第2話 セフレなのか、違うのか、どうなんだ


 やってしまった。



 幼馴染の大西遥に恋心を抱き続け、二十七年間童貞を貫いてきたというのに。その幼馴染が結婚してたった三ヶ月で……人妻になった幼馴染と関係をもってしまったのだ。



 金曜の夜遅くに俺のマンションに泣きながらやってきた遥はかなり酔っぱらっていて「抱いてくれないともう二度と圭ちゃんには頼らない。他の男に抱かれに行く」そう言って脅され、襲われた。



 違うな……責任転嫁でしかないか。情けない。拒否しようと思えばこれまでのようにできたはずだ。



 そう。これまでの俺は自制を総動員して、遥と身体の関係だけは持たないようにしてきたのだから。そうすることで他の男のように、遥の中でその他大勢の『過去の男』になってしまうのを必死で避けて、特別であろうとしてきたのに。



 それに数か月前に自分の口で告げたではないか「おめでとう。幸せになれよ」と。なのに、こんな関係になってしまって遥が幸せになれるはずがない。



 遥の幸せを第一に考えられなかった自分への怒りと情けなさで泣きたくなってくる。その一方で意識しなくても昨夜全身で味わった遥の痴態が脳裏に浮かんできて昂ってしまう。無理もない。ずっと拗らせ続けてきたのだから。そう自分で言い訳しても気分は晴れなかった。



 とりあえず頭を冷やそうと、となりで眠る遥を起こさないように慎重にベッドを出てシャワールームへと移動する。ガシガシと乱暴に頭を洗い、全身に冷水を浴びせても沸騰したような脳内は一向に冷めてくれなかった。



 あぁ、くそっ。今さらいい人ぶっても仕方ないじゃないか。



 念願かなって最愛の女を抱いたんだ。最高だっただろうが! キスをしているだけで蕩けそうになるし、全身から甘くていい匂いがするし、白くてつやつやの肌は柔らかくてしっとり吸いついてくるようだったし。遥は普段おっとりふわふわしているのに……ベッドではとんでもなく積極的で、艶っぽくて、そんな事実をいくつもいやというほど知ることになってしまって、腰回りがだるいし。



 あああああああ。もっと幸せな気分で思い出したかった。くそっ。どうしてこうなった。なんてことをしてしまったんだ。



 結局、俺の思考は目覚めてからずっと同じことをぐるぐると繰り返してしまう。



 シャワーを浴び終えて戻ってきても遥はまだ眠ったままだった。その、無防備で幼げな寝顔を見つめ、あまりの可愛さに悶える。



 くそっ。抱いてしまえば、二十数年間の恋心ももしかすると色褪せるかもしれないと心のどこかで思っていたことがありました。ごめんなさい。遥の旦那さん。まったく色褪せません。色褪せるどころかより鮮明に強く濃くなってしまいました。このまま監禁して何処にも出したくないほどです。



 そうやって悶々と寝顔を見つめ続けること数時間。



 ようやく目を覚ました遥が『へにゃり』と顔を緩ませ、何も考えていないような無邪気な声で「圭ちゃん、おはよう」と、笑った。


 

 勘弁して欲しい。俺はこんなにも悩んでいるのに。



 それに丸見えじゃないか。慌てて適当なシャツを放り投げて無理矢理着させる。かえってセクシーになったとかそんなことは考えちゃいけない。



「すまない。全力で押しとどめないといけなかったのにこんなことになってしまって、旦那さんにも申し訳が立たないし、これで遥の幸せが崩れたら悔やんでも悔やみきれない」



 とりあえず全力で謝る。話はそれからだろう。なのに、遥ときたらコテンと首を傾げると、深刻さの欠片もないおっとりした口調でかえしてくる。



「ふへぇ。圭ちゃんなんかズレてるねぇ。いつもだけど」


「何かおかしいことを言ったか? 遥は、浮気だけはしたことないって言ってなかったか? それなのにさせてしまった……」


「うん。したことないよぉ。でも、しょうがないよねぇ。心変わりも、自分の言った主張をコロッと変えちゃうことも誰にだってあるんだから」


「そんな簡単に言うな。それに、俺はない。心変わりは絶対ない」



 俺の言葉に遥は、ふいっと、そっぽを向いてしまう。



「ばかだよねぇ。圭ちゃんはホントばかだよ」



 相変わらず、遥の考えていることがまったく掴めない。俺のどこがバカだというのだろうか。



「なぁ、なんで俺に抱かれようと思ったんだ」


「うーん。たまたまそこに〇○○があったからじゃないかなぁ。しらないよ。圭ちゃんなんて、今日からただのセフレだから」



 珍しく怒ったような口調でそんなことを言われて、そっぽを向いたままの遥を、間抜けにも口をあんぐりと開けて見つめ、しばし固まってしまった。



「でも、遥……昨日泣いていたよな? 旦那さんと、その、なにかあったのか?」



 ようやく気持ちを立て直して何とか絞り出したのはそんなこと。



「……原因は圭ちゃんだよ」


「え? そんなこと言われても、俺には心当たりが何もないぞ」


「あの人、結婚した後で圭ちゃんに嫉妬しはじめていろいろ言ってくるから『圭ちゃんとだけは寝たことない』って言ってやったの。そしたら新婚一か月で急にレスになって、おまけに別の女と浮気していたんだよ。ひどくない?」


