episode8 spirit

初めてパピヨンを訪れたときと見違えるほどに室内は綺麗になった。

本棚がないため、積み上げられた本の山は相変わらずの様相だったが、真っ直ぐに積み直したので、今にも崩れ去りそうな不安な箇所はなくなった。

乱雑に置いてあった机や椅子も、コの字を描くように配置した。

これでアシュリーも作業がしやすくなるだろう。


念力サイコキネシスとはいえ、物体を移動させるためにはかなりの集中力を使うのだ。

長時間パソコンと向き合った後の様な目や肩への疲弊感を覚えた。


壁画の奥にはおそらく四畳から六畳あまりの空間があるはずだ。

そして、そこにはきっと金銀財宝が隠されているに違いない。

今の僕にはどうすることもできないが、いつかきっとこの奥に立ち入ってみせよう。

なんて甘い妄想を抱きながらパピヨンを後にした。


─────


そして数週間後、いよいよprimaveraプリマベーラの幽霊と対峙する日がやってきた。


Sensitive medicine敏感になる薬の効果時間はさほど長くはないが効力は絶大だ。

誤って香りを嗅ぎすぎると、また聞きたくない誰かの心の声が聞こえてしまう可能性があるため、慎重にならないといけない。

胸ポケットに忍ばせておこうと思ったのだが、何しろ姿形は紙袋に入った藁人形。

万が一他の人に見られたときの言い訳が大変なので、かばんの奥底へしまい込んでおいた。


ふうちゃんは相変わらずカウンターの隅で接客中、美月さんの姿は見当たらなかったが、厨房でチャームを盛り付けたりしているのだろう。

僕は度々たびたび顔を合わせるお客さんたちに会釈をしてからカウンター中央の席へと腰掛けた。


「ベニちゃんがしばらく来ていない間に、新しい女の子が入ったんだよー!」

「桃子……です。」

「ピチピチの二十歳ハタチだから、優しくしてあげてね!」


春ちゃんと一緒に現れた二十歳の桃子ちゃんは、一言で表すと清純派の可憐な女の子だ。

何を話せばいいのか正直戸惑った。

成人したばかりだから、お酒を気の向くままに勧めるわけにもいかないし、自分と世代が離れすぎているために会話を弾ませる内容も用意していなかった。


もっと色んな話のネタを仕入れておくべきだった。

そんなことを思っていたのは最初のうちだけで、お酒が進むにつれていつもの僕になっていた。


年季が入った時計にさり気なく目をやると、間もなく1時になるところを表示していた。

そろそろprimaveraも閉店の時間であり、行動に移すなら今だろう。


「黄色いGショック、かわいいですね。」

「ああ、僕は腕時計はコレしかつけないんだ。すぐにぶつけて壊してしまうからね。今までに何個の腕時計を壊したことか……。」


微笑む桃子ちゃんにそう言いながら、トイレへ行くために席を立った。


「二十歳か。若いなあ。僕にもそんな時代があったんだよな。」


酔っぱらいの独り言を放ちながら、鞄から藁人形を取り出した。

慎重に紙袋から取り出し、手のひらで扇ぐようにしてその香りを嗅いだ。

中学生の頃、理科の実験でアンモニア水の匂いを嗅ぐときにもこの仕草をしたな。なんてことを思った。


トイレから戻ると、美月さんが僕の席の前に立っていた。


「はい、おかえりなさい。」


程よく温められたおしぼりを畳みながら周囲を見渡した。


「どうしたの?」

「ははっ、ビンビン来てますね!」

「ベニちゃん飲みすぎたんじゃない?また頭湧いてるの?」

「ああ、そうじゃないんです……。そうじゃなくて。甘いものを食べると目が覚めますね。」


そう言って誤魔化すように目の前のチョコレートの包み紙をほどいて口に放り込んだ。


なるほど。

たしかにこの空間に幽霊はいるようだ。

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