってくれたみたいで良かった。
今、彼女の口から漏れた僕のパーソナリティを一撃で否定する一言なんて、気にしない。
これは僕の、ひえっ、と同じ、些細な一言なのだから。
と──
「あれ?」
気づくと、先程立ち上がった佐藤さんの気配が近くになかった。ちらと目をやると、病院の方に向かっていく背中が見えた。
どうやら、僕と村枝さんが話している間に、歩き出していたらしい。
「あ!てめぇ!逃げてんじゃねぇよ!」
すたすたと、佐藤さんは去っていく。
まっすぐに伸びた背中と、しっかりとした足どりからは、強い意志を感じる。
──頬を張られた痛みなど、気にしない。気にしてたまるか──無言の背中は、そう言っているようにも、見えた。
病院の裏口へと向かい、中へと消えていく。
「ちっ!あの野郎、ムカつくぜ…」
さすがに病院の中までは追っていかなかった。
そりゃそうだ。静かな病院の中であんなケンカをし始めたら、すぐに警備の人が出てくる。
しかし…感情的になりきらずに、そういう部分に頭が回るあたり、タチの悪いいじめっ子だなぁと思った。
「くそっ…あいつ…また、やってやるからな…」
なんだか物騒な言葉を言って、村枝さんも駐車場の出口へと去っていった。
遠ざかっていく二人の背中。
取り残された僕は、なんとも言えない気持ちになって──僕は、そのどちらでもなく、いつもの癖でなんとなく、病院の、おそらく病棟の屋上を見やってしまっていた。
そこに、再びそれは
──紅鴉。
キョロキョロと首を振って、村枝さんの去った方角と、佐藤さんの入った院内を交互に見て──
クワァ!と甲高い声を上げ、飛び立っていった。
──ぶるっ、と、ポケットのスマホが通知をよこしたのはそのすぐ後。
画面を見ると、千尋さんから〝真埜くん今どこ?〟というシンプルなメッセージがあった。
僕は慌てて、病院の表門の方に走る。
門の前で千尋さんが、仏頂面をして立っていた。
「ごめんなさい、千尋さん。」
「そのごめんなさいは、やっぱり私の言うことをきかなかった事について、で良いのよね?」
「言うこと?」
「大人しくしてて、って言ったじゃない」
「大人しくしてたよ。ちょっと辺りを散歩してただけだもの」
「本当に?」
「うん。散歩してたら、千尋さんのタブレットに載ってた関係者の二人が取っ組み合いのケンカをしてるのを目撃したり、その現場に例の紅鴉が現れたりしたけれど、それくらいだよ」
「…やっぱり全然大人しく過ごせてないじゃない…」
「ええっ?」
驚きだった。
「それだと、〝僕が大人しくないって思ってる事〟たちは、一体どうなっちゃうの?」
「…大人しさの定義は今度にします。とにかくその、真埜くんが見てきた事を教えて、全部」
言われて──僕は千尋さんと別れてからの事を、細大漏らさずに話す。
千尋さんはそれを一つ一つメモにとっていく。
病院の裏の駐車場に行った事。
取っ組みあっていた佐藤さんと村枝さんについて。
彼女たちの外見、服装、言ったことや、様子。
現れた紅鴉が、二人を見ていた事。
全裸でザリガニ釣りはやらなかった事も──
「それはいらないわ。うん、分かった」
僕の話を、おそらく〝ザリガ──〟辺りまでメモった所できりあげ、千尋さんは思考をはじめた。
「ザリガニやら、スカートの捲れがどうこうとか、いらない話も色々あったけど、ありがとう。予想通り、いじめが関わっているんでしょうね、これは」
「千尋さんは、入院した板垣さんの方調べてたんだよね?どうだったの?」
「カルテを見たのと──あと、寝てる隙に〝
火傷──それは、何者かに呪われた故、負ってしまった傷。
だとして──その〝何者か〟は、誰なのか。
そう。そういう事だ。
「とはいえ、真埜くんが言うその関係性を聴くと、呪いの主は村枝とかいう子で決まりよね」
「いじめグループの人?」
「ええ。いじめを受けていた側が呪いに襲われたって事は、いじめている側の仕掛けた呪いよ。知ってか知らずか、は置いといてね」
確かに、妥当な話だ。
「佐藤って子はいじめをやめさせようとして、村枝に絡まれていた。不幸な事に、彼女もいじめを受ける対象に回ってしまった。でも、意志の強い子みたいだし。抵抗して、苛立たせるようなことが多かったんじゃない?」
「それで、そのいじめグループのメンバーの悪意が集まって、紅鴉を生めるような呪いになった、って事だよね」
「子供よね。ほんと。ばかみたい。最近の呪いって、昔と比べてすぐ力が集まっちゃうから厄介だわ」
千尋さんはため息をこぼす。
「〝ちょっとムカついた〟ですら、人の集まりの中では凄い悪意の吹き溜まりに育ってしまう。集団が呪いを生みやすいのは昔から変わらないけれど、それでも、ネットワークが加速させたのは間違いなく事実よね」
そう言いながら、千尋さんはメモにペンを走らせて──
「結論!──状況から見て呪いの主人は〝
バン!と、ページに書かれたその答えを僕に見せつける。
「今夜にでも、対象を襲う紅鴉とその呪具を抑えるわ。真埜くんは、大人しく家にいてね」
「ちょっと──ちょっとだけ、待ってほしいな、千尋さん」
「何?また、全──…変な格好でザリガニがどうとか言い出さないでね」
ちょっと頬を赤くして、言い直す千尋さんは可愛らしい。が、
「違うよ。僕が千尋さんに言いたかったのは──」
僕にだけ、見えていた事
それによって、思った事。
この呪いについての、僕なりの答え。
──千尋さんは、僕の解答に最初は呆れの表情を見せたが、次第に悩む顔を見せ、最後にはため息をついた。
「…確かに、そういうケース…全くないとは思わないけれど…」
「僕は、そういう事かな、って思ったよ」
「…どうして真埜くんは、そんな答えを考えられるのかしらね」
「どうしてだろうね。僕は、僕の事があまり分かってないよ」
大体の事は、分からないのだ。
特に、〝人〟というものなんて──〝心〝なんて。
変わり続けていくものだから。
人や心について、これまで生きてきた十七年間で、分かった事なんて一つもない。
クラスのみんなも、たまに遊ぶ友達も、親も──千尋さんのも。
分かったような振りはできない。分かるわけがないのだから。
だからこそ、僕はずっと──こうして、〝覗いてしまう〟んだ。
その、心を──
呪いを──
想いを──
千尋さんは、僕の出した答えを尊重してくれたのか──今夜、一緒に連れて行ってくれると、約束してくれた。
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