59th /『春眠』の頃

「飾り窓のお姉さんを初めて見たのは、春だった」

 T先生は紙束の一行めを声に出して読んで、あたまを抱える真似をした。

「また貴女はこんなことを書いて」

 手渡したのは『ウソツキムスメ』とのちに纏めた短篇集のなかのひとつ、「春眠」だった。T先生は呆れた真似をして、それでも最後まで目を通してくれた。飾り窓のある家に住むお姉さんと、その家に憧れる寂しがりな小学一年生のある春のものがたりである。飾り窓のお姉さんは、春が嫌いなのだった。


 私は不登校の大学生で、T先生は私の通っていた、学生課併設のカウンセリングルームのセラピストだった。私は週に一度、T先生の面接を受ける。

 講義に殆ど出られなくなっても、面接の為には登校した。


 私は当時それまで書いた短篇たちを纏めて印刷してみていた。小説を書く人間として生きるのかどうか、未だ何も分からなかったが、私はその年、4冊のホチキス本を制作して、HP上で販売していた。銀行振込の遣り方も覚束ない子どもだったので、500円の図書カード1枚を送って貰うのを、そのお代としていた。今でもすらすらと云える。「夜空に釦」「vodka, その周辺」「サカナのはなし」「ウソツキムスメ」


 恵まれていることに、十人以上のひとたちがホチキス本を買ってくれた。プリンタで印刷してカラーの表紙をやはりプリンタで刷り、ホチキスで綴じただけ。本文用紙はエントランジェディコスタリカのアイボリーのA5を使っていた(私はこの翌年違う町に逃げるように飛び出していってしまい、そこでまた本を作ろうとして、そんなブランドの紙は京都VIVREに行きつけられないと、早々手に入るわけではないと知ることになる)。A6版のその本を、「白昼社文庫」と名付けていた。


 T先生とはカウンセリング的な話もしたし、その頃も今も抱えている様々な問題の一部を打ち明けたし、それからサブカルチャの話なんかもした。山本直樹、センチメントの季節、など、エロティックな漫画の話も、決してハラスメントではない文脈で、ふたりで興じた。映画『ジョゼと虎と魚たち』については先生は真顔で、

「上野樹里の年齢であんなえろいことやったらあかんよ、あれはいかんよ」

 と主張していたので可笑しかった。

 そんな話をしていたから、〝飾り窓のお姉さん〟の意味も勘違いされたのだろう。


 アムステルダムには飾り窓の華街があって、娼婦が窓ごとに居るという。私はそれを知らなかった。無知だったのだ。先生は私を買い被っていたのではないか。

 そして、私は買い被られることなんて、その日々のなかまるで無かった。


 あの頃面接の一時間が、私の心の拠り所だった。


(Tw300字ss第五十九回お題「窓」加筆)

2019/11/02

    

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