ビッチな幼馴染と一途なヘタレ
深山瑠璃
第1話 幼馴染としてのハグ
「来月、わたし結婚するんだぁ」
俺は何故『バリバリえび団子』を頬張ってニコニコしている女に、爆弾発言を聞かされなければいけないのだろう。
心の準備は、全く出来ていなかった。
半分ほど残っていた中ジョッキを一気に呷り、間髪入れずに「店員さん、生中もう一杯お願いします」と声をあげる。
「美味いよな、パリパリえび団子」
「うん。圭ちゃんも食べていいよぉ。ぷりぷりでふわふわでカリカリだよ」
おっとりした柔らかい眼差しを向けながら差し出してくる。
「あぁ、ありがとう」
って、違う。こんなもの食っている場合じゃない。
今は目の前にいる女の結婚話だ。
大西遥。俺の幼馴染だ。コイツは可愛い。
小柄で愛くるしい顔をしていて『へにゃり』と顔を緩ませた柔らかい笑い方をする。男ならきっと誰もが抱きしめたくなるそんな笑顔だ。
「そういえば、山川からも結婚式の招待状がきていたな」
「えぇ、そうなの? 小学校の同級生だよね? わたしのところにはきてないなぁ」
いや、山川の話はどうでもいい。
「うーん?」
「おめでた……なのか?」
「あは。違うよぉ。結婚して欲しいって言われたからすることにしたの」
そんな簡単に決めちまうのか。
あぁでも、予想できなかった俺が悪いのかもしれない。
目の前で『カリカリポテトのサラダ』を俺の分まで取り分けてくれている遥のこれまでの言動を考えれば、覚悟出来ていなかった俺が浅はか過ぎたのだ。
大西遥という女はすぐに誰かを好きになって、すぐに関係を持つ。
好きにならなくても、好意を寄せられれば関係を持ってしまう。
次第に、頼まれれば流されて関係を持つようになった。
さすがにそれは注意したが「断りづらくて」とか「全員じゃないよ」などと意味不明の供述をしていたこともあったよな。
実は一度だけ、俺も遥とそういう関係になりかけたことがあった。
「圭ちゃんまだ童貞だよねぇ? いいよぉ。わたし今彼氏いないし」
そう言って迫られた時があったけれど、抱かなかった。全身が性欲で出来ていて毎日オナニーしているような高校生時代に必死に我慢した俺を褒めて欲しい。
――違うな。嘲笑って欲しい。
大バカ者だ。正直、後悔している。
あの時、遥はどんな顔をしていただろうか。
思い出せない。
きっと俺は、俺自身のことで精一杯だったから。
当時の自分が抱いていた感情を端的に言い表すなら、多分拗ねていたのだ。
それが最もぴったりくる。
一番近くにいた、一番仲良しだったはずの子が――次々に色んな男と関係をもっていくその状況が面白くなくて、苛立たしくて、自分だけは絶対に他の男と同じ立場に立たないことで、遥の心の中に何かを残していたかった。
その他大勢になるのを必死で避けていたといってもいい。
そんなことで、遥の特別になれるはずもないのに。
間違いなく、俺は大バカ野郎だ。
なんだか、悲しくなって『たこわさ』に箸を伸ばす。美味い。けれどツーンときて涙が出そうになる。誤魔化すように、またも一気にジョッキを呷って「店員さん、生中もう一杯お願いします!」と声をあげた。
「圭ちゃんはお酒強くて羨ましいなぁ。わたしなんて、もうポワポワしてるよぉ」
そう言いながら、ザクロのモヒートなんて可愛らしい見た目の酒を掲げていつものように「へにゃり」と笑って見せる。
相変わらず可愛いな――くそっ。
「圭ちゃんには今まで、いっぱいお世話になって迷惑もかけちゃったよねぇ」
「単に、俺が放っておけなかっただけだから気にすることはない」
「おお、さすが圭ちゃん。かっこいい」
そんな子供のような笑顔で、真っ直ぐに褒めないでくれ。
人の気も知らないで。
俺は格好いいわけじゃない。
遥がどんなに他の誰かを好きでも、流されやすくてその結果トラブルばかり抱えても、俺自身が遥を嫌いになれなくて放っておけなかっただけなのだ。
だから、しつこい男につきまとわれたときには出かけて行って相手を脅しつけたこともあったし、厄介な連中に絡まれ大事になりかけたときにも自分の意志で代わりに出向いて行ってボコボコにされたこともあった。知らずに二股をかけられて相手の女に殴られ泣いている遥の傍で甲斐甲斐しく面倒を見てやったことも。大人になってからは何度となく朝まで酔いつぶれるのに付き合ったりもしてきた。
だけど、それもすべては今日で終わり。
遥は結婚してしまうのだから。
今まで俺がしてきたことは、これからは旦那になる男がすべき役割だろう。
「店員さん、生中もう一杯お願いします!」さすがにピッチが速すぎると思いながらも、飲まずにはいられない。
「手紙」
「ん?」
「あ、コレも食べていい?」俺の前にあった『軟骨のから揚げ』を手づかみで口に頬張りながら「未練がましいかなぁって」などと呟く。
さっぱり、意味がわからない。
そして、手づかみで軟骨を食らうその姿が妙に艶めかしい。
胸のあたりが、ドクッとしてしまうじゃないか。
「手紙ってなんだ?」
「えぇとね。手紙を書こうかなぁって思ったんだよ。圭ちゃんに。でも、やっぱり未練がましいかなぁと思ってやめちゃった」
眩暈がするような感覚に襲われた。
どういうことだ。未練――って、なんだ。