「俺には分からない。分からないけど……」



 結局、色々と理解はできていないけれど、一つだけ俺に分かるのは、その男と一緒にいても、多分遥は幸せにはなれない。それは確かだろうと思う。



 それなら――。



 遥の小さな手を見つめて、その左の薬指にはまるピカピカと光るリング。それを睨みつけ、息を大きく吸い込んだ。



「お、俺が、責任はちゃんととる。あの男とは別れて、俺と結婚しよう」


「責任なんかで結婚したくないし、責任なんかとって欲しくないよ。圭ちゃんとはセフレになるんだって言ったよねぇ」


「なんでだ!」


「あの人にプロポーズされた時に、一生分の勇気を振りしぼって『圭ちゃんに未練がある』ってがんばって伝えたもん。それなのに、幼馴染のままでいることを選んだのは圭ちゃんだもん」



 気まぐれで、ふわふわしていて、取り扱いの酷く難しい俺の宝物。



 あぁ、そうか。あの時の『手紙を書こうかなぁって思ったんだよ。圭ちゃんに。でも、やっぱり未練がましいかなぁと思ってやめちゃった』って言葉は……そういう意味での「未練」だったのか。



「てか、あんなので分かるわけがないだろう!」


「あれでも精一杯頑張ったんだもん!」



 くそっ。落ち着け、俺。涙目になった遥を見て必死に自分をなだめる。



「でも、あの時『来月、わたし結婚するんだぁ』って言ったよな? だから俺はもう何もかも遅いと思って……」


「わたしも圭ちゃんもダメダメだね。あの時はね、まだ返事はしてなくて、最後に圭ちゃんに伝えて勝負に出て、負けちゃったんだよ。だからやっぱりわたしのことはそんなふうに思ってくれないんだって。もういいやって。圭ちゃんとは幼馴染でいよう。ちゃんとあの人を愛そうって。なのに、結婚してからあの人はずっと圭ちゃんのことばかり気にして、結局浮気されちゃうし」



 ひどく淋しそうな目でそんなことを言う。



「そんな、俺は……」


「いいよ、圭ちゃん。セックスをそんなに特別に思わなくても。別に減るもんじゃないし。浮気されるのもなれてるし」


「俺にとって、せ、セックスは特別だ」


「相変わらず面倒だなぁ圭ちゃんは。誰に何と言われようと圭ちゃんはセフレにするってもう決めたから。思っていた通り身体の相性も最高だったし」


「そんなことしたら不倫になってしまう」


「不倫は昨日もうしちゃったよ」



 どう答えればいいか分からない。ひどく哀しい。やるせない。



 今回のこれは何度目かの分岐点であることは確かだろう。



 多分、これまでそういう分岐点で俺はずっと間違え続けてきたんだろう。その都度、ボタンを掛け違えて結果こんなことになってしまっている。



 遥の幸せを心から願っているのに、どうすればいいのか分からない自分が情けなくて仕方ない。



「あぅ。圭ちゃんにそんな悲しそうな顔されると弱いなぁ…………はぁ。嘘だよ、圭ちゃん。本当はねぇ、離婚届もう出してきちゃった」


「え? 相手も納得したのか? でも指輪……」


「あは。だって、納得も何も向こうが浮気したって言ったじゃない。でも、わたしも悪かったから慰謝料とかも何もいらないって言ったらあっさり終わっちゃった。まぁ圭ちゃんよりずっとモテるしね、あの人。あと、この指輪はねぇ、圭ちゃんへの嫌がらせだよぉ」


「な、なんでそんな」


「まぁ最初から多分上手くいくはずのない関係だったんだろうね。圭ちゃんに嫉妬するとか、会うのも禁止するとか、そんなのは無理だよねぇ」



 いや、聞きたかったのはなんで嫌がらせに指輪をしたまま俺に抱かれたのかという点についてだったんだが。でもそうか、離婚していたのか。遥がまた独身に戻った。その事実がじわじわと心を満たしていく。現金なもので身体の中心から力が漲ってきて、爆発しそうな気分だ。



 とにかくめちゃくちゃ嬉しい。



「あ、じゃ、じゃぁ、俺と本当に結婚しよう!」



 一瞬、嫌な間があいた。



「……圭ちゃんは本当に女心が分からないよねぇ。結婚はしないよ。わたしこう見えても意地っ張りだから」


「え?」



 遥が急に肩を震わせて小さく笑いだした。



 そしてまっすぐな瞳で俺を見つめ、愛くるしい顔で『へにゃり』と顔を緩ませて柔らかく笑う。俺が大好きな表情だ。



 そのうえ、悪戯っぽい声音で宣言する。



「うん。結婚はしないけど、圭ちゃんのことはずっとずっとずっと大切なセフレ兼幼馴染として縛り続けてあげるからね。だから、とりあえず旅行でもしよっか、圭ちゃん」


「よくわからないが……わかった。好きな場所に連れて行ってやる」


「でもその前にエッチかな。やっと圭ちゃんが抱いてくれたんだし。月曜日仕事に行けないぐらいいっぱいしちゃおう。圭ちゃんと試してないプレイいっぱいあるから楽しみだね」



 そう言って、大きな瞳に艶めいた色をにじませると、首にしがみついてきて唇をふさがれそのまま押し倒された。



 甘い香りが胸いっぱいに広がる。



 遥の心の中は相変わらず理解できない。ただ、俺にとってその週末がとんでもなく幸せな時間だったのは間違いない。



 どうかこの幸せな時間が未来永劫続きますように。

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ビッチな幼馴染と一途なヘタレ 深山瑠璃 @raitn-278s

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