第2話 其の呪いは

「〝赤い鴉〟ねぇ…」

 千尋さんから話を聞いた鷹御先生は、湯気をたてる茶をずずっとひとすすりした後、思案するように顎先に手を当てた。


 鷹御征士郎たかおせいしろう──彼は、この高校の日本史の教師である。


 もう二十年以上も勤続しているベテランの教師だ。

 順を追って丁寧に説明してくれる分かりやすい授業と、一回り以上も離れている学生達に対しても、対等な姿勢で接してくれる事。落ち着いた温和な笑みが、生徒から地味に人気がある教師だった。


 が、それはあくまで表の顔──

 彼は、この地域の呪いを捌く〝呪法士〟達の古株であり、まとめ役でもあるのだ。


 まとめ役とは言っても──そもそもこの地域は、歴史の大事にまず登場しない取るに足らない場所であり、特段のきな臭い事件も起こっておらず、呪法士が両手で足りる程度の人数しかいない。


 しかし、規模の大きさは関係なく──最近、〝上〟の命令で応援として派遣されてきた千尋さんにとっては、上司にあたる人だった。




 お茶をすすりながら、鷹御先生は千尋さんに問いかける。


 「それで──八那弥はちなみさんはその〝赤い鴉〟について、どう思うんだい?」


 その口調は、生徒に対して問題を投げかける時と接する時と同じものだ。

 千尋さんは、自身の解答で、迎え討つように答える。


「鴉の形はおそらく、呪具によるまじないの結果──〝具現化した呪い〟ではないかと思います。鴉という凶性の弱い形から、大きな事件性・思想性はなく、一般人の〝恨み〟の類いではないかと」


「うん。そうだろう。ある程度の力を持った呪具と、〝呪い方〟を正しく手ほどきする不届き者がいれば…それぐらいは一般人でも容易く具現化することができるからね」


 鷹御先生の口ぶりからすると──僕は、思ったことを尋ねてみる。


「今回も、千尋さん達が追っている〝奴〟の仕業なんでしょうか?」


「断定は出来ないけどね。おそらくそうなんじゃないかな」


 僕は、学校で起きたちょっとした事件を、自身の癖で覗き込んでしまった結果──その事件を調べていた彼らの稼業を知り、そしてその目的を知る事になった。


 人に呪具を与えて回り、小さな呪いを大きな憎悪に変え、世を乱す事を好む呪法士がいる。

 〝誑誘者きょうゆうしゃ〟と呼ばれる、道を踏み外した呪法士──


 この地域で起こる〝呪い〟に、その者が絡んだ痕跡を見つけて以来、こうして発見された呪いによる事件の多くはそういう、人為的なものであるケースが多いらしい。


「呪いの具現化の経緯が何であれ──人が十分、傷つけあう事が出来てしまうものなのだから。やる事に変わりはないわ」


 やる事。それは、呪いの原因を突き止め、あるべきように〝返す〟こと。

 鷹御先生と、千尋さんは、鴉についての考察を続ける。


「では、鴉は呪具による呪いの具現化だとして──〝赤い色〟は、どう見る?」


「普通に考えれば──赤・黒・紫などの〝まがつ〟に属する色の発色は、強い呪いにあらわれると言われています」


「普通、と前置いたのは、どうしてなんだい?」


「最初にお答えした通り、〝鴉〟は、さほど凶性の強い生物ではないからです。虎や狐のような強い位の生物に顕(あらわ)れるのなら分かりますが…」


「そこが引っかかる、という事だね。うん──八十点をあげられる、十分な解答だよ。若いのにさすが、八那弥はちなみさんはよく勉強しているね」


「…ありがとうございます」


 あまり嬉しそうではない表情だったが──小さな背筋をぴっと伸ばして、千尋さんは礼を返した。

 きっと、〝分からない部分があるのに褒められても…〟という気持ちだったのだろう。けど、そういう時にも、気持ちを抑えて真面目に接する、千尋さんは素敵だ。




 それはそれとして──鷹御先生から、その〝残り二十点〟の事を聞きたいと思った。


「その、足りない二十点の部分を教えて下さい」


 僕の質問に対して、千尋さんは口をとがらせてとがめる。いつもの事だ。


「別に、真埜くんは知らなくても良いことだと思うんだけど」


「教師に質問するのは、学生として当然のことかな、と」


 僕たちのやりとりに、鷹御先生はにこりと微笑みを浮かべた。

 授業の時と変わらない──生徒に優しく、丁寧に教えてくれる時の柔和な表情だった。


「ふふっ。そうだね。生徒の質問に答えるのも、教師として当然のことだ」


 止める事が出来ない以上、千尋さんは嘆息して、僕と一緒に鷹御先生の講義を待つ。

 一口、お茶をずずっとすすり、口の中を潤して──先生は授業を始めた。




「今回の件だけど──凶性の少ない生類に〝まがつ色〟があらわれる場合、考えられる可能性は二つある」


 鷹御先生は指を、ぴんと一つ立てた。

 と、同時に、千尋さんはブレザーのポケットから可愛らしいピンク色のメモ帳を出した。

 彼女は、あらゆる事をメモる、メモ魔さんなのだ。


 このピンク色のメモ帳には、彼女がる、様々な呪いの情報や事件に関する事が書きとめられている。

 ちらりと見えた事があったけど、〝怨〟とか、〝針〟とか、〝恨み〟とか──そういう字が綺麗な文字で並んでいる、愛らしくも禍々まがまがしいメモ帳だった。


「一つ目の可能性。術者の力が、類い希な強さを持っている場合──なまくら刀でも、達人が扱えば鋭い切れ味を持ってしまう、という事だね」


「確かに、その場合は、そうなるでしょう。しかし──」


「うん。その鴉が──〝誑誘者きょうゆうしゃ〟がばらまいた呪具によるものであるならば、強い力によって生み出された、という可能性は消えるだろう。訓練していない者の力は、そこまで届くことはない」


「はい。なので、私はその可能性を消していました」


 こういう──〝私、ちゃんと考えてました〟という点をつい口に出してしまうのも、千尋さんの可愛いところだと思う。

 本人に言ったら怒られそうだから、言わないけれど。


「では、もう一つの可能性」


 鷹御先生がもう一つ、指を立てる。二つ目の可能性──

 

「それは、呪いを受けたものの〝想い〟が色濃く出て、移った場合、だ」


「ああ!〝特性〟のケースですね!見落としていました…」


 メモに書き込む千尋さんを横目に、僕は鷹御先生に質問を投げかける。


「…どういう事なんです?」


「そうだね。例えば、水に関する強い恨みを持ったものが呪いをかけた時、具現化したものに、それを連想する色として、〝青色〟が浮き出る事がある」


 という事は。


「なるほど。赤は、〝熱〟に関する想いが強く意識された呪い、って事ですね」


「ああ。おそらくそうなんじゃないかと思う。〝まがつ色〟との違いを見極めるのは、遠くからだと難しいだろうから──八那弥はちなみさんは、真埜くんの証言に、さらに可能性を広げて考えられると良かったかな」


「確かに…これは改めて勉強しなおしておかないと…」


 そう言って、メモ帳に、改めて得た知識を即座に書き込んでいる。

 本当に、千尋さんは真面目だ。


「勉強不足でした。勉強になります。ありがとうございます」


「うん。それじゃあ、任せて良いかな?」


「もちろんです。──まずは、昨日の救急車からあたります」


 不幸の近くに見えた呪いは、必ず、その不幸と関連性がある。

 あの救急車に乗っていた人は、呪いに関係があるはずだ。


「よし。じゃあ、さっそく行こうよ。千尋さん」


「…危ないから付いてこない方がいい、って言っても真埜くんは聞かないし──鷹御先生も止めてくださらないんですよね…」


「もちろんだよ、千尋さん」


「2人とも、気をつけていってらっしゃい」


 笑顔で答える僕たちに、ふぅ…とひとつため息をついてから──千尋さんは、鷹御先生に小さく礼をして、部屋を後にした。

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