張邵4  識鑒の達人   

劉義隆りゅうぎりゅう荊州けいしゅう刺史に任じられると、

張邵ちょうしょうはその副官につけられた。

荊州に関する決済事項は、

ほぼ張邵の手によるものである。


劉裕りゅうゆうが皇帝となると、

覇業をよく助けたという事で

臨沮りんそ伯に封爵された。


荊州の一部を分割し、

湘州しょうしゅうを新設する際には、

張邵を湘州刺史に任じた。


史刺位に就いて、

張邵が真っ先に手掛けたのは

長沙ちょうさ郡の軍備だった。

この地は敵国、蛮族の脅威も少なく、

ここに軍備を配しておくのは

コストの無駄であると指摘。

この指摘を受け、劉裕は

長沙の軍を解散させた。


謝晦しゃかいが反乱を起こした時、

張邵に親書を飛ばし、合流を依頼。

張邵、これに返事を出さず、

代わりに劉義隆に報告した。


さて、劉義隆の下で働くと言えば、

重要になってくるのが、重鎮、

王華おうかとの関係である。


で、張邵。王華との仲が最悪だった。


そんな王華が劉義隆とともに

建康けんこうの枢要に登る。

当然張邵周辺の人間は、

王華におとしめられるのではないか、

と戦々恐々である。


が、張邵は言う。


「王華殿は公人としての

 度量をお持ちである。


 そんなお方が私怨だけで

 我が正義をくじくものかよ」


実際のところ、王華は張邵に、

引き続き南郡エリアのかじ取りを

任せていたのである。



その後の張邵は汚職とか、

外交に関するどえらいミスなどを

やらかしてもいるのだが、

その辺りは省略。


没年は不明だが、およそ441年頃だろう。

簡伯かんはくと諡された。




文帝為中郎將、荊州刺史,以邵為司馬,領南郡相,眾事悉決於邵。武帝受命,以佐命功,封臨沮伯。分荊州立湘州,以邵為刺史。將署府,邵以為長沙內地,非用武之國,置署妨人,乖為政要。帝從之。謝晦反,遺書要邵,邵不發函,馳使呈帝。王華與邵有隙,及華參要,親舊為之危心。邵曰:「子陵方弘至公,必不以私仇害正義。」是任也,華實舉之。卒,諡曰簡伯。


文帝の中郎將、荊州刺史に為りたるに、邵を以て司馬と為し、南郡相を領し、眾事は悉く邵にて決したる。武帝の受命せるに、佐命の功を以て臨沮伯に封ぜらる。荊州を分け湘州を立つるに、邵を以て刺史と為す。將に府を署せんとせるに、邵は以て長沙を內地と為し、用武の國に非ざれば、妨人の置署せるは政要に乖ぜると為す。帝は之に從う。謝晦の反したるに、書を遺りて邵を要えんとせど、邵は函を發さず、馳せ帝に呈ぜしむ。王華と邵に隙有り、華の要に參ぜるに及び、親舊は之が為に心にて危ぶむ。邵は曰く:「子陵の方弘なるは公に至り、必ずや私仇を以ては正義を害さざるなり」と。是の任なるや、華は實に之を舉ぐ。卒せるに諡して曰く、簡伯と。


(宋書46-13_識鑒)




張邵と言う人物を語るには、どっちかって言うと元嘉げんか年間のオモシロな振る舞いを語るべきではあるのです。「こういう人物なんだ」ってのがより深掘りされるのでね。けど略。ぶっちゃけ劉裕死後の劉宋に対する興味がものすごく低いの。


一通り追っての印象は、「なんかいくらでも後付できそうな建言がいっぱいあるよなー」でした。沈約しんやくさん、呉郡張氏の誰かに弱みでも握られてたのかしら。沈約さんの筆によると「こんなにもすごい人」が、趙倫之ちょうりんしなんぞをトップに据えるよーな巻のラストに配される。なんか沈約さんの隠しメッセージが見えてくる気がします(陰謀論脳)。


とは言え、この点についてはこれ以上の深掘りをしようもなさそうかなー。あんまり変にこねくり回さず、今は先に進みましょう。

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