6 修学旅行

 一〇月には修学旅行という高校生活で最大のイベントがあった。九州への五泊六日の旅行。それは楽しいはずのイベントだが、恒平は気が乗らなかった。クラスに親しい友人がいなかったのと、学業成績が落ちて気が晴れなかったためだった。そんなに遊んでいて良いのかという気がした。

 その頃には、隆は文華と行動を共にするようになり、校内で注目を浴びていた。一度、学校帰りに偶然、「パピヨン」で隆と文華に同席したことがあった。二人の幸せオーラは微笑ましい反面、恒平に孤独を突きつけもした。二人は、男女交際を牽制するような学校側からの全校生徒に向けた警告を罵倒していた。先日、全校生徒集会で、生徒指導担当の教員から生徒の手つなぎを問題視した発言があった。それは町民からの通報ということだったが、町民という監視者を認識させる出来事だった。親、教員、町民という三重の監視機構。乙高校の生徒には、ガチガチの監視の目が注がれている。それは、自由にしておけば、何をしでかすかわからないという不信感からなのだろうか。しかし、手つなぎで通報というのは、いくら田舎とは言え、あまりに時代錯誤的ではないか。そもそもそれは嫉妬でしかないのではないか。二人は、これから毎日でも手をつないで町を歩いてやる、と息巻いていた。

 そのとき師岡もろおかが三人のテーブルに歩み寄ってきた。

「ドリカム状態かよ。ええな」

 師岡はそう言うと、空いている恒平の隣の席に座った。

「はぁ? 何言ってんの」

 文華の口調は刺々しかった。

「知伸がかわいそうだと思わないのか?」

「……かわいそうだからと言って、いっしょにいるのは違うでしょ」

「……知伸のことも深く傷つけたな」

 師岡はそう言って、険しい眼差しを文華に向けた。

「辰一に何がわかるって言うの。わたしのことに首を突っ込まないでよ」

 文華は声を荒げた。師岡は隆を睨んだ。隆も相手を睨み返した。隣の席の女子高生の会話が止まった。

「文華は自由な女だな。隆も振られないように気をつけなよ」

 師岡は捨て台詞を吐いて、席を立った。


 旅行初日の夜は、大阪から九州方面へと向かうカーフェリーの中で一泊することになっていた。その夜、船内のレストランでハンバーグステーキがメインディッシュの夕食を摂った後、船室でクラスメートとトランプの「大富豪」をプレイしていたが、船内の電気が暗くなると、三々五々、輪になって猥談に花を咲かせた。そうしたクラスメートを尻目に、恒平は寝ようとしていた。そのとき、隆が恒平のところに来た。

「元気か?」

「まあまあかな」

「体育着かよ。中学生みたいだな」

 隆は白と黒のボーダーのロングTシャツにスウェットパンツという服装だった。

「甲板に出ない?」

 甲板は広々としたスペースで、肌寒い風が吹いていた。照明は乏しく、薄暗い中ベンチが四方八方に配置されおり、そこはカップルの特等席になっていた。

「ええなあ、俺もいちゃつきたかった」

 隆はそう言って笑った。男二人でいるのは自分たちだけだった。欄干まで来て暗い海を見やった。

「瀬戸大橋まだ見えないな」

「真夜中って聞いたけど」

「あと二、三時間ってとこか。それまで起きてられるかな」

「ぼくは無理だな」

「俺は頑張ってみる」

 フェリーの航行音だけが聞こえた。

「同じ学年の子と付き合ってたら、隆もいちゃつけたのにな。残念だったね」

「そんなの帰ってからいくらでもできるし、どうでもいいよ。ところで、Fさんの家に行ったんだろ。俺と文華のこと何か言ってた?」

「文華さんの意志を尊重するという趣旨のことを言ってた」

「そっか」

「気になる?」

「まあな。俺もできれば田村さんともまた会いたいと思うようになって」

「そうか。文華さんのことは気にしなくていいよ。またいっしょに田村さんの家に行こう」

「そうだな」

「でも、どうしてまた田村さんに会いたいと思うようになったの?」

「やっぱり、こういうことで仲違いするのは違うと思って。彼には彼の思うところがあるだろうし。それに俺は悪いことはしてないし」

「そのとおり」

「……で、恒平はどうなんだよ? 誰か彼女作れよ」

「俺はいいかな。羨ましいけど。最近、学業成績も落ちてきてるし、また勉強頑張らないと」

「マジで? 好きな子はいないのかよ」

「強いて言えば早川だけど」

「早川か~、残念だったね。彼女人気あるから、もっと早くアプローチしてればな」

「……う~ん、まあ、どっちにしても難しいでしょ」

「そんなのわからないだろ」

「そうか? ぼくが早川と付き合うのはあり得ると?」

「頑張れば、あり得なくはない」

「何を頑張ればいいんだよ」

「そうだな。さしずめ、服装とか髪型とかかな」

「ああ、ぼくはそういうの疎いんだよね」

「そんなこと言ってたら、大学行っても彼女なんてできないぞ」

「大学行ったら、私服だもんな。ダサいのはまずいよな」

「そうそう。だから、そっち方面も頑張れよ」

 隆はそう言うと読むべきファッション誌を教えてくれた。


 恒平にとって修学旅行のハイライトはそのときの隆との会話だけだった。それ以外は、観光スポットへの移動、食事、睡眠といった一連の集団行動に過ぎなかった。風景以外の写真は撮影しなかったし、撮影されなかった。

