5 田村の家に再訪
約二か月ぶりに訪れた田村の部屋のある納屋を前にすると、恒平は一人でここに来たことに達成感を覚えた。急な階段を上がり、黒のスウェットの上下の田村と対面した。
「恒平が一人で来るとはちょっと驚いたよ」と田村。
「ゲームでもやる?」
恒平が座布団の上に座ると田村は言った。
「ああ、そうですね……。今日はお話があって」
「えっ、話? 飲み物は何にする? 烏龍茶とコーラしかないけど」
「で、何の話?」
田村は二人分のグラスにコーラを注ぐと言った。
「最近、大検の勉強はどうですか?」
「大検? ああ、やってるけど。それがどうかした?」
「……実は、この前文華さんと話したんです。そのとき、田村さんと喧嘩したことを聞きました」
「大検の勉強してないことで?」
「ええ」
「俺に言わせれば、大きなお世話だ。他には?」
「ゲームばかりしてるとか」
「前に会ったときそうだったからと言って、そう決めつけるのは早計すぎるだろ」
「なるほど、じゃあ、それは事実ではないんですね」
「事実じゃないよ。そもそも文華とはせいぜい週イチでしか会ってないのに、俺の日頃の行動がわかるわけないだろ」
「じゃあ、誤解を解くべきですよ」
「いや、どうかな。まあ、あいつが俺から離れたいと思ってるのは薄々感じてるよ」
「それはなぜでしょうか?」
「やっぱり将来のことじゃないかな。俺はたぶん大学は受けないし、この島から出る気もない。そういうのがやっぱり若さがないって映るのかも」
「……そうなんですか。島から出る気はない、というのはなぜですか?」
「お前にはわからないよな。お前も島から出たい口だろうから。都会がそれほどいいもんかな。まあ、大半が都会に出たいと思ってるのは知ってるけど」
田村はそう言って、恒平と視線を合わせた。
「そりゃあ、憧れはありますよ。何かきらびやかな感じがするじゃないですか」
「そうか? まあ、俺は東京の暮らしに馴染めるとは思えない。こっちで十分だよ」
「田村さんは、島の暮らしのどんなところが気に入ってますか?」
「……気に入っているというか、自分の生まれ育った場所だし、あえてここを離れる理由なんてないんだよ。まあ、お前みたいに大学進学を希望する場合は違うけどな」
そう言われると、恒平には違和感しかなかった。自分はむしろ佐渡島から出る口実として大学進学を希望している。実際、大学で勉強したいことが何かもわからない。もちろん、将来就きたい職業も。
「ですけど、仕事についてはどうですか? 島での仕事は限られてるじゃないですか?」
「そうだね。だけど、だからといって、皆出てったら、暮らしが成り立たなくなる。そうだろ?」
「そうですね」
恒平は田村と話しているうちに、負い目を感じてきた。それは自分が佐渡にまるで郷土愛を感じていないことに由来した。特に高校生になってから急激に評価が下がった。たとえば、模試にしても新潟まで行かないとならなかったり、大型書店がなかったりと、競争上のハンデを痛切に感じるようになったからだった。
しかし、ただ都会だけを見ているのは、どうだろう? 今実際に自分はこの佐渡で生きているのに。自分一人では生きても行けない。この土地の人に生かされていると言ってもいいだろう。それなのに、佐渡のことをまるで考えてない。そう、自分のことしか考えてない。自分の将来。たとえば、大企業に勤めるとか。そういう道も大学を卒業すればあり得る。それはたぶん自慢できるような将来像だ。
「まあ、でも、野心は大事だよ。都会にはチャンスがあるだろうし、俺らの年齢なら大きな舞台で自分を試したいと思うのが普通だよ」
「ぼくは本当は何も考えてなくて。ただ、模試の数字を追いかけているだけなんです」
「それは良くないな。ビジョンが大切だよ。漠然とでも。将来像は何かないの?」
「それがないんですよ。……医者とか弁護士とかあればいいんですけど。ただ、ランクの高い大学を目指して、成績を上げるという一種のゲームに参加しているだけですね」
「そうか。それは俺には真似できないな。ランクの高い大学に入ることはある種の達成なんだろうけど。でもまあ、とりあえず大学というのもありかもな。そもそも俺らにとって、大学なんて身近なものではないし。ここでは大学生はまったく見かけない。だから、イメージ湧かないよな。その中で大学を目指すってことは、ゲーム的なものにならざるを得ないのかもな」
恒平は頷いて、コーラで喉を潤した。それはまったく納得できる見方だった。
「話は戻りますけど、文華さんとはほんとに……別れてもいいんですか?」
「まあ、あいつも島から出ていくだろうし、遅かれ早かれ別れることになると思うよ」
「でも……、文華さんのこと好きなんじゃないんですか?」
恒平は言いたいことを言ったが、田村の目はどこか冷めていた。
「好きだからって、あいつの将来を拘束することはできないだろ」
「そうですね」
恒平はそう言ったが、果たして自分ならそう簡単に諦められるか大いに疑問だった。
「だから、俺はあいつが他の奴と付き合っても何も言わないよ。たとえ相手が恒平だって」
コーラを飲んでいた恒平は咽た。そのリアクションに田村の笑いが弾けた。
「いや~、それは……ないと思います」
「恒平は好きな子とかいないの?」
「……いないことはないですが」
恒平は顔が火照ってくるのを感じた。
「誰よ。教えてよ。誰にも言わないからさ」
「……同学年の早川という子です。まあ、最近彼氏ができたようですが」
「ああ、あの子ね。恒平は目が高いな。あの子は美人だよな。入学当初から話題になってたよ」
「それは知らなかったです」
「彼女にも彼氏ができたか。残念だったね」
「はい……」
「でも、女も東京に出ればチャンスはゴロゴロ転がってるだろ。だから、東京の大学に行くのは、何というか劇的な変化だよな。俺はとてもやってけると思えないけど」
「ぼくもまるで想像できないです。まあ、自分の場合は、人生の転機を期待しているところはありますね。つまり、今がパッとしないので」
「でも、そんなにうまく行かないと思うぞ。やっぱり男女交際も経験がものを言うからな。そりゃあ、東大生とかならそれだけで女はできるかもだけど」
「ええ、ぼくもそう思います。この前に四人で出掛けたことがぼくには高校に入ってから一番楽しい出来事でした。ああいう機会がないのは非常に問題ではないかと思いました」
「今からでも遅くない。外に出なよ」
「ええ、実は勉強もあまりやってないんです。お二人ことや隆のことが気になって」
「隆? 隆がどうかしたの?」
(しまった。田村は知らなかったのだ。しかし、今はもう田村に話しても問題ないだろう)
「実は、隆と文華さんが……いい関係になりそうな雰囲気があって」
「そうなのか。まあ、俺はそうなってもいいと思うけど」
田村はそう言うとグラスのコーラを飲み干した。恒平は自分の願いが潰えたことを悟った。
話が終わったら、シューティングゲームで遊んだ。気晴らしにはもってこいだった。
恒平が帰路についた頃には日が落ちかけていた。水平線を彩る夕日に恒平はセンチメンタルになった。
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