巻47 大業をなす前に死んだ将軍
劉懐粛1 猛将猛追す
劉懐粛 全2編
既出:劉裕40
代々貧乏ぐらしをしており、
家にあっては農業に携わり、
暇があれば読書に勤しんでいた。
初めは
その功績からを
間もなく、劉裕が決起。
劉懐粛は任地を放り出し、合流する。
劉懐粛は
桓玄は
駐留させ、行く手を妨げようとする。
が、あっさり排除。
更に派遣された
これらの功績から、
追討戦のさなか、
だが残された桓玄軍の中で、
桓玄の従兄弟である勇将・
そこで劉道規らは一度
体勢を立て直したあと、
劉懷肅と
ここで桓振、3人の将を派遣。
それぞれが弱点を補完し合うような形で
配置についた。
劉懷肅と劉道規は自ら陣頭に立ち、
彼らを攻め立てる。
馮該を
桓仙客は生け捕りとした。
その後桓振は敗走。
劉道規は劉懷肅を
そこで馮該と、その息子
諦める桓振ではない。
体制を立て直すと、今度は
その身一つで逃走した。
劉懷肅、
昼も夜もなくの行軍で、
七日後に到着した。
対する桓振軍は兵力三万。
その旗は大地を埋め尽くさんばかり、
騎馬隊に矛を構させ、
桓振を先頭に突撃してくる。
敵軍の勢いに加え、
飛んできた矢は劉懐粛の額を傷つける。
配下の将兵らは恐れおののき、
逃げ出そうとするものさえ現れる。
が、当の劉懐粛が気炎万丈である。
目をらんらんと燃やし、奮戦する。
劉懐粛の気迫に載せられた兵たちもまた、
先を争うように桓振軍に立ち向かう。
ついにはこの戦いで、
桓振の首を挙げるのだった。
劉懷肅,彭城人,高祖從母兄也。家世貧窶,而躬耕好學。初為劉敬宣寧朔府司馬,東征孫恩,有戰功,又為龍驤司馬、費令。聞高祖起義,棄縣來奔。京邑平定,振武將軍道規追桓玄,以懷肅為司馬。玄留何澹之、郭銓等戍桑落洲,進擊破之。潁川太守劉統平,除高平太守。玄既死,從子振大破義軍於楊林,義軍退尋陽。懷肅與江夏相張暢之攻澹之於西塞,破之。偽鎮東將軍馮該戍夏口東岸,孟山圖據魯山城,桓仙客守偃月壘,皆連壁相望。懷肅與道規攻之,躬擐甲胄,陷二城,馮該走石城,生擒仙客。義熙元年正月,振敗走,道規遣懷肅平石城,斬馮該及其子山靖。三月,桓振復襲江陵,荊州刺史司馬休之出奔,懷肅自雲杜馳赴,日夜兼行,七日而至。振勒兵三萬,旗幟蔽野,躍馬橫矛,躬自突陳。流矢傷懷肅額,眾懼欲奔,懷肅瞋目奮戰,士氣益壯。於是士卒爭先,臨陣斬振首。
劉懷肅は彭城人にして、高祖が從母兄なり。家は世に貧窶なれど、躬ら耕し學を好む。初に劉敬宣が寧朔府司馬と為り、孫恩を東征し戰功有り、又た龍驤司馬、費令と為る。高祖の起義を聞き、縣を棄て來奔す。京邑平定され、振武將軍の道規の桓玄を追いたるに、懷肅を以て司馬と為す。玄は何澹之、郭銓らを留め桑落洲を戍らしむらば、進み擊ちて之を破る。潁川太守の劉統を平らげ、高平太守に除せらる。玄の既にして死せるに、從子の振は義軍を楊林にて大破し、義軍は尋陽に退く。懷肅と江夏相の張暢之は澹之を西塞に攻め、之を破る。偽の鎮東將軍の馮該は夏口の東岸を戍り、孟山圖は魯山が城に據し、桓仙客は偃月壘を守り、皆な連壁なりて相い望む。懷肅と道規は之を攻め、甲胄を躬擐し、二城を陷とさば、馮該は石城に走り、仙客を生きて擒らう。義熙元年の正月、振は敗走し、道規は懷肅を平石城に遣わせ、馮該、及び其の子の山靖を斬る。三月、桓振は復た江陵を襲い、荊州刺史の司馬休之は出奔せば、懷肅は雲杜より馳せ赴き、日夜兼行し、七日にして至る。振は兵三萬を勒し、旗幟は野を蔽い、躍馬橫矛し、躬自突陳す。流矢は懷肅が額を傷つけ、眾は懼れ奔れんと欲せど、懷肅は目を瞋らせ奮戰し、士氣は益ます壯んとす。是に於いて士卒は先を爭い、陣に臨みて振が首を斬る。
(宋書47-1_暁壮)
劉懐慎の兄のお話。見てのとおりモンスターみたいな働きを決めています。桓玄追討戦、劉道規が功績二番手につけられたのは、この人が大活躍したからこそだってのが描かれている感じでしょうか。まぁ、ほとんど武帝本紀と記事の解像度が変わんないのは正直どうよって思うんですけど。
この中に登場する中では張暢之が気になります。たぶん他のところに出てきた張暢と同一人物ではあると思うんだよね。そして、
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