俺に対する恋愛感情的な意味での未練。
いや、そんなものを遥が持っているわけないよな。恋愛的な意味で俺に好意を寄せてくれていると感じたことはただの一度もない。
もしかすると、俺にもまだチャンスが残されているのではないかという期待が膨らみかけるのを必死に抑える。
ないはずだ。そんな俺にとって都合のいい話はない。絶対にない。
それに、今さら過ぎるじゃないか。
品書きを手に取りながら「追加注文何にしようかなぁ」と顔を伏せてしまっているので遥の瞳にどんな色が浮いているのか見えない。
きっとコイツは何も考えていないのだろう。未練の言葉の意味も分かっていないのかもしれない。間違いなくそうだ。深い意味などあるはずもない。
それでいて、無自覚に俺の心をかき乱す。いつもそうだ。
揺れ動き動揺する俺を取り残して、遥は先へ先へと進んでいく。
「あ、店員さん。煮込みハンバーグとろとろチーズのせください! これも、ふわふわトロトロジュワジュワで美味しいですよねぇ」
店員さんにまで、屈託のない『へにゃり』笑顔を見せるなよ。まったく。
「あ、俺には生中もう一杯お願いします」
「飲むねぇ」
「遥もよく食うな」
「うーん。圭ちゃんと一緒だとついつい食べ過ぎちゃうからなぁ」
「まぁ美味しそうにいっぱい食う姿も可愛いからな」
あれ、俺酔ってきてないか。
「ばかっ! 唐変木! 圭ちゃんが、いつもそんなこと言うから食べ過ぎちゃうんだよぉ」
茹でた蟹のように赤くなって怒る遥が愛くるしい。それにしても、なんで俺がバカと罵られなければならないのだろう。理不尽だ。
「ねぇねぇ。どんな人と結婚するのか聞いてくれないの?」
「興味ないからな」
「えー」
上目遣いで、拗ねたような視線で見つめられる。
そんな目で見られても、誰と結婚するかは、本当に知ったことではない。
これまで、コイツを抱いた数多の男たちを散々俺は見てきたのだ。そこに一人加わる。ただそれだけのことだ。
それに、知ってしまったら、遥が本当に幸せになれるのか不安になって仕事が手につかなくなってしまうかもしれない。
そんなのはさすがにもう勘弁して欲しい。
◇
「今度はうまくいくかなぁ?」
店を出て、家路へと足を進めながら遥が不安そうな声で尋ねてくる。
知らねぇよ。俺に聞くんじゃねぇよ。
だけど、口から出たのは違う言葉。
「きっと大丈夫だろ。それに……また何かあればいつでも聞いてやる」
口に出してから猛烈に後悔した。速攻取り消したくても、出してしまった言葉は戻らない。こんな事だからいつまでたっても俺は前に進めないというのに。
くそっ。これで最後だ。
最後なんだよ。遥は結婚するのだから。
「最後に……ハグでもするか」
遥はきょとんとした顔で俺を見つめ、一瞬おいて少しだけ考えるように視線をさまよわせて、照れたような表情を向けてくる。
「珍しいね、圭ちゃん。うん。ハグしよう。ハグハグ」
弾んだ声で抱きついてきた。
くそっ。珍しいのではなくて、初めてだよ、お前とハグなんてするのは。少し傷つきながら、柔らかな遥の温もりを堪能する。
いい匂いもする。服の上からでも分かるたわわな胸も凄い。
身体が溶けていきそうだ。
ずっとこうしていたい。
「うーん。幼馴染っていいねぇ。圭ちゃん」
「……あぁ、そうだな」
「やっぱり特別だよねぇ」
「そうだな」
妙に幼く甘えるような声を聞きながら思う。良かった。
最後に頼んだのがハグで。
最後に抱かせてくれとか、下種な一言が脳裏をよぎらなかったかと言えば嘘になる。だって、俺はいつだってこの幼馴染が愛おしくて抱きたかったのだから。だけど、そんなことを最後の最後に口にしてしまわなくて良かったと心から思う。
「わたし、圭ちゃんが思っているほどビッチじゃないからね。二股をかけられることはあっても、浮気はしたことないし」
抱きついたまま、くぐもった声で遥がそんなことを言う。
なんで、今このタイミングでそんなことを言うのだろうか。
でも、まぁビッチかどうかなんてどうでもいいよ。
今さらだ。
どんな遥を見ても、ずっと好きだったのだから。
でも俺は『好きだ』という、その一言をどうしても最後まで言えなかった。
ならば、せめて違う一言を口にするべきだろう。
自制を総動員して遥から身体を引き離し、遥の目を見つめて告げる。
「遥、おめでとう。幸せになれよ」
「圭ちゃん、ありがとう」
泣き笑いに似た表情を浮かべながら見つめてくる遥。
幸せになって欲しいと思う。本当に、心から。
様々な感情が揺れ動いて思わず、柔らかそうな遥の頬に触れそうになる自分を懸命に抑えた。
遥を家の玄関まできっちり送り届けて見あげた空は星ひとつ見えない真っ暗な夜空で、それを見て感傷に浸りそうな自分に嫌気がさす。
恋々たる感情がだらだらと流れ出して溢れ出しそうになる自分に呆れて、疑問に思った。遥に対するこの執着を、遥が結婚したぐらいで俺は抑えきる事が出来るのだろうか、と。
きっと何かあれば、また何を置いても遥のもとへ駆けつけてしまうのではないだろうか。
これまでも、これからも、全く報われないというのに――。
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