劉道憐2 武功(?)の数々

406 年、劉裕りゅうゆう京口けいこう守護となると、

劉道憐りゅうどうれん石頭せきとう城を守ることになった。


407 年には劉敬宣りゅうけいせんらを率いて征しょく

しかし文處茂ぶんしょも溫祚おんそ

険阻な地形に阻まれ立ち往生、

進軍が叶わず、撤退した。


帰還するとクーデターの功が検討され、

新興しんこう県の五等侯に封じられた。

えっ劉裕も劉敬宣も降格してるのに?


408 年には諸葛長民しょかつちょうみんの代りに

并州へいしゅう刺史、義昌ぎしょう太守となり、

やはり石頭城の守護に。


この頃南燕なんえんの勢いが大きくなっており、

彭城ほうじょうより南の人びとは寄り合い、

自衛の体制を固めていた。

そのため山陽さんよう淮陰わいいんの砦は

うまいこと防衛戦力を確保できずにいた。


そこで劉道憐は要請する。

私を彭城に派遣してください、

そして各砦を修復しましょう、と。


この要請は、却下。

彭城が遠すぎるのだ。

そのかわりに、劉道憐に山陽さんようを守らせた。

淮北わいほく郡の軍事監督官となった。


北魏ほくぎ索度真さくどしんを打ち破った功績が検討され、

新渝しんゆ県の男爵に封じられた。


南燕征伐の軍が起こると、

劉道憐は常に先陣を切った。

広固こうこ城が陥落したところで

慕容超ぼようちょうみずから軍を率いて

包囲を突破しようと突撃をかけたが、

劉道憐、その突撃をいなし、捕らえる。


411 年、并州刺史の任を解かれ、

代わりに北徐州刺史となり、彭城に移った。




高祖鎮京口,進道憐號龍驤將軍,又領堂邑太守,戍石頭。明年,加使持節、監征蜀諸軍事,率冠軍將軍劉敬宣等伐譙縱,而文處茂、溫祚據險不得進,故不果行。以義勳封新興縣五等侯。四年,代諸葛長民為并州刺史、義昌太守,將軍、內史如故,猶戍石頭。時鮮卑侵逼,自彭城以南,民皆保聚,山陽、淮陰諸戍,並不復立。道憐請據彭城,以漸修創,朝議以彭城縣遠,使鎮山陽。進號征虜將軍、督淮北軍郡事、北東海太守,并州刺史、義昌太守如故。以破索度真功,封新渝縣男,食邑五百戶。從高祖征廣固,常為軍鋒。及城陷,慕容超將親兵突圍走,道憐所部獲之。加使持節,進號左將軍。七年,解并州,加北徐州刺史,移鎮彭城。


高祖の京口に鎮ぜるに、道憐が號を龍驤將軍に進め、又た堂邑太守を領し、石頭に戍す。明くる年,使持節を加えられ、征蜀諸軍事を監じ、冠軍將軍の劉敬宣らを率い譙縱を伐たんとせど、文處茂、溫祚の險に據せるに進みたるを得ず、故に行きたるを果たせず。義勳を以て新興縣五等侯に封ぜらる。四年、諸葛長民に代りて并州刺史、義昌太守と為り、將軍、內史は故の如くせば、猶お石頭に戍す。時に鮮卑の侵逼したるに、彭城より以て南は、民は皆な聚なるを保ち、山陽、淮陰の諸戍は並べて復た立たず。道憐は彭城に據し、以て漸く修創せんことを請う。朝議は彭城縣の遠きを以て、山陽に鎮ぜしむ。號を征虜將軍、督淮北軍郡事、北東海太守に進め、并州刺史、義昌太守なるは故の如し。索度真を破りたる功を以て新渝縣男,食邑五百戸に封ぜらる。高祖の廣固を征せるに從い、常に軍鋒と為る。城を陷としたるに及び、慕容超の將に親しく兵となり圍に突し走らんとせるに、道憐の部したる所は之を獲らう。使持節を加えられ、左將軍に進號す。七年、并州を解ぜられ、北徐州刺史を加えられ、彭城に移鎮す。


(宋書51-2_寵礼)




改めてここを読んで、なんだこいつやべえと言う思いを新たとしました。重要なのは「彭城に鎮している」という点。対北魏戦を考えれば、最前線をサポートする位置ですよこれ。くっそ重要な任地です。ここでの任務で劉道憐がこければ、劉裕も国内平定どころじゃなかった。もっともこの頃の北魏は拓跋嗣たくばつし時代二年目、まだまだ内側のドタバタの解決に駆けずり回っていた頃でしょう――しっかしそう考えるとすげえな劉裕、拓跋珪たくばつけい死亡のどさくさに乗じて南燕掠め取った感じじゃん。


ともあれ旧南燕エリアの守護はすさまじく優先度の高いタスクであったはずで、そして劉道憐はそこをサポートするうえで重要なキーを握ってたことになる。こういう人の評価が「無才能」ねぇ……(※次編に出てきます)。


というか蜀討伐、「劉敬宣らを率い」って書いてあるけど、ぶっちゃけお前単なる従軍だろって感じです。龍驤と冠軍なら、おそらく冠軍のほうが上なわけだし。そして伐蜀失敗後「劉道憐は処罰対象となっていない」。ただ「使持節、監征蜀諸軍事」については、劉敬宣が「假節、監征蜀諸軍事」なんですよね。となると使持節が假節より軽くなっちゃうよな? おかしい。あるいは処罰については略されたのかなあ。劉敬宣と劉道憐がほぼ同じくらいの軍権をもってました、ってのは間違いなさそうなんだけど。


※節:軍の統帥権がありますよ、と言う証。権限の重さは使持節>持節>仮節。


まぁ、ここまでの第二次伐蜀に関する内容で劉道憐のどの字も出てこなかったところから見ると、お飾り役職だったのかもしれませんね。しかし武功を見てると十分実職として任を負えるだけの指揮力があるようにも思えるし。うーん、なんか劉道憐の扱い難しいなあ。

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