真埜くんと千尋さんの呪われた青春

直井啓訓

"紅鴉の鳴き声"編

第1話 放課後の二人


 僕──真埜明人まのあきひとにとって、〝想い〟とは、〝のろい〟の事だ。

 多くの人にとって、学生時代の青春というものが、想いによって彩られたものであるならば──僕のそれは、呪いによって彩られたものであったと言える。


 それほどまでに、沢山の呪いが、僕を色んな想いに出会わせてくれた。

 こんな風に言うと、千尋ちひろさんはため息を付きながら、


「会わせてくれてるわけじゃないわ。真埜くんが呪いを自分で見つけてきてるのよ」


 なんていう風に言うかもしれない。

 そう──なのかもしれないけど、そういう細かいことはどっちだって構わない。

 ともかくその、〝呪いと向き合い、それをる事〟こそが、僕の青春だったのだから。

 例えば、あの日だってそうだった。




 あの日は学校の帰り。僕は欲しい本を探して、学校から二つ隣の街を歩いていた。

 お世辞にも売れているとは言えない、マイナーな作家が新しく出したミステリー小説。

 ネットであらすじを見たところ、面白そうだなと思って探していた。

 普段なら電子書籍を選ぶけれど、著書が電子嫌いを公言しているから、絶対に出る見込みがない。

 まず、学校の最寄り駅の本屋に立ち寄った──だけど、まだまだ世に知られていない作家の本は、その店には置いていなかった。


 ──帰るか、探すか?

 選択肢に対して、僕は探す道を選んだ。

 家に帰るまでは通学定期で五ヶ所、駅を通る。その間にはいくつか、大きい本屋が並ぶ駅がある。

 定期の範疇だから、降りて探してみよう、と思った。

 そう思うぐらいには、読みたかったって言える。


 本屋のある駅に付き、改札を抜けて大通りを歩く。

 店は向かい側の歩道に面している。道を渡るため駅前の大きな交差点で、信号が青に変わるのを待っていた。


 周囲には人波──既に日が沈みかけて、オレンジ色に照らされた夕暮れ時の街は、大勢の人で賑わっている。

 大半の人間は、学校なり、昼間の仕事なりといった一日の活動を終え、夜をどう過ごそうかと考えている頃だろう。

 自分は──夕食を食べ、風呂に浸かった後、ゆっくりと新刊を読む時間にする予定だ。売っていたら、だけど。


 と──けたたましいサイレンの音が響いた。

 音のした方を見ると、大通りの向かい側から、一台の救急車がこちらへと向かってきている。

 大通りを行きかっていた車は、それぞれ車線を空けるように車を動かして停車する。

 救急車は交差点に注意深く侵入し、右折していく。その場にいた誰もがその動きに注意を払い、その道筋を目で追いかけていた。


 ──この先は病院だ。今から向かう所か…

 ──何か事故でもあったのかな…若い子が乗ってなきゃ良いけど…

 雑踏のざわつきの中、周囲から聞こえてくる会話も、その救急車についての話題だった。

 だけど、そこで僕は──




「そこで──また〝いつもの癖〟が出ちゃったみたいで」


「はぁ…そういう厄介な話になると思ったわ…」


 放課後の図書管理室で──目の前の席に座る千尋さんはため息をついた。


「昨日、面白いもの見たんだ、なんて言い出して──このまま何もなく、〝真埜まのくんが本屋でその新刊を買えた〟なんて事になるなんて思えないもの」


「確かにまぁ、そうなんだけど…でもまだこの時点じゃ、僕が何を見たのか分からないじゃないでしょ?まるで僕が、厄介事ばかり見つけて、普通に生活する事が出来ないみたいじゃない」


「そうだと思ってるのよ」


「…もしかしたら、本当に面白いものを見たかもしれないでしょ?例えば…バイクにのって街中を颯爽と走り抜けるリスの大群、とか」


「…どんな光景よ…。ありえないでしょう、そんなの」


「この世には色んな可能性があるよ。改造バイクに乗って、権力への抵抗を声高に叫びながら、夕暮れから夜の高速へと──抱えきれない感情をアクセルに乗せて!みんなで走り抜けていたかもしれないでしょ?」


