「ピアノの心臓」


 その頃は音楽室に住んでいたので、隅にこごる記憶の樹脂を少し齧れば空腹は満ち、彼女は夜になるとピアノを弾いた。

 ベートーヴェン月光第三楽章、それだけを繰り返す。

 朝、ピアノのしたで抱き合って眠る。目覚めて、陽射しで暑い音楽室の、ピアノのしたでセックスをした。汗ばんでも、ここから出るすべを知らなかった。うしろから胸を掬うように抱いて囁く。

「なんで月光しか弾かないの」


 いつも問うようなそれに、ふと彼女が応えた。


「月光じゃない。かもめ教室編」

「え?」

「『夢幻クライマックス、かもめ教室編』」

「……」

「私のiPod、あげるから」


  次に目を覚ますと、彼女はピアノ線を引き擦り出し頸元を切っていた。

  僕は夢から覚め、乃ち、音楽室の外へ出た。



=====

300字SS お題「夢」

twitter300字ss 2019/10/05




                                    






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