劉道憐3 留守を守るも貪婪

412 年、劉毅りゅうき征伐にあたり、

劉裕りゅうゆうは劉道憐に京口の守りを任せた。

都督兗青二州晉陵京口淮南諸郡軍事、

兗青州刺史と言う肩書き付きである。


413 年には、侍従五十人を引き連れ

建康けんこう城に入殿。

南燕なんえん戦の功績から、竟陵きょうりょう県公となった。

以前の封爵地の半ばは、

次男の劉義宗りゅうぎそうに分け与えられた。


414 年、中軍將軍となる。

散騎常侍、要は護衛と

鼓吹一部を配された。


415 年に司馬休之しばきゅうし討伐のため

劉裕が江陵こうりょうに向かうと、

やはり建康の太尉府の守りに。


江陵が平定されると、西府せいふの長に。

都督荊湘益秦寧梁雍七州諸軍事、

驃騎將軍、開府儀同三司、

領護南蠻校尉、荊州刺史。

問答無用で晋のトップである。

そこには北府軍の文官武官が

軒並み配された。


とはいえ劉道憐、そもそも無能の人。

喋りは朴訥、振る舞いは

決して礼に沿うことが無い。


そんな劉道憐のために劉裕は常に

多くの将軍を派遣して

サポートをさせていたが、

その配慮をどれほど認識していたのか、

財貨に対してガメツく、

いつもいつも収集に飽き足らずにいた。


荊州けいしゅうから京口に戻ろう、

というときには、西府の府庫をさらい、

空っぽにしてしまうほどだった。




八年,高祖伐劉毅,徵為都督兗青二州晉陵京口淮南諸郡軍事、兗青州刺史,持節、將軍、太守如故,還鎮京口。九年,甲仗五十人入殿。以廣固功,改封竟陵縣公,食邑千戶。減先封戶邑之半,以賜次子義宗。十年,進號中軍將軍,加散騎常侍,給鼓吹一部。明年討司馬休之,道憐監留府事,甲仗百人入殿。江陵平,以為都督荊湘益秦寧梁雍七州諸軍事、驃騎將軍、開府儀同三司、領護南蠻校尉、荊州刺史,持節、常侍如故。北府文武悉配之。道憐素無才能,言音甚楚,舉止施為,多諸鄙拙。高祖雖遣將軍佐輔之,而貪縱過甚,畜聚財貨,常若不足,去鎮之日,府庫為之空虛。


八年、高祖の劉毅を伐てるに、徵ぜられ都督兗青二州晉陵京口淮南諸郡軍事、兗青州刺史と為り、持節、將軍、太守は故の如くし、還じ京口に鎮ず。九年、甲仗五十人にて入殿す。廣固の功を以て、竟陵縣公、食邑千戶に改封さる。先封の戶邑の半ばを減じ、以て次子の義宗に賜う。十年、中軍將軍に進號し、散騎常侍を加えられ、鼓吹一部を給ぜらる。明くる年に司馬休之を討てるに、道憐は留府の事を監じ、甲仗百人にて入殿す。江陵の平らぐるに、以て都督荊湘益秦寧梁雍七州諸軍事、驃騎將軍、開府儀同三司、領護南蠻校尉、荊州刺史と為り、持節、常侍は故の如し。北府の文武は悉く之に配さる。道憐には素より才能無く、言音は甚だ楚にして、舉止や施為には鄙拙なること多諸なり。高祖は將軍を遣わせ之を佐輔したりと雖も、貪縱過甚にして財貨を畜聚し、常に足らざるが若くせば、去鎮の日にては府庫は之を空虛と為す。


(宋書51-3_寵礼)




劉道憐を「どんな人物がサポートしたのか」がちょう重要なんですよね……下手すりゃ劉裕の側よりも有能な奴揃えたんじゃないかって思うし、と言うかその人たちも本音じゃこんなクソ弟より兄貴につきたかったろうなぁ。いや、っつーかこんなクソ弟を高位に引き上げちまうよーなクソ兄貴なんだよなぁ劉裕……うーん、配下将たちも頭痛かったろうなぁ。


少し先になりますが、巻65に載る四人のうち三人が劉道憐の配下将だったりします。良吏伝みてえなツラしてるけどこれ、「劉道憐なんぞをサポートしなきゃいけなくて大変だったよね、わかるよ」立伝なんじゃねえの感がヤバい。ちなみに残った一人は劉義真の配下。おぉ……もうね……。

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