謝密3  謝混の死    

しんの名家で封爵地を持っている者は、

そのほとんどの起家が員外散騎侍郎。

もちろん謝密しゃみつもその例に漏れない。

それから司馬徳文しばとくぶんの幹部となった。


412 年、謝混しゃこん

劉毅に味方したかどで殺されると、

その妻であった孝武帝の娘、晉陵しんりょう公主は

琅邪ろうや王氏、王練おうれんに嫁に出されることに。


その後意向は認識致しました、

けれど、私はこの家を

出るつもりはございません。

断乎たる決意を見せた公主に対し、

朝廷からは謝氏からの断絶が

言い渡される。


晉陵公主、謝混家のことを

謝密に委託することにした。


謝混家と言えば

晋の宰相クラスの家である。

一門の者が箇所箇所に

封爵地を持ち、

経営している田畑は十数ヶ所、

使用人は千人を数える。

そんな家を切り盛りせねばならないのが、

晉陵公主、及び二人の幼い娘。

到底回せたものではない。


なので謝密、公主に代わって運営。

ただし、あくまで家主が

健在であるかのような仕え方をした。


謝混家の資産については、

一銭、一尺の布に至るまで

すべてを帳簿につける。


一方で、自らは通直郎に任命された。




晉世名家身有國封者,起家多拜員外散騎侍郎,弘微亦拜員外散騎,琅邪王大司馬參軍。義熙八年,混以劉毅黨見誅,妻晉陵公主改適琅邪王練,公主雖執意不行,而詔其與謝氏離絕,公主以混家事委之弘微。混仍世宰輔,一門兩封,田業十餘處,僮僕千人,唯有二女,年數歲。弘微經紀生業,事若在公,一錢尺帛出入,皆有文簿。遷通直郎。


晉の世の名家の身にて國封を有せる者は多きが起家にて員外散騎侍郎を拜す。弘微も亦た員外散騎を拜し、琅邪王大司馬の參軍となる。義熙八年、混の劉毅が黨なるを以て誅さるを見るに、妻の晉陵公主は改めて琅邪の王練に適さるも、公主は意を執りたりと雖ど行ぜず、而して詔し其と謝氏とは離絕され、公主は以て混が家の事を弘微に之を委ぬ。混は仍ち世の宰輔にして、一門は兩封され、田業は十餘處、僮僕は千人にして、唯だ二女有り、年數歲なり。弘微は生業を經紀し、事うるに公の在りたるが若くし、一錢尺帛の出入せるも、皆な簿に文を有す。通直郎に遷る。


(宋書58-6_徳行)




以前謝密伝読んだ時は盛大に前段飛ばしたから、なんでこんなに謝混に対して仕えたんだろうって謎に思ってたんですよね。いやお前まともに読めよ案件なんですけど。これ謝混から単純に褒められてただけじゃなくて、実務的な部分でもかなりサポート受けてたっぽいですね。でなきゃここまでの仕え方はありえない。


うーん、謝密は劉裕りゅうゆうにどんな思いを抱いていたんでしょうね。と言うか烏衣ういに絡んでた謝氏は全員含むものを抱かざるを得ないよなあ。エモいなぁ。とてもエモい。その中にあって謝晦しゃかいだけはやや違った感情を得ていそう。


それにしても、ようやく謝混という人の実像が見えてきた感じがします。

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