巻48 北地に消えた名将

朱齢石1 桓氏との縁   

朱齢石

 既出:劉裕40、劉裕60、劉裕78

    劉裕80、劉穆之7、沈林子5



朱齢石しゅれいせき。字は伯兒はくじはい郡沛県の人だ。

代々将帥を輩出する家に生まれた。


祖父は朱騰しゅとう、建威將軍、吳國內史。

伯父の朱憲しゅけん朱斌しゅひんは、

ともに袁真えんしんの部下として仕えた。


袁真。枋頭ほうとうの戦いで、

桓温かんおん軍の補給だとか退路確保だとかを

任されていた人だ。

彼が任務に失敗したから、

桓温は壮絶な撤退戦を

繰り広げねばならなかった。

そのため桓温から糾弾を受け、

任地の壽陽じゅようにて決起、反乱を起こした。


ここで朱憲と朱斌は、

密かに桓温に通じていた。

それが明るみとなったため、

袁真、二人を殺した。


追及は彼らの弟、朱綽しゅしゃくにも及ぶ。

なので朱綽、桓温のもとに逃れた。

そこでは陣頭に立ち、矢石に身を晒し、

袁真軍を攻め立てた。


壽陽が平定されたとき、

すでに袁真は死んでいた。

兄たちの仇を取れなかった朱綽、

袁真の棺をあばき、その死体を切り刻む。


これに激怒したのが桓温である。

それが非道なことと見たか、

あるいは抜け駆けされたからか。

ともあれ、朱綽を殺そうとした。


そんな桓温を、弟の桓沖かんちゅうが止める。

怒り心頭の桓温を懸命に説得。

こうして、朱綽は死を免れた。


朱綽は忠烈のひとである。

以降、桓沖に受けた恩義を返さんと、

彼を父のごとく慕い、仕えた。


桓沖が死んだとき、朱綽もまた死亡。

悲しみのあまり、吐血したという。


この朱綽の息子が、朱齡石だ。

桓沖の息子たちからは、

兄弟のごとく扱われた。




朱齡石字伯兒,沛郡沛人也。家世將帥。祖騰,建威將軍、吳國內史。伯父憲及斌,並為西中郎袁真將佐,憲為梁國內史,斌為汝南內史。大司馬桓溫伐真於壽陽,真以憲兄弟與溫潛通,並殺之。齡石父綽逃走歸溫,攻戰常居先,不避矢石。壽陽平,真已死,綽輒發棺戮尸,溫怒,將斬之,溫弟沖苦請得免。綽為人忠烈,受沖更生之恩,事沖如父。參沖車騎軍事、西陽廣平太守。及沖薨,綽歐血死。沖諸子遇齡石如兄弟。


朱齡石は字を伯兒、沛郡沛人なり。家は世に將帥たり。祖は騰、建威將軍、吳國內史。伯父の憲及び斌は並べて西中郎の袁真の將佐と為り、憲は梁國內史と為り、斌は汝南內史と為る。大司馬の桓溫の真を壽陽に伐てるに、真は憲兄弟と溫の潛かに通ぜるを以て、並べて之を殺す。齡石の父の綽は逃走し溫に歸せば、攻戰にて常に先に居り、矢石を避けず。壽陽が平らぎ、真の已に死すらば、綽は輒ち棺を發し尸を戮さば、溫は怒り、將に之を斬らんとす。溫の弟の沖の苦はだ請いたるにて免ぜるを得る。綽が為人は忠烈にして、沖の更生の恩を受け、沖に父なるが如く事う。沖の車騎軍事、西陽廣平太守に參ず。沖の薨ぜるに及び、綽は歐血し死す。沖が諸子は齡石を兄弟が如く遇す。


(宋書48-1_為人)




あっやっべえめっちゃ面白い(にこにこ)


のちに劉裕りゅうゆう軍でもかなりの重要な位置を占めることになる朱齡石ですが、桓沖の息子たち、つまり桓謙かんけんやら桓脩かんしゅうとめっちゃ縁があったんですね。


ちなみに桓沖。桓氏一門の中にあって、特別扱いを受けています。劉裕は基本桓氏絶対滅ぼすマンだったけど、桓沖の嫡孫、桓胤かんいんだけは見逃しました(まぁ結果からするとくすぶる残りの反乱の芽を一網打尽にするための餌だった気もするけど)。そういう桓沖との関連性から、彼の立ち位置は眺められるのかもしれません。「西府系軍閥の主要将帥」みたいに見れるのかなあ。ともあれ、先が楽しみです。

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