ウィズ

百々面歌留多

第1話

店頭に並ぶペット用ウェアを眺めているとき、突然電話が鳴った。

エルは震える手で電話を取った。3キロメートル離れた自宅の母からで、全ての言葉を聞き終えると腕をだらりと下げた。

「ごめん、すぐに戻らなくちゃ」

隣のベッキーは雷に打たれたような顔をしながら、

「ちょっと本気? これから」

「この埋め合わせは必ずする」

ベッキーの言葉も待たずにエルは駆けだした。向かうのは外のタクシー乗り場。もう、このショッピングセンター、迷路みたいだわ!

あらかじめ設定したガイドがおじゃんになったせいでルートを滅茶苦茶にしちゃって。今はシアターに行きたいんじゃないの。

「タクシー乗り場に行きたいの!」

『すでに発券済みのチケットがございますが』

AIガイドは無機質な声で事実を率直に言う。

『料金を払い戻す場合には窓口に行く必要がございま……』

「タクシー!」

周りの人たちが一斉にエルに目を向ける。

ようやくAIガイドは正しい道案内をし始めた。どうやら先ほどのルートの間に新規目的地としてタクシー乗り場を設定したようだ。

走りながら端末を取り外すと急いで窓口へと返却して、一気に外へと出る。

冷房の効いた屋内より一転、湿気を多量にふくむ蒸し暑さが体を包みこむ。顔面、首筋、腕には陽射しが鋭く刺さる。

もはや太陽は脅迫者だわ。

タクシー乗り場へと直行するや否や停まっていたタクシーに乗り込み、「家!」と声を張り上げる。無人タクシーはあらかじめ利用登録をしていると設定した場所に簡単に行ける。

走りだすと同時にエルはもたれかかった。

「……オシャレなんてするんじゃなかった」

足首を撫でつけながらエルはうなだれる。断続的に鳴る鼓動とべたつく汗の感触だけが強烈に体全体に響き渡る。

タクシーが赤信号で停まったとき、エルは思わず舌打ちをする。今行けたんじゃないの、融通がきかないわね。

こっちは急いでいるの。でないと……あの子が……。

「ウィズ……どうか……」

頑張って持ちこたえてちょうだい、おねがいだから。



小さいころ、エルは病弱で家でばかり過ごしていた。ベッドと周囲の部屋がいくつか。外に出るのは禁じられていた。

おかげで同年代の子たちよりも異常に長い時間を過ごす羽目となった。1日は24時間だけだが孤独が時の流れを緩慢にしたのだ。

時を加速させるためにエルは時折歌った。テレビやラジオで流れる歌のサビを練習しては喉を傷めた。ある時は一人芝居に興じたこともあった。会話を続けるにはもう一人が必要であったが、いつもエルはその代役を自分で務めた。声色を変えたり、わざとぶっきらぼうに喋ったりすれば、何人分もこなせるから。

算数のノートに台本を書いたこともある。登場人物に名前と設定を加えて、物語っぽく仕上げたこともあった。

ただいくら演じても拍手だけは自分でしなくちゃいけなかった。

乾いた拍手ほど沈黙を盛り上げるものはなかった。

エルに転機が訪れたのは9歳の誕生日のことだ。

祖母が家へとやってきて、エルを祝ってくれたのだ。ケーキとかおいしいご飯はなかったがプレゼントを持ってきてくれた。

包装紙でくるんだ箱は少女にとっては大きいものだ。床へと置いてから赤いリボンを解き、丁寧にセロテープをはがした。

中から現れたものにエルは目をパチクリとした

ペットロボット、って何かしら?

疑問符の謎は祖母がすぐに解いてくれた。

ペットロボットとは文字通りのペットのロボットである。高度な人工知能を備えており、より愛犬らしく振舞うよう設定をされているとか。

――開けてごらん。

祖母に手ほどきを受けながら、エルはほぼ独力でペットロボットの初期設定を行った、音声に従って答えるだけでいいので非常に楽だった。

全てを終えて再起動をし終えると。

ようやくペットロボットが動き出したのである。ロボットとは思えぬほどぎこちない動きですぐに転んだ。起き上がっても電子音でくうんと泣いてばかりだった。

本物とは似てもにつかぬ鋼鉄の胴体。はるかにずっしりと重たく、わざとらしい動作の数々。時折耳につくモーター音。

実際のトイプードルにそっくりなのは輪郭だけ。

3、4日で飽きてしまうんだろうと当時のエルは想像した。そのうちジャンクショップのお世話にするなるかも。

ロボットに使われている希少金属はいい小遣い稼ぎになるんだとニュースのアナウンサーが言っていたのを思い出したのだ。


愛着など感じるはずもない。

そうたかを括っていたにも関わらず、1週間、1カ月と経過するうちに自分が正反対の方向に傾きつつあることにエルは驚いたのだ。

じゃれてくる彼を手で遊んでやったり、後ろから抱えて抱っこしてやったり、頭を撫でてやったり――構ってやればやるほど硬直していた顔は変じた。

笑顔を浮かべたのだ。

彼はただそこにいるだけで生活に花を添え、彩りを加え、活気を呼び起こした。病弱な少女もいつの間にか本来の力を取り戻した。

学校に通えるようになり、同年代の友達も作った。嫌いだった勉強もちょっとは頑張れるようになった。

めげそうなとき、いつも彼がそばにいたから。本物の犬のように言葉などなくとも優しい気持ちと勇気をくれる――頼れる存在だった。

そんな彼をエルはウィズと呼んでいた。



ソファの上には小さく丸まったウィズの姿。お気に入りのクッションの上、エルがいつも隣に座る場所だ。

あの日と変わらぬ姿でも近頃は壁やテーブルの足に体をぶつけることが多くなって顔や背中には傷がついている。

「ウィズ、ウィズ」

呼び掛けると額のランプが点灯をする。声や人の気配をセンサーが捉えようとしているのだろうが、現在の彼は闇の中にかすかな音を聞くばかりだ。

顔をあげてウィズは掠れた声をあげる。

「よかった、よかった」

エルは頭をなでながら、彼を膝の上にのせてソファへと座った。

立ち上がろうとするウィズ。だが関節部はかなり摩耗しており、すぐに崩れ落ちる。

「いいのよ、頑張らなくても」

背中を撫でながら、エルは手に冷たさを覚える。

昔ははしゃぐとすぐに背中が熱くなったのに。ただの金属に触れているみたい。

なおもウィズはもがいている。さすがのエルも彼を解放してやるしかなかった。もはやこれまで――ウィズと同じペットロボットのサポートは終了しており、修理をしようにも部品がなく、彼をオンラインにアップロードするのも法的に不可能だ。

「ねえ、ウィズ」

全ての力を振り絞って前脚をあげる。胴体を垂直に立たせて、寄っかかってくる。爪が引っ掛けたボタンが勢いよく外れてしまった。ウィズの体重がエルの胸を潰す。

電子音のような鳴き声をあげながら、冷たい鼻先をそっと彼女の顎や頬にふれる。

「あなたがいてくれて本当によかった」

目から零れ落ちたものが頬を伝い、金属にてそっとにじむ。

「ありがとう」

エルはすでに機能停止した彼の重さをそっと抱き上げると、目蓋に溜まっているものを土砂降りにさせた。

薄暗い室内では少女の嗚咽と台所で野菜を刻む包丁の音だけが沈黙の上にて混じり合おうとしていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウィズ 百々面歌留多 @nishituzura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