「リスが?」


「リスがです」


「…」


 自分でも意味不明な事を言っているのは分かっている。

 だが僕は、どうにでも転がるような曖昧なものを、〝そんな訳ない、これが答えだ〝と、決めつけられる事が好きじゃない。

 そうされると、つい反射的に別の可能性を考えてしまう。

 ここで引いたら負け、という気持ちが沸き上がったので、適当に話を盛り付けて、まくし立ててみたけど──


「…相変わらず真埜くんの冗談は、荒唐無稽だわ」


 千尋さんの目を、呆れの色に染めただけだった。

 八那弥千尋はちなみちひろさんは──僕と一緒に図書委員をしている。

 ブレザーのネクタイに斜めに入った薄緑のラインは、一年生の証。青色ラインのネクタイを付けている、二年生の自分からすると、一学年下になる。


 同学年の女子の中でも、頭一つ分は小さい小柄な身体。

 丸いくるみのような形の良い大きな瞳に、知の輝きを纏わせて──軽くにらむ仕草も愛らしい。

 ゆるい、ふわっとしたパーマのかかった、肩より少し上で切り揃えられたショートカットを、窓から吹くそよ風が揺らしている。


 ──図書室の奥にある、図書管理室にて、放課後の夕暮れ時。

 僕たちは、新しく入荷した書籍のデータ登録を行っていた。

 本に貼り付けたコードと、それに対応するデータをパソコンに入力していく仕事。

 図書委員である、僕と千尋さんの大切な仕事だ。


 千尋さんはとても真面目な人で、毎日この、根気がなければやる気を保てない作業を、しっかりと前向きな気持ちで行い続けている。

 〝特別な事情〟が無い限りは、休んだり、さぼったりしない。


 僕達の会話は、いわゆる図書委員会の先輩と後輩──というような感じには聞こえないと思う。

 それは、ぱっと見では分からない、〝千尋さんの正体〟がそうさせているのだが…どうであれ──その愛らしい小さな唇から聞こえてくる声は、やはり幼い印象の外見にぴたりと重なる、甘いソプラノボイスだったりする。

 そんな千尋さんに諭される。


「もし、そんなものを真埜くんが見たんだとしたら──今日のネットニュースもSNSもその話題で持ちきりでしょう。そうなってないんだから、真埜くんが見たものは、〝真埜くんにしか捉えられなかったもの〟でしょう?」


 ぴしゃりと、言われた。


「早く──続き。本題に入って」


「うん。わかった」


 僕のくだらない冗談に、ここまで突っ込んでくれる人はとても珍しい。

 だから僕は、千尋さんと会話を──コミュニケーションしたくなる。


 千尋さんが、〝聞きたいと思う〟ことを見つけると、教えてあげたくなるんだ。

「その時ですね。救急車が入ってきた時──ふと、空の色が気になったんです」




 ──これは僕の、癖だった。

 なぜかは分からないけれど、人にとってどうでも良いことが、僕には気になって仕方ない時がある。

 〝人が見逃している場所に向かって、つい視線を向けてしまう〟のだ。

 中学校時代、担任からさんざん注意力散漫と称された、僕のちょっとした癖だった。

 みんなが注意を向けるものよりも──別なものが気になってしまう癖。


 校長先生が話している時──僕は、〝このつまらない話を聞いている間、教師の皆さんはどんな顔をしているのだろうか?〟という事の方が気になって、そちらを凝視した結果、校長から名指しで注意されたり。

 体育の授業でバスケットボールをしている時──ボールの行方よりも、みんなの足がどう動いているのかの方が気になり、注視してしまったり。

 結果、パスされたボールを顔面にくらう事になったり。


 昨日もそうだ。何故?なんて理由もなく、〝この瞬間の空の色が気になった〟──その衝動に従って、首を上に向けた。

 見上げるとまず、交差点の四つ角にそれぞれある、大きなテナントビルが見えた。

 中に入っている飲食店や、備え付けられている大きな広告があって──と、そのビルの屋上に、異質なものが止まっていたのを発見した。

──それは〝真っ赤な鴉〟だった。


 〝真っ赤な鴉〟という言葉が僕の口から出た瞬間──千尋さんの目が鋭さを含み、部屋の空気に、しんとした冷たさが生まれた。


「その鴉は、まるで救急車を見つめるように、ビルの屋上から交差点を見下ろして──サイレンが遠ざかると一緒に、飛び去っていったんだ」


「…そう」


 僕が話し始めた時から、予想していたに違いない。パソコンをいじる手を止めて、冷たさすら感じさせる表情のまま──千尋さんは、言葉の続きを待っている。


「夕焼けの色に照らされたから──なんてものじゃない。広げた羽も含めて全身、まるで血の色のように真っ赤だったんだ」


 千尋さんは、ふぅ、とため息を一つついて、僕を見つめた。


「本当に、どうして真埜くんはそう、こじれたものを覗き込んでしまうのかしらね」


「どうしてだろう」


 はぐらかしたわけじゃない。自分でも分からないのだ。

 ともかく──あの鴉は何なのか。

 もちろん、予想はできている。だけど今度は、僕が千尋さんの言葉を待つ番だ。

 まっすぐに、視線を外さず。彼女は僕に答える。


「不幸を負った者の傍らに、異形の存在──」


 簡単な問い、当然の解答──だとでも言うように、淡々と千尋さんは言葉を紡ぐ。


「それは〝呪い〟よ。──誰かが、誰かを憎んだ証」


 そう言って、千尋さんは席を立った。

 既に千尋さんは、演技としての〝学生〟ではなく、本来の責務である〝呪法士じゅほうし〟としての彼女になっている。

 きっと、上司である鷹御たかお先生の所に行くんだろう。

 僕も、席を立つ。今日はもう、本のデータ登録整理は打ち切りだ。

 追いかける気配を感じた千尋さんが、ふぅ…と、一つ息をついたのが、背中越しからでもわかった。

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