劉鍾3  参謀働き    

劉毅りゅうき征伐にあたっては、

王鎮悪おうちんあくのフォロー役として動いた。

更にそのまま朱齡石しゅれいせきによる伐しょくに従軍。

前鋒を務めた。


囮の軍勢を内水に繰り出し、

朱齢石らは外水をゆく。

そして成都せいとの南80キロにある地、

彭模ほうもに到着した。


ここでは譙亢しょうこうが軍を率い、

川の南北両岸に砦を築き、守っていた。

兵力、およそ三万。


いざ開戦、という折、

しかし劉鐘にアクシデント。

足に病を得てしまったのだ。


船の一室で療養していた劉鐘のもとに、

朱齢石がやってくる。


「この炎天下、敵は守りを固めている。

 ここで迂闊に攻め立てれば、

 兵の疲弊を募らせる恐れがある。


 ただでさえ暑さに

 兵らがやられている。

 ここは一度立ち止まって英気を養い、

 奴らの隙を伺うほうが良いのでは、

 と思うのだ。


 ただ、劉裕りゅうゆう様よりも

 決断に迷ったときには

 劉鐘殿に相談せよ、と承っている。

 そなたはこの作戦、どう思う?」


劉鐘は答える。


「得策とはいえんな。


 奴らの最大の警戒は、

 いまだ内水に向いている。

 でなければ譙道福しょうどうふくが内水上流から

 こちらに向かってきているはずだろう。


 我らは今、

 間違いなく蜀軍の不意をついている。

 城の奴らが恐慌に陥っているのが、

 何よりの証拠だ。


 たしかに奴らは今、

 要害を守っては、いる。

 だが断固として戦うほどの

 腹積もりではおるまい。


 奴らの恐慌に乗じて総攻撃をかければ、

 必ずや陥落させられよう。

 その勢いで成都に向かえば、

 成都とてたやすく落とせよう。


 むしろここで下手に様子見をすれば、

 奴らはこちらが本命であると知り、

 主力をことごとく呼び寄せ、

 力の限りの抵抗をしてくるぞ。


 奴らが落ち着き、

 また良将に現着されてみろ。

 勝てるものも勝てなくなるうちに、

 こちらの食料が尽きることになる。


 ともなれば、あとは蜀軍に

 囚われの身となるだけだ」


朱齡石は劉鐘の意見を採用。

翌日に攻撃を開始し、攻め落とした。

大將の侯輝こうき譙詵しょうせんを斬り、

その勢いで、成都も平定するのだった。





高祖討劉毅,鍾率軍繼王鎮惡。江陵平定,仍隨朱齡石伐蜀,為前鋒,由外水,至于彭模,去成都二百里。偽冠軍征討督護譙亢等兩岸連營,層樓重柵,眾號三萬。鍾于時脚疾不能行,齡石乃詣鍾謀曰:「今天時盛熱,而賊嚴兵固險,攻之未必可拔,祇增疲困。計其人情恇撓,必不久安,且欲養銳息兵,以伺其隙。隙而乘之,乃可捷事。然決機兩陳,公本有所委,卿意謂何﹖」鍾曰:「不然。前揚聲言大眾向內水,譙道福不敢舍涪城。今重軍卒至,出其不意,蜀人已破膽矣。賊今阻兵守險,是其懼不敢戰,非能持久堅守也。因其兇懼,盡銳攻之,其勢必克。鼓行而進,成都必不能守矣。今若緩兵相守,彼將知人虛實,涪軍忽并來力距我,人情既安,良將又集,此求戰不獲,軍食無資,當為蜀子虜耳。」齡石從之。明日進攻,陷其二城,斬其大將侯輝、譙詵,逕平成都。


高祖の劉毅を討てるに、鍾は軍を率い王鎮惡に繼ぐ。江陵の平定さるに、仍いで朱齡石の伐蜀に隨い、前鋒を為し、外水を由し、彭模、成都を去ること二百里に至る。偽冠軍征討督護の譙亢らは兩岸に營を連ね、樓を層ね柵を重ね、眾は三萬を號す。鍾は于の時に脚疾にて行く能わらざらば、齡石は乃ち鍾に詣で謀りて曰く:「今、天の時は盛熱し、賊は兵を嚴にし險に固む、之を攻むに未だ必ずしも拔くべからざらば。疲困の增す祇れあり。其の人情の恇撓なるを計るに、必ずや安んぜること久しからず、且つ銳を養い兵を息ませんことを欲さば、以て其の隙を伺わん。隙あらば之に乘じ、乃ち事は捷さるべし。然れど決機兩陳し、公の本より委ねたる所有らば、卿は何ぞを意謂せんか?」と。鍾は曰く:「然らず。前に揚ぐる聲言は大眾の內水に向かいたれば、譙道福は敢えて涪城を舍てず。今、重軍の卒かに至り、其の不意に出でたり。蜀人は已に破膽せり。賊は今、兵にて阻み險を守れど、是れや其れ、敢えて戰わざるを懼れ、能く持久し堅守せるに非ざるなり。其の兇懼に因り、銳の盡きにて之を攻むらば、其の勢は必克たらん。鼓行し進まば、成都は必ずや守る能わざらん。今、若し緩兵の相守るに、彼の將は人の虛實を知り、涪軍は忽く并さり來たりて我を力距せん。人情の既にして安んじ、良將の又た集まり、此の戰を求め獲らざらば、軍食に資無く、當に蜀子の虜と為りたらんのみ」と。齡石は之に從う。明くる日に進攻し、其の二城を陷し、其の大將の侯輝、譙詵を斬り、逕みて成都を平らぐ。


(宋書49-9_規箴)




この辺でも劉裕の名代みたいな振る舞いになっています。ほんとにこの人おいしいんだよね……動きとしては劉裕の動きの穴の補填、と言う感じなんだもの。なので「人物録」的にはすっげえ楽しい。ただし「晋末宋初の動静を占う」意味では全く見るべきところがない。うーん。


ともあれ、劉裕の動きがヤバいですね。完全に劉毅征伐と伐蜀ワンセットじゃん。もともと建康出る段階で、そこ想定した編成だったんだろうなあ。「もし王鎮悪だけで落とせたら、そのまま蜀にも向かわせる」。


なので王鎮悪軍が単軍で劉毅を落としたと聞いた劉裕、行軍速度を落としたんでしょう。伐蜀軍をいたずらに疲弊させるわけには行かないから。いくらなんでも王鎮悪の江陵制圧から二十日後の本隊到着なんて、タイムラグが激しすぎる。


南燕なんえんでの失敗が、劉裕のプランニングをどんどん鋭いものに仕立ててる印象があります。そんな劉裕の後秦こうしん制圧事業とか、どんだけ内部をがっちり固めたのよって感じです。だからこそここでしんの領地を守ることになった諸将はヤベーし、もっと掘り下げたい。


沈約しんやくさん、今からでも遅くないんで、晋末宋初の劉裕サマ伝説にあんま絡んでない人たちももっと書こうか、な?

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