 もし早川と付き合っていたら、修学旅行もきっと違ったイベントになっていただろう、と恒平は数日ぶりの自宅の布団の中で思った。

(まあ、それはありそうもないことだが。しかし、隆が「あり得なくはない」と言ったのは嬉しかったな。実際に早川がどう思っているかは別としても、隆から見てそういう風に見えるということだから。服装や髪型か。しかし、学生服でお洒落というのもな。正直、どうでもいい気もしなくはない)


 恒平がいつものように昼休みに教室で一人で昼食を摂っていると、ふと教室に誰もいなくなっていることに気づいた。それでも恒平はかまわず食べ続けた。そうしている内に、やがて早川を含む、女子の話し声が聞こえてきた。廊下を歩いて、教室に向かっているようだった。恒平は急にバツが悪くなってきた。自分一人でいることを見られるのは、途方もなく惨めなことなのではないか、と思えてきたのだ。そこで、恒平はパンと牛乳を持って教壇の下に隠れた。ガラガラとドアが開いて、女子の集団が入ってきた。

 すぐ近くでいわゆるガールズトークが展開されていた。

「それにしても、三日目の夜は楽しかったね」

「博多の街を三人で歩いていたら、大学生にナンパされてさぁ」

「まじで~、すごい、羨ましい。わたしもナンパされたかった」

 早川の声だった。恒平は早川の軽薄な感じに衝撃を受けた。

「え~、沙織は悠太くんと付き合ったばかりじゃん」

「そうだけど、やっぱり旅先での出会いって憧れるでしょ」

「わかる」

「で、その大学生はかっこよかったの?」

「いや~、それが微妙」

「なんだ。じゃあ、いいかな」

「ハハハ、沙織ってはっきりしてるね」

「かっこよくない人にナンパされても嬉しくないじゃん」

「そりゃそうだけど」

「だけど、同級生の男子に比べればマシなんじゃないの?」

「そうかもね。うちらのクラスは、ヤバい奴、多いよね」

「あ~、曽根とか?」

「そうそう」

 曽根はいつも一部の男子とつるんでいるオタクだった。

「それに柿崎も」

 早川の声だった。恒平の鼓動が早まった。

「柿崎はマシじゃん?」

「いや、あいつはなにげにキモいんだ。前にわたしの家の前でウロウロしてるの見たことがあって」

「え~、なにそれ」

「前に干してた下着取られたって言ってたじゃん。恒平の仕業何じゃないの?」

「そうかもね」

 恒平は頭を天板にぶつけた。 

「あれ、何の音?」

 恒平は徐に隠れていた場所から出た。

「嘘!?」

 三人の女子は一様に目を剥いた。

「それ、俺じゃないし」

「え、それより、そこで何してたのよ? まじでキモいんだけど」

「何もしてない」

 恒平はそう言って、教室から出ると走った。廊下は終わらず、元の場所に戻ってきた。階段を下りても、延々と同じ階が続いた。恒平が止むなく、教室に戻ると、授業が始まっていた。

「おお、何してた? もう一〇分以上過ぎてるぞ」

 数学の佐藤だった。

「え~と、迷子になってしまいました」

 失笑が漏れた。

「……お前、内職するんだったら、無理して授業聞かなくていいぞ」

「はい、では、失礼します」

 恒平はそのまま、教室から出て、自習室に向かったが、途中で勉強道具を持っていないことに気づき、教室に引き返した。バツの悪い思いをしながら、引き戸を開けると、違う授業をやっていた。

 予備校で見た先生が授業していた。恒平は自分の席に座った。今度は英語だった。関係代名詞の文法の問題を解説していた。それは、乙高校では決して扱わないような内容だった。なかなか高度な授業だな、と恒平は感心して聞いていた。

 やがて問題を当てられた。それは関係代名詞を使う英作文の問題だった。恒平を含む四人が当てられたが、恒平以外は誰もできず、すべて恒平が問題を解いた(じゃあ、柿崎くん全部やってくれるかな、と先生)。

 席に戻るとき、苛立ちや怒りの眼差しが自分に向けられていることに気づいた。

 先生が解説をしているときに、丸めた紙切れが自分の席に飛んできた。恒平が紙を開くと、そこには「お前のせいだぞ、今すぐ死ね。さもなくば、退学しろ」と書いてあった。その後も紙の礫が飛んできた。

「乙高校は予備校じゃないんだ」、「お前なんて勉強以外はゼロだ」、「友達も彼女もいないから、勉強しかやることないよな」。

 クラス全員からの無言の圧力を感じた。恒平は立ち上がり、教室から出ていった。相変わらず、校内から出れなかった。廊下の窓だけが、外への脱出口だった。恒平は窓を開けて、落ちたら怪我は免れない高さから身を踊らせた。

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