褚裕之1 広州統治
敬侯
褚裕之。
字の
はじめ
劉裕が
いちど司馬徳文の元に戻った後、
そこの主力軍を率いる身となり、
建威將軍の官位を加えられた。
自ら軍を率い、力戦。
盧循が南に逃げると、褚裕之は
仮の
都督交廣二州諸軍事に任じられ、
広州に向かった。
そして事態が収束すると、
広州刺史として正式に着任する。
広州で兵を集め、謀反を計画。
間もなく発覚したため、
褚裕之は討伐し、平定。
412 年には盧循の残党、
生活に困窮したため、交州府に
投降を願い出た。
すると交州刺史の
劉敬道を受け入れてしまう。
この動きに対して、褚裕之は言う。
「劉敬道らは困窮のあまり、
やむなく投降してきたにすぎない。
信用には値せぬぞ。
速やかに殺しておくべきだ」
褚裕之からのアドバイスも無視し、
杜慧度はろくに対策も立てなかった。
褚裕之の懸念の通り、劉敬道は
交州にいた亡命勢力を糾合。
この事態に至り
杜慧度はようやく対応。
九真に軍を派遣、劉敬道らを討伐した。
褚裕之、
杜慧度の対応のずさんさを糾弾。
奮揚將軍への降号を政府に要求したが、
劉裕よりの返答があり、
杜慧度はお咎めなしとなるのだった。
叔度名與高祖同,故以字行。初為太宰琅邪王參軍,高祖車騎參軍事,司徒左西屬,中軍諮議參軍,署中兵,加建威將軍。從伐鮮卑,盡其誠力。盧循攻查浦,叔度力戰有功。循南走,高祖版行廣州刺史,仍除都督交廣二州諸軍事、建威將軍、領平越中郎將、廣州刺史。桓玄族人開山聚眾,謀掩廣州,事覺,叔度悉平之。義熙八年,盧循餘黨劉敬道窘迫,詣交州歸降。交州刺史杜慧度以事言統府,叔度以敬道等路窮請命,事非款誠,報使誅之。慧度不加防錄,敬道招集亡命,攻破九真,殺太守杜章民,慧度討平之。叔度輒貶慧度號為奮揚將軍,惡不先上,為有司所糾,詔原之。
叔度は名を高祖と同じくせば、故に字を以て行す。初に太宰琅邪王參軍と、高祖車騎參軍事、司徒左西屬、中軍諮議參軍と為り、中兵を署し、建威將軍を加う。鮮卑の伐せるに從い、其の誠力を盡す。盧循の查浦を攻むるに、叔度は力戰し功有り。循の南走せるに、高祖は廣州刺史を行じて版じ、仍ち都督交廣二州諸軍事、建威將軍に除し、平越中郎將、廣州刺史を領す。桓玄の族人の開山は眾を聚め、謀りて廣州に掩じ、事の覺らるに、叔度は悉く之を平らぐ。義熙八年、盧循の餘黨の劉敬道の窘迫せるに、交州に詣で歸降す。交州刺史の杜慧度は事言を以て府を統べんとせど、叔度は報せて以えらく「敬道らの路窮なるを以て命を請うるは、事の款誠に非ざりたるなり」と。之を誅せしめんとす。慧度は防錄を加えず、敬道は亡命を招集し、九真を攻め破り、太守の杜章民を殺し、慧度は討ちて之を平らぐ。叔度は輒ち慧度を貶じ號を奮揚將軍と為し、先の上げざるを惡み、有司に糾せる所と為るも、詔じ之を原す。
(宋書52-22_政事)
褚氏兄弟の中では割と武力に秀でていた感じのある三男。劉裕と名前が被っているのもおいしいですね。褚裕之のほか謝裕、王裕之、張裕と、この時期に何故か宋書には裕の字を冠した人物が沢山います。劉宋戦隊ユーユーファイブが組めてしまう勢いですね!(すごくいいえがお)
それにしてもこの当時の行政区分、日本人的にはナメてんのかって感じなんですよね。江州の南に広州があって、更にその隣に交州があるんですよ。
ちなみに中古音だと、
江 kɔŋ
広 kwɑŋ
交 kau
なので、まぁ問題なさそうなんですが、こう、日本人に優しくないよね……
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