虞丘進3 西の守り
412年、
そのときに文官武官二千を預かった。
旧劉毅勢力圏の統治役だろうか。
平定後の官位は太尉行參軍、
413年には
また
劉毅平定後にも
何らかの功績があったのだろう。
419年には
420年、劉裕の即位直前に配置換え。
劉裕の第四子、
さらに421年には
が、422年には死去。
恐らく
病を発していたのだろう。
60歳であった。
改めて司馬休之討伐の時の
功績が評価され、子爵に進んだ。
子の
八年,除寧蠻護軍、尋陽太守,領文武二千從征劉毅。事平,補太尉行參軍,尋加振威將軍。九年,以前後功封望蔡縣男,食邑五百戶,加龍驤將軍。討司馬休之,又有戰功。軍還,除輔國將軍、山陽太守。宋臺令書除秦郡太守,督陳留郡事,將軍如故。元熙二年,宋王令書以為高祖第四子義康右將軍司馬。永初二年,遷太子右衞率。明年,卒官,時年六十。追論討司馬休之功,進爵為子,增邑三百戶。子耕嗣。
八年、寧蠻護軍、尋陽太守に除せられ、文武二千を領し劉毅を征せるに從う。事の平ぐに、太尉行參軍に補せられ、尋いで振威將軍を加わる。九年、前後の功を以て望蔡縣男、食邑五百戶に封ぜられ、龍驤將軍を加わる。司馬休之を討ち、又た戰功有り。軍の還ぜるに、輔國將軍、山陽太守に除せらる。宋臺は令し秦郡太守に除せんとこを書せしめ、陳留郡事を督し、將軍は故の如し。元熙二年、宋王は書にて令し以て高祖の第四子の義康の右將軍司馬に為さしむ。永初二年、太子右衞率に遷ず。明年、官にて卒す、時に年六十。追いて司馬休之を討てる功を論ぜられ、爵を進め子と為し、邑を三百戶增す。子の耕が嗣ぐ。
(宋書49-13_暁壮)
あっ、このひと復姓だったんですね……虞丘 進じゃなくて、虞 丘進だとばっかり思ってた……マジか……また恥ずかしい誤読決めてんじゃん……もういいです。忘れます。けど小説版はさすがに直してこよう……うわあ。
着実に軍功を積み、地道に出世している感じがあります。「
この人と